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空を映す海の色  作者: せおりめ
第3章
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魔術 4

 おじいちゃんとリタズマを出発して、今日で三日目だ。

 開けていた景色も少し前から変わってきていて、丈の高い樹が多くなってきた。進むにつれ樹は密集していくみたいで、もう少し行けば森に入る。

 ここまでは恐ろしい獣や魔物、もしくは強盗に襲われることもなかった。転んで怪我をしたり足を踏み外して川へ落ちたりという、お間抜けな不慮の事故に遭うこともなかった。つまり、特にトラブルもなく順調に進んで来られたということ。

 とはいえ、そんなのはおじいちゃんに言わせれば当たり前らしい。危険な生物はもっと森の奥地に住んでいて、彼等の領域を侵さない限りは襲ってこない。盗賊の類もこんな人通りの少ない場所で頑張ろうとは思わないそうだ。

 太陽は中点を少し過ぎた辺り。まだまだ日射しは衰えず、強烈な存在感で君臨している。その無駄に熱い昼の支配者に、もうちょっと自己主張を控えてくれてもいいんじゃない? とか無理な提案を念じつつ、私はおじいちゃんに尋ねた。


「確か、夕方までには村に辿り着けるんだったよね。もうすぐ?」

『ああ、森を少し入った所にあるはずじゃ』


 じゃあ、本当に後もうちょっとだ。

 小さな村と聞いたから宿屋なんてものは無いんだろうけれど、頼み込んだら納屋にでも泊めてもらえるかもしれない。ううん、この際家畜小屋の隅でもいい。屋根の下で眠れるだけでもありがたいし、それに藁のベッドでも付いていれば尚嬉しい。

 ――なんか私、たった二日の野宿ですっかり生活基準が低くなっているような気がする……。

 でもそうなのだ。この辺りは夜になると雨が降りやすくなるみたいで、寝ている時でさえいつ降ってくるかも分からない雨に警戒していなきゃならない。……初日は気付かなかったけれど。

 それにおじいちゃんが見張りをしてくれるとはいえ、何も遮る物が無い場所で眠るのは、何がどこからやってくるか分からない不安感を伴い、どうにも心許ないのだ。……初日はぐっすりだったけれど。

 問題はこのアフロ頭。この髪型を見て門前払いされてしまうんじゃないかとちょっと心配だ。

 でもまあ、そんなことに今から気を揉んでもしょうがないか。南の人の大らかな気質に期待しておこう。それに地方の人というのは、案外旅人に優しいと聞いたことがある。屋根を提供する代わりに、他の土地の話を娯楽代わりに訊くのだとか。それだったら私のアフロ自身が娯楽にされるかもしれない。 案外歓迎されるかも! と一瞬前向きになるものの……。

 無理か。どう考えても警戒心が先に立ちはだかりそうだ。私はやっぱり村の人たちの人柄に望みをかけることにした。

 それはそうと。


「おじいちゃんさ、先のことをよく知ってるよね。九十年間リタズマにいたんでしょ? それなのにどうして双子のユヴェーレンがどこに住んでいるとか、その途中の道のりとかが分かるの?」


 今まではほぼ一本道で迷う心配はほとんどなかったとはいえ、私はおじいちゃんに地形のことだとか休むポイント、その他諸々注意事項等をアドバイスしてもらいながら進んできた。

 おじいちゃんは時々町を出て、行ったり来たりでもしていたんだろうか?


『ああ、そりゃルビーとサファイアに訊いたんじゃ。あの二人も儂に会うために、時々リタズマに来ていたからな』

「わざわざおじいちゃんの所へ来てくれてたんだ。二人共優しいんだね」

『きっと儂に会いたかったんじゃろうのう……』


 そうくるのか!

 しみじみとした声を私の頭へ響かせる、調子のいいおじいちゃんにとりあえずは感心しておいた。おじいちゃんはかなり前向きだ。ちょっと斜め方向に向いているような気がしないでもないけれど。

 そんな風にして、このまま何事もなく村へ入るんだろうなと思った私の予想は、すぐに裏切られた。


 まず気がついたのはおじいちゃんだった。


『うむ?』


 突然、おじいちゃんが遠くを見て何かに集中する素振りを見せた。


「どうかしたの?」

『……不穏な空気が――』


 おじいちゃんが言い止して川の方を見やったので、私もそれに習った。

 眼下を流れる川、私たちが進む方角のずっと向こうは森の木々に遮られてここからではよく見えない。それでも、一見した限りでは何の変化もないように見えた。


「川に何か――」


 あるの? と続けようとして言葉を止める。何か聞こえたような気がしたのだ。

 川に目を凝らして耳を澄ます。

 ――今度ははっきり聞こえた。言葉にならない、でも助けを求める切羽詰まった叫び声。誰かの悲鳴だ!

 私がその声を確認後、ほどなくして森の影から誰かが飛び出してきた。

 ここからでは距離的に詳しい姿は分からないけれど、若い男の人だということは判断できた。その人は川岸近く、少し水に入った浅い所を一生懸命こちら側に向かって駆けている。何かから逃げているのか、しきりに後ろの方を気にしていた。

 男の人が川を蹴る度に水飛沫が上がる。そこから陸地に上がった方が走りやすいだろうに、そんなことにも気付けないほど慌てているのか、単にそれを行動に移す余裕もないのか。

 次いで、男の人が必死で逃れようとしている追跡者が姿を現した。あれは――


「魔物!?」


 かなり大きい怪鳥だった。

 身体は蛇みたいに長く、胴体だってとんでもなく太い。さらに大きな翼を広げた姿はその二倍にも三倍にも感じられた。時折、超音波のような高く鋭い鳴き声が耳を打つ。思わず耳に手を当てようとして思い止まった。

 ここから見るだけでもかなり不気味で、恐ろしげに感じられた。遠くから見ているだけでも、身が竦むほど恐ろしい。

 でも、わめき続けている男の人の声が胸に突き刺さってくる。こちらが傍観者でいることを許さない、その悲鳴。


「おじいちゃん、助けなきゃ!」


 私は震えそうになる膝を叱咤して、斜面の降りやすい場所を探すために駆け出しながら言った。

 するとおじいちゃんの冷静な声が返ってくる。


『助けると言ってもどうやって助ける? 何を間違ってこんな所まで出てきたのかは知らんが、あれは本来ならもっと森の奥地に生息しているはずの魔物じゃ。しかも中々に手強い。身体の無い儂の魔術は威力も精度も落ちる。致命傷を与えることはできんじゃろう。下手に突いて逆上されたら桜もただでは済まんぞ。さっさと逃げた方が得策じゃ。それともお前さんがその棒で叩きのめすとでも言うのか?』


 そこで斜面を滑り降りようとした私の動きが止まった。一度、棒に目を落とし、次いで怪鳥に視線をうつす。

 距離が近付いてきたせいで、怪鳥の姿もハッキリ視認できた。

 不気味なことに、怪鳥は人の顔を持っていた。目も鼻も耳も人間の物としか思えない。眉まである。ただし、人ならば唇がついている場所には鳥らしく嘴が突き出ていた。その折れ曲がった嘴は男の人を噛み砕こうと大きく開かれ、びっしり並んだ鋸状の歯が覗いている。蛇みたいな身体は翼部分と同じく羽毛が覆い、二本の足の先、趾に付いた爪は剣のように鋭く尖っていた。

 とてもじゃないけれど、私が刃向かえる相手だとは思えない。

 今はあの男の人に狙いを定めているものの、気を変えてこちらへ向かってきたら? その場面を想像して、背筋を冷たい何かが滑り落ちた。

 見るだけでこんなにも寒気を催す魔物に私が対峙する? 弱い私がこの手に持った棒で?

 正直、私はおじいちゃんの魔術を当てにしていた。自分には力が無いのに、他の力を頼みに人を助けようと考えていたんだ。

 ああまただ。弱いくせに。アステルに言われていたにも関わらず、こういう場面では首を突っ込もうとする。

 弱い私が助けるなんてことを思えるのは、安全な場所にいて余裕があるから。そしてユヴェーレンという強い存在がついているからだ。

 結局は、後味が悪いからなんだろう。例え結果はその人を救えないとしても、何かをしようとしたと、自分に言い訳をしておきたいんだ。

 それって…………偽善だ。


「私の棒じゃ歯が立たないよ、おじいちゃん」


 嫌に落ち着いているおじいちゃんに少し苛立つ。でも、おじいちゃんだって助けられないことについて、何も感じていないはずがない。おじいちゃんは私よりもずっと経験が多い分、できることとできないことが分かっている。無謀と勇敢さは違う。考えなしに飛び出そうとした私の軽率さを諫めているんだ。そのおじいちゃんを冷たいとは責められない。

 それでも!

 自己満足だろうと軽挙妄動だろうと、何かできないかと足掻くのは私の勝手だ。人の命がかかっている時に、心理的なことをあれこれ悩んだってなんの得にもならない。他者の力でもなんでも、使える物は使えばいい。例え動機が後味が悪いという自分本位なものでも、それで拾える命があるなら儲け物。成さぬ善より成す偽善だ。

 かまうもんか。居直ってやれ!


「じゃあイヴは? イヴだったらやっつけられるでしょ?」

『言ったじゃろう。イヴはお前さんが危険に陥らん限り、出てこんと。それにユヴェーレンは事情のある時以外は国にも個人にも干渉せん。キリがないからの』

「私だって個人だよ!? なんで私のことは助けてくれて他の人は駄目なの!」


 こんな言い合いをしている間にも、怪鳥はどんどん男の人との距離を詰めている。私の中で焦りだけが募っていった。


『桜はアージュアの人間ではない。この世界の理には当て嵌まらん。それに今はユヴェーレンの協力者じゃ。お前さんを失うわけにはいかんのじゃよ』


 イレギュラーな存在の私には、超法規的措置がとられるということか。

 おじいちゃんの言葉に、他の人たちに対する罪悪感が芽生えた。でもそれと、自分は守ってもらえるんだという少しの優越感がない交ぜになって胸に渦巻く。

 私、大概性格が悪いな。自分でも呆れるくらいだ。――駄目だ駄目だ。自己反省は終わってから!

 そこで思いついた。イヴが守ってくれるのだったら、それを逆に利用すればいい。あ、私ってば今、したたかな女への階段を一歩踏み出した。小悪魔度アップだ!


「じゃあおじいちゃん、私今からあそこへ行ってくる。私が襲われたらイヴは出てきてくれるよね!?」

『残念ながら、もう間に合わん。見るんじゃ』


 おじいちゃんの言葉に従って川の方を見ると、男の人が流れの中へ俯せに倒れ込むところだった。肩から背中にかけて赤い線が走っている。あの爪でバッサリやられてしまったんだろう。痛そうだ。

 一瞬、鬼に襲われて背中を袈裟懸けにされた、過去の出来事が脳裏に蘇ってしまった。

 怪鳥は一度男の人から離れ、上空に舞い上がる。


『あそこから一気に嘴で襲うつもりじゃろう。今の内にこの場を抜け出した方がよさそうじゃ』

「そんな!」


 男の人はもう立つことも諦めたのか、膝を着き、手を突いた状態で俯いていた。襲われる瞬間を自分でも見たくないのかもしれない。

 このままじゃ食べられてしまう。どうしよう。何か、何か方法は?

 ええい!


「そこの鳥ーー!! こっち向けーーー!!!」

『こ、こら、馬鹿モン!』


 咄嗟に声を振り絞って叫んでしまった。おじいちゃんの焦った声が頭に響く。

 でもその甲斐あって、怪鳥と、ついでに俯いていた男の人がこちらを見た。よしっ!

 怪鳥は一端体勢を整え、翼をはためかせて器用に宙へ留まっている。そのままこっちへ! と私は期待した。

 ところが喜んだのも束の間。怪鳥は暫し私を警戒していたみたいだけれど、何も仕掛けてこないと見抜いたのか、またしても視線を男の人に戻した。あくまでも目の前の獲物が先だという態度だ。

 初志貫徹か! 無駄に意志が強くて嫌になる!

 男の人はとうとう上を見て、怪鳥が自分を諦めていないことを確認している。その目に宿るのは悲哀か落胆か。

 私のしたことは、男の人に余計な期待を持たせただけだったんだろうか? 希望を与えられた分、それが叶わなかった場合は絶望もより深い。

 そして遂に怪鳥が翼と身体の向きを変え、男の人目掛けて降下すべく、再び上昇した。その動き、一つ一つがスローモーションに見える。

 ――もう、どうしようもないの?

 私が為す術もなく残酷な光景を凝視していると、諦めたようなおじいちゃんの声が響いた。


『どうしても助けたいか?』


 後で考えると、その時響いたおじいちゃんの声はなんとなくいつもと違って感じられた。今まで何かを模した皮を被っていた人が、それを脱ぎ捨てて本来の姿を晒したかのような。

 でも今の私にそんな悠長なことを考える余裕はなく、違和感をそうと認識する前に、おじいちゃんの言葉へと縋った。


「方法があるの!?」

『上手くいくかは分からんが、無いこともない』

「だったらなんでもいいから早く!」


 その間にも、怪鳥は頂点を折り返して下降し始めた。男の人は身じろぎ一つしない。恐怖で竦んでしまっているのかもしれないし、もう助かるのを諦めているのかもしれない。


『やれやれ、せっかちじゃのう。ちと身体を借りるぞ』


 そう言ったおじいちゃんが正面へやってきたと思ったらくるりと後ろ向きになり、その体勢のまま私の身体へ重なってきた。

 半透明のおじいちゃんと接しそうになった瞬間、思わずぶつかると思って目を瞑ってしまった。でも実際にはそんなはずもなく、触れたという感覚もないままおじいちゃんはスルリと体内へ滑り込んできた……ようだった。

 確信がないのは、その瞬間を見ていなかったからだ。ただ、すぐに目を開けた時には既に目の前におじいちゃんはいなかった。

 本当に、なんの違和感もない。以前に懸念していた他の何かが入ってくるという嫌悪感もなければ、それに対する抵抗感もなかった。

 自分でも呆気ないな、なんて思ってしまうほど。


 そして突然――――『私』は拡散した。


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