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空を映す海の色  作者: せおりめ
第2章
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ベルディア王城 9

「ベルナール? その姿は――」

「ごきげんよう、ベルナール様」


 間違えようもないアステルの声に続き、迷路の中で一瞬だけ聞いた、あの澄んだ綺麗な声が耳に飛び込んできた。

 どうして今ここに二人が現れるんだろう? 

 変に落ち着かない気持ちを押し込めて疑問を抱いていると、瞬時に合点がいった。

 作為的過ぎる。

 多分、王太子があの後アステルに告げたんじゃないんだろうか? ちょうどいいから、ティナさんを連れて散歩がてらにでも私を捜してくればどうだ、とか言って。

 私に、二人が一緒にいるところを見せつけたかったのかもしれない。あの王太子が手放しで褒めていた人なんだもの。素敵な人に決まっている。きっと、周りから見たら誰よりアステルに相応しい人なんだろうな。

 そこで不安が脳裏を掠めた。

 ……王太子は迷路の中であった出来事をアステルに話したんだろうか? そんな馬鹿な真似はしないと思うんだけれど……。

 そこまで考えて、自分に嫌気がさしてきた。

 ――ああもう! 私、邪推ばっかりしてないか?

 胸の中に、不安とか懸念とか焦燥とかいったドロドロしたものが渦巻いて、必要以上にビクビクして臆病になっているような気がする。それで他人のアラを探そうとして、悪い点を見つけて安心しようとしているんだ。

 今アステルの傍にいる、顔を見たことも話したことすらまだないティナさんに対してさえ、羨んで妬む気持ちが鬱積し、溢れそうになっている。

 自分がこの上なくどうしようもない人間になってしまった気分だった。

 ううん、気分じゃない。今の私、物凄く鬱陶しい。私だったら、こんな人間にはお近づきになりたくない。

 こんな風にひがんでいるなんて、陰険過ぎる!

 私は両手を自分の両頬に持っていき、覚悟を決めるために一度大きく息を吸い込んだ。

 そしてそのまま、自分に気合いを入れるべく――力の限りに頬を引っぱたいた!

 凄まじく小気味いい音が辺りに響く。話し声が途切れ、一気にその場が静まってしまった。

 というか、自分でやっておいてなんだけれど、滅茶苦茶痛い! 目から火花が飛び散って、頬がじんじんひりひりする。さらには涙までもがじわりと滲んできてしまった。

 でもおかげで、さっきまでの鬱屈した気持ちは弾け飛んでしまい、なんだかスッキリしてしまったのだ。

 頬を両手で覆って痛さに顔を歪めつつも、気分を変えられたことが嬉しくてニマニマする、という自分でもよく分からない表情を作っていると、いきなり被せられていた長衣が取り払われた。

 突然明るくなったせいで、眩しさに眉をしかめる。次いで、手で影を作って光から庇った目を凝らした。

 視線の先にあったのはベルナールさんと同じ色の長衣を着て、既に怖くて太陽にも負けないほど目映い笑みを張りつかせている、アステルの顔だった。

 いきなり怒っている!

 私はアステルのことが好きだと自覚したばかりなのだ。だから今度アステルの顔を見たら、胸がドキドキするだとか、切なくなって締めつけられるだとか、そういう悩ましげな気持ちを想像していたのだ。

 それなのに今感じているのは、おののきだとか脅威だとかの、思わず顔が引き攣ってしまいそうな威圧感でしかない。

 喉が勝手にひぇっと声を上げて仰け反り、思わず私はベルナールさんの首に縋りついてしまった。

 それを見たアステルの眉がピクリと動き、さらに圧迫感が増してくる。

 だから怖いって!


「桜? ここで何を?」

「まあ、天海の彩?」


 怖い笑顔のままで尋問してきたアステルの低い声に、ティナさんの美声が被さってきた。

 アステルの後ろ側に佇むティナさんに目を転じる。

 私を見て驚いているこの人は……うん、人間じゃないな。

 月の光を集めて撚ったような銀糸の髪。どこか夢見るような紫水晶の目は煙るような銀色のまつげに覆われ、幻想的で厳かな雰囲気を醸し出している。唇は花を乗せているように色づき、零れては大変、と思わず手を差し出したくなってしまった。白磁の肌は傷やほくろ一つ無くスベスベしていて、しなやかな身体は震いつきたくなるという表現がピッタリだ。

 この人に笑いかけられたら魂まで抜かれてしまいそう。ティナさんを表現するのに、泉の女神様だとか戯れ言を述べられても、十人中が十人とも信じてしまいそうなほどの類い希な麗人。正に絶世の美女だ。

 アステルとティナさんという美貌の二人が並んでいる姿は、まるで金と銀の対になっているようで、絵画のごとくサマになっている。

 状況を忘れて私がティナさんに呆然と魅入られていると、その本人が私に向かって、惚れ惚れするような洗練された動作で挨拶をしてきた。サラリ、と清潔感のあるドレスが立てる衣擦れの音がする。


「クリスティーナ・ハーストンと申します。以後お見知りおきを、天海の彩のお方」


 ハーストンといえば確か、ウェリーザ伯爵の名前だ。結構力のある家の人なんだな。


「サクラと言います。こちらこそよろしくお願いします。こんな格好ですいません」


 ずぶ濡れな自分の姿と、ベルナールさんに抱えられたままで挨拶する非礼を詫びておく。


「――で? 桜はどうしてそんな格好をしているんですか」


 いきなり会話の流れをぶった切って、未だに怖い笑顔のアステルが会話に割り込んできた。私はおののきつつも、とりあえずはベルナールさんに対して説明した通りに話した。

 ついでに、ベルナールさんに自殺志願者と間違われた、という不名誉な出来事についても伝えておく。


「……桜様は先程、レジナルド殿下とご一緒ではありませんでしたか?」


 ティナさん、私に様付けは必要ありません――って、爆弾発言!

 そうなのだ。ほんの短い時間とはいえ、ティナさんには王太子と一緒にいる所を目撃されていたのだ。アステルはいやに訝しそうな視線を投げかけてくるし……

 ううう、どうしようか? 私は煩悶した。

 はっきりいって、あそこであった内容は誰にも知られたくないし、話したくもない。

 よし、と方策を打ち立てた。こういう時は、話題を変更するに限る。


「王太子殿下とはたまたますれ違っただけなんです。それより、アステルたちはここへ何しにきたの?」


 最初の言葉はティナさんへ。後の言葉はアステルへ向けたものだ。


「…………これを殿下が拾われたそうです。桜が迷っているといけないので、一緒にいたティナと、散歩がてら捜してくるよう命じられたんです」


 アステルはカツラを差し出しながら、経緯を説明した。

 答えるまでの妙な間が気になったけれど、とりあえずは変わった話題に乗ってくれたようなので、ホッとした。

 それにしてもカツラは王太子が拾っておいてくれたのか。……というか、この二人がここにいるのはやっぱりあの人の差し金だったんじゃないか!

 私はガックリと項垂れつつ、王太子に関する部分だけ、反省した自分を反省した。

 ――ああもうなんでもいいや……。

 王太子に対する憤りも、全員集合的なこの状況も、いきなり何もかもがどうでもよくなってしまった。今日は散々な目に遭ったり色々考えたりと、精神的な疲労が溜まりすぎて、投げやりな気分になっているみたいだった。

 くたびれた。なんだかお腹も空いてきた。さしあたってはさっさと帰ろう。


「歩き回ってる内に暑くなって脱いじゃって。そのまま落としちゃったみたい。探さなきゃと思ってたんだ、ありがとう。ベルナールさんが送ってくれるって言ってるから、私はもう帰るね。――カツラ頂戴」


 カツラを受け取るべく手を伸ばす。

 するとアステルはいきなりその手を掴み、私を自分の方へたぐり寄せてきた。

 ひえっ、落ちる! 咄嗟に目を瞑ったのも束の間、次に目を開けた時、私はアステルに抱きかかえられていた。

 驚いて、思わずベルナールさんの方を見る。ベルナールさんは唖然と目を丸くしてアステルを凝視していた。

 私もつられてアステルの方に顔を向けようとしたところで、今度は地面に降ろされてしまった。ちゃんと私が立ったことを確認したアステルは私から手を離し、唐突に長衣を脱ぎ始める。

 なんでアステルまでストリップを始めるんだ!?

 再びぎょっとしていると、黒いシャツ姿になったアステルにまたもや脱いだ長衣を被せられ、さっきと同じようにひょいと抱え上げられた。

 遮られた世界の中で、今回包まれている香りはよく知っているものだ。それだけで安心している自分に、少し苦笑してしまった。


「俺が連れていきます。ベルナール、すみませんがティナをお願いできますか?」

「それはかまわないんだが……」

「濡れてしまった制服も後日新しい物を贈ります。これは俺が持っていきますね」


 見えないから分からないんだけれど、多分これっていうのはベルナールさんの長衣だ。


「いや、洗えば済むことなんだが……」

「いいえ、俺の気が済みませんので。それでは先に行きます。ティナも、失礼します」


 ためらいがちなベルナールさんにはテキパキと言い置いて、ティナさんには辞去を述べてから、アステルはさっさと歩き始めた。私が二人にお別れを言うために、口を挟む隙もなかった。



 アステルは一度も立ち止まることなく、たったか歩いていく。


「アステル、もしかして道順覚えてる?」

「ええ、よく遊んでいましたから。目を瞑っても入口から出口まで辿り着けますよ」


 それは凄い! こんな複雑な迷路をよく覚えられるもんだ。


「リディが言ってた。ティナさんって幼馴染みなんだよね。凄く綺麗な人でビックリしちゃったよ」

「そうですね。ティナは幼い頃からリディと並んで目立っていました」


 というか、王太子も入れて華やかな幼馴染み四人組で、人目を引いていたんじゃないだろうか? 癪に障るけれど、あの王太子も容姿は抜群にいいからね。

 そこで私は、さっきから気になっていた質問を投げかけることにした。


「……あのさ」

「なんですか?」


 ちょっと言いにくいけれど、意を決して口にする。


「ティナさんを送っていかなくてよかったの?」

「ティナについてはベルナールにちゃんと頼みましたから。聞いていませんでしたか?」


 いや、聞いてはいたんだけれど。こっちの気も知らずに、やけにあっさり答えてくれる。

 私はティナさんがアステルのことを好きだと知っているから、なんとも後ろめたいような気がしてしまうのだ。でも実際に二人きりになられてしまうと、それはそれで気になって仕方ないだろうし。

 なんというか、微妙で複雑な乙女心なのだ。


「ベルナールさんと言えば、町で会った時と髪の色が違うって面食らってたよ。話してなかったの?」

「カツラのことをどう説明しようかと迷ったので。紹介する時、実際に見てもらえばいいかと思ったんです」

「そうなんだ? 私は驚かせようとしたのかなと思ってた。ベルナールさんって面倒見がよくて優しい人だよね」


 そう言った途端会話が途切れ、変な沈黙が続いてしまった。あれれ?

 どうして黙るの? と思って問いかけようとすると、それよりも一瞬早く、アステルが言葉を繋ぐ。


「……桜は俺よりもベルナールに送ってもらいたかったんですか?」

「へ? 何でそうなるの」


 アステルの様子を窺おうとしても、視界に入るのは濃い色の裏地だけだ。


「いえ……、抱きついたりして仲がよさそうでしたから」


 それはアステルが怖い顔をしていたからでしょうが!

 でも口ごもるような口調でそう言われると、少しばつが悪いような気がしてきた。


「抱きつくって……。ちょっと驚いただけだよ」

「そうですか……」


 うーん。布越しって、顔が見えないから話しにくい。どんな表情をしているのか分からないから、アステルが何を思っているのかがよく掴めないのだ。

 それ以降、なんとなくお互い押し黙ってしまい、変に気まずい沈黙が降りてしまった。

 それにしてもちょっと暑いな。冬服のような分厚い生地じゃないけれど、暖かい日だし、顔まで覆われているからこの中は空気が隠って余計に温度が上昇しているのだ。汗もじんわりかいてきたし。パタパタと手団扇で顔を扇いでみるも、全然意味がなかった。

 空気の入れ換えをしたくて長衣を引っ張ろうとすると、「もう少し我慢してください」と言いながら押さえられてしまった。残念、無念。

 アステルは私を抱えて黙ったままさくさく歩き続ける。

 そうこうしている間に、耳に届いていた鳥の声や葉擦れの音が消え、代わりに人の話し声や行き交う足音が聞こえてくるようになった。

 なんとなく感じる雰囲気も違うので、城内に入ったんだろうと思う。それから階段を上がっていくような振動を暫く感じ、どこかへ辿り着いたのか、一度アステルが立ち止まった。蝶番が軋むような音がした後また動きだし、私は柔らかい場所へボスッと座らされた。

 長衣を取り払われると同時に視界が明るくなり、隠った熱気が抜けた。思わずぷはぁと深呼吸をする。

 ああ暑かった。

 見渡すと、今いる部屋はそれなりの広さがあり、机、ベッド、収納家具なんかが置かれている。さすがは王城の一室だけあって、どの調度品も高価そうな物ばかりだ。

 ちなみに私はソファに座っているんだけれど、ここまで物が揃っていたら充分生活できるな、と思ってしまった。


「ここってアステルの部屋?」

「はい。個室を用意してもらっています」


 ここを個室って言っていいの? 個室っていう言葉は、もっと慎ましやかな部屋を表現するもんじゃないの? 豪華過ぎるでしょ、ここは。


「俺のだから大きいとは思いますがこれに着替えてください。俺は外に出てますから、終わったら声をかけてもらえますか?」


 私がキョロキョロしたり無駄なツッコミをしている間に用意してくれたのか、タオルと上着を手渡される。ありがとうと言って受け取ると、アステルは部屋を出ていった。

 濡れた服を着替えると、予想通りブカブカだった。

 前にもこんなことがあったな、と思いながら袖を捲り、壁に掛けられた鏡の前でワシワシと髪を拭いた。元々ボサボサだった髪がさらにボサボサになってしまった。でもどこにブラシがあるのか分からないしな。

 これって恋する乙女としてどうなんだろう?

 手櫛では直りきらない自分の乱れきった髪を疑問に思いつつも、扉を開け、着替え終わった旨をアステルに告げた。



「まだ濡れています。座ってください」


 入ってきたアステルは再び私を座らせ、目の前に立ってタオルを受け取ると丁寧に髪を拭いてくれる。なんだか自分が、トリマーさんにお手入れされている動物のような気分になってしまった。


「リディは一緒じゃなかったんですか?」


 髪を拭きながら、アステルが尋ねてくる。


「ついてきてくれてたんだけど、途中でセシリア殿下に呼ばれちゃったの。……一人で来たわけじゃないからね?」


 通用するかどうかは分からないけれど、ちゃんと言いつけは守っているんだ、と言い訳はしておこう。

 けれどそこまで気を回す必要はなかったらしく、アステルはこの件について、それ以上追求してくるつもりはないようだった。

 頭上から、静かな声が私に問いかける。


「――王太子殿下と何かあったんですか?」


 ……なんでいきなりそんなことを聞いてくるかな?


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