平定者と央輝星 3
『あれはどういうことじゃ!』
「テメエが見たまんまだ」
『何故瑞獣があそこまで荒ぶっておる。あんなモノの存在は聞いておらんかったぞ!』
「身体に戻る目処もついていなかったテメエに、教えてどうなるもんでもねえだろうが。何かできたとでも言うのかよ!」
泡を食って逃げてきた私たちがスターとピジョンの家に到着した途端、またもやおじいちゃんたちが火花を散らして言い争いを始めてしまった。
『それでも知ると知らんとでは大違いじゃろうが! 大体、おかしいと思っとったんじゃ。儂の身体を戻すためだけじゃったら桜があんな思いを――』
「――ジスタ」
言いかけていたおじいちゃんを、スターが静かな一声で遮った。ハッとしたみたいにおじいちゃんが口を噤む。
私が何? おじいちゃんは何を言おうとしたの?
いきなり会話の中に名前を出されてたじろいでしまった私は、おじいちゃんを見た。でもスイと目を逸らされてしまった。
おじいちゃん? 勝手に眉根が寄る。
次いでスターを窺うと微笑を返された。自分でもさんざん練習してきたから見覚えがある。意図を読ませない、感情を覆い隠した笑顔。
なんだろう? もやもやする。私が知らない私自身のことを把握されているという、正体の掴めない居心地の悪さを覚えた。
「二人とも、桜が戸惑っていますよ。落ち着いてください。まずは座りませんか? お茶を淹れますから」
私が困惑している理由をスターはわざと歪めようとしている。この件についてはこれ以上話すつもりはないぞっていう意味なんだろう。
完全にすり替えられてしまった。多分、他の二人に訊いても答えてはもらえない。
ねえ、一体何を隠しているの?
その後、釈然とはしないものの、お茶の用意をするスターを手伝ってから私たちは食卓に着いた。
「さて、何から説明いたしましょうか」
『どうして瑞獣があの場におったのか教えてくれ』
「待って。その前に、瑞獣って何?」
質問の声を上げた途端、三人分の視線が私に集中してしまった。
でも仕方がないじゃない。そこからしてさっぱりなんだもの。
「ま、若い娘が知らないのも無理はねえか」
「分かりました。そこからご説明しましょう」
「よろしくお願いします」
先生に教えてもらう生徒の気分でペコリと頭を下げておいた。私ってば謙虚だ。
「瑞獣とは、その存在自体が吉兆だと目される、魔力甚大で何千年もの寿命を持つ稀な生物を指します。ほとんど人の前に姿を現しませんが、出現が確認された国ではその時代、その王の治世は繁栄すると言われています」
『世界には何種類かの瑞獣が存在するんじゃ』
合いの手を入れたおじいちゃんの言葉に頷き、スターが続きを話してくれる。
「その中でも波真太比は仲の良い夫婦の象徴とされています。王家の子孫繁栄はそのまま国の隆盛にも繋がりますからね」
あれか!
仲の良い夫婦の象徴と聞いて、やっと思い当たった。あの奇妙な色彩をどこで見たのか。
「もしかしてお祝いのお菓子? 縁起物の?」
グアルさんと城下の町で見たお菓子とソックリだ。
「おっ、よく知ってたな。その通りだ。あれは波真太比を模して作られてんだよ」
「あれ? でも確か常につがいで行動するって話じゃなかった? それに額の目も色が違ってたよね」
確かお菓子の目は赤紫だったはずだ。あんなおっかない血の色じゃなかった。それにあの洞窟には一匹しかいなかったと思うけれど。奥の方にでも隠れていたんだろうか?
「問題はそこなのです」
一つ溜息を落とし、スターがお茶を飲んだ。
つられて私も一口啜る。私好みに甘くしておいたのだ。
「波真太比は初めからつがいで産まれ、外見から性別の違いを判別することは不可能です。揃って産まれ、常時行動を共にし、生を終える最後の瞬間までをも同じくします。死によってさえ両者が分かたれることはないはずだったのですが……」
凄いな。波真太比って産まれた瞬間から夫婦なんだ。でも一緒に産まれて一緒に生活するって、目の前にいるスターとピジョンも同じだ。
そこまで考えて、もしやこの二人も実は……なんてお寒い妄想が頭をよぎってしまった。しかもそれがしっかり顔に出てしまっていたみたいで。
「何考えてやがる、桜」
「そのような事実はあり得ませんよ」
『想像力の逞しい娘じゃのう』
は、恥だ。直ちに修正されてしまった。
青筋立てているピジョンも怖いけれど、それよりもスターの笑顔により一層の脅威を感じる。
ごめんなさい! 赤面する思いを誤魔化すために、お茶をもう一口グビリ。
「ま、それはともかくだ。波真太比は本来、穏やかな性質で争いを厭う。あんな風に攻撃を仕掛けてくるような凶暴さは持ち合わせちゃいねえんだ。それがあそこまで我を見失い、魔力の源である三の目も悲嘆に狂って変質しちまってる。あそこには何度か足を運んだが、いつも出てくるのはあの一匹だけだった。となると、信じられねえが考えられることと言えば――」
『つがいを失った……か』
「恐らくは、そうなのでしょう」
ここで三人共押し黙ってしまった。おじいちゃんは俯き、ピジョンはお茶を飲んでいる。スターはお茶のカップを両手の平の間で転がしていた。
波真太比の悲哀に満ちた悲鳴。津波のように押し寄せてきた負の感情。それは、生の全てを一緒に過ごすはずだった伴侶と別たれてしまったからだったのか……。
比べものにはならないんだろうけれど、その悲しさはちょっとだけでも理解できる。私だってまだ乗り越えられてはいないのだから。
この胸の疼きは波真太比か私、どちらのものなのか。脱出間際に響いた絶叫が、頭にこびりついて離れなかった。
それにしても、一同すっかり沈んでしまったな。私は雰囲気に気圧されながらも、疑問を口にすることにした。
「でもさ、さっき波真太比は死ぬ時も一緒だって言ってたでしょ? どっちかが先にいなくなっちゃうなんてこと、あるの?」
『波真太比は普通、寿命以外で亡くなることはないんじゃ。災いが降りかかってきてもその身に持つ膨大な魔力で寄せつけんし、病気にもかからん。通常ならばあり得んな』
そうなのか。私はてっきり、波真太比同士で命も繋がっていて、どっちかの命が終わってしまったら、もう一方も自動的に終わってしまうのかと思っていた。それでさっきの質問だったんだけれど。
「だったら、誰かに襲われちゃったとか?」
「それはねえ」
首を横に振るピジョンにキッパリ言われてしまった。なんなんだ、その漲る自信は。
「先程もジスタが仰いましたように、瑞獣を傷つけるなど容易には叶いません。仮にそれを為したとしても、その者には恐ろしい祟りが降りかかります」
「祟り? 罰とかそういう意味?」
なんか、怖い顔したおばあさんが「た~た~り~じゃ~」とか言いながら五寸釘持って追いかけてくる姿を連想してしまった。それだけでも充分怖い。
そんな私の様子を見たおじいちゃんは、また何か考えているな? という顔をしながらも、説明を引き継いでくれる。
『そうじゃ。瑞獣に毛ほどでも傷を負わせた者は、不死の災禍に見舞われるんじゃ』
「それって不老不死って意味?」
だったらむしろ祟りっていうよりは祝福に近いんじゃないの? 大昔から権力者が血眼になって探し求めてきた夢だろうし。
「残念ながら、老化からは逃れられねえんだ」
それって、ただ死ねないってだけじゃないか! 確かにおっかない。
「しかもそれだけではないのですよ。肉体の細胞は死と再生を繰り返しますが、その再生を止められてしまいます。つまり、傷を負っても回復できない身体になってしまうのです」
「魔術での治療も効かねえ。身体自体にその機能がなくなっちまうんだからな。一回でも怪我しちまったらその苦しみがずっと続くんだ。しかも生きている以上、一つや二つじゃきかねえよな。そして老化だけが進み、生きながらに肉体が腐り果てても終わりじゃねえ」
『意識は自我を保ったままなんじゃ。疾うに滅び去った身体の痛みを感じ続け、苦しむ意識だけが永劫にこの地を彷徨い続ける』
「瑞獣を傷つけるほど力のある者が、その事実を知らないということはまずあり得ないでしょう」
ゾワッときた!
なんなんだ、その永遠に続く拷問みたいな祟りは。まるっきりゾンビ化現象じゃんか! よかった私、無力な一般人で。確かに、そんな思いをしてまで波真太比を攻撃しようなんて人はいないだろうな。
「そして例え俺たちユヴェーレンであってもその祟りからは逃れられねえ。だから手の打ちようがなくて困っているってわけだ」
「そのような次第なのです、ジスタ。あの波真太比がいかなる理由でつがいを失い、あの場所に辿り着いたかは私たちも存じ上げないのです。お知らせしなかったのは申し訳なく思いますが、間際まで余計な心配をかけたくはありませんでした」
『――事情は分かった。儂の方こそ、取り乱してすまんかった』
軽く頭を下げながら締めくくるスターに、俯き加減なおじいちゃんが答えた。
それにしてもこの三人のバランス関係って面白い。最初は年長に見えるおじいちゃんが一番落ち着いているのかと思ったけれど、全然そんなことないみたいだ。放っといたらいつまでも子供みたいに喧嘩し合っている二人を、スターが上手に取り纏めている。
苛烈な性格のピジョンよりも、一見柔和で優しそうな性格をしたスターの方が強いなんて、見た目だけじゃ分からないもんなんだな。いや、確かにあの笑顔だけでも恐ろしさの片鱗は充分に窺えるんだけれど。
とりあえず、スターにはなるべく逆らわないようにしておこう。
「ただ、央輝星のこともあるからな。いつまでも手をこまねいているわけにもいかねえ」
「いざとなればこちらが多少傷付こうとも、強攻策に訴えるしかないと話しているのですが……」
『ふむ。波真太比の攻撃から身を守りながら身体を拾い上げるのか。――厄介そうじゃな。下手すりゃ儂の身体が粉々になりそうじゃ。アメジストを壊されてもたまらんしのう』
「そうなんだよな。テメエの身体はともかく、アメジストが砕けちまったら困るからな」
『儂の身体が大事に決まっておろうが!』
「テメエは身体が無い方が世間の女共にもよっぽどありがたがられるってもんだろうが!」
……また始まったし。二人とも、よくもまあ飽きないよね。
私は再び言い争いを始めたおじいちゃんとピジョンを横目に、椅子を持ってスターの所まで移動した。先程の会話で気になっていたことを質問するためだ。
スターは椅子の位置をずらして私のためにスペースを空けてくれる。そこに持参した椅子を置いて、よいせと腰掛けた。
「ねえスター。央輝星って何?」
「おや? ジスタから聞いていませんでしたか?」
私は一度、「男がおなごに興味を抱いて何が悪い!」とか正直なことを堂々と叫んでいるおじいちゃんを見た。ピジョンに、「ジジイのテメエがそれを言っても不気味なだけだろうが!」と正論で返されている。
「うん。聞いたことないよ」
「そうですか……。なるべく負担をかけたくなかったのかもしれませんね」
「負担って?」
「……いえ、まあ宜しいでしょう。桜、あなたは創世神話の星を知っていますか?」
「知ってるよ。世界を見えない鎖で吊り下げてるって星のことでしょ?」
「そうです。あの星の名前を央輝星と言います。あなたはただのお伽噺だと思っているかもしれませんが、央輝星は実際にアージュアを支えているのですよ」
「うそっ!?」
本気でビックリしてしまった。
象が大地を支えるがごとくに荒唐無稽だと思っていた話が事実だったなんて。そんなことを言われたって、すぐにはいそうですかなんて信じられるはずがない。
私はこう見えても、理屈屋で疑り深いと言われているのだ! 私だけにだけれど……。きっと他の人は、思っていても口に出さないだけに違いない。
「本当です。お見せしましょうか」
そう言うと、スターは座ったままいきなり顔を近付けてきた。私の頬を両手で包み、自分の方へ引き寄せる。
え?
目を見開いて驚いている私に頓着せず、そのまま額同士をくっつけた。
ええ!?
「目を閉じてください」
睫毛が触れ合うほどの距離で、魅入られそうに綺麗な瞳に見詰められながら、耳触りのいい囁き声で指示されてしまった。
それにしても、乙女の貞操が窮地に立たされているといった状況なのに、面食らってはいるもののそういう危惧感を抱けないのはどうしてなんだろう?
うーむ。スターといても、どうしても男の人と接しているって思えないんだよなあ。そのせいかもしれない。身体はちゃんと男の人なんだけどね。麗しい顔には耐性もあるし。
というわけで、私は素直に目を閉じた。




