グレアム家 1
卓球の試合が二組は同時にできそうな広いテーブルに、雰囲気よく飾られた花や燭台。
今、私の目の前には様々な料理が並べられている。どれも本当に美味しそうだ。
おばさんに叩き込まれたおかげで、私に好き嫌いはないもんね。これこれ胃袋よ、今から食糧を入れてあげるから、そんなにグーグーなるもんじゃない。
「いただきます」
感激のあまり、食前の挨拶にも力がこもる。
手を合わすやいなや早速食事に取りかかった私の様子を、アステルはテーブルの向かいでクスクス笑いながら見ている。どうぞ沢山食べてくださいと勧めてくれた。
本当はおじさんたちと食事に行くはずだった私は、お昼ご飯を食べる前にアージュアへ連れてこられてしまった。なのでとてもお腹が空いている。
といっても、最初の内は頭が混乱していたせいで空腹を感じる暇もなかった。思いっきり泣いて緊張を解いてしまった後、一気にお腹が騒がしくなってしまった。
その情けない音を聞いたアステルが、さり気なく食事にしましょうと提案してくれて、やっと美味しいご飯にありつけているというわけだ。
さっきから、アステル、アステルと呼び捨てにしているけれど、いきなり私が無遠慮で偉そうになったわけじゃない。今までの言葉遣いを聞いたアステルが、これから家族同然に暮らしていくのだから丁寧に話す必要もないし、呼び捨てにしてかまわないと申し出てくれたのだ。
正直、そう言ってもらえてほっとした。私は家族に対して、ですます調でしゃべったことなんてなかった。だからあのままじゃ、打ち解けにくかったかもしれない。
それでもアステルだって私に、やけに丁寧な言葉を使ってくれるじゃないかと抵抗はあった。でもアステル曰く、習慣で、地になってしまっているからとのことだった。
本当かな。気を使ってくれているだけなんじゃないの?
遠慮深い私が様子を見ていると、確かにアステルは、使用人の人たちに対しても丁寧に喋っている。
というわけで、お言葉に甘えてタメ口なんてのをたたいている。ちょっと図々しいかな?
それにしても……とキノコパイ包みのシチューを食べながら考える。パイを崩す瞬間がなんともいえない。
アステルの部屋を出てからこの食堂へ来るまでに、何人かの使用人さんに会った。みんな私を見てまず驚く。まあ天海の彩とやらが珍しいと聞いていたし、無理もないんだろう。
でも、みんな次の瞬間にはその驚きを見事に引っ込めていた。不躾にジロジロと凝視するということが、決してなかったのだ。
これがプロというものか。思わず、働く皆さんのレベルの高さに内心で拍手を送ってしまった。
私だったら珍しい人を見たら、じっと見つめちゃうよ。
つらつらと考えながらも食事の手は休めず、しっかりとデザートまでいただいてお食事終了。三種のゼリーのムース添えは絶品でした。
「ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」
パン、と小気味よい音が出る勢いで手を合わせる。満たされて幸せな気分。お腹がくちくなると気分も上向きになろうってものだ。
食事の手配をしてくれたアステル、作ってくれたコックさん、配膳してくれた皆さん、本当にありがとう。おかげさまで騒がしかった胃袋も、寝た子のように大人しくなりました。
「満足いただけたようでなによりです。それでは移動しましょうか」
アステルが立ち上がったので、私もそれに倣う。
歩き出したアステルについていった。
「どこ行くの」
「桜の部屋までご案内します。ですがその前に、父に貴女のことを報告したいと思って。少々寄り道をさせてください」
「アステルのお父さん?」
「はい。我がグレアム家当主、ヘンリー・オーランド・グレアム。父は今、領地のローズランドに妹と共に住んでいるんです」
アステルには妹さんもいるのか。仲良くなれるかな。今まで姉妹なんていなかったから、少しワクワクする。
「ローズランドってここから近いの」
「馬車で一週間ほどの距離ですね」
「一週間!?」
素っ頓狂な声を出してしまった。それはちょっと寄り道って距離ではないんじゃ……
怖々と訊いてみた。
「いまからそこまで行くの」
「まさか」
アステルが可笑しそうに笑いながら私を見る。
ああびっくりした。こちらの世界では、一週間くらいの距離は、ちょっと寄り道程度でしかないのかと思っちゃったじゃないか。
どんな僻地だよ……と自分にツッコミを入れておいた。
「報告には通信用の魔道具を使います。この部屋ですよ」
さっきの食堂からしばらく歩いて、アステルはある一つの扉の前で立ち止まった。
「――アステルです」
慣れた様子でノックをしている。
待つほどのこともなく、内側から扉が開いた。
中から出てきたのは、すこし神経質そうな、線の細い男の人だった。
私は居住まいを正した。初めて会う人には、ちょっとだけどどうしても緊張してしまう。
「アステル様、いらっしゃいませ。旦那様にご報告ですか……っ!?」
アステルに挨拶をしていた男の人は、ふとこちらに目を向け、そのまま目線をはずそうとして急いで私に戻した。いわゆる二度見ってやつだ。その目は驚いたように見開かれている。
いや、実際驚いているんだろうけど。
「天海の彩!? アステル様、このお方はもしや」
「ユヴェーレンではありませんよ。桜と言います。中へ入ってもかまいませんか」
興奮した様子で勢い込む男の人に、アステルは冷静に答えている。
男の人は拍子抜けしたようだった。ごめんね、ご期待に添えなくて。ちょっぴり申し訳なく思ってしまった。
「ああ……失礼いたしました。どうぞ……」
男の人は私に目が釘付けになりながら、それでも脇へ退いてくれる。
背中を軽く押されて私が先に入り、アステルが後から続く。
「桜、この方はこの部屋の管理人でグアルと言います」
男の人が扉を閉めたところで、アステルが紹介してくれた。
「グアル、改めて、桜です。先程も言った通り、天海の彩ですがユヴェーレンではありません。これから当家に滞在することになります」
やっと驚きから立ち直ったグアルさんは、興味深そうに私を見つめながら挨拶してくれた。
「初めまして、桜さん。天海の彩にお会いしたのは初めてですよ」
「こちらこそ初めまして。あの、私に丁寧な言葉遣いは要りません、普通に話してください」
グアルさんはアステルの反応を窺った。アステルが頷くと、「わかった」と笑ってくれた。
破顔すると、神経質そうな顔が一気に人懐っこくなる。うわあ、この人好きかも。
受け入れてもらえたように思えて、気分がほぐれた私は一気に嬉しくなってしまった。
喜んでいる私の横で、アステルは本来の用件をグアルさんに伝えていた。
「ファーミルは今使えますか」
「はい。すぐにペトラをお持ちします」
ファーミル? ペトラ? なあにそれ。
「ファーミルとは、通信用の魔道具のことです。ファーミル同士を使って、情報を送受信することができます。この、メモリアペトラに情報を記憶させるんですよ」
初めての単語を耳にしてはてなマークを飛ばしている私に、アステルはグアルさんが持ってきた物体を見せてくれた。それは灰色で、五百円玉くらいの大きさをした、ビー玉みたいにまん丸い石だった。
「こうやって使います」と、ちょっと私に笑いかけながら石を握りしめ、黙って何かに集中している。
何をやっているんだろう。
次にアステルが手を開くと、灰色の石だったペトラは――うわぁ、綺麗な透明の虹色になっている。
「すごい、綺麗! えっ、なんで」
「情報が記録されているペトラはこんな風に色が変わるんだよ。ファーミルを使って消去することもできる。そうすると灰色に戻って、また別の情報を記録させることが可能なんだ」
驚く私を楽しそうに見ながら、グアルさんが説明を引き継いでくれた。
「でも、どうやって記録したの」
さっきアステルはペトラを握っていただけだったのに。次に開いた時は色が変わっているなんて、まるで手品みたいだ。
「ペトラを握って、伝えたい情報を頭の中で考えるんだ。そうすると記録される。やってみるかい」
グアルさんがペトラを渡してくれる。
私は何度も頷きながら受け取った。我ながら、宝物を受け取った子供めいている。
だって、とっても楽しそうだ!
ぎゅっと握りしめて、ちょっと前に覚えた寿限無を心の中で暗唱してみる。これ覚えるの楽しかったよ。
寿限無が終わった後、そっと手を開いてみる。
……変わってないじゃん!
グアルさんが私の手元を覗き込んで、不思議そうに首を傾げた。
「あれ、記録されてないね。おかしいな……ちょっと貸して」
素直に渡すとグアルさんはペトラを握って、少し沈黙した後に手を開いた。ペトラは綺麗な虹色になっている。
えー、なんで。寿限無じゃダメだとか? 私は心の中でぶうたれながら口を尖らせた。
「ふむ。もしかしたら、桜には魔力が無いのかもしれませんね」
黙りながらも面白そうにやり取りを見ていたアステルが、がっかりしている私の頭を撫でる。
「魔力が無い? 人間はどんなに微弱でも、魔力を帯びているものでしょう?」
「そう教えられてきましたが、世の中には色々な人間がいます。あり得ないことでもないでしょう。魔道具を扱うには、魔力が必要ですから」
そうか、私はこの世界の人間じゃないから魔力が全く無いんだ。
くぅっ! ペトラ、面白そうだったのに使えないなんて。
悔しさとがっかり感に打ち拉がれている私に、まあ気にすることないですよと言って、アステルは頭をポンポンとして慰めてくれた。
「それではグアル、このペトラの情報を父のところへ転送しておいてください。返事が来たら、俺に知らせていただけますか?」
「わかりました。すぐに送っておきます」
「よろしくお願いします。じゃあ桜、行きましょうか」
あれ。もうちょっとファーミルとか見たかったのに。
私の背中に手を添えて、なんだか唐突にこの部屋を出ようとするアステルに戸惑った。けれど、これからお世話になるんだから物分かりのいい所も見せておかねばと考え直し、しょうがないかと従うことにした。心証は良くしておかなきゃね、とグアルさんに向き直る。
「それじゃあグアルさん、色々教えてくださってありがとうございました」
「いいや。また遊びにおいで、桜」
バイバイと手を振るグアルさんに手を振り返して、部屋を後にした。
部屋を出て、少し歩いた所でアステルが立ち止まる。
なんだろう?
「貴女に注意しておくことを忘れていました」
アステルを見上げると、真剣な瞳とぶつかった。
「桜、貴女が異世界の人間だということは、なるべく知られない方がいい。天海の彩というだけでも、貴女は大変目を引く存在です。このうえ別の世界から訪れたということが知れたら、不要なトラブルを招きかねない。先程のグアルとのやり取りのように、桜の常識とこちらの常識が食い違っていくことは、この先いくらでもあると思います」
確かに、私に魔力が無いということを知って、グアルさんは訝しんでいるようだった。疑問に思う人が増えれば増えるほど、予想できないような悪いことが起きるのかもしれない。私の想像する範囲でいえば、物語では珍しい人や動物はどこかに売られて見せ物にされている。
……うわわ、想像したら鳥肌がたってきた。自分の身に起こりかねないと思ったら、やけに実感を持って感じられてくる。
「それらをなるべく避けるため、また、上手に取り繕えるようになるために、しっかりお勉強をしましょうか。我が公爵家にふさわしい振る舞いも、みっちり仕込んで差し上げます。これから覚えることがたくさんありますね、忙しくなりますよ」
最後の方では、輝かんばかりに眩しい笑みを見せている。なんだろう? 今、おばさんを思い出したような……
大丈夫なのかなあ。覚えられるのかなあ。
「はぁ」
この先のことを思って、溜め息が出てしまった。
「我が家の使用人は身元もしっかり調べ上げてありますし、家の内情を不用意に外へ漏らすことがないよう教育もしてあります」
アステルが、優しい表情で肩に手を置き、頭を撫でてくれる。
「先程のグアルはファーミルの管理をしていただくために雇っている方で、使用人というわけではありませんが信用のおける人物です。屋敷の中は大丈夫だと思いますが、できる対策はしっかりしていきましょう。大丈夫ですよ、何かあってもちゃんと守りますから」
あうう……。相手が私みたいな子供とはいえ、そういう殺し文句がすんなり出てくるところがすごいよなあ。そう思いながらも、なんだか安心してしまって前向きになってくるから私って現金だ。
よぉし、これから頑張るぞお!