ベルディア王城 3
部屋は絢爛豪華ながらも、一般的な広間よりも少し狭いと感じられた。もしかしたら、ここは王様に近しい人が謁見する際に使われる場所なのかもしれない。
そしてその最奥、一段上がった場所の壁にはベルディア王家を表す紋章が、ビロードらしき光沢のある重々しい壁掛けに金糸で刺繍されていた。それを背景に、二人の男女が並んで座っている。ちょっと意外だ。普通なら一番最後に登場する人たちだろうに、すでに待っているだなんて。
あれが王様とお妃様なんだろう。イメージと違って二人とも王冠は被っていなかった。普段からこうなのか、それとも今日が特別なのかは分からない。
王様からはまだ距離もあるのに、威圧感や貫禄のような物が迫ってくる。太っているわけでもないのに他の人たちよりも大きく見えるというのが、常々ヘンリー父さんから受けている印象を彷彿とさせた。
そして段下の両サイドには王族、それから臣下と思しき人たちが並んでいる。多分、王様側が王族の人たちなんだと思う。私はそちらの方を注視した。
王様の一番近くにいる人がレジナルド王太子殿下なのかな。眉目秀麗な顔立ちに燃え盛る炎のような赤い髪と、対照的に涼しげに透き通るような水色の目が印象的だ。
なんともいえず目を惹く人だな。さすがはアステルの従兄弟、と思わず唸ってしまった。
でもこの人は精悍な印象が強い。アステルとはまた違った美貌の持ち主といえる。とりあえず、国民に人気があるのも当然だと頷けた。
その後ろにいる二人が護衛なんだろうな。ベルナールさんがいるもの。ついついやっほー、と手を振りかけて、慌てて押し止めた。危ない危ない。
そして王太子殿下から何人か挟んだ、こちら側寄りにリディを発見した。
うわっ、リディの護衛姿って初めて見たけれど、凛々しいな!
護衛服を颯爽と着こなし、腰に剣を佩いている姿はとても勇ましく、思わず別の意味でお姉様と呼んで、怪しい世界へ足を踏み入れてしまいそうだった。
リディの前にはまだ十歳にもなってなさそうなかわいらしい女の子が、こちらに注目しながらちょこんと立っている。ということは、この方がセシリア王女なんだろうな。
そうやって居並ぶ人たちを見物しているうちに、所定の位置に着いてしまった。ちなみにこんな風にのんびり周りを眺められていたのはヴェールのおかげだ。これがなかったら、気の小さな私は、小刻みに震える子鹿の風情でずっと俯いているしかなかったと思う。
ここで本来なら跪かなきゃいけないんだけれど、それは足の怪我のせいで無理そう。わざわざ椅子を用意してもらっているので、アステルがそこに丁寧な動作で座らせてくれた。
ヘンリー父さんとアステルは片膝を突いて頭を垂れている。私は椅子に座り、俯いて頭を下げているだけだ。
ちょっと自分が偉くなったような気分になってしまった。
「立つがよい」
儀礼のようなやり取りを経た後、よく通る、威厳に満ちた王様の声に許しを得て顔を上げる。アステルとヘンリー父さんが立ち上がった。
最初、厳めしい顔をしていた王様はくしゃりと相好を崩し、両腕を預けていた広い肘掛けをぐっと掴み、半ば身を起こすようにしてヘンリー父さんに話しかける。
「ヘンリー、余はお前と再び会うことのできるこの日を待ち侘びておったぞ」
ヘンリー父さんはたっぷりと長い時間、王様とお妃様を見つめ、唇をわななかせた。
「ボルドウィン様……! 妃殿下も、お久し振りにございます。永く疎音にいたしておりました無礼、如何ようにも御処断ください」
ヘンリー父さんの声は感無量といった感じで震えている。
王様は少し心が落ち着いたのか、浮きかけていた腰を広い椅子に再び沈め、なんということもない、という風に寛大な態度で頷いた。お妃様も、手に持っている闇夜に花を散らしたような扇子で口元を隠し、王様の意見に賛成だ、というように頷いている。
「よい。ミルドレッドが死んで以来、領地から出てこなくなったお前の身を案じておった。またバーラントに戻って余のために働かぬか?」
ヘンリー父さんは親身な王様の言葉に、一度畏れ多い、といった体で頭を下げる。次いでかぶりを振ってから、また王様へ視線を戻した。
「勿体ないお言葉、ありがたく存じます。ですがその役目は息子たちに任せ、私はローズランドでボルドウィン様とベルディアのために尽力する所存にございます」
「そうか、残念だな……」
王様はヘンリー父さんの答えを予測していたのか、落胆した様子ながらもその件については溜息を一つ零しただけで済ませ、労うように言葉を繋いだ。
「しかしアステルバードもリデルも得難い人材だ。優秀な二人を世に送り出してくれたお前に感謝する」
度量の広さを示すような笑みを浮かべる王様の顔を、直視しないように気をつけて眺めつつ、私は考えた。
ヘンリー父さんは普段聞いたこともないような丁寧な喋り方をしているけれど、どことなく砕けた雰囲気がある。王様の妹さんと結婚したぐらいなんだもんね。王様ともお妃様とも、案外打ち解けた仲だったのかもしれない。
そしてついに、話題は私のことへと移っていった。
王様が、ヘンリー父さんから私に視線を巡らせる。
「して、今日はお前のもう一人の娘を紹介してもらえると聞いていたのだが。そこに座す娘がそうなのか?」
「はい。桜、ヴェールを取り陛下にご挨拶を」
王様に顔を向けていたヘンリー父さんも私に目線を移す。
私はヴェール越しにヘンリー父さんと目を合わせ、はいと返事をしてから薄いレースの布を取った。
ついに本日の目玉、登場だ。
私の顔が現れた瞬間、周りからどよめきと感嘆の声が上がる。
やめてよ……。予想に輪をかけた反応に、私は僅かながらも表情を強張らせてしまった。
これ以上緊張させないでほしい。大体、なんだってここまでズラズラと人が並んでいるんだ。家臣の人たちまでこんなに沢山同席するなんて聞いてなかったぞ!?
などと、砕け散りそうになる硝子の心を奮い立たせるために、私は内心で強気な発言を並べ立てていた。
ずっととはいかないものの、挨拶の間ぐらいは立っていられる。ヴェールをアステルに預け、手を借りて立ち上がった。同時に、支えてくれるアステルが励ますようにギュッと手を握ってくれたので、私も握り返す。伝わってくる温度と心遣いに、少しだけ緊張が静まった。
さあ、今こそ顔の筋肉が痙攣するのにも耐え、鏡の前で必死に練習してきた成果を発揮する時だ!
私はまず、鍛え抜かれた胡散臭い笑顔をこれでもかと周囲に振りまいた。
それからえーと、名乗りを上げて、跪かずに椅子に座っていた無礼を詫びる……と。ちなみに以前から決めておいた名前を使うことになっている。
「サクラ・ハノーヴと申します。傷を負っております故、礼を失する振る舞いをお許しくださいませ」
私が可憐な声で口上を述べた途端、「おい、喋ったぞ!」という抑えた声がどこからともなく聞こえてきた。
何だそれ! そりゃ喋るって! 私は珍獣奇獣の類か? 指定の特別天然記念物か? 噛みついてやるぞ!?
思わず凶暴な気分で牙を剥きそうになる。
するとアステルがそれを察知したように短く咳払いし、私は慌てて正気づいた。
――いかんいかん、緊張のために普段は穏やかな私も気が荒くなっているみたいだ。深呼吸だ私。
胸のペンダントに手を当て、すうはあと呼吸を整える。
さて、次が肝心だ。上手くやり遂げられますように。
「この度、国王陛下並び、ご親族の方々に拝謁の栄誉を賜りましたこと、身に余る光栄に存じます。陛下の御代が今後益々繁栄し、幾久しく続きますことを心からお祈り申し上げます」
よし、つっかえずに言えた! 込み上げる達成感のせいか、顔が変な風ににやけ出しそうになる。それを胡散臭い笑顔で押し隠し、胸中でだけ、誰にともなくイエ~ィ! と親指を立てて見せていた。
それにしてもこういう場合の決まり文句とはいえ、どうしてこんなに仰々しく言わなくちゃならないんだろう? 覚えている時は何度も何度も繰り返したおかげで、段々言葉の意味すら分からなくなってしまったじゃないか。
安堵感から色々と軽口な不満も出てきたけれど、努力の甲斐あってか王様も感心した様子で頷き、顎を撫でている。
「ふむ。声も姿もなかなかに愛らしいが、大陸の顔立ちではないな。バルトロメの出身ではなかったのか?」
「母方の祖先に東の島国出身の者がいたと聞き及んでおります。恐らく先祖返りではないかと」
なんと言って誤魔化そうかとちょっと焦ってしまったけれど、ヘンリー父さんのナイスフォローで王様も表面上は納得したみたいだ。もちろん本心は分からない。でもこれ以上訊いてくるつもりはないようだった。
「事前に話は聞いておったが天海の彩とはな……。アステルバードを疑うわけではなかったが、こうして目の当たりにするまでは半信半疑であったぞ。これからは自由に城へも訪ねてくるがよい。ああ済まぬ、傷が辛いであろう。座りなさい」
手をかざしながら気遣ってくれる。あ、優しい王様なんだな、と私は嬉しくなった。正直ちょっとしんどかったのだ。
礼を述べ、アステルに支えてもらいながら着席した。楽チン楽チン。
私がクッションの効いた椅子に落ち着いたのを確認すると、王様が少し顔を傾け、興味深そうに訊いてくる。
「サクラよ、そなたはユヴェーレンではないのか?」
私は慎ましやかにお行儀よく答えた。
「いいえ、陛下。私にそのような魔力はございません」
それどころか魔力なんて全く無いんだけれど、まあぼかしておこう。
「世に類い稀なる人物は数多いれど、天海の彩を持つ娘はそうおるまい。サクラよ、レジナルドの後宮に入る気はないか?」
は? なんでいきなりそんな話になるかな?? 私はパチパチと目を瞬かせ、聞き間違いかな、と耳をほじりそうになってしまった。もちろんしないけれど。
「おまえはどう思う、レジナルド」
「私に異存はございません、陛下」
私の疑問を余所に、王様は王太子殿下に確認まで取っている。
ちょっと待て。初対面でどうしてそういう話になるんだよ! と思ったところで突然気づいた。
要するにこれは、天海の彩という毛色の変わった動物を飼いたいと言っているようなもの。この人たちはたかだかその程度の理由だけで、人を後宮に召し入れようと考えられるんだ。優しいと思った王様でさえそうなのだ。多分、人格の問題というわけじゃないんだろうな。そういう流れが当たり前の『世界』なんだろう。
――っていうか、やっぱり珍獣奇獣扱いじゃないか! 犬みたいに吠え猛ってやろうか、とヤケ気味に本気で考えてしまった。
恋愛や結婚にはまだまだ甘い夢を見ていたい、純真なお年頃の私としては軽くカルチャーショックを受けてしまったけれど、価値観の相違ということが分かれば、気軽に人を後宮に入れようとするその考え方も理解できないことはない。賛同は致しかねるんだけれど。
実際、名誉なことではあるんだろうな。
アステルがどうして事前に忠告するような内容を言ってきたのかがやっと解った。こういうことを指していたんだろう。それにしても、断ってもいいと許可されてはいるけれど、こんな公衆の面前でノーと断言してもいいものなんだろうか?
なんとも身動きが取れないまま、私は視線だけを彷徨わせていた。
「恐れ入ります陛下。サクラには望む相手と添い遂げさせてやりたいと考えております。ありがたいお申し出ではございますが、サクラも殿下にお目にかかるのは此度が初めてのこと。この場で判断はいたしかねるでしょう。後日また改めてお返事させていただきたいと存じますがいかがでございましょうか?」
うん?
私が手のひらに汗をかきつつ言い淀んでいると、アステルが助け船を出してくれた。それに迎合するように、咄嗟に顔を俯ける。
……でも、なんでかな?
素直に助かった! と思えばいいのに、みぞおちの辺りが変な感じにもやもやする。
『添い遂げさせてやりたい』という言葉は、アステルが自分自身のことを蚊帳の外に置いているから出てくる言葉だ。私の『望む相手』が自分以外の誰かという可能性を疑っていない。
……って、何考えてるの、私は? 膝の上で握り締めた両手に目を留めながらも、思考は様々に移ろう。
これじゃ、まるで私がその事実にがっかりしているみたいじゃないか。平静を装いつつも、内心で甚だしくたじろいでいた。それから、そんな自分の心にチョップを喰らわす。
ああもう。捻くれたことを考えてないで、素直に感謝しておこう。私じゃ受けるか否かの返答しか思いつかなかったのだ。こんな風に角が立たないように躱すなんて、到底無理だった。
それにしても王太子殿下、どうして賛成するんだよ。不平混じりにチラリと窺ってみると、向こうもこちらを見ていたようでバッチリ目が合ってしまった。瞬間、ヤバッ、と批判の透けている表情を取り繕うものの、殿下の目つきを確認した途端、背筋にゾワリと冷たいものが走り抜けた。
なんだろうあの目は? こちらを値踏みしているような、見定めるような……? とにかく、あんまり好意的な眼差しではないと思える。なんか私、怪しまれている?
耐えきれなくなって、引き剥がすように視線を外した。
別に何もしていないと思うんだけれど……。過去の所行を反芻してみて、やっぱり心当たりがないことを確認する。それでも胸が騒ぐような不安感は拭い取れなかった。
私が余計なことを考えたり、王太子殿下の視線に怖じけている間にヘンリー父さんが進言してくれたらしく、怪我を理由に退場する運びとなった。
私はアステルに抱えられ、早々の退出を詫びる挨拶を残して広間を後にした。




