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空を映す海の色  作者: せおりめ
第2章
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ベルディア王城 5

「つまり貴女は、ペンダントの力がなければベルナールが駆けつける前に連れ去られていたと。そしてそのまま売られていた可能性が高いと。そういうことなんですね?」


 言うと同時にアステルは、形ばかりの笑みを剥ぎ取り、スウッと目を細くした。

 私は負けないぞと顎を引き、ゴクリと喉を鳴らしてから、自分の取った行動の正当性をなんとか主張する。


「でも、最終的にはティア・ペリドットが助けにきてくれただろうし――」

「来てくださらなかったらどうするつもりなんです」


 最後まで言う前に、鋭い言葉に遮られた。すぐ近くにある青い双眸が私を見る目つきは、睨んでいると表現できるくらいに険しい。

 急に遠くへ突き放されたような気がして、思わずアステルの肩部分を強く握りしめた。気づいているだろうにその部分には一瞥もくれず、アステルはさらに続ける。


「ユヴェーレンは桜一人を守るためにある存在ではありません。アージュア全体の人々を救うために、多大なる責任を担っていらっしゃいます。もし貴女が命の危険に晒されている最中、ティア・ペリドットが強力な魔物と戦っておられたとしたら? 現にあのお方とお知り合いになったのも、それがきっかけでしょう」


 確かに、イヴはあの時鬼を追いかけてきたと言っていた。


「それに、もう長い間お会いしていないんですよね。守ってくださるという約束は永続的なものなんですか? もし守護が切れてしまっていたとしたら?」


 それは思ったこともあるけれど……。

 アステルの厳しい眼差しは打ち込まれた杭のように、逃げようとする私の心を捕らえて離さない。目を逸らすな、と事実を突きつけてくる。

 ――私は、ちゃんと考えることを放棄していた……。


「以前にも指摘した通り、貴女はティア・ペリドットの守護を当てにするあまり、危機に対しての注意力が散漫になっています。そんなことでは命がいくつあっても足りません。今回に限って言えば、命を失うよりも惨い目に遭っていたのかもしれませんよ」


 命を失うよりも惨い目……? 腕を落とされるということ?

 そう考えながらも、別の可能性が頭を駆け巡る。そうじゃないか。

 身体だけでなく、精神までもバラバラに引きちぎられる、最悪の暴力。それは売り飛ばされた後のことを考えたら、なんとなく想像がついた。

 アステルが私の反応を見るように一度間を置き、そして言う。


「とにかく、今後は二度と危険な物事に関わらないようにしてください」

「それって、目の前で人が攫われかけても無視しろって言いたいの?」


 冷酷に放たれた言葉が信じられず、息を呑んだ。


「そうです。約束してください」

「そんな約束、出来ないよ……」


 思わず唇を噛み締める。

 あの女の子だって泣いて助けを求めていたのだ。例え私が弱いといっても、そんな光景を間近で見て放っておけるわけがない。

 それなのに、アステルの言葉には容赦がなかった。


「約束できないようなら、二度と屋敷から外へは出しません」

「そんなの横暴だよ!」

「横暴で結構。傷ついて寝込んでいる貴女を見て、俺がどんな思いをしたかを考えたことがあるんですか」


 私を抱える手に力が籠もった。


「心配かけたのは悪いと思ってるよ、ごめんなさい。でも――」

「実の伴わない謝罪など聞きたくありません。今までに何度同じようなやり取りを繰り返してきたと思っているんです? またあのように身を引き裂かれる思いをするぐらいなら……、貴女をあんな悲惨な目に遭わせるぐらいなら、例え不自由を強いようと、恨まれようと、ずっと閉じ込めておいた方がましです」

「…………」


 何かを言おうとして、でも語彙が出てこなかった。

 声音に激さは含まれていない。それなのに、溢れ出す感情が荒波のように押し寄せる、その言葉に圧倒されてしまった。

 さっきまでと変わらない険しい目つきの中には、どこか懇願するような色が宿っている。それでも多分、私が約束をするまで手を緩める気はないんだろう。

 ああ、やっぱり私は後になって思い知る。一体どれほどの心配をかけてしまっていたのか――。

『どれだけ大切に想われているかを自覚するべきだ』

 唐突に、グアルさんに言われた言葉を思い出した。


「約束してくれますか?」


 私は一度視線を落とし、それから顔を上げ、射るようなアステルの眼差しを真っ向から受け止めた。


「――関わらない、ということについてはやっぱり約束できないよ。でも、ああいう時に自分でなんとかしようとするのは止める。これからは、誰か助けてくれそうな人を呼びにいくようにする」


 ここで窺うように首を傾げた。


「……それじゃ駄目?」


 アステルが私を心配してくれる気持ちは痛いほど伝わってくる。でも眼前で泣き叫ぶ人を置き去りにしていくなんて、やっぱりできそうにない。私なりの折衷案だ。

 アステルは長い間、私の目を探るように凝視していた。けれど私が嘘を吐く気はないと感じ取ったのか

「わかりました」と呟いて、目を閉じた。

 再び開いた目からはもう険しい光が消え、いつものように優しい雰囲気に戻っている。

 それを見て私もようやく詰めていた息を吐き出せたような、やっと呼吸がまともにできるような心地になった。


「それで妥協します。……まったく、いつか俺は『心配』で倒れるかもしれません」

「大丈夫。そうなったら看病してあげる」

「看病は要りませんから心配かけさせないでください」


 せっかく親切に看病してあげると申し出ているのに、断るとは何事だ?

 頬を膨らませてやると、穏やかな笑みを向けられてしまった。つられてこっちも笑顔になってしまう。

 いつも優しく包み込んでくれる温かい笑顔。傍にあるだけで嬉しくなってくる。

 込み上げてきた衝動のままに、アステルの首へ抱きついた。そのまま顔を埋めると、背中に手が回ってきてぎゅっと抱き込まれる。


「アステル」

「なんですか?」


 別に何か言いたかったわけじゃない。名前を呼んだだけ。

 あ、でもそうだ――。


「謁見の時、王様に言ってくれてありがとう。なんて返したらいいのか分からなくて助かっちゃった」

「まさか王が仰るとは思いませんでしたからね。父上も奏上しかけていたのでお任せした方がよかったんですが、つい……。でもあの時にお断りしても大丈夫だったんですよ」


 うーん。あんな大勢の前で断るのも勇気が要るんだけどね。アステルの肩越しに覗く庭園の風景を目にしながら、心中でうそぶく。

 ――――不意に……思い出した。

 あの時感じたもやもや感。気になっていた、『添い遂げさせてやりたい』の意味。


「アステル、あの時に言ってたことだけど……」


 私は何を訊こうとしている? それを問いかけてどうしたい?


「言っていた内容がどうかしましたか?」

「んー。やっぱりなんでもない」


 止めておこう。自分でも何を言いたいのかよく分からないんだから。

 私は埋めていたアステルの首から顔を上げた。


「もうそろそろ下へ戻ろうよ」

「そうですね、行きましょうか」


 そう応じて歩きかけていたアステルが、そうそう、と何かを思い出した様子で私に顔を向ける。


「有耶無耶になるところでしたが、くれぐれも迷路の庭に一人で入り込むような真似は慎んでくださいね」


 うげっ! 覚えていたのか。

 不満気な顔を作ってじっと見てやるけれど、平気な顔で跳ね返されてしまった。

 ええい、何か一矢報いてやりたい!


「お父様だったら別に一人で行ってもいいって許可を出してくれたと思うよ。後でお父様にも訊いてやるんだからね」


 なんだか虎の威を借る狐状態になってしまったな……。自分が少し情けないような気分になったものの、私だけで敵う相手じゃないんだから、良しとしよう。

 少し居丈高に胸を張ってやると、アステルは大仰な仕草で首を横に振っている。はぁ……、なんてわざとらしく溜息まで吐いているし……!


「昔は素直でかわいらしかったのに、いつの間にこんなに反抗的になったんでしょうか?」


 反抗期みたいに言うな! 大いにご機嫌を損ねたぞ。


「アステルは相変わらず頑固で融通が利かないよね」

「言うようになりましたね」


 逆襲してやると、少し感心したように目を細められた。

 鬼の首を取ったような気分だ。どうだ、参ったか! 顎の位置まで高くなってしまう。


「ふふん、私だって成長してるんだよ。いつまでも子供じゃな――」


 しまった! 途中で気づき、慌てて口を押さえた。

 危ない、これは禁句だ。


「子供じゃ――なんですか?」


 分かっているくせに、意地悪そうに訊いてくる。さあ、続きを述べてみろと言わんばかりだ。

 さらにはしどろもどろになっている私に顔を近づけ、うなじを撫でてきた。ぞわりと毛が逆立つ。

 このままじゃまた変な雰囲気になる!


「――…………子供です」


 私は、くうぅっ、と断腸の思いで停戦要請の言葉を口にした。

 結局は投降するハメになってしまった。肩を落として項垂れる。

 ううう、無念だ。途中まではいい調子だったような気がするのに……。


「子供だったらちゃんと言うことを聞いてくださいね」

「はい……」


 首から手を離したアステルに頭を撫でられる。

 また負けてしまった……。

 敗北感で一杯の私を抱え、アステルは庭園を引き返していった。

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