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空を映す海の色  作者: せおりめ
第3章
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魔術 2

 宿を後にした私は、リタズマを出る前に必要な物を買うため、お店を回っていた。


「本当に野宿なんてしなきゃいけないの?」

『ああ。目的の村は街道を外れた所にあるからの。確かそこへ着くまでに小さい村が一つあるらしいんじゃが、そこでも三日はかかる。目的地はそこから更に二日歩いた距離、といったところかのう』


 うげー。それじゃあ途中の村で一泊させてもらうとして、最低でも三日は野宿しなきゃならないんじゃないか。

 今まで宿のある大きめの道を選んできた私は、幸いにも野宿をせずに済んでいた。おじいちゃんの身体を預かってくれている人は、リタズマから東へ何日分か離れた村に住んでいるらしくて、そこへ街道を通っては辿り着けないと言うのだ。


『儂がお前さんを送ってやれたらいいんじゃがの。今の儂ではちょっと自信がない』

「移動する魔術ってそんなに難しいの?」

『微細な制御が必要なんじゃ。着地点の状態を詳細に把握して、狂いなくそこに現れるようにしなきゃならん』

「そうできなかったらどうなるの?」

『到着した場所に物があったら危険じゃろう?』

「あ、そうか。弾いちゃったりするかもしれないもんね」

『弾くだけならいいんじゃがのう……』


 おじいちゃんは意味ありげに言葉を止めた。気になるけれど、頭に響いてくる声の調子と表情から判断して、なんとなく続きを訊くのが怖いような気がしたんで私は黙っておくことにした。

 昔イヴに送ってもらった時、私がついついアステルの部屋を連想してしまい、目的地とは別の場所へ着いたことがある。おじいちゃんの口振りからすると、結構危なかったのかもしれない。……あの時は別の意味で危険だったけれど。

 とりあえず、おじいちゃんに送ってもらうのは遠慮しといた方がいいということはよく伝わってきた。それで充分だ。元々は、イヴが送ると言ってくれたのを断って歩いてきたのだ。だから徒歩で行くのは望む所。

 野宿をするのは初めてじゃない。ヘンリー父さんの『いざという時のため教育』に、野宿の仕方というのもあって、何度か経験させられた。

 ただなあ……。屋外で寝るのだから、当然ベッドのような寝台も無いわけで、朝になったら身体がギシギシ痛いのだ。それにお風呂へ入れないから不潔にもなる。ここが寒い地方だったらともかく、暑くて汗も嫌になるほどかくんだから、これは辛そうだ。ちょっと覚悟が必要だぞ。

 とはいっても、寒い地方だったら逆に寒さに震える羽目になるんだから、それはそれで難儀するんだろうけれど。

 そういった次第で、食料品店で日持ちのする固パンや干した肉、ドライフルーツなんかを買い込んだ。

 その途中、


『食糧はちゃんと配分して食べるんじゃぞ? 我慢し切れなくなって次の日の分にまで手をつけんようにな』

「おじいちゃん……。私をなんだと思ってる?」

『おお、そうか。こりゃ失敬』


 という全くもって無礼千万な発言をされてしまうという一幕があったけれど、我慢強い私は大らかな心で許してあげることにした。


「おじいちゃん、煮炊き用の器なんか要らないかな?」

『せいぜい何日かの間じゃからな。要らんじゃろ』

「水入れは? もう一本増やす必要ない?」

『川沿いに進むからの。水の心配はないぞ』


 じゃあこれも必要ない、と。水の心配がないんだったら、タオルを濡らして身体を拭うこともできる。ちょっと嬉しくなってしまった。他の細々した物は昨日の内に買ってあるし、こんなもんでいいか。


「じゃあ行こうか、おじいちゃん」

『そうじゃな』


 その後は、早めのお昼ご飯を取ることにした。なんといっても幾日かはまともなご飯を食べられないのだ。美味しい料理を惜しみつつ、なるべく味わいながら食べる。それをおじいちゃんは『大袈裟な……』と呟きながら、ちょっと呆れたみたいに見ていた。

 食は大事なんだぞ!

 未練を残しながらお店を後にした私は、おじいちゃんと共に東へ抜けるリタズマの出口に向かって歩き出す。

 きちんと舗装された石畳の歩道を行き交う人は多い。ぶつからないよう、人並みをすり抜けるみたいにして進んでいった。

 こうしている間も、風船みたいにフワフワしているおじいちゃんの姿は見えているのに、誰も驚かない。どっちかというと、アフロ頭の私に驚愕されているみたいだ。それについて訊こうと口を開こうとすると、おじいちゃんの方から話しかけてきた。


『昨日から尋ねようと思っとったんじゃが、お前さん、そのけったいな髪型はなんじゃ?』

「面白いでしょ。おじいちゃんも試してみたくない?」

『……身体に戻ったら前向きに検討しておくぞい』


 なんだその政治家答弁みたいな返事は。これは身体に戻っても挑戦する気はないな。アフロ推進委員会、またもや勧誘に失敗。会員第二号はユヴェーレン、っていうのも箔が付いていいと思ったんだけどなあ。残念。

 それはそうと。


「おじいちゃん、もしかして、他の人にはおじいちゃんのことが見えてないの?」

『そうじゃよ。儂の姿が見えたら人だかりができてしまうからの。いや、人気者は辛いわい』

「ははは……」


 仕方なさそうな中にもちょっぴり得意そうな色を織り交ぜた発言には、乾いた笑いを返しておくことにした。


「でもさ、私には見えてるよね。それも魔術なの? 凄いね」

『凄いじゃろ。お前さんに儂の姿が見えとるのには、儂の名前を知っとるというのも一つの理由になるんじゃぞ』

「名前……? そう言えば、ユヴェーレンの名前って知られてないんだよね」

『儂らの名前をおいそれと知られるわけにはいかん。名前を知られるとな、縛られてしまうんじゃよ』

「縛られる?」


 どういう意味? 一瞬、考え込んでしまい、それに気を取られて注意が疎かになってしまった。前から歩いてきた人と肩がぶつかってしまう。ごめんなさいと相手に謝って、また歩き出した。

 いかんいかん。想像の中に出てきた、縄でぐるぐる巻きにされているおじいちゃんを心配している場合じゃない。そんな私の様子を見ていた隣に浮かんでいるおじいちゃんは、薄く笑った後に続けた。


『物理的な話ではない。それに、悪いばかりの意味というわけでもないんじゃ。縛られるのは、名前を知った相手も同じことじゃからの』


 わ、私も縛られているのか!


『名前というものは、その者の全てを顕す。普通の人間が誰かに名前を知られても勿論なんてことはない。しかし、魔力が高いほど、名前の価値を知る者ほど、名前に囚われてしまうんじゃ。だから高位の魔術師ほど名前の取り扱いには慎重になる』


 そういうのって聞いたことがある。昔の日本でも、高貴な人とか宗教に携わる人は本当の名前を隠して、対外用の名前を名乗っていたって。

 それに、そういう呪術的とか特殊な理由がなくても、名前を知られるだけで芋づる式に個人情報が知られてしまったりもする。下手に広まってしまうと、どんな災難を引き寄せてしまうか分からないもんね。だから芸能人は芸名を使ってたりするのかな?

 私の考えが微妙に逸れた方向に進んでいると、それを軌道修正するかのごとくにおじいちゃんが話を続けた。


『魔力が高いほどと言ったが、市井にはそれと知らずに魔力の高い一般人も少数ながらおる。じゃが、そういった者たちが全て名前の影響を受けるかと言えば、そうでもない。低い者たちよりは受けやすいじゃろうがな』

「どうして?」


 問いかけながらも、おじいちゃんが指し示す方向へ歩を進めていく。通りから逸れて、店や人並みもまばらになってきた。


『名前の価値を知る、という知識を伴わんといかんからじゃ。魔術には、相手の名前を利用して行う術が数多く存在する。名前の大切さを理解すればするほどその魔術師の術は効力を発揮し、それに比例して術の影響を受けやすくなる。魔力が高いと、更なる相乗効果も生み出す。そして不思議なことに、名前の価値を知る者ほど、名前を使った術に関わりやすくなってしまうんじゃ。そこに本人の意志は介在せん。縁が深くなるとでも言おうかの。じゃから逆に何も知らない者が名前を誰かに知られたとしても、その影響は少ない。術と関わることがないじゃろうからな』

「じゃあ、今私だけにおじいちゃんの姿が見えてるのも、魔術におじいちゃんの名前を利用してるからってことなの?」


 私がそう訊くと、おじいちゃんは一つ頷いた。そして『それから』と言って言葉を継ぐ。


『利用されてしまう、というのが根底にあるからかもしれんが、名前を教えた相手というのはどうしても気になってしまうものなんじゃよ』

「気になるって?」

『その相手が今どういう状態にあるのか。時にはどんな考えを持っているのか、とかじゃな。良い意味でも悪い意味でもじゃ』

「ふーん。でもさ、私、おじいちゃんたちに名前を教えてもらってるけど、そんなに大事な名前を私になんか教えちゃっていいの?」

『お前さんには魔力が無いからな。悪用の仕様がないじゃろう。他言しようと思ってもできなかったじゃろ?』

「そうそう。うっかりしゃべりそうになったこともあったけど、言えなかったんだよね。イヴは錠を掛けてあるとか言ってたけど」

『そういうことじゃ。その名前を知らん者の前では口外できん。それにイヴの場合は感情が先じゃな』

「? どういうこと?」

『さっき、名前を教えた相手のことは気になると言ったじゃろ? イヴはその逆で、お前さんを気にしたいから名前を教えたんじゃろう。好かれておるな』


 このこのっ、とおどけた感じでおじいちゃんが、歩き続ける私に肘で突く真似をした。

 私はといえば、これを聞いてジーンと胸にきてしまった。守ると言ってくれたこともあるし、どうして私のことをそんなに好きになってくれたのかは分からないんだけれど、凄く嬉しい。今すぐにでもイヴを呼んで抱き締めたいくらいだ。


『もちろん、儂が名前を教えたのも、桜に対する愛ゆえじゃぞ』

「ふーん、ありがとう」

『なんじゃその反応は。感動が足りん!』


 そう言っておじいちゃんは喚き声を私の頭に響かせている。

 でもなんとなく、薄っぺらい感じがするんだよなあ。イヴの好悪を表す言葉は素直に受け止められるけれど、おじいちゃんの場合は話半分に聞いといた方がよさそうだし。普段の言動って大事だよね、うん。

 なんだかんだと話しながら、ほどなくして町のはずれに着いてしまった。

 今にも朽ちそうな古い小屋がぽつんと建っている。後はちらほらと生えている低木と、一面に雑草が生えているだけの寂しい場所だ。街道に面していないここからは出入りする人も少ないらしく、私たち以外に人の姿は見えない。それでも長年の間に踏み固められた道はしっかり残っていて、町の領域を示す丈の低い柵のずっと向こうまで伸びていた。

 結局、ミアデル街道の入口で色々と教えてくれたお兄さんたちには会えなかった。あの人たちは紫の賢者に出会ってみたいと言っていたのに、そのおじいちゃんと一緒に出ていく自分を申し訳なく思ってしまう。別に私が責任を感じる必要はないんだけどさ。なんとなくだ。

 柵を越えた後、おじいちゃんは振り返ってリタズマを見ていた。その横顔には何がしかの感慨が浮かんでいたようだけれど、読み取ることはできなかった。

 考えてみれば、おじいちゃんは九十年もこの町にいたんだもんね。積み重ねてきた日々の断片を振り返りながら、お別れをしているのかもしれない。

 少しの間そうした後、おじいちゃんが私の方を向いて言う。


『それでは行くとするか!』


 私の頭に景気のいい声を響かせたおじいちゃんの顔は、今はもう満面の笑みを湛えていた。


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