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空を映す海の色  作者: せおりめ
第3章
77/105

平定者と央輝星 2

「ここは……山腹?」

「はい。トーリア山脈東部、レスト共和国側にある峰の一つに程近い場所です。ここへ至るまでにかなり険しい崖をいくつも越える必要がありますから、普通ではまず辿り着けません」


 スターが言うように崖の上、狭い足場の下は直角どころか途中が抉れたみたいに切り立っていて、昔社会の時間で習ったねずみ返しを思い出してしまった。

 山腹と言ったけれど、ここはトーリア山脈の中でもかなり標高が高い方みたいだ。眼下には尾根伝いに連なった、ここよりも低い頂がいくつか突き出している。空は灰色の雲が覆い、周囲に見えるのは雪の白と崖から覗く岩肌の茶色。それが見渡す限りに続いていた。吹きすさぶ風の音がゴオゴオ流れていて、なんとも物寂しい、荒涼とした世界だ。

 ちなみになんで私がこんなに高くておっかない所で落ち着いていられるかというと、スターに抱えてもらっているからだったりする。

 ピジョンたちの家から一瞬で崖の上まで移動したのはいいんだけれど、足場が狭い上に岩がゴツゴツしていてバランスを取るのが難しく、しかもいきなり視界が変わったおかげで見事によろけてしまい、私は落ちかけてしまったのだ。そこをスターが助けてくれて現在に至るというわけで。

 ついでに上着も羽織らずにこんな極寒の地まで来たのだから、本来なら当然ブルブル震えているはずだ。でも寒さなんて全然感じない。私には何も見えないんだけれど、スターが外気を遮断する魔術の覆いで取り囲んでくれているみたいだった。

 服代がかからないなんて、魔術って経済的だ!

 お得だなと感心したものの、普段の生活でこんなことをしていたら周りから奇異な目で見られるだけか、と思い直した。

 今はスターも、それから隣にいるピジョンも、こちらは当然のごとくおじいちゃんも皆が崖の脇、空中にふよふよ浮いている。ユヴェーレンって空まで飛べるのか。凄いなと瞠目しながらも、落っこちたら嫌なのでしがみついておいた。

 ……そういえば私、皆が空に浮いている状態についてはすんなり受け入れてしまっているな。なんか、アージュアに来て非現実めいた物事ばかり見聞きしてきたから、このくらいはもうどうってことないって思えているんだろうな。人間って慣れるもんだよなあ。

 ちょっと自分の順応力を賛美してしまった。


「そんなにしがみつかなくとも落としたりはしませんよ?」

「ごめん。苦しかった?」

『儂に身体があったら桜に不安なんぞ感じさせんのじゃがなあ』

「テメエに抱えられること自体が不安要素の塊みたいなもんだろうが」


 とかなんとか言合いながら、私たちは崖の上へ戻っていった。

 目の前には岩肌の隙間を押し広げたような大穴が、ぽっかり口を開けている。よく見ると、穴の周りにはベトベトした茶色っぽい粘膜のような物がこびりついていた。

 なんだろう? 首を傾げつつも、まあいいかと考え直して覗き込む。穴から外の光が射し込んで、入口付近の様子がよく見えた。

 内部は地続きになってはいなくて、空間が広がっている。この穴は洞窟上部の壁に開いているみたいだ。


「参りましょうか」


 おじいちゃんとピジョンが穴から内部へ降りていった。というか、ゆっくりしたスピードで落ちていく。私を抱えたスターがその後に続いた。

 岩肌には所々に隙間が空いているらしく、そこから漏れる光が、暗い空間を照らすシャワーみたいに降り注いでいる。その中をふんわり落ちていっていると、自分が海中を漂うクラゲになったような気分になってきた。別にぐにゃぐにゃしてないんだけどさ。

 そして入ってきた穴からの光がスポットライトみたいに当たっている、広い岩の上へ着地した。仰ぎ見ると、結構な大きさだった穴は両手で囲めるくらい小さく見える。


「ここから先は灯りが必要ですね。ピジョン」

「おう」


 返事をしたピジョンが手の平に白く輝く光の玉を出した。それだけで辺りが明るく照らし出されている。さすがにおじいちゃんの自家発電的淡い光だけじゃ覚束ないみたいだ。

 苔に覆われた岩が幾つも重なって出来たような壁がせり出し、広い通路を作っている。緩く曲がりながら下の方へと続いていた。

 ピジョンの灯りがあるとはいえ、迫ってくる岩壁だとか、どこまで続いているか分からない閉ざされているみたいな空間を走る道は、なんとなく不気味だ。不安になって、そこを浮きながら進むスターに再びしがみついてしまった。

 そうすると、「大丈夫ですよ」と言って背中をポンポンと叩かれてしまう。な、なんか情けなくないか、私?

 しかもちょっと安心してしまうんだから、そうされても仕方がないのかもしれない……。ううう。でもそうだ! ユヴェーレンは見た目通りの年齢じゃないんだから、スターたちだって凄く年上なのかもしれない。いや、今でも充分年上なんだけれど。だったらこの人たちにとっては私なんて、ほんのヒヨッコなはずだ。

 だからこれでもいいんだ! と、自分を慰めておいた。


 私が余計なことを考えている間に、通路の出口までやってきたみたいだった。

 岩ばかりだった地面は小石や砂にも覆われて、ちょっと湿っている。所々に小さな水たまりが出来ていて、ぬかるんでいる場所もあった。

 スターが抱えていた私を降ろす。

 同時に魔術の覆いも解かれたみたいで、肌に外気を感じるようになった。吸い込む空気が湿っぽい。外よりも暖かいのか、寒さはそんなに感じないな。


「さてジスタ。この先の広場にある湖に、あなたの身体を沈めてあります。ですがいささか厄介なモノが棲み着いておりまして」

『厄介なモノ? 退治すればいいじゃろう』

「そうできれば簡単なんだけどな」


 苦虫を潰したみたいな顔をして言うピジョンに、おじいちゃんは首を傾げている。


『よく分からんが、行ってみるか』

「その前に桜、あなたはホープの守りを持っていますね?」


 ホープの守りって、ペンダントのことだよね。

 私は胸のペンダントを服越しに触りながら頷いてみせた。


「ジスタ、桜の中に入っておいていただけますか? あなたとお守りがあれば大丈夫だと思いますから」

『――分かった』


 おじいちゃんは行けば分かるとでも思ったのか、余計な質問を差し挟まなかった。そのまま私の身体に入ってくる。

 なんなんだろう? 何がいるっていうんだろう? なんか、ドキドキしてきた。緊張を紛らわせるために、布越しに手を当てていたペンダントを強く掴んだ。


「危険だと思ったら防護の膜を張れよ、ジスタ。じゃ、行くぞ」

『心配せんでもいいぞ、桜。儂がついておる』


 おじいちゃんの言葉に「お願いね」と返して、私たちは広場へ入っていった。



「ここは灯りが無くても明るいんだ」


 さっきまでよりもこの広場の方がちょっと冷えるみたいだ。

 発光する苔が内部を覆っているのか、ピジョンが光の玉を消しても広場の様子は浮かび上がって見える。でも今までの光源がより強かったみたいで、ぼんやりとしか認識できなかった。

 それでもしばらくすると目が慣れてきたのか、ハッキリ見えるようになってくる。

 案外広いな。地面を踏みしめる音や、上からしたたり落ちてくる雫の音がやけに反響する。天井までは私が三人分縦に重なってもまだ届かないくらいの距離が開いているし、奥行きも大分あった。その最奥、緩い下り坂の先には湖が見える。地底湖ってやつだ。

 ……なんか、表面が白くない? なんというか、水の流動的な感じがしなくて固そうというか。


「もしかして、あの湖凍ってるの?」

「ええ。その方が外部からの干渉も受けにくいでしょうから、凍らせてあります」


 凍らせてあるって……。結構広い湖がカチンコチンになっているんだけれど。これも魔術なのか。凄いなあ。あ、だから他よりも寒いのか。

 私はうんうん頷きながらすっかり感心してしまった。

 ――?

 ――空気が、変わった?

 といっても具体的にどこがどうというのは自分でもよく分からない。でも、肌を刺すピリピリくる感触だとか、流れる雰囲気だとか、妙に不安を掻き立てられる。とにかく、何かがさっきまでとは明らかに違っていた。


「おいでなすったみたいだな」


 そう低く言ったピジョンの声に警戒の色が混じっている。スターとピジョンは、湖のある方をやけに真剣な面持ちで見ていた。私もそちらに目をやる。

 なんだろう? やけに生臭さが鼻につく。湖の方から?

 顔を顰めて鼻に手を当てようとした。

 瞬間――


「……っ!!」


 いきなり、頭の中を滅茶苦茶にかき回されるみたいな衝撃を受けた。自然に背筋が硬直してしまう。

 ――何……これ……?

 誰かの感情を膨大な量。しかも無理矢理に注ぎ込まれる感覚。

 ――頭、割れそう……。

 おじいちゃんが話しかけてくる時の感触に似ている。でもおじいちゃんはこんなグチャグチャに頭の中を占領しようとはしない。それにもっと言葉になっている。意味が解る。

 なんとか逃れようと頭を振って追い払おうとするけれど、それが酷い頭痛をますます助長する。


「う……あ……」


 のたうつ私の苦しみなんかお構いなしに雪崩れ込んでくる爆流に、精神が壊されてしまいそうだった。

 ――なんで、そんな、に……?

 ありとあらゆる負の感情。頭の中がパンクしちゃうんじゃないかってくらい溢れてくる。

 怖い。憎い。寂しい。辛い。絶望。怨み。不安。殺意。

 あまりにも入ってくる想いが強すぎて、私自身の心に逆巻いているのかと錯覚してしまいそうだ。

 でも一番強く響いてくるのは。

 ――悲しいの……?


「ふ……くぅ……っ!!」


 メキメキ、なんて音を立てて、自分の頭蓋にひびがいっているところを想像した。激痛に耐えきれなくなり、思わず頭を掻き毟る。けれどそんなもので誤魔化せるはずがない。膝に力が入らず、立っていられなくなってその場にしゃがみ込んだ。


「ジスタ! 何やってる!!」

『分かっとる!』

「――あ?」


 おじいちゃんの声が聞こえた途端、充足感に包まれる。どうしようもなかった頭の痛みが嘘みたいに引いていった。それと同時に荒れ狂っていた感情がスウッと消えていく。

 ――助かったぁ……。

 命拾いした。冗談抜きでそう思う。あのままだったら花が風に吹かれたかのように、儚く散ってしまっていたかもしれない。いくら私がか弱いとはいえ、それはまだまだゴメン被りたい。

 私はしばらく手を突いて、忙しない呼吸を整えた。ちょっと寒いくらいなのに、額やこめかみから汗が噴き出てくる。

 なんとか心地が着いて顔を上げると、私の周りを透明な何かが覆っていることに気がついた。これがさっきピジョンの言っていた防護の膜ってやつなのかな? 多分、スターが私を覆ってくれていたものと同じなんだろう。


『すまんかった桜。大丈夫じゃったか?』

「うん……。ありがとう、もう平気。でもさっきのは――」


 何? と続けようとして絶句してしまった。

 湖の手前、岩の壁で遮られている場所からとんでもないモノが姿を現したのだ。

 多分、さっき頭の中を掻き乱してくれたモノ。

 ユラリ。と、くねりながら出てきたそれ。

 まずはとにかく、否応なしに目を直撃する色と大きさに怖じ気づいてしまった。全体的には紺色をしている。そしてかなり大きい。太さだけなら前に遭遇した怪鳥よりも断然勝っている。そんなのが少ししか離れていない宙に浮かんでいるんだから、暗がりに覆い尽くされそうな圧迫感があった。

 まぶたの無い橙色の目は漲る殺意を映してカッと見開かれ、額にぽっかり穿たれた、覗き孔のような目は血の色みたいにどんより濁っている。身体をビッシリ包んでいる鱗は、私が普通に知っているのと違って八角形だ。全身を何か油状のヌメリが取り巻いていて、それの色なのか、鱗や身体の線が鮮やかな黄色に見えた。


「魚の……魔物?」


 デカい、凶暴な魚が獲物を定めて空中を泳いでいるみたいだ。って、そのまんまか。それにしても色調がなんともいえず目に喧しくて凄まじい。

 あれ? ……この配色には何か、見覚えがあるような?


「いいえ、魔物ではありません」


 魚から目を離さず、緊張に満ちた声でスターが答える。


『これは……もしや波真太比はまたい? ――瑞獣か!』


 瑞獣って何? 驚くおじいちゃんの声に疑問を感じるものの、質問をしている暇はなさそうだった。

 身動きすれば弾けそうなほど、辺りの空気が張り詰める。額の目に凄まじい力が凝縮していくのが分かった。

 あれは……魔力?

 って、なんでそんなことが私に分かるんだろう? おじいちゃんが入っているから? そういえば、私を取り囲んでいる防護の膜も見えるようになっていたな。

 緊迫した状況の中、そんなことを頭の片隅でぼんやり考えていると、視界が捉えた光景に私は目を剥いてしまった。


「え? ええっ!?」


 自分でも素っ頓狂だなと思える声が出てしまう。

 いやだって、何これ!

 波真太比がその大きな体躯をうねらせると、広場中の砂利、大岩までもがゆっくり浮き上がってきたのだ。水たまりの水滴までもが多数のプヨプヨした玉になって浮遊している。

 なんか、宇宙中継で見た無重力状態を思い出すな。

 うん? ふと、緑色の光が目を射した。胸元のペンダントが光っている。既に魔術の……攻撃を受けているの?

 もしかして、重力操作? あれ、それって何かを、思い出すような――


「クソッ、相も変わらずの問答無用だな!」


 舌打ちするピジョンが言う間に、浮かんでいる沢山の凶器が一斉に私たち目がけて四方八方から襲いかかってきた。

 う……わ……っ!

 容赦ないスピードで目前に迫る石礫に声も上げられず、身が竦む。例え動けたとしても、逃げ場所なんかないほど数が多い。

 ぶつかる!

 思わず目を瞑って下げた頭を両腕で庇う。全身が砕かれることを覚悟した。


「…………?」


 なんともない?

 いつまで経っても衝撃と痛みはやってこなかった。恐る恐る目を開けて見渡すと、周囲に砂利と石の小山が出来ている。重そうな岩も転がっていて、落ちた衝撃のせいか、割れている物もあった。

 この膜が、守ってくれたの?

 透明の膜に覆われている手をマジマジと見詰める。次いで首を巡らせると、スターとピジョンも無事そうだった。

 などと呑気に構えていると、またもや物騒な凶器達が浮き上がってきた。


「このままでは埒が明きません。ひとまずは退きましょう」


 いつの間にか傍まで来ていたスターが早口に言うと、突然視界がブレる。

 そんな中、声は聞こえないのに、波真太比の叫びが響き渡った気がした。

 胸揺るがす、悲痛な絶叫……。


 浜の鯛で波真太比……

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