平定者と央輝星 4
薄いまぶた一枚に遮られただけで、視界は周囲から隔絶される。
額から伝わるスターの体温と顔に触れる吐息。それから耳に届く声だけが、外部との繋がりを感じさせた。あ、ついでにギャンギャン言い合っているおじいちゃんたちの怒鳴り声も。
「――暗い、空間が見えますね?」
「うん。真っ暗」
普通に目を閉じた時と全然代わり映えしない。
ん? 待てよ? 目を閉じた時って、真っ暗になったっけ? まぶた越しに僅かな明かりを感じたり、目を開けていた時の残像が見えるもんじゃない?
「星々が見えてきませんか?」
「うわっ!」
星っ! 星だよ!
星の大洪水!
スターが言った途端、私は広大無辺な宇宙空間に放り出された気分になってしまった。上下左右、見渡す限りもう星ばっかり。思わず、ちゃんと息もできるよね、と深呼吸を何度も試してしまう。
チラチラとした不定期な瞬きがそこら中に散らばっている。小さな白い点にしか見えない光たちは、どれくらい遠く離れた場所にあるのか見当もつかない。そこここで、色の付いた霧が集まったみたいにぼんやり揺らめいている星雲も見える。でもこれだって決して距離が近いわけじゃない。とんでもなく巨大だからそれなりの大きさに見えるだけなんだろうな。
他にも青や黄色、オレンジに緑。それらが複雑に組み合わさって、ゴゴゴゴと脳内補完の効果音付きで緩やかに渦巻いていたりと、銘々が芸術的ともいえる美しい模様を披露していた。
それにしても、賑やかな眺めで見ていて楽しいことは楽しいんだけれど。
「ちょっと、怖いかも……」
果てなど知らぬといった、どこを見ても明るい星と闇の続く場所に、一人ポツンと置き去りにされているみたいだ。
孤独だ……などと陰りを帯びて浸ってしまいたくなる。
私が不安になって呟くと、スターが手を握ってくれる感触がした。
「ちゃんとここにいますよ。ピジョンたちの声も聞こえるでしょう?」
確かに、よくネタが尽きないねと褒めてあげたいくらい未だに続いている喧噪が、ちゃんと私が皆と同じ場所にいると教えてくれている。それなのに全然別の場所を見ている、というか体験しているなんて変な感じ。あ、プラネタリウムみたいなもんか。うん、腑に落ちた。
それにしてもうーん、怒声を聞いて安心するなんて複雑な気分だ。
私はスターの手を握り返し、再びまぶた裏の世界へ意識を向けた。
「目の前に、何か見えませんか?」
「これは――ペトラ?」
星の海を漂っている私の目前に、いつの間にか両手に収まるくらいの小さな丸い光が明滅していた。ついペトラと言ってしまったけれど、こっちの方が幾分大きい。それに、固形物じゃなくて光の塊みたいだ。幽霊のおじいちゃんみたいに淡い、でも確かな存在感を持つ輝き。点滅する度に色が変わっていた。
「それが央輝星です。全ての色がユヴェーレンを表しています」
これが……?
「こんなに小さな光がアージュアを引っ張ってるの?」
「ささやかな大きさではありますが、私たち全員の力が籠められています。莫大な力を有しているのですよ」
「鎖は付いてないんだね」
「あれは比喩的な表現ですからね。それにどのみち見えない鎖でしょう?」
それもそうか。でも、綺麗だなあ……。
見る間に次々と色が変わっていく。緑色。ピンク色。あ、春みたいに暖かい色。これってイヴの色だ。周りの闇より暗い漆黒はホープかな?
しばらく色の移り変わりを眺めていた私は、あれれ? と、あることに気付いた。
「薄紫っておじいちゃんの色だよね? 他の色より光が弱くない?」
他の光だって決して強烈とはいえないけれど、それにしてもおじいちゃんの光は明らかにか細い。
「それなのですよ」
目を開けてくださいと言われ、まぶたを開くと顔を覗き込むスターと目が合った。
「お疲れさまでした。気分は悪くありませんか?」
「大丈夫。なんともないよ」
私が頷きながら答えると、スターは繋いでいた手を離し、元の通りに座り直した。
『やれやれ、全く、この礼儀知らずの若造が』
「まだ続ける気か、スケベジジイ」
いつの間にか立ち上がって鼻面を付き合わせていた二人はやっと気が済んだのか、それぞれ着席する。
「二人共、久し振りに会ってお互いの仲を確かめ合いたい気持ちも分かりますが、少しは休みましょう」
「どんな仲だ!」
「どんな仲じゃ!」
にこやかに提案するスターに向かって二人が、全く同じタイミングで語尾が違うだけのツッコミを返した。その後の仕草がお互いを見て嫌な顔をするという、またもや鏡写しの動作だったりする。
「ほんと、仲が良いんだね」
すっかり感心しちゃったよ。
そして私の言葉を受けた二人が同時に溜息を零したので、悪いとは思いながらも声を上げて笑ってしまった。
「それでは先程の続きといきましょうか」
『どこまで話したんじゃ?』
へえ。夢中になって喧嘩をしていたと思ったのに、私たちがなんの会話をしていたのかちゃんと分かっていたんだ。
「私たちの役割について説明するところです」
「ああ、なるほどな。――桜、俺たちがなんのために存在すると思っている?」
「なんのために? 私が聞いたことがあるのは、強力な魔物が出た時とか、とんでもない事態に陥った時なんかに治めてくれる平定者だってことなんだけど……」
でも、ユヴェーレンに出会えば出会うほど、本当にそんな大層な人たちなの? と疑いたくなってしまうのだ。実際に魔術を使う姿は見たし、見かけで決めつけちゃいけないんだけどさ。イメージと実際の姿に落差がありすぎだよ。
『なんじゃ、その疑わしそうな目つきは』
ううっ、また顔に出ていたみたいだ。
「スケベジジイを見ていたら仕方ないんじゃねえのか?」
はん、と細い顎をそびやかしてからかうピジョン。
『いちいち突っかかる若造のことを言っとるのかもしれんぞ』
それに反撃するおじいちゃん。
そしてまたもや一触即発状態になったところを、
「二人共、話が脱線していますよ」
手慣れたスターが押し止めた。やっぱり、凄い人たちには見えない……。
『すまん、すまん。さてのう桜。お前さんが言ったこともその通りなんじゃが、儂ら、と言うよりユヴェーレンの一番重要な役割は生きておることなんじゃ』
「生きる? 生きるって、今いるみたいに?」
『そうじゃ。只生きて、存在することに重要な意味があるんじゃ』
なんだそれ?
言っていることのわけが分からない。ちんぷんかんぷんで思わず頭を抱えてしまった。
「順番にご説明します。私共ユヴェーレンは、一人一人がそれぞれの座を象徴する石を持っています」
そう言ってスターは、右手にはめている指輪を見せてくれる。目や髪と同じ色の石が嵌め込まれている指輪だ。並んでいる石をよく見ると、一、二、――全て九角形みたいだった。……小さいのによく数えられたな、私。
「俺のはこれだ」
と言ったピジョンが見せてくれた左手には、スターとおそろいのデザインをした指輪。こちらもピジョンの目や髪と同じ色なんだけれど、数えてみたら石は七角形。
ちょっと違ってたんだ。
そういえば、イヴは梔子の額にペリドットを嵌め込んでいたし、ホープはイヤリングをしていた。
あれ?
「おじいちゃんのは?」
『儂のは残念ながら身体と一緒に湖へ沈んでおる』
そうなのか、と私は二回頷いて納得を示した。
「この石は魔術を行使する際に使用したり、それぞれの特性に合わせた能力を持っていたりと色々便利なんだが、央輝星との仲介を取り持つ大事な道具でもあるんだ」
「央輝星との仲介?」
『そうじゃ。儂らは石を通して常に央輝星と繋がっておる』
「石が私たちの魔力を増幅し、央輝星に常時送っているのです」
「つまり、俺たちの一番重要な役割は央輝星の維持ってわけだ」
星を維持する?
神話の本には、世界を支える星は神様たちが協力して作ったって書いてあったけれど。
「それってじゃあ、ユヴェーレンは神様ってこと?」
「それは違います。私共は所詮、魔力が通常より高いだけの人間です。時を迎えれば死も訪れます」
『そんなもんになったら身体が戻ってもおなごに触れんじゃろうが』
確かにそんな女好きの神様は嫌だ!
「神話がどこまで本当なのか、神と呼ばれる存在が本当にいるのかどうかは知らねえ。本当のところ、俺たちが意識して星を維持しているわけでもねえからその仕組みもよく解らん。……そうだな、ユヴェーレンになった時点で強制的にそういう管理機能に組み込まれる――って説明で分かるか?」
ふむ、と格好をつけて腕を組む。なんとなく……分かるような気はする。
私たちの身体だって、自分でこうしようと思ってもいないのに心臓は動き、血液は全身を巡って生体機能を維持している。
「央輝星は心臓。おじいちゃんたちは血液。持っている石は血管の役割を持って、アージュアって命を保っているって思ったらいい?」
「中々上手に纏めましたね。その認識で間違っていません」
にこやかに笑うスターに褒められた。ちょっと嬉しい。
「しかしそこで先ほど出てきた問題に帰ります」
「さっきの問題?」
なんかあったっけ?
「ジスタの光が弱かったでしょう?」
あっ、そうだった。話を聞いているうちに、そのことについてはすっかり忘れてしまっていた。
『ここに存在する儂は、アメジストに接しておらん』
「つまり、ここにいるジジイの分だけ魔力の供給が少なくなっているんだ」
「そしてその分だけ央輝星がアージュアを引きつける力が弱まっています。すると、どうなると思いますか?」
な、なんかさっきから質疑応答が始まってしまったぞ? やっぱり私は生徒だったんだろうか? 別に答えないといけない義務があるわけでもないのに、妙に焦ってしまう。
うーむ、うーむと考えて、頭の電球がぱっと輝いた。
「もしかして、地震が関係してる?」
以前に地震があった時、アステルが、揺れ出したのはここ百年のことだと言っていた。地震の原因が分からないとも。おじいちゃんが身体から離れてしまったのが九十年前。時期的にも合う。
「おっ、その通りだ。偉い、偉い」
今度はピジョンに褒められた。気分いいぞ!
「あの地震は、アージュアが少しずつ堕ちている証です。速度はかなり遅いですが、このままいけばアージュアは崩壊してしまうでしょう」
「え? それって……」
アージュアが崩壊する? 皆死んじゃうってこと? それって大変なことなんじゃ……?
いきなりそんなことを言われてもピンとこなかった。私たちを乗せている大地が崩れ去るなんて、壁で隔てた向こう側のことみたいに現実味がない。でも、グレアム家の皆や今まで出会った人たちの顔が次々に浮かんできて。
急に周りが遠くなる。誰かに縋りつきたくなるような、覚束ない感覚に囚われてしまう。
「つっても、まだ三百年は先のことなんだけどな」
「まだまだじゃないか!」
おちょくってんのか! その頃にはもう私も知り合いも、皆土に帰ってるよ!
ガックリ。
「だから別に焦っちゃいねえんだ」などと気楽な調子で言うピジョンに、拍子抜けしてしまった。おじいちゃんもスターも茶飲み話をしているって顔つきだ。私一人だけしか醸し出していなかっただろう真面目で深刻な雰囲気が、明後日の方向へ吹き飛ばされていく。
別に三百年後の人たちがどうなってもいいとは思わないけれど、そんな遠い未来のことを心配できるほどの慈愛精神は持ち合わせがない。
うーん、全く緊迫感がなくなったな……。
『そうは言っても、この先三百年で桜のように魔力が皆無な者がまた現れるかは分からん。じゃから桜がいる今の内になんとかしたいというのが正直なところじゃ』
「そこでまた波真太比をどうするか、という話に戻るわけなのです」
一同申し合わせたみたいに難しい表情で考え込んでしまった。
ユヴェーレンって大変なんだね。お疲れ様です。
――波真太比ねえ……。あの魚に関しては、ちょっと確かめたいことがあったんだよね。
「そういえばさ、波真太比が攻撃してきた時って周りの物が浮いてたけど、波真太比って重力を操るの?」
「そうだ。額にある三の目で制御している」
『加重して周囲の物を潰すこともできるんじゃぞ』
うっ、ぺちゃんこにはなりたくないな。――それはともかくだ。
「あの八角形の鱗もどこかで見た覚えがあったんだけど、それってフリューゲルみたいだよね」
「――!?」
「なんだと!?」
『今、なんと言った!?』
え……? あれ……?
波真太比の感想を述べた途端、真剣な顔をした三人が一斉に私の方を向く。逃げ出したくなるほどビビってしまった。
アステルのフリューゲル。私、そんなに変なことを言った?




