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空を映す海の色  作者: せおりめ
第3章
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間話 懺悔

 桜が眠りについたことを確認すると、ジスタは日課となっている宿屋巡りに出かけた。

 こうしてリタズマの宿屋に姿を現すのも、今夜が最後となるだろう。それだからと、半ば義務的な奉仕精神を発揮して、数をこなすことにした。

 もちろん、女性の部屋限定で。

 彼が現れると、待っていましたとばかりに喜ぶ者、ありがたやと手を合わせる者、目の前の存在が信じられないと驚愕に目を見開く者。人々の反応は千差万別であった。

 この九十年というもの、それなりに楽しみながらも身体に戻れる日をずっと待ち望んでいた。とはいえ毎日をこうして過ごしてきたのだ。いざこの日々が終わってしまうことを実感すると、感傷めいた想いが浮かんでくる。

 ジスタはそんな自分をおかしく思った。

 彼は締め括りとして、リタズマの代表に会うべく出向いた。別れを告げるためである。


『儂は明日、この町を去る。今まで世話になったの』


 リタズマの代表である初老の男は、突然現れた紫の賢者に驚愕していた。それはそうだろう。今までその存在を知ってはいても、実際に見たことはなかったのだ。しかもここは紫の賢者が出現する『宿』ではなく、彼の自宅だ。

 しかしさすがは一つの町を預かる代表である。即座に驚きの色を押し込め、穏やかな表情を創り出した。


「いつかはこのような日が来ると思っておりました。賢者様には今までこの町をお守りいただき、感謝の言葉もございません。おかげさまでリタズマはここまで大きくなることができました。これからは賢者様への恩義を胸に、皆の力を合わせ、この町を盛り立てていきたいと存じます」


 ジスタは代表の言葉に深く感じ入っていた。

 ジスタの故郷はもう無い。彼が生まれてから、長い、長い年月が経っている。既に地図上から姿を消していた。

 吹き飛ばされた彼がリタズマに辿り着いたのは、出身地に近いこの町に、故郷の面影を求めていたせいなのかもしれない。

 しかし彼が住み着いた当初は、危うくこの町を壊滅させてしまうところだった。だが町の者たちはその自分を責めることなく、それどころか崇め奉り、各々が努力してここまで発展させた。

 彼の方こそ、自分を受け入れてくれたこのリタズマに感謝している。

 ジスタが感慨を噛み締めていると、更に代表が恭しく告げた。


「どうぞ、安らかにお眠りください」

『……』


 そういえば、自分は幽霊だと思われているのだった……。

 今回挨拶に来たのは、彼が成仏するためだとでも思ったのだろう。

 真実を告げようか? しかしどう思われたとしても特に不都合はない。

 一瞬そのように、ジスタの胸に相反する二つの感情が去来したが、結局は黙っておくことに決めた。


『では、達者での』


 そう言って消えたジスタを、代表は下げた頭で見送った。

 その垂れた頭は、しばらくの間上げられることがなかった。



 ジスタが宿の部屋へ戻ると、悲し気な呻き声が聞こえてきた。極小さい声。それでも狭い中、夜のしじまに響いている。寝ている桜の顔を覗き込むと、今にも泣きそうに顔を歪めていた。


『今夜もか……』


 昨晩も、気を失ってからしばらくして彼女はうなされだした。

 ひょっとすると、毎晩こんな調子だったのかもしれない。

 桜の事情はイヴから聞いていた。それに彼は直接関わっていない。とはいえ、原因の一端は確実に担っている。

 夜毎の夢にうなされるほどの傷を負ってしまっているのか。昼間の様子からはそうと窺えないし、本人も気付いていないのかもしれない。


『巻き込んでしまってすまない。許してくれ……』


 桜が寝ている今だからこそ口にできる詫びの言葉。全てを話し、彼女の前で謝ってみせてもジスタの気が済むだけだ。自らが誰かの思惑に流されていると知ったとしても、桜に残るのは虚しい怒りと脱力感だけだろう。過ぎてしまった事柄はもう取り返しがつかない。

 もちろん、知られることで、せっかく承諾してくれた協力を撤回されるかもしれないという危惧もある。それは避けなければならない。ジスタには、なんとしてでも身体に戻らなければならない理由があるのだから。

 しかしそれだけではなく、彼は桜の曇った顔を見たくはなかった。

 謂わば加害者である自分が何を偽善的な、とも思う。

 いつかは、彼女が何もかもを知る日が来るのかもしれない。しかしそれにはまだ早い。

 神話では、アメジストの神は幻によって夢を創り出したという。だがその役割の一部を与えられただけに過ぎない彼には、他人の夢に介入する力などない。そして常々、そんな能力は必要ないと思っていた。

 だが、今は欲しい。桜に幸せな眠りを与えてやりたい。

 なるべく彼女を守ろうとしていたイヴの気持ちが解ると思った。

 ジスタにできるのは、少しでも桜が明るく過ごしていられるように接することくらいだ。旅の間は精神的な拠り所になれるように。


『大丈夫だ、桜』


 何が大丈夫だというのか。

 つまらない言葉しか出てこない自分に呆れた。

 けれど、今彼にできるのは、うなされる彼女に気休めの言葉をかけてやることだけ。汗で張りついた額の髪をのけようと、伸ばした指はすり抜けてしまった。

 身体の無いジスタにはそんな些細なことすらできない。

 それでも彼の声を聞いて、桜の表情は少しだけ緩んだように見えた。


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