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空を映す海の色  作者: せおりめ
第2章
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喚びし者 其は高輝なる 2

「ユヴェーレン? ホープ・ダイヤモンド?」


 頭の中に、無色透明の宝石を思い浮かべた。おばさんが、結婚前におじさんから贈られたのだと言って、大切そうに見せてくれた指輪。銀のリングを飾っていた石。いつか私も、誰か好きな人からもらえるのかな、と想像していた。


「あなたにユヴェーレンだと告げても分からないかしらね。要するに、魔術師だと思ってもらえればいいんだけれど……。魔術師だったら分かる?」


 魔術師って、魔法使いとかそういうことだよね?

 それなら解るので、コクリと頷いた。確かに、この魔術陣っていうやつとか凄くそれっぽい。これでただの一般人だと言われたら、逆にその方が信じられない。


「これからはホープと呼んでちょうだい。あなたの名前は?」

「私は藤枝桜。桜の方が名前なの」

「分かったわ、桜ね。それでは話の続きなのだけれど、桜は保護者と離れたくないからここに残りたくないのね?」

「そうだよ。いくら子供だって言われても、私はここじゃなくておじさんたちの傍にいたいんだもん」


 馬鹿にされたって、嫌なものは嫌なのだ。

 ホープは私の返答を聞くと、溜息を吐きながらかぶりを振った。いかにもやれやれ、という人を小馬鹿にしたような仕草――癪に障るったら!――だ。そして鬱金の背に肘を乗せる。鬱金の背がちょうどいい位置にあって、置きやすいみたい。


「それじゃあこうしましょう。あなたを帰してあげることはできるけれど、それに条件を付けるわ」


 我が儘な子供に仕方がないから折れてあげる、というような物分かりよさげな調子でのたまっているけれど、ちょっと待て!


「なんで条件なんて付けられなきゃいけないの!? ホープが間違って私を呼んでしまったんでしょ? だったら帰してくれるのが普通なんじゃないの?」


 間違いを謝って、手土産付けて帰すべきだ!


「だって、私はあなたを帰したくないんだもの」


 私が指摘するとホープは、それが世の中も認める正当な理由、という感じでしらじらと答える。


「それを押して帰すんだから、条件ぐらい付けさせてもらってもかまわないでしょう?」


 呆気……。思わず口をあんぐり開けて、なんとも締まらない表情を晒してしまった。

 それからフツフツと怒りが湧いてくる。

 なんてずうずうしい理屈なんだ! 勝手に呼びつけておいて帰すのに条件があるなんて、自己中にも程がある!

 ギッと睨みつけてやるけれど、平然とした顔で流されてしまった。


「そんなに怖い顔したって駄目よ、もう決めてしまったんだもの。まあよくお聞きなさいな」


 聞きたくないけれど、そうしないことには何も始まらない。

 広い心を持つんだ、私。それにしてもこの子は悪魔だよ、悪魔。


「まず前提として、向こうの世界には桜の大切な人たちがいるけれど、ここにはあなたを引き留め得る人間がいないわ」


 そりゃあそうでしょう。ここに来て出会ったのはまだホープだけだし、ホープとお別れできるんなら、喜んでさよならを告げるよ。

 うんうんと頷いて、ホープに続きを促す。


「それではあなたが帰りたいと言うのも無理はないわ。比較にならないんだもの。でもね、それじゃあ不公平だと思わない?」


 全く思わない。

 さっきとは逆に、首を横へ振っておいた。無視されたけれど……。


「だからまずあなたには、ここアージュアで向こうの世界の人たちと同じ、若しくはそれ以上に大切な、かけがえのない人を作ってもらうわ」

「アージュア?」

「説明がまだだったわね。この世界はアージュアと呼ばれているわ」

「ふうん、分かった。それで大切な人を作るってもしかして、さっきからホープの話に出てくる、公爵家の息子って人のことを言ってるの?」


 それじゃあ結局、ホープの思うままじゃないか。ホープは公爵家の息子に花嫁探しを頼まれたから、私をこの世界へ残したい。そのために、その息子を好きになりなさいってことなんでしょう?

 けれど、ホープは静かにかぶりを振る。


「別に、公爵家の息子である必要はないわ。あなたが自由に好きな人を探せばいい。別にそれが男でも女でも問題は無いの。私は花嫁になる人物を望まれはしたけれど、その子が本当に花嫁になるかどうかは、当人同士の問題だもの」


 む、無責任だなあ……。こんなのに頼んだその息子に、ちょっぴり同情してしまう。


「でもまあ頼まれた責任は果たさなければいけないから、あなたの身柄は公爵家に送らせてもらうけれど」


 じゃあやっぱり同じことなんじゃないか。

 うん? でも、その人を好きになるかどうかは私の自由意志に任されるというのなら、同じとは言えないのかな?

 頭を捻る私を放置して、ホープは淡々と話を進めていく。


「そしてかけがえのない人ができたその時に、あなたには帰るか帰らないかを選ばせてあげる」

「何それ! 酷いよ、そんなの選べるわけないじゃない!」


 今からでも想像できる。そんなことになったら、どっちも選べなくて苦しむに決まっている。

 悲壮な未来へ追い込まれようとしている恐怖感とは別に、むくむくと疑問がもたげてきた。

 なんでホープは私にそんなことをさせたいの?

 なんにしろ、相当性格悪いよ、この子。


「でもそうでもしないと、今のままのあなたではこちらとあちらを比べようがないでしょう? 条件を同じにしておかないと」

「条件を同じにって……意味がわかんないよ! なんでそんな思いまでして私がこの世界に残らなきゃいけないの!?」

「言ったでしょう? 私が。あなたに。この世界に残って欲しいからよ。私のために」

「……」


 言葉が出てこなかった。

 一言一句、無邪気ともいえる表情で区切るように言うホープに、薄ら寒いような、未知の得体の知れない者を前にしたような、身が竦む感情を覚える。

 何も言い返せない。何を言っても無駄なんだ。ホープはもう決めてしまっている。帰るための方法も、魔力すら持たない私には、ホープの言葉に従うしか道はないんだ。

 足の関節を裏から誰かに突かれてしまったように、私はカクン、と膝から崩れ落ちた。

 今の自分の格好が、打ち拉がれた人が取る代表的なポーズだと考えて、少し可笑しく思う。両手両膝を地に着け、顔も限りなく床に近い四つん這い。

 ――帰れない……。

 目前の床に書かれてある平行四辺形を見つめている内に、自分の目が険しくなっていくのを感じた。表情が感情を作るのか、それとも感情が表情を作るのか。私の心も細く、鋭さを帯びていた。怒りが湧き上がる。

 ――ああもう、本当に鬼だ! 悪魔だ! なんて自分勝手!

 大理石のようにすべすべの床には傷一つ付かないことを承知で、平行四辺形に爪を立てた。同時に顔を上げる。

 ――いいよ、開き直ってやる。こんな人を一瞬でも怖がってしまった自分に渇を入れてやる!!

 私の様子を、子供が新聞を眺めるような感心の薄さで目に入れていたホープが、ボソッと呟く。


「……一応は、あの爺さんのためにもね」

「……?」


 よく意味が掴めなかった。でもそんなことはどうでもいい。

 立ち上がり、憎悪を込めてホープを睨みつけた。


「――分かったよ。そうしたら帰れるって言うなら、その通りにする。それで向こうの世界を選んで、絶対に帰ってやるんだから!」


 断固とした決意を以て、ホープへ叩きつけるように、力強く宣言してやった。

 この挑戦、潔く受けてやる!

 突然やる気になった私の変化に軽く目を瞠ったホープは、その後にっこり微笑んだ。そりゃあもう、何も知らない人が見たら、思わずつられて一緒に微笑んでしまいたくなるように、可愛らしく。


「あら、前向きでいいことだわ。とても素敵よ? じゃあ、あなたが帰ることを選びやすいように、オマケを付けてあげる」

「オマケ?」

「ええ。あなたに大切な人ができた時。そして、あなたがその人と結ばれてしまった時。その時に、彼はあなたのことを忘れるわ」

「……え?」


 一瞬、何を言われているのか分からずに瞬いた。


「言葉通りよ。あなたが好きな人は、あなたのことを忘れてしまう。それが彼でも彼女でも。その方が、あなたも諦めがついて帰りやすいでしょう?」

「……じゃあ、その人の、傍にいたくて……帰りたくない時は……?」


 例えばだけれど。もしも、どうしようもないぐらいに好きになって、おじさんたちよりもずっと大切になってしまって、この世界に残りたくなってしまった場合は?


「そうね。記憶は何かをきっかけにして蘇るもの。思い出すように何か努力をすればいいんじゃないかしら? 具体的にこうしろとは言えないけれど。若しくは……もう一度好きになってもらえばいいのよ。でも桜は絶対に帰るんでしょう? そんなこと、考える必要はないはずよね」


 ホープはさっきからのこぼれるような笑顔を崩しもせず、ことも無げに言う。

 ほんと、憎ったらしいったら……!

 なんとなく割り切れない、焦るような気持ちが胸に渦巻いている。けれど自分でもそれがどういう感情なのかがよく分からなかった。

 ――もしかして、私は余計なことを言ってしまったんじゃないだろうか? 誰か好きな人ができてしまった時に、このことを後悔するようになるんじゃ……。

 ううん。私は、今の考えを打ち消すように、急いでかぶりを振った。

 私はおじさんたちの所へ帰るんだもの。そんなこと、絶対にない……ハズだ。


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