喚びし者 其は高輝なる 1
「助けて!! ……?」
気がつくと、私の前には女の子が立っていた。十歳くらいかな?
私よりも年下で、真っ直ぐな黒い髪は肩に着く程度。前髪は眉の辺りで切り揃えられている。スッと通った眉に切れ長の黒い目をしていて、真っ白な肌に赤い小さな唇が鮮やかだ。両耳には、菱形の透明な宝石をはめこんだピアスをしていた。
日本人形を思い起こさせる綺麗な女の子なんだけれど、シャツの上に凝った模様の布を巻きつけるという、どこかの民族衣装みたいな格好をしていた。
さっきから、その女の子は目を瞠って私を凝視している。でも私だって、いきなり目の前に突然女の子が現れて驚いているのだ。
……違うか。今、私はどこかの部屋にいるみたいだ。じゃあ、突然現れたのは私の方ってことになるのかな?
女の子が、まだ目に驚愕の色を宿したまま問いかける。
「あなた、人間に見えるけど――魔物なの?」
開口一番になんてことを言うんだこの子は! このどこからどう見ても愛らしい少女の私を見て魔物扱いするなんて、目がどうにかなっているんじゃないの?
憤った私は目を吊り上げ、感情をそのまま述べた。
「失敬な! 私は人間だよ。私のどこをどう見たら魔物に見えるって言うの?」
「うん、見えないわ。だから驚いているの」
なんで私が魔物に見えないからって驚かれなきゃいけないんだ?
怒りも忘れ、女の子の変な答えに私は眉をしかめてしまった。
「私は使い魔になる魔物を喚んだつもりだったのよ。それなのに現れたのがどう見ても人間で、しかも魔力が欠片も無いだなんて……」
「ちなみにどんな魔物を呼びたかったの?」
素朴な疑問に、私よりも先に驚きから立ち直った様子の女の子は平然と答える。
「猿型の魔物」
微妙……。確かに猿は、人類に近いんだけれどさ。
それにしても魔物の代わりに出現してしまった私って一体……。実は自分で気付いていなかっただけで、私って魔物だったってこと? ――って、そんなわけあるか!
でも私には魔力が無いのか。もしあったら、魔法が使えたりとかしていたのかな? ちょっとがっかり。
じゃなくて!
ついうっかり普通に応じてしまったけれど、魔物? 魔力? 一体どういうこと?
そういえば、さっきから「グルルルル」だの「キュイキュイ」だの、変な鳴き声みたいな音が聞こえているんだけれど――。
今まで外にいて急に部屋に入ったから、眩んでいて分からなかった。目が慣れてよく周りを見渡せば、この部屋はかなりの広さがあるみたいだった。まるで学校の体育館並。そして動物が沢山いる。
でもみんな、何か変なのだ。
あっちの方にいる羊は黒っぽい毛をしていて、何故か長い角が一本生えている。
部屋の真ん中にある樹――部屋に樹が生えてるよ……――には、真っ青なキジみたいな鳥が留まっているし、女の子の隣には翼の生えた大きなラ、ライオンがいる! あんまりおとなしいから一瞬、置物かと思っちゃったじゃないか!
その他にも、コウモリの羽を生やしたヘビがフワフワ飛んでボワボワ火を吐いていたり、ただっ広い水槽には人魚みたいな魚がパシャパシャ泳いでいたりだとか、とにかくみんな、物語に出てくるような変わった姿をしているのだ。
しかもこんなに色んな種類の動物がいるのに、喧嘩もせずに仲良く――というよりは、お互いがそこにいるのを認めているからこその、無関心さで共存している。
私はひとしきり方々に驚愕の視線を飛ばしてから、答えを聞きたくないなと思いつつ尋ねた。
「――もしかして魔物って、ここにいる動物たちもみんなそうなの?」
女の子はいかにも愛しくて仕方がない、という様子で動物たちを見渡し、ライオンの背をポンと叩く。
「そうよ。誰もかれも皆かわいいでしょう? ちなみにこの子の名前は鬱金と言うのよ」
もちろん私は、必死の思いで適切な事実を指摘した。
「かわいい!? 恐ろしいの間違いでしょう? 私、襲われたりしない?」
紹介までしてもらっておいてなんだけれど、どう見てもかわいさよりは身の危険を感じる。
そこのハリネズミみたいにツンツンした毛が生えている牛なんて、さっきから私をじっと見て舌舐めずりしている。
美味しそうだとか思っているんじゃないの?
私は身を庇うように、自分の身体を抱き締めた。
「大丈夫よ。そこから出ない限りは」
女の子が私の足元を指差して言うので、つられて見下ろしてみる。よく見えるように、少し足を引いた。
大きな丸い円の中に、複雑な模様が描かれている。私はその内側にいる状態だ。よく見れば、模様は全部四角形を組み合わせて成り立っていた。
じゃあ、これは模様というよりも、図形と表現した方がいいのかな? ……まあそんなことはどうでもよくて。
これは物語にもよく出てくる、魔法陣とか呼ばれるやつなのかもしれない。とにかく、ここから出なければ身の安全が保証されると言うのなら、ここで寝泊まりしたっていいくらいだ。
「分かった。絶対に出ない」
絶対に、という部分に力を込めて言っておいた。
――まあそれはいいとして。
「ところで、私が呼ばれちゃったのは間違いだったんだよね? そろそろ元の所へ帰してもらいたいんだけど」
私は今からおじさんたちとお昼ご飯を食べにいくところだったのだ。とってもお腹が空いている。
「それなんだけど……」
女の子は頬に手を当てて思案するように言った。
「あなた、しばらくこの世界に留まる気はない?」
「ええっ? なんで?」
当然のように抗議した。
だって、この子は何を突拍子もないことを言っているんだ? 私は早く帰りたいのに。
「然る公爵家の息子から、花嫁探しを頼まれたのよ。せっかく来たんだから、試しに候補としてどう?」
「なんで私が見たことも聞いたこともない、知らない人のお嫁さんにならなきゃいけないの! しかも試しにって、そんな簡単な問題じゃないでしょうが!」
お嫁さんといえば、女の子の憧れなんだぞ。好きでもない人のお嫁さんなんて、冗談じゃない。
すると、目の前の子が仲人役のどこかのおばさんみたいに、妙に押しの強い笑顔を浮かべた。
「大丈夫よ。公爵家の息子はそりゃあいい男よ? 身分も地位も、それから財産もある上に、性格も上等。顔だってとんでもなく綺麗で、かなりお得な優良物件なんだから」
う~ん。ちょっと心が揺れるかも。
でもなんだろう? どこかのインチキ不動産屋にとっ捕まっている気分になってきた。
「でもさ、そんなに凄い人なんだったら、位の高いお金持ちのお嬢様とかと結婚するもんじゃないの?」
「それがねえ……。本人が全てを持っているものだから、別に相手がそうである必要もないそうよ。どうしても家同士の思惑が絡んでくるから、むしろそういうのとは無関係な方がいいらしいわ。あなたはこの世界の人間じゃないのだし、ぴったりなんだもの」
さっきから、いかにもいいアイディアを思いついたとばかりに捲し立ててくる、女の子の言葉にかなり引き寄せられてしまう。
いや、でも待て待て。
「ちょっと待って。私、まだ十二歳だよ? その人が何歳かは知らないけど、この世界ではそんなに早く結婚するもんなの?」
「結婚年齢は十六歳からよ、まだ無理ね。でもちょうど良かったんじゃない? その間にこの世界のことを覚えていけばいいわ。言葉も、文字だって違うだろうし――」
「え? でも言葉通じてるよ?」
つい、まだ続けようとする女の子を遮ってしまった。
「そりゃあ、その魔術陣の中にいるからよ。魔物だろうが異世界の人間だろうが、召喚したモノと言葉が通じるかどうかは分からないでしょう? 翻訳できるようにしてあるのよ」
ふえー。魔術ってやつ? 便利だなあ!
「話を戻すわね。年齢のことだけれど、公爵家の息子は二年前に会った時十五歳だったから、今は十七歳になっているんじゃないかしらね」
十七歳って、蒼兄ちゃんより年上じゃないか。大分離れている。
いやでも、私が二十歳になったら相手は二十五歳だし、そんなにおかしいこともないのかな? って、何真剣に考え始めているんだよ、私!
危うく丸め込まれてしまうところだった。正気を取り戻し、女の子に食ってかかる。
「ちょうどいいわけないでしょ! やっぱり嫌だよ。ここで結婚しちゃったら、おじさんたちに会えなくなっちゃうじゃない」
そう言うと、女の子はいかにも小馬鹿にするように嗤った。
「保護者に会えなくなるから嫌なの? てんで子供なのねぇ」
なんだとぉ!?
無性に腹が立ってきて、やってはいけないといつもおばさんから注意されていること。思わず、女の子に人差し指を突きつけてしまった。
「あんただって子供でしょうが!」
「あら、見た目通りの年齢だと思う?」
突然艶めかしい笑顔を向けられ、ギクリとする。突きつけた指先が力をなくし、心臓が一つ大きく跳ねた。
――確かに、この女の子は雰囲気が凄く大人っぽい。喋り方とかその内容を考えても、私よりずっと年上に感じる。
脱力したように指を降ろした。
「……あなた、何者なの?」
問いかけると、女の子が笑みを深める。
「人に誰何する時は、自分が先に名乗るものなのじゃないかしら?」
目の前から発されているはずの声が、部屋全体から鳴り響いているように錯覚した。
「まあいいわ。先に私から名乗ってあげる。私はユヴェーレン四角の座、ダイヤモンド。ホープ・ダイヤモンドよ」




