グレアム家 2
「ここが貴女の部屋です、どうぞ」
アステルに扉を開けてもらって、中へ入る。
部屋は全体に、明るい色調で纏められていた。家具には細かい模様が彫られてあるし、天井のシャンデリアは複雑で繊細なレースのようで、ぴかぴか光っている。開いた窓には可愛らしい花も飾られていて、清々しく風に揺れていた。
アステルの部屋は落ち着いたシンプルなイメージだったけれど、ここは華やかで、まるで物語に出てくるお姫様のような部屋だった。
――この部屋で暮らすの? これから?
こんなに広くて豪華な部屋に寝泊まりしちゃっていいの? お金取られたりしない?
「こちらが寝室です」
言葉もなく驚いている私をよそに、さっさと移動して部屋の向こう側にある扉を開けながら、さらにアステルが説明する。
こんなに広いのにまだ部屋があるわけ?
私はきょろきょろしながら扉に向かい、寝室に足を踏み入れた。
入ってまず目につくのは大きなベッド、天蓋付きってやつですよ。私が三人寝てもまだ余裕がありそうな大きさで、ここは寝室なのだとその存在を主張している。もちろん枕も布団も肌触りがよさそうで、ついでにベッドの大きさに見合ったデカさでフカフカしている。実際に横たわらないうちから寝心地を想像することができた。
隣の部屋に引き続き、飛び込んできた光景にただただ唖然とする。ベッドの脇に使用人の服装をした二人の女の人がいることに気がついた。
この部屋を整えてくれていたのかな。
二人とも事前に知らされていたのか、私を見ても驚く様子がない。
「この二人がこれから身の回りの世話をしてくれる侍女で、エレーヌとソフィアです」
侍女ですと!? 暫し放心。
いやいや、この二人の方が、よっぽど高貴そうな雰囲気をしているんですけど。
むしろ私がこの二人に仕えなさいと命じられた方が、よっぽど納得いくんですけど。
二人とも綺麗な顔立で、立ち姿に品がある。一人は私よりも二、三歳くらい上で、おとなしそう。もう一人は 二十代後半ぐらいかな? なんというか、変わった髪型をしているわけでもないし、服装だっておとなしそうな人と同じなのに、おしゃれというか垢抜けている人だ。
そのおしゃれさんがまず一歩進み出る。
「お初にお目にかかります。私わたくしは本日より桜様にお仕えさせていただくことになりました、エレーヌと申します。以後よろしくお願いいたします」
桜様、さまって。
挨拶の後に、丁寧に頭を下げられる。私の自失状態はますます深くなった。
さらに、今度はおとなしそうな人が後に続く。
「初めまして、桜様。お世話を仰せつかりましたソフィアと申します。ご用の際は何でもお申しつけくださいませ」
品よくニコニコと、これまた恭しい態度だった。ショックを受けすぎて、挨拶を返すことも忘れて口を開けていた。
あ、あり得ない……! 私に人を使えって言うの? 蒼兄ちゃんにこき使われていた私に?
放心している場合じゃない、慌てて立ち直った。
急いでアステルの方に顔を向ける。
「桜、貴女はティア・ダイヤモンドから託された大切なお客様です」
何かを察知したのか、先手を打ってきた。
「貴女とはこれから家族同然に暮らしていくつもりですし、先程も言ったようにそれにふさわしい振る舞いも身につけていただきます。使用人を使うのもその一環だと承知してください」
「でも、さっきのグアルさんの時は……!」
丁寧な言葉遣いはいらないと告げたら、アステルだって許してくれたのに。
「グアルは当家に雇われていますが、使用人ではありません。何も偉そうに振る舞えと言っているわけではないんです。役割のことを理解してほしいんですよ。こちらがけじめをつけないと、使われる方も混乱してしまうでしょう? 彼女たちの役割を尊重してあげてください」
咄嗟に反論しようとして、でも何も出てこなかった。私は反論できるだけの知識も経験も、全然持っていない。
私の価値観では、人を使う、使われるといった行為にはどうしても、立場の優劣というイメージが割り込んでくる。勿論、この世界では歴史に出てくるような身分制度が今でもそのまま存在しているようだから、乗り越えようのない階級差はあるんだろう。
でも、エレーヌさんとソフィアさん、それにさっき出会った使用人さんたちの態度は、強制されているからというわけでなく、自分の努めだからこなしているという雰囲気に見える。会社でいう、トップの社長とその社員といったところなのかな? 働いたことないけど。それに身分差を加えて、もうちょっと立場を厳格にした感じというか。
私が知っているのはまだグレアム家だけで、他ではふんぞり返って酷い命令を、酷い労働条件で強いている場所もあるのかもしれない。でもそれは、私が元いた世界でも同じことだ。
二人の方をおずおず窺うと、目を和らげて微笑んでくれた。
自分の考え方だけで推し量ろうとしたことが、なんだか恥ずかしくなってきた。私が言おうとしたことは、逆に使用人の人たちを貶めてしまう言葉だったんじゃないだろうか。プライドを持って役割をこなしている人に、なんて失礼なことを考えていたんだろう……。
「ごめんなさい、そこまで考えてなかった……」
項垂れると、アステルに頭を撫でられた。
「納得していただけたならいいんです。分からないことはこれからどんどん覚えていけばいい。経験を積めば考え方はいくらでも変わってきます。――まあ、良い方にも悪い方にもですが」
……慰めてくれるのはいいんだけど、さっきから撫ですぎじゃない? 小さい子じゃないんだから。
落ち込んだ気分を上向けるために、心の中でちょっと楯突いてみた。
「桜様」と気遣う声で呼ばれた。エレーヌさんだ。
「お気になさらないでくださいな。私共にお心を配ってくださってのことでしょう? むしろお礼を申し上げたいくらいです」
うう、そう言ってもらえるこっちが感謝したいぐらいだ!
「ありがとう、エレーヌさ……ううん、エレーヌ。それからソフィアも、これからよろしくお願いします」
ぺこりと日本式にお辞儀をしたら、二人も礼を返してくれた。
「ソフィアは十五歳で桜と歳も近いでしょうから、親しみやすいと思いますよ。エレーヌは西の隣国バルトロメ出身で、身だしなみに関するセンスは抜群です。二人からも色々と教えてもらってください。それでは二人とも、後はよろしくお願いします」
では後でと言葉を残して、アステルは行ってしまった。
後はよろしくって、一体何?
「それでは桜様、湯浴みをいたしましょうか。準備はできておりますよ」
整った顔に綺麗な笑みを浮かべるエレーヌとは対照的に、私の顔は嫌な予感でひきつっていた。
お風呂場は、全体的に何もかもが広く作られているこの屋敷にふさわしく、開放的でゆったりとしている。
床には花を描く綺麗な色のタイルが敷き詰められていて、湯気が立ち上る大きな浴槽は、意外なことに木でできていた。日本人の私には嬉しい限り。石造りの四角い吹き出し口からは、お湯がふんだんに流れ出し、浴槽へと注がれている。どこかの温泉地みたいだ。
立ち込める湯気のおかげで、裸になっても凄く温かいんだけれど……。
「さあこちらへお越しくださいな。隅々まで磨いて差し上げますわ」
そんなことを言われたって、恥ずかしいんだよ!
自分で洗えるのに……。
もう逆らう気力もなく、エレーヌの方へ歩いていった。どこかから『ドナドナ』が聞こえてくるような気がする。
脱衣所でも散々やりあったのだ。
私は小さい子じゃないんだよ? お風呂へ入るくらい自分でできるから、一人で入らせてって。
それなのに取り合ってくれないどころか、最後には「これが私たちの役目ですのに……。私たちがいたらないために、お世話をさせていただけないのですね……」なんて目を伏せて、悲しそうにソフィアが俯くんだよ。
さっきアステルに注意されたこともあるし、おとなしそうなソフィアにしょんぼりされてしまったら、まるで自分が我が儘を言って困らせているような気分になってしまう。一人でお風呂に入るのが自分勝手とは、なんて理不尽な世界なんだろうか。
そうやって嘆いている間にも、諦めた私の雰囲気を感じ取ったエレーヌが「風変わりなお召し物ですね」なんて言いながら、それでも器用に次々と服を脱がせにかかる。慌てて、さすがにこれは自分でやりたいと訴えたら妥協してくれた。
それにしても見事な連携プレーだなあ。ソフィアなんてもうニコニコしてるよ。
なんとなく納得いかないままに服を脱いでいると、胸元に光る物を見つけた。
親指の爪くらいの大きさで、花の形をしたペンダントだ。五つの透明な、楕円形をした石が花びらのように組み合わさっている。石は一つ一つの色が違っていて、それぞれが緑・紫・ピンク・黄・青色をしている。
うわあ、かわいいなあ。
と喜んではみるものの、こんなペンダントを持った覚えはないし、見たこともない。思わず首を傾げてしまう。
「まあ、素敵なペンダント。とても高価そうですわ」
エレーヌが驚きの声を上げる通り、高そうなのだ。個々の石がやけに光を反射して輝いている。こんな物を身につけてお風呂には入れないでしょう。
とりあえず、このペンダントがどうして私の首にかかっていたのかは後でアステルに相談することにして、まずはお風呂に入ることにした。これまで散々驚いてきたのだ。今の私は並大抵のことでは動じない。そんなことよりも、嫌なことはさっさと済ませてしまいたい。
「ソフィア、これ持ってて」
お願いしますとペンダントを差しだす。すると未知のものに遭遇したとでもいうように、きょとんとした顔をされてしまった。
「ソフィア?」
「―――――――――――」
ソフィアが何を言っているのか解らない。
何かの冗談?
まじまじとソフィアの目を見つめても、困惑した表情で「――――」とまた何かわからないことを言われる始末だ。
そこで気づいた。言葉が通じなくなってるんだ。
なんでいきなり?
頭が混乱しそうになると同時に、はたと閃く。
もしかしてと思ってペンダントを首にかけ直すと――
「桜様、どうなさいました? 私の言葉がお分かりでしょうか?」
理解できるようになっていた。
物凄く安心した。今までは普通に言葉が通じていたし、出会ったみんなが色々と気を配ってくれていたからそんなに心細さを感じてはいなかった。不安になってもアステルが慰めてくれたしね。
でもこの言葉が通じないというのは、なんというか次元が違う。目隠しされているようで、何も把握できない。ひたひたにじり寄ってくる恐怖感や不安感に包まれて、息苦しくなってしまう。
通じるようになって、本当に良かった。
安堵と共に絞りだすような溜め息を吐いた。
そんな私を、二人が心配そうに見つめている。
「あの、桜様?」
「ごめんね、もう大丈夫。このペンダントを首にかけてないと、言葉が分からなくなっちゃうみたい。さっき私の言った言葉は分かった?」
二人には、ペンダントをはずした時に喋った私の言語はどう聞こえたんだろう?
「いいえ、突然理解できない言葉で桜様に話しかけられましたので、びっくりいたしました」
どうやら、このペンダントはお互いの言葉を翻訳してくれるみたいだ。
なんてお役立ちアイテム! 心中でペンダントに、さっき発見した時の失礼な思考について謝った。あの時こそ驚愕しなきゃいけなかったんだ。ごめんね、でもその代わり、もう首から離さないからね。
しっかりとペンダントを握り締める。
……となれば、お風呂にも身につけて入らなきゃいけないってことになる。まあいいか。
何で出来ているのかは知らないけれど、金属の鎖に繋がっているし、お湯に濡れたからって壊れるというものでもないでしょう……多分。
「それじゃあもう言葉が分からなくなるのは嫌だから、これからは外さないようにするね」
「かしこまりました。では、どうぞこちらへ」
頷きながらエレーヌが腕で浴場の方を指し示す。
これから自分を待っているだろう出来事を想像して、気分が落ち込んできた。
ああさっぱりした。
結局、お風呂ではさんざん磨き上げられた。出たら出たで身体を拭われ、いい匂いのする油みたいな物やら、クリームやらを全身に擦り込まれるという恥ずかしい目に遭った。けれど、ドライヤーみたいに温風の出る魔道具で髪を乾かしてもらったり、丁寧にブラッシングしてもらうのは正直気持ちがいい。気分は美容院だ。
ちなみに魔道具を試しに使わせてもらったけれど、やっぱり私には無理だった。ちぇっ。
とっても肌触りの柔らかい、上等そうな生地でできた水色のワンピースを着せてもらう。シンプルだけど凝った刺繍やワンポイントのようなフリルがかわいい。髪も綺麗に結ってもらい、おまけに小さくて華やかな髪飾りもつけてもらった。
やっぱりおしゃれするって楽しいな。これだけで気分が盛り上がっちゃうよ。
上機嫌で部屋に戻ると、アステルがソファに座って待っていた。
お疲れさまでしたと言って迎えてくれる。そして私を見ると、和やかに目を細めた。
「ああ、かわいらしいですね。とてもよく似合っていますよ」
「えへへ、ありがとう」
褒めてもらえて恥ずかしかったけど、すごく嬉しい。
でも。
「アステル、やっぱりお風呂は一人で入りたいなあなんて……」
最後の方は小声になってしまったものの、一応伝えてみる。
「駄目ですよ。慣れてください」
微笑んだまま、一言で却下されてしまった。
はい、逆らえません。
私は諦めの溜息を吐いた。