表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空を映す海の色  作者: せおりめ
第3章
66/105

漂う紫水晶 2

 殆どの宿は食堂も兼ねている。

 入っていくと一階の大部分が食堂スペースになっていて、朗らかな喧噪に包まれていた。

 食器のガチャガチャ鳴る音、飲み食いしている人たちの陽気な話し声、注文に明るく答える給仕の人。そしてお腹の虫を盛大にわめかせる、食欲を誘う匂い。――お腹空いたな。

 なんだか懐かしい。『道の始まり亭』を思い出してしまう。タバサさんやディックさんは元気にしてるかな?

 入ってきた私を見てぎょっとしている食事中の人に手を振りながら、作業中で背中を見せている店の人らしきおばさんに近寄り、声をかけた。


「あのー、すいません」

「はい、いらっしゃ……い!?」


 振り向いた恰幅のいいおばさんは私の頭を見た途端、商売用に数え切れないほど浮かべてきたであろう笑顔のままで、暫し固まった。どんなにショックを受けても笑顔を崩さないのは、素晴らしいと思う。

 たっぷり鼓動五拍分おいた後、立ち直ったおばさんは何事もなかったかのように愛想よく訊いてきた。


「お食事かい? なら空いているテーブルにどうぞ」


 商売の人というのは大したもので、大体の人が私の奇天烈な格好を見て驚くものの、拒絶しようとはしない。色んな人と接しているから慣れているというのもあるんだろうし、いちいちこんなことでお客を選んでいては、商いなんてできないのかもしれない。

 もちろん、私から滲み出ている隠しようのない控え目でおとなし気な雰囲気も、功を奏しているんだろうけれど。


「ご飯も食べたいですけど、部屋は空いてますか?」

「空いてるけど泊まるのかい?」


 予想外。という感じで言われてしまった。なんで宿屋に泊まることを驚かれなきゃならないんだ? 折角だから、私は色々訊いてみることにした。

 おばさんの話はこうだった。

 まず、街道の入口なのに街がないことについて。ここからもう数キロ北に離れた場所に、二つの街道が交差する地点があるらしい。そこにちゃんと大きな街があるというのだ。

 でもこんなに人が行き交う場所なんだから、ここにだって街が出来ても、おかしくなさそうなんだけれど……。

 という質問をぶつけると、ミアデル街道はそんなに長さがないので、徒歩でも半日でエルネット側の街、リタズマに辿り着ける。皆さっさとそちらへ行ってしまうので、ここに街を作る必要がないのだ、と答えてくれた。

 さらには街道を行く人たちのために馬の貸し出しもあるし、乗り合い馬車の定期便まで走っているので、利用すれば三時間とかからない。しかもそれらを安価で提供しているというのだから恐れ入ってしまった。

 でも日が暮れてからの行き来なんて怖くないの? という問いにはこんな返事。

 常時幾人かの見回りが交代で目を光らせているので、危険はない。

 ミアデル街道は、大陸中で一番安全な街道だ。と、おばさんは誇らしげに締めくくった。

 なるほど~。

 どうしておばさんが、私が泊まると言ったことを怪訝に思ったのか納得してしまった。ここでは大方の人が宿泊する必要がないんだ。せいぜい腹ごしらえをする程度。だから食堂部分をこんなに広く取っているのか。宿の規模にしては大きすぎると不思議だったのだ。


「で、どうする? 食事だけにするかい?」


 おばさんが再び私に背を向けて、忙しそうに立ち働きながら訊いてくる。

 うーん、どうしようか? すぐに着けるとはいっても到着する頃には夜になっているだろうし、焦る旅でもない。私は無理なく進もうとも決めている。


「やっぱり泊めてもらってもいいですか?」


 私はここで一晩過ごすことにした。


「分かったよ、毎度あり。じゃあ食事を持っていくから、空いてる所へ適当に座ってくださいよ」


 おばさんの言葉にはーいと返事して、私は並んでいる長テーブルの一つへ腰掛けた。お向かいさんは、お酒を酌み交わしている二人組の若い男女だ。

 二人は私を見ると、仰け反って目を瞠っていた。けれどこんにちはと声をかけると、頭から下は可憐な私の容貌と、お酒の力も相まってか警戒を解いてくれた。


「あんた、面白い髪型してんなあ」


 ほろ酔い気分で舌が滑らかになっているのか、男の人が気さくに話しかけてくれる。

 折角だからアフロを広めてみよう。続けていたら、流行るかもしれない。


「そうでしょう。なんなら、お兄さんもやってみませんか? 人生観変わるかもしれませんよ」

「いやあ……俺は遠慮しとくよ。北の方ではそれが普通なのかい?」


 断られてしまった。残念。


「そういうわけでもないですけど。よく私が北から来たって分かりましたね? 服装ですか?」


 私は動きやすいローズランドの服を着ている。もちろん夏用。一応、上に羽織る薄手の外套なんかも持っているけれど、暑くて脱いでしまった。


「正解。顔立ちは大陸出身ってわけじゃなさそうだけどな。俺たちはこれからリタズマへ帰るところだが、色んな地方から人が集まってくるんだ。あんたもはるばる紫の賢者に会おうとやってきたのかい?」


 そういう二人は原色をふんだんに使った、目にも鮮やかな薄手の生地で出来た服装をしている。南国の人特有の、メリハリのきいた濃い顔立ちだ。情熱の人! って感じ。

 それにしても、紫の賢者なんて聞いたことがない。


「なんですか、それ?」

「紫の賢者を知らないのかい!?」


 ちょうどその時、ご飯を持ってきてくれた宿のおばさんが、私の発言に驚いたような声を上げた。


「紫の賢者っていうのは、リタズマに住み着いている守り神のことよ」


 他のお客さんに呼ばれて行ってしまった物言いたげなおばさんの代わりに、お姉さんの方が説明を始めてくれた。 私はうんうんと相づちを打ちつつ、目の前にでんと置かれたご飯を摘みながら拝聴することにする。

 筒状の短い麺に、肉や野菜のたっぷり入った赤いソースを絡めてあるそれは、見た目はペンネのパスタ料理に似ていた。旅をしていて嬉しいのは、その地方毎の様々な料理を味わえることだ。もちろん、当たり外れはあるんだけれど。

 今回は――大当たり!! 酸味が効いていて、さっぱりして美味しい。

 これで私にお酒の味が分かる舌でもあれば、各地の地酒を楽しむこともできるんだろうけれど。残念ながら、私にはまだアルコールのよさが分からない。

 そういえば、アステルがザルだったな……と思いかけたところでぶんぶんと首を振って思考を散らす。


「約九十年前からいるらしいんだけどね、リタズマを何度も危機から救ってくれたそうよ」

「へえぇ。でも、そんな凄い神様に会うことができるんですか?」

「運がよければね。あなたは女の子なんだから、可能性はあるわよ」


 女の子だから? なんだそれ?

 口の中に入っている食べ物を飲み込んで、質問をぶつけた。


「女の子じゃないと会えないんですか?」

「厳密に言うと違うんだけどね。紫の賢者は宿に現れるのよ」


 ふむふむ。もぐもぐ。頬張りながら頷いて続きを促す。

 今度はお兄さんの方が説明を引き継いだ。


「それが何故か、女が泊まっている部屋にしか出てこないんだ」


 それって、ただの女好きなんじゃ……。なんてことを思っていたら、それが顔に出てしまっていたみたい。


「こらこら、何考えてる。罰が当たっちまうぞ。ま、初めて聞く話じゃそう思うのも無理ないかもしれんけどな。噂じゃ、誰かを捜しているらしい」

「ただね、必ず会えるとは限らないの。リタズマには宿が何十とあるし、その日、どこの宿に現れるのかは分からないのよ。でも、紫の賢者に出会えた人はその後、幸福な人生を約束されるらしいわ」

「だからリタズマには賢者をひと目見ようと、日々何千人って人間が訪れるんだ。おかげで今じゃ、観光都市なんて呼ばれて経済的にも潤っている。紫の賢者様々だよ」


 そうか、だから街道専用に見回りの人がいたり、送迎の馬車なんかを走らせることができるんだ。そんなの、よっぽど余裕がないと無理だもんね。

 そんなことを考えながら、もう一口パクリ。

 でも……、紫の賢者の話を聞いて思い出したことがある。

 向こうの世界でも、確かどこかの旅館に幸運をもたらすと言われる座敷童が出る部屋があって、そこは向こう何ヶ月も予約で一杯だってテレビで放送していた。そのテレビではスタッフの人が実際に泊まって、その様子をカメラで映していたんだけれど……

 ハッキリ言って怖かった!

 人形が沢山飾ってあってそれだけでも雰囲気満点だったのに、スタッフの人が寝ている最中に、いつの間にか置いてある物の場所が変わっていたり、さらには変な怪音が聞こえてきたり、と心霊番組の趣だったのだ。

 いくら幸運が約束されるといっても、そんな怖い思いはしたくない。

 私の中で紫の賢者は、すっかり幽霊扱いになっていた。


「お兄さんたちはその紫の賢者に会ったことがあるんですか?」


 私の質問に、二人は顔を見合わせた後、同時に溜息を吐いた。


「それがねえ、まだないのよ……」

「俺たちは元々さらに南の地方の出身なんだけどな、十年前に結婚してリタズマへ引っ越してきたんだ。たまに宿に泊まったりもしてるんだけどなあ……。残念ながら、まだお目にかかったことがない」


 がっかりしながら言っているお兄さんたちには申し訳ないんだけれど、それを聞いてちょっと安心してしまった。十年も住んでいてまだ出会ったことのない人がいるのに、たかだか一日二日泊まる程度の私が遭遇するはずがない。

 最後の一口を食べてお食事終了。


「美味しかった、ご馳走様でした! お兄さん、お姉さんも色々話を聞かせてくれてありがとうございました」

「いいや、あんたも今からリタズマへ行くのかい?」

「いいえ、私はここで一泊してから向かいます」

「そうか。俺たちはこれから帰るよ。また向こうで会えるといいな。それじゃな」

「ばいばい」


 お別れを言ってくれるお兄さんたちにさよならを、宿のおばさんに食事のお礼を言って鍵を受け取ると、私は部屋がある二階へ上がっていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ