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空を映す海の色  作者: せおりめ
第2章
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帰る場所 3

 諦めないで頑張る! とは決めたものの、具体的にどうするという方策も採れないままに日々は過ぎていく。アステルは王城に詰めている時間が多く、帰ってくるのは夜遅くだったり、時にはそのまま泊まりだったりすることもあった。

 今まではもっと顔を合わせていたということを考えれば、アステルが意図してなるべく早く帰ってくるようにしてくれていたんだろうなと想像できる。

 ――本当に特別扱いしてくれていたんだ。

 以前の私は何も見ようとしていなかった、と今さらながらに気付かされてしまった。

 動こうとしても動きようのない、もどかしげな状態に嫌気がさしてしまった私は、前々から企んでいた気分転換を実行することにした。アステルが記憶を失う以前だったらほぼ実現不可能だったこと。

 一人で町へ出て買い食いをする! だ。

 かつてのアステルだったら決して承諾しようとはしなかっただろうし、黙って行こうものなら後で必ずばれて、説教コースに乗らなきゃならなかった。今でも王城での様子からすれば、出かける所が見つかってしまえば止められるか、誰かを一緒に連れていけと言われてしまうのだろうけれど、行ってしまえばこっちのもの。

 この点についてだけは、今の状況がありがたかった。

 こういう、自分に都合のいい美味しい所だけを切り取って、つぎはぎにできればいいのに。

 人生って中々にままならない。私は人の世の侘びしさについて考えてしまった。

 うん。今の私って思索の人っぽい。


 そんなことを考えながら念のために棒を携え、私を待っているだろうごちそうの所へ馳せ参じるべく、朝も早くから張り切ってお屋敷を出た。

 と思ったら、ちょうど帰ってきたアステルとバッタリ出くわしてしまった。

 前菜からデザートまで何をどういう順番で食べてフルコースにしてやろうか、と既に心躍る饗宴に魂を飛ばしていた私は、現実にとりゃっと引き戻されてしまう。しかも急速に。

 ――全く、会いたい時には少しも顔を見ることすらできないのに、どうしてこんな時に限って遭遇してしまうのか?

 人生ってやっぱりままならない。私は再び思索の人になってしまった。ただ単に現実逃避したかっただけかもしれないけれど。

 しかしまだ行けないと決まったわけではない。

 この機会にアステルと話せばいいじゃないか。そうどこかから声は聞こえてくるものの、それよりも町に行くことの方へ、完全に比重が傾いている。なんだか本末転倒のような気もするけれど、今の私はなんのために買い食いを決行しようと思い立ったのか、すっかり忘却してしまっていた。

 私は胡散臭い笑顔を浮かべてアステルを労うことにした。


「お帰り。もう朝だよ。こんな時間まで大変だね」


 朝なのにこんな時間というのは変な言い方だったんだろうけれど、思いつかなかったのだ。夜の内に帰れなかったんだから、多忙だったことには変わりないんだろうしな。


「ただ今帰りました。ええ、少し忙しかったもので、こんな時間になってしまいました」

「ご苦労様。疲れてるでしょ? ゆっくり休んでね。じゃあね」


 うん、とっても自然だ。このまま何事もなくフェードアウトすればバッチリだ。私は手を振りつつ、さりげない動作でこの場を離れようとした。

 でもこういう時に、私の作戦が成功した試しはない。


「どこへ行くんですか?」


 後ろめたいものを心に抱えた人が呼び止められたように、肩がビクリと震える。

 微妙に顔を痙攣させながら振り向くと、怖い笑顔ではないものの、その一歩手前状態であろう微笑をたたえ、アステルが私の返事を待っていた。


「ちょっとその辺を散歩してこようと思って。朝の散歩って気持ちいいよね」


 いつものように、なんとか誤魔化すことにした。


「棒を持ってですか……。やけに勇ましいですね」

「この物騒な世の中、備えあれば憂いなしだよ」

「そうですね。それでは危険ですから、俺もお付き合いしましょう」

「えっ!? いいってそんなの。疲れてるでしょ?」


 手を激しく振って否定を示した。一緒に来られてしまったら、計画が台無しになってしまうじゃないか。

 謹んでご辞退申し上げるぞ!


「その辺りを散歩するだけなんでしょう? そのくらい、なんでもありませんよ」

「……」


 がっくり。

 さようなら、未だ見ぬ美味なるごはんたち。

 私は切なく吐息を漏らし、今日の予定を断念することにした。

「それはいらないから置いて行ってください」というアステルの言葉に諾々と従って棒を玄関に立て掛け、私たちはお屋敷の周りを散歩することにした。


 季節はすっかり初夏に移り変わっている。グアルさんと一緒に町へ行った時とほぼ同じ時間なのに、日は完全に昇っており、周囲の明るさは全然違っていた。

 木陰はまだ朝の冷たい空気を残しているものの、日向に出ると紫外線量を増した太陽が照りつけて、容赦なく肌を焼こうと目論んでくる。しかし今日の私は薄手のストールを真知子巻きにした上に、長袖という格好をしている。

 日焼け対策はバッチリなのだ。どんとこい!


「それで、本当はどこへ行こうとしていたんですか?」


 心の中でお日様に勝負を挑みつつ進んでいた私に、アステルが尋問してきた。

 なんで記憶が無いアステルにまで、見透かされてしまうんだろう?

 私の複雑な心中も知らぬげに、風が花の匂いを運んでくる。柑橘系の爽やかな薫風は、大気中を清しく緩やかに吹き抜け、陽光を弾いて輝く朝露を新緑の若葉から揺り落としていた。そして私の隣、均整の取れた身体で真っ直ぐに前を向き、姿勢よく歩いていくアステルの髪や頬を柔らかく撫で上げる。

 金色の髪は風にそよぐ度にキラキラ反射を繰り返し、その輝きに数瞬の間我を忘れてしまった。

 ――素直に、綺麗だと思う。

 香りと情景にすっかり毒気を抜かれてしまった私は、しおらしく自供することにした。


「実は城下町へ行こうと思ってました……」


 私の返答を聞いてこちらを向いたアステルは――うげっ! 怖い笑顔になっている!


「その表情からすると、俺が何を言いたいか分かっているんですよね?」


 一体私はどんな表情をしているんだろうか? 少なくとも引き攣っていることは間違いないな、うん。

 でも本当に、どうしてこんなにいつも通りのやり取りになってしまうんだろう?

 やっぱり納得がいかない!


「一人で行っちゃ駄目だって言いたいんでしょ? でもさ、どうしてそんなに心配してくれるの? 私は棒だってちょっとは扱えるし、自分の身は自分で守れるよ?」


 弱いから主に戦法は逃げることなんだけれど。

 そんなこと、アステルは覚えていないだろうし黙っておくことにしよう。


「――分かりません。どうしてなんでしょうね?」


 アステルは、なんともいえない不思議そうな面持ちをしながら歩いていく。


「桜を見ていると、何をしでかすか分からないと言いますか、どこかで妙なことに巻き込まれているんではないかとか、どうしても気にかかってしまうんです」


 私は今のアステルにまで災難吸い寄せ体質だと思われているのか……。もしかしたらこの心配性振りは、アステルの習性にでもなっているのかもしれない。

 アステルって苦労性だ。私は自分が原因だということはよいせと棚に上げ、深く同情してあげることにした。

 先日お屋敷であったびっくりするような出来事、アステルの仕事仲間の話、そんな風に他愛ない話をしている内に、いつのまにか私たちは一周していたようで、お屋敷の前に戻ってきていた。


「それではここで。念のために言っておきますが、これからは一人で外へ行こうとしないでくださいね」

「私、子供じゃないんだけど……」


 言い置いて中へ入ろうとするアステルに、なんとなく言ってみた。


「子供ではなくても控えてください」


 優しく目を細めあやすように告げると、今度こそアステルはお屋敷へ入っていった。


 変わらず心配してくれるのはたまらなく嬉しい。アステルの心の中にまだ、ちゃんと私の居場所があるんだと思うと、なんとかなるのかもしれないと控え目な可能性に期待してしまう。

 それでも。

 今のアステルは私の頭を撫でようともしないし、抱えようともしない。今の禁句にだって反応しなかった。

 いくら言動の端々にかつての片鱗が垣間見えたとしても、やっぱり違うんだと痛感させられてしまう。

 急いては事をし損じる。

 王城では記憶を無くしたばかりのアステルに焦れ、先走って告げてしまい断られてしまったのだ。

 私はあれで懲りたはず。だから逸ったってしょうがない。

 そう理解はしていても、胸を占める正体不明の不安感はどんどん膨らんでいった。


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