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空を映す海の色  作者: せおりめ
第3章
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魔術 3

「ねえ、おじいちゃんの身体を預かってくれてるのってどんな人なの?」

『儂と同じユヴェーレンじゃ。七角の座ルビーと、九角の座サファイア。男女の双子じゃよ』

「双子のユヴェーレン!? 凄いね。姉弟でユヴェーレンなんて。どっちが男の人でどっちが女の人?」


 そう尋ねると、歩く私の隣でふよふよ浮いているおじいちゃんは、うーんと唸りながら難しい顔をして、腕を組んだ。

 私、考え込むほど難しい質問をしたっけ? どっちかの性別を選ぶだけなのに。それとも、答えにくい複雑な事情でもあるんだろうか? 例えば、どちらの性別とも断言できないとか。

 そう思った時、突然、天啓のごとき閃きが頭の中を走った。


「……おじいちゃん、もしかしてその人たちって、心は女で身体は男とかそういうこと?」

『おっ、よく分かったの。その通りじゃ』


 まさか本当にそうだったとは!

 私の言葉に感心したみたいに返答したおじいちゃんは、その事実が当たり前のことであるとの悠々とした態度だ。 でも未だかつてそういう人に出会ったことのない私は、動揺しまくり。

 事情は人それぞれ。けれどいざ初対面となった時、びっくりしてそれを所作に表してしまったら目も当てられない。相手の人にも物凄く失礼だ。

 これはちゃんと心構えをしておかねば!


「じゃあさ、二人共そうなの?」

『まあ、性別を交換しとるからのう。嫌でもそうなるじゃろ』


 性別を交換? お母さんのお腹にいた時に、性別を取り替えたとかそういう比喩なのかな? うーん、姉弟二人が揃ってというのなら、それはそれで心強いのかもしれない。

 二人で頑張って、自分たちの信念を貫き通してね。

 心中で会ったこともない二人へ勝手に声援を送り、自分の考えに没頭していた私は、おじいちゃんが『お前さん、また勘違いしとりゃせんか?』と呟いたのにも気付かなかった。


 外から見れば、私たち――じゃなくて私は実に異様な人間に見えているのかもしれない。奇妙な髪型をした娘が、虚空に向かって独り言をぶつぶつ呟きながら歩いているのだ。うっかり目が合ってしまったら手に持った杖で殴りかかられる、と危機感を抱かれるかもしれない。我ながら、狂人の様相を呈しているなと思ってしまった。

 もちろん、その実体は可憐でか弱い少女が幽霊めいた半透明のおじいちゃんに、かわいく物を尋ねながら歩いているだけなんだけどね。

 とはいえ、誰かの目を気にするなんて心配は皆無だったりする。周りを見渡しても、私たち以外には人っ子一人いないのだ。

 私たちは今、小高い丘の中腹、なだらかな斜面の途中に踏み固められている道を進んでいる。

 相変わらず雑草と丈の低い木が散らばって生えている風景の右手側は、丘の頂上へと続く上り坂。そして反対側の傾斜を下ると、川縁に辿り着く。

 幅の広い川はここからでも眺めることができて、私たちの進行方向へともう一つの道みたいに続いていた。川の水は気持ちよさそうに流れて、お日様の光を思い思いの方向へと跳ね返している。時折、魚を狙う鳥が水面に向かって滑空していた。

 前方に目を転じると、遙か遠方には黒い影のように霞がかったトーリア山脈が浮かび上がっている。今はよく晴れているからその存在を確認できるけれど、曇ってきたら見えなくなるかもしれない。

 少し下に視線を移すと、地面の起伏に縫い合わされた道が蛇行して、丘肌に突然隠れたりぽっかり現れたりしながら私たちを案内していた。

 時折、野生の羊がぴょこっと顔を覗かせる。頭から左右に張り出した角と、鼻周りとお腹と四肢意外は茶色いこの動物を最初に見た時、羊だとおじいちゃんに言われてびっくりしてしまった。

 だって、私の抱く羊像は、このアフロ頭みたいにモコモコした白い毛を持っているのだ。思わず顔を埋めたいくらいに。ついでにいえば、眠れない時は順番に柵を越えてくれたりする。でもこの羊はなんというか、毛が短くて固そうだ。間違っても顔は埋めたくない。蹴りを食らいそうだし。

 とはいえ、この羊たちは一定の距離を開けて私たちを遠巻きにして見るだけで、突進してこようとはしないし、鳴き声だけは私の知っている羊と同じくメエメエだ。

 何ともいえず牧歌的な風景だよなあ。

 殺人光線のように強烈な日射しの中、私はダラダラ噴き出てくる汗を拭いつつ、マメに水分補給を欠かさなかった。たまに川から吹き上げてくる涼しい風がほてった肌に気持ちいい。

 私はその心地よさに眼を細めて、傍らのおじいちゃんに話しかけた。


「それにしても凄い偶然だよね」

『何がじゃ?』


 おじいちゃんが不思議そうに首を傾げる。


「私がおじいちゃんと出会ったことだよ。私が旅に南を選んだのはたまたまだったんだよ? ううん、もっと言えば、私が旅に出ようと思わなかったらおじいちゃんと会うことなんてなかったんだろうし」


 更に凄いよね、と繰り返すと、おじいちゃんは一瞬何か言いたそうな表情を浮かべた後、すぐにそれを引っ込めて、にっひっひと笑った。


『それはもう、運命じゃよ運命。儂と桜は赤い糸で結ばれておるんじゃ』


 いや、それはちょっとどうかと思うよおじいちゃん。 私は黙ってかぶりを振り、その意見には賛成できないぞと主張しておいた。さっき少しだけ覗かせた表情の意味が気になる。けれど快活に笑っているおじいちゃんを見て、気のせいかなと思い直した。


 おじいちゃんに話しかけたり冗談を言われたりしながら進み、やがては太陽が遠い山の稜線にかかる頃、私たちは一本の大きな樹の根元に到着した。

 見上げると頭上では、幾重にも分かれた枝が長く広がり、その一本一本に沢山の葉が重なりあって茂っている。これなら突然の雨にも持ち堪えられそうだ。

 あんなに晴れていた空は少しずつ薄雲に隠されてきている。夕陽を受けて茜色に色づく雲と、それに染まるもんかと群青色で対抗する僅かに覗く空。雲が特に薄くなっている場所は両者の色が交わって、紫に彩られている。

 こんなに美しい景色を見ると、それだけで得をしたような気分になった。

 でもいつまでも感動している場合じゃなくて。

 私が振り向いて窺うと、おじいちゃんは一つ大きく頷いた。


『この樹ならちょうどいいな。今夜はここで休むとするか』

「うん」


 やっと休める! 歩くのに慣れてきたとはいえ、今日は朝から買い物をしたりとかでいつもよりくたびれていたのだ。


「じゃあ私、水汲んでくるついでに身体を拭いてくるね」

『気をつけての』


 手を振って送り出してくれるおじいちゃんに荷物の番を頼み、川辺へ駆け出そうとして私はピタリと停止した。その私へおじいちゃんが訝しげな声を響かせる。


『どうしたんじゃ?』

「覗かないでね、おじいちゃん?」


 私がそう念を押すと、おじいちゃんはそっぽを向いて再び手を振っている。

 なんなんだ、その反応は! まさか本当に覗くつもりだったのか?

 一度おじいちゃんに不審の眼差しを投げつけた私は、タオルを持って斜面を降りていった。


 冷たい水でさっぱりした私がおじいちゃんの待つ樹へ戻り、手早く食事をすませた頃には夜の帳がすっかり辺りを取り囲んでいた。

 雲に覆われているおかげで、まん丸に近く、明るい光を振りまくはずの月は拝めない。

 着ける必要のない火も焚いていない辺りは、ぬばたまの闇といった風情で本来なら真っ暗なんだろうけれど、薄紫色の光があるおかげで私の周りは足元が見える程度には明るい。

 もちろん光源はおじいちゃんだ。蛍の光みたいにぼんやりとした光を放っている。

 一体どういう原理で光っているんだろう? 

 不思議に思って訊いてみたんだけれど……


「おじいちゃんのそれ、灯り要らずで便利だよね。どうしてそうなってるの?」

『それはな。儂の魂が、隠そうとしても隠しきれない輝きを宿しているからじゃ。抑えたくてもそうはいかなくてのう』


 などと、どう考えても冗談としか思えない回答が返ってくるだけだった。まあ別に、その恩恵に預かっている私としては理由なんてどうだっていいんだけどさ。

 食事が終わったら後は特にすることもなく、就寝するだけだ。南の地とはいえ、早朝は少し冷えるだろうから上着を羽織っておく。木の根の間に荷物を置いて枕代わりにし、水を弾く紙を敷いてゴロンと横になった。

 この紙は破れにくくて、用途は結構幅広い。下には柔らかい草が生えているものの、明日は確実に身体の節々が痛くなっているな。

 横向けに寝っ転がっている私の視線の先にはおじいちゃんがいる。膝を立てて座った格好なんだけれど、やっぱり地面からはちょっと浮いていた。そのおじいちゃんになんとはなしに話しかける。


「おじいちゃん、リタズマの町って大丈夫かな?」

『大丈夫、とは?』

「あそこでは紫の賢者が名物みたいになってたでしょ? おじいちゃんがいなくなって大丈夫なのかなって思って」


 宿で会ったお兄さんも、紫の賢者様々だと言っていた。おじいちゃんがあの町を出ていくことになったきっかけが、私であることは間違いない。だからちょっとだけ気になるのだ。


『ああ、そんなことか。大丈夫じゃろう。あそこまで大きくなった町じゃ。儂がいなくなったところでビクともせんわい。お前さんが責任を感じる必要はないぞ』

「別に責任なんて感じてないよ。ちょっと気になっただけ」

『そうか?』


 そうだよ!

 なんとなく、考えていた内容を言い当てられた気がして少し悔しかった私は、おじいちゃんの言葉に必要もない意地を張ってしまった。それを誤魔化すために、頬を片手でペチペチと軽く叩いた。

 私が身動きする度に、下に敷いた紙がカサリと音を立てる。便利だとはいえ、少しうるさいのが玉に瑕だ。寝てしまったら気にならないんだろうけどね。

 私とおじいちゃんが黙ってしまうと、他には虫の綺麗な声と、時折風に煽られて静かにざわめく葉のそよぐ音だけが聞こえてくるだけだ。

 こういう音って不思議だ。小雨が降っている時もそうなんだけれど、無音状態よりもよっぽど静かな感じがする。それも安らげる静かさ。

 その透明な時間と夜の雰囲気に後押しされて、私はずっと気になっていた疑問を口にした。


「おじいちゃんさ、私がどうして旅をしているのかとか訊かないよね。もしかして、イヴから聞いてる?」

『――まあな。お前さんの気分がよくないじゃろうと思って黙っとったが。……やっぱり嫌じゃったか?』

「ううん、嫌じゃないよ。知ってるんならそれでいい」


 あんまり人に知られたいとは思わないけれど、おじいちゃんならまあいいや。おじいちゃんだって自分の事情を話してくれたんだから、おあいこだ。


『そうか…………。ほれ、明日も早いぞ。いつまでも喋っとらんで、さっさと寝んか』


 少ししんみりしてしまった空気を払拭するかのように、おじいちゃんが明るい調子で言った。

 確かにそろそろ眠くなってきた。手足さえ動かすのが億劫になって、身体が地面に沈みこんでしまいそうな感覚がする。


「うん。見張り、よろしくね。乙女の眠りをしっかり守っててね」


 身体の無いおじいちゃんは寝る必要がないらしい。というよりは、眠りたくても眠れないのかもしれない。そんなおじいちゃんに一人だけ寝てしまってごめんねと謝ったって、迷惑なだけかもしれない。私がしなきゃいけないのは、しっかり眠って疲れを取って、先へ進むことだろう。

 だからわざと冗談めかして言ったのだ。


『おう、任せるんじゃ』


 快く頷いてくれる。ありがとう、おじいちゃん。


「おやすみ、おじいちゃん」

『おやすみ、桜』



 言葉通り、眠りをしっかり守ってくれたおじいちゃんのおかげで翌朝まで目を覚まさなかった私は、その晩に雨が降ったことにさえ気付かなかった。

 屋外でそこまで熟睡できる自分に少し打ちのめされてしまう。

 疲れていたせいだと信じたい……!


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