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空を映す海の色  作者: せおりめ
第2章
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帰る場所 5

 その後は、どうやって部屋まで帰ってきたのかもよく覚えていなかった。あの場を離れる時は二人に向かって、ちゃんとご飯食べてね、とかなんとか言ったような気もする。けれど、起きたまま夢でも見ているんじゃないか? てくらいぼんやりした頭は、現実感が乏しかった。

 気がついたら私は灯りもついていない、すっかり日が落ちて薄ら暗くなっている自分の部屋にいた。窓の外から射し込む月明かりで、室内の様子は結構把握できる。

 私は閉めた扉の内側に寄りかかって膝を抱えつつ床を眺めるという、仮に事情を知らない第三者がここにいても非情に分かりやすい、落ち込んだポーズをとっていた。

 一人になっても涙は不思議なほど出てこない。いつもだったら独りでにぶわっと溢れ出てきて、わんわん喚いているところなのに。

 心の、悲しみを感じる部分が麻痺しているみたいだ。

 失意に折れてしまわないように。

 虚脱感に潰されてしまわないように。

 こういうのを自己防衛本能っていうのかもしれない。だとしたら、私の精神はなかなか逞しいのかも。やるじゃないか、私。

 このまま誰か来たら、扉を押された拍子につんのめって、べちゃりと潰れるのかもしれない。や、もしかしたら私の体重で開かなかったりして。そうなったら別のショックで立ち直れないだろうな。

 負のスパイラルに陥ってしまった私は、鬱陶しくも、より一層自分を陥没させるための想像を膨らませていた。


 どれくらいの時間そうしていたのか。

 不意に、前方から影が射したかと思うと、俯いている視線の先にローブから覗く足元が見えた。闇の中で色は分からないけれど、多分黒とか茶色の濃い色調で、暗い中にも光沢が見て取れるから、何かの革で出来ているんだろう編み上げのブーツ。

 そういえば、何を履いているかなんて意識したことがなかった。この子にとっては出入りするのに、扉なんて関係無いらしい。

 ゆるゆると視線を上げてみると、そこには昔出会った時のまま。肩にちょこんとかわいらしい梔子を乗せた、子供姿のユヴェーレン・ペリドット。

 ――イヴが立っていた。


「ピルルルル」


 まずは梔子がご挨拶。私の肩までバッサバッサと飛んできて留まり、指を差し出すと甘噛みしてくる。

 やっぱりかわいいなあ。


「桜、久し振り……」


 その声を聴いて、まず自分の耳を疑ってしまった。イヴは梔子を通してではなく、自分の口で喋っているのだ。思わず目を瞠って見やると、イヴは恥ずかしそうに微笑んだ後、小さく小さく囁いた。


「外へ行こう……」


 外? 

 疑問に思った瞬間、視界がブレる。気がついたら私は、どこかの屋根に座っていた。

 見上げなくても目に入る星空が、いつもよりうんと近い。


「ここって、お屋敷の屋根?」

「そう……」


 眼下には馴染み深い、よく手入れされている庭が一目で見渡せた。

 普段は地面から仰ぐだけで、表面を確認したことのなかったレンガ色の三角屋根は、天辺が平らになっていて幅もあり、危なげなく座ることができる。でも安定はしているといっても、かなり高い場所だ。大きく身体をずらして落ちでもしたらまず助からない。

 なのに不思議と恐怖心は湧いてこなかった。

 未だにふわふわと漂っている精神に加え、肩に留まっている梔子の暖かさや、傍にユヴェーレンという非現実めいた存在であるイヴがいることで、妙な安心感が生まれてしまっているのかもしれない。


「イヴに会ったらお礼を言わなきゃと思ってたんだ」

「お礼……?」

「うん。いっぱい助けてくれたでしょ? ありがとう」


 梔子もありがとうね。と言って肩に留まっている梔子に頬を擦り寄せると、踏ん張りきれずに羽をばたつかせていた。ごめん、ごめん。


「ここへ連れてきてくれたのも、気分転換させてくれるためだよね。それもありがとう」


 イヴの方を見ると、はにかんだ様子で目を逸らされてしまう。

 それからお互い何となく黙ってしまった後に、私はポツリと言葉を漏らした。


「イヴがくじけないでって言った意味、解ったよ」

「……桜、元いた世界に……帰りたい……?」


 ――帰る? あっちへ?

 正直なところ、そんなことは今イヴに言われるまで考えもしなかった。アステルに思い出してもらわなきゃと、そればかり思っていたからだ。

 でも今回、完璧にフラれてしまった。だったらそれもアリなのかもしれない。元々、私がアージュアへ残りたいと思ったのは、アステルの傍にいたいからだ。それができないのなら残る意味がないし。

 ここでの出来事は全て忘れ、卒業式の日、あのサクラが舞い散る瞬間から、何事もなかったかのように大好きなおじさんたちと一緒に過ごしていく。それは本来私が送るはずだった時間だ。アステルのことは存在すら知らなくて、こんな風に虚ろな想いを抱くこともない……。

 ――――…………無理だ。

 記憶の無いアステルがそれにも関わらず私のことを心配するように、私だってこのまま完全に忘れ去ることなんて、きっとできない。拭い取れない想いの残滓が心の底にこびりつき、ことある毎に私を苛んで、わけの分からないままに何かを求め、焦がれて焼き尽くされてしまうんじゃないだろうか。

 喪失感を埋めるために捜して、探して…………多分、狂ってしまう。

 天を振り仰ぐと今夜は上弦の月。半身が欠けている夜の主役はそれでも星の瞬きに臆することがなく、闇夜に冴え冴えと輝く孔を穿ち、周囲を柔らかな光で浮かび上がらせている。宙も、雲も、山も、大地も。昼の明るい太陽の下とはまた違う、幽玄めいた儚い世界。

 涼しい夜風が髪や皮膚をなぶる感触。現の夢といった風景の中、私の頭は逆にしっかりと現実へ舞い戻ってきた。

 胸からペンダントを引っ張り出して、紫色の石を眺めてみる。ホープに連絡するための石。

 視界の端で、イヴが身じろぎしたのを捉えた。

 あの時――この世界に残るって決めた時は嬉しさに舞い上がっていて、アステルの傍にいたいってそれだけしか考えていなかったけれど……。

 おじさん、おばさん、蒼兄ちゃん、恩知らずでごめんね。きっと今でも心配してくれているよね。

 でも私、やっぱりアステルのいるこの世界に在りたい。例えもう、アステルの目が私に向けられることがないのだとしても、おじさんたちの所へは帰れない。帰りたくない。

「――私、アージュアに残るよ。この世界で生きて、この世界で死ぬ。もう、向こうへは戻らない」

 なんとなく吹っ切れて、笑いながらイヴの方を見る。当の本人は私の言葉に目を丸くしていた。


「本当に……、それでいいの……?」

「うん。こっちに残っても、向こうへ帰ることにしても後悔はあると思う。だったら、私のいたい所に決める」


 そう言った瞬間、手の中にある紫色の石がぼんやり光り始めた。その輝きが徐々に収縮していったかと思うと、点のように小さくなり、やがては石ごと煙のように消え失せてしまった。

 驚異的なことに、その石を縁取っていた金属部分まで一緒に無くなってしまい、花の形を模したペンダントの花びらは四つになっていた。

 まるで、「もうこの石は必要ないでしょ」と言わんばかりの現象だ。ホープの微笑と、からかうみたいな声まで聞こえてくるような気がする。

 いいよ、ホープ。私はもう帰らないと決心したんだから。もうあの石は要らない。

 そして決めたことはもう一つ。


「イヴ、私、旅に出る!」


 旅は人間を成長させるっていうじゃない。

 んー、まあ私が本当に成長できるかはともかくとして、今の私が屋敷にいても、どんよりとした気が滅入るような空気を撒き散らすだけだ。未練がましくアステルの方を見ちゃったりするのかもしれない。

 元々はこの家を離れるつもりだったのだ。一度、この居心地いい場所を出て頑張ってみよう。何年かかってもかまわない。どこか別の地に自分の居場所を見つけて、胸を張ってここの人たちに会うために、また帰ってくるのだ。

 その頃にはもう今の感情を乗り越えて、ただ家族として懐かしく、穏やかな気持ちでアステルと向き合えるようになっているかもしれない。


「旅に……? どこへ……?」

「私、南の方へ行ってみたいんだ。今までずっと北のローズランドで育ってきたから。今度は暖かい地方へ」

「南……。エルネット……?」

「うん。エルネットって、食べ物が美味しくて陽気な人が多い所なんでしょ?」

「そうなんだけど……。じゃあ、送ろうか……?」

「送るって、初めて会った時みたいに、一瞬でエルネットまでってこと?」


 イヴは頷いて返事をした。

 でも、私はかぶりを振って答える。


「ううん、私、自分の足で歩いていってみたい」


 気持ちはありがたいんだけれど、それじゃ旅に出る意味がないような気がする。


「あ、でも! そう言ってくれるのは凄く嬉しいと思ってるよ? 本当だよ?」


 私の返答を聞いたイヴが目に見えてしょんぼりし始めたので、慌てて言い添えた。


「分かった……。今までは……ホープに止められていたから……桜が危ない目に遭っても……最低限しか助けられなかったけど……。――でも、今からはちゃんと守る。絶対に、桜に怪我をさせたりしない!」


 イヴの目が燃えている!

 ……凄い。こんなにキッパリした物言いをするイヴは初めて見た。断固とした決意をその萌黄色の双眸に漲らせ、胸の前で手の平を上に向け、拳を握り締める姿には思わず気圧されてしまうほどだ。


「あ、ありがとう。でもイヴだってユヴェーレンの役割があって忙しいんでしょ? 今まで通り最低限でいいからね?」


 以前、アステルに注意された。ユヴェーレンはアージュア全体の人々を救う存在だって。私が独り占めしていいわけじゃないのだ。

 とか思いながら、ちょっとでも守ってもらおうと思っている辺りが、我ながらちゃっかりしているよなあ。


「いいの……。ちゃんと上手く両立させる……」

「……」


 返す言葉を失ってしまった。

 そ、それは本当に大丈夫なんだろうか? 何しろ、出会った時だって魔物を取り逃がしていたイヴなのだ。いつか私のせいで、アージュアが大変なことになってしまったらどうしよう?

 ――……まあ、ユヴェーレンは他にもいるんだし? その点はあんまり考えないようにしておこう。


「桜、私は……、桜のことを本当に大切な……と、友達だと思ってる……。だから……、桜がこの世界に残ってくれるのは……、純粋に嬉しい……。それは覚えておいて……?」

「……? ありがとう。私もイヴのこと大好きな友達だって思ってるよ」


 何で今さらそんなことを言うんだろう? 私の言葉を聞いて赤面しながら俯いているイヴを見て、少しだけ疑問に思ってしまった。


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