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空を映す海の色  作者: せおりめ
第2章
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王都バーラント 8

 ――足がズキズキする。肩も熱を持って痛い。なんでか頭までガンガンする。喉も渇いたな。

 目を開けると、やけに周りが暗かった。

 ここは……多分私の部屋だ。寝室のベッドで寝ているのかな?

 ぼんやりとベッドの天蓋を見つめながら、妙に重たい感じのする頭で自分の状況を考えていた。

 すると、夜の静かさを気遣うような、抑えた声が聞こえてきた。


「目が覚めましたか?」


 声の方向、右側に顔を向けると、アステルがベッドの脇に立っていた。後ろには椅子が置いてあるからそこに座っていたみたいだ。屈んで私の顔を覗き込み、額に手を当ててくる。薄暗いせいで、私の様子を窺う目の色も翳って見えた。


「わた――。……?」


 やけに掠れた声が出た。言葉を続けようとしても思うように喋れない。喉が乾いて貼りついているみたいだ。

 アステルがガラスの水差しからコップに水を注いでくれた。一度コップをサイドの台に置いて、左肩の傷に触れないように私の身体を起こした後、背中に枕を当てて寄りかからせてくれる。

 右手でコップを受け取り一口飲む。冷たい優しさが私の喉を潤した。美味しいな。残った水も全部飲んでしまった。

 アステルにコップを渡すと、また水を注いでいる。


「これを飲んでください。痛みと化膿止めです」


 丸い錠剤を手渡された。お医者さんで飲んだのと同じやつだ。

 薬が切れていたのか、どうりでさっきからあちこちが痛いはずだ。でもなんで頭まで痛いんだろう? ここに怪我は負ってなかったと思うんだけれど。

 軽い疑問を抱きながらも、言われるままに薬を含み、それから水で流し込んだ。


「私、馬車の中にいたんじゃなかったっけ?」


 再びコップを返しながら訊く。今度は小さいながらもちゃんと声が出た。


「屋敷に着いた時に一度目を覚ましたそうですよ。すぐにまた寝てしまったから覚えていないんでしょうね。ここまではグアルが運んでくれたんです」


 全然覚えてないや。私は首を傾げてしまった。

 アステルがベッドの縁に、私と向かい合う状態で腰掛ける。なんとなく、質問した。


「今、何時?」

「もう夜中です」


 だからこんなに暗いのか。

 アステルが片腕を伸ばし、納得している私の頬に触れた。コップの水で冷やされたのか、ひんやりしている。それとも、私の頬が熱いのか。


「私、なんでこんなに頭が痛いのかな?」

「傷のせいで熱が出たんですよ。さっき飲んだ薬が効いたら楽になってきます。傷の痛みもね」


 頬を撫でられる感触が気持ちいい。目を瞑ってついつい擦り寄せてしまった。


「――グアルから事情は聞きました。ベルナールに助けてもらったそうですね」


 そこで思い出した。パチリと目を開ける。それがきっかけだったかのように、アステルの手がそっと離れた。最初は冷たいと感じていたはずなのに、いつの間にか私の体温が移っていたのか、温もりに去っていかれたような気分になってしまった。


「私が怪我をしたのはグアルさんには関係ないからね?」


 これだけは念押ししておかなくちゃと思っていたのだ。グアルさんは私の護衛も兼ねて付き添ってくれていた。もし責任を負わされるような事態になったら、悔やんでも悔やみきれない。怪我はしたけれど、結果的に女の子は助かったのだから私は自分のしたことに満足している。なのにそんなことで自分の行動を後悔するのは嫌だった。


「分かっています。心配しなくても大丈夫ですよ」


 アステルが安心させるように微笑し、頷いた。それならよかった。自然と安堵の息が漏れる。

 そういえば、グアルさんに人形のことを訊こうと思って忘れていた。ちゃんと選べたのかな。

 あ、そうそう。ベルナールさんといえば――。


「アステル、ベルナールさんは王太子殿下の護衛だって聞いたんだけど」

「そうですよ。今日は休んでいたようですが、おかげで救われましたね。俺からも礼を言っておきます」

「王城で会えるかな? ろくに挨拶もできなかったんだよ」

「ええ、また紹介しますよ」


 そんな風に会話をしながら、それにしても……、と私は内心で職員室の前に立つ校則違反者のように怖じていた。そんな自分を誤魔化すように、投げ出している状態の右手で上掛けを握り締める。大分怒られるだろうと覚悟していたのに、その気配がない。こういうのを嵐の前の静けさというんだろうか?

 少しビクつきながらも、訊いてみることにした。


「あの、怒って……るよね?」

「説教して欲しいんですか?」


 アステルはどこか茶化すように笑っている。蒼兄ちゃんが、私をおちょくろうとする時と同じ表情だ。

 冗談じゃないぞ。私は怒られることに喜びを感じるタイプじゃないのだ。

 力強く否定したいところだけれど、首を横に振る動きはやけに緩慢になってしまった。身体の動きが鈍い。熱のせいかな。

 アステルが、布団を掴んでいる私の手に自分のを重ねた後、苦笑する。


「本当はそうしたいんですけどね。寝込んでいる怪我人を叱るわけにもいきませんから」


 これぞ怪我の功名。ブラボーだ!

 などと内心でガッツポーズを決めていると「それに」と付け加え、アステルが私の頭をゆっくり撫でてきた。その行為で、身体から不要な力がどんどん抜けていくのが分かる。包まれている手と髪から、私の神経を弛緩させる要素が行き渡っているかのようだった。


「帰ってきてくれて、よかった」


 言葉の意味を噛み締めるような声色だと感じた。思わずアステルを見つめる。常夜灯の頼りない光が落とす影の中、夜の暗さに染まる青い目が、優しく細まった。

 その目が静かで温かくて……。さっきから撫でられていることもあって、まるで宵闇に包まれているみたいに安心してしまった。

 アステルの、光を弾く長い睫毛を見ながら、今日あったあれこれに思いを馳せた。

 そういえば、砂狼から逃げられないと悟った時、もう帰れないかもと覚悟したんだっけ。

 広く口を開け、迫り来る砂狼。暗い洞穴のような砂の檻が頭に浮かんでくる。

 それから、腕を斬り落とされそうにもなったんだよなあ。

 私に剣を突き刺しながら嘲笑う、男の声が脳裏に蘇った。

 もうあれは、全部終わった出来事なんだ。

「桜? 苦しいんですか」

 視界が滲む。アステルが指で私の頬を拭った。涙がポロポロ零れてくる。

 どうしようもなく安堵してしまったのだ。

 人を攫って売ろうとする不条理な世界。その一端を垣間見てしまった恐怖心と嫌悪感。まだ何も知らない真っさらな部分に受けた衝撃にも気づけないほど緊張し、暴力と痛みで凝り固まっていた心が涙でふやけていく。

 たった今実感した。私は帰ってこられたんだ。


「違うよ。ここにいるんだなと思って」


 涙を服の袖でゴシゴシと拭きながら返事した。我ながらどういう答え方なんだと思うけれど、この言葉には私の気持ちが集約されている。自己探求的で深淵な、詩歌のごとき名言なのだ。


「そうですね。ここにいますね」


 クスリと笑ってアステルは身を乗り出し、私を抱きしめた。

 うーん。私とアステルでは『ここ』の意味が違っているような気がする。やっぱり哲学的過ぎたのかもしれない。広い胸に身を預けながらもそんなことを考えていた。


「もう身体は痛みませんか?」


 ひえっ!

 アステルが尋ねながら、わ、私の目に残った涙を唇で吸い取ってくる。さすがにこれは面映ゆいというか、恥ずかしいというか。なんなんだ、またお色気モードになっちゃったの?

 心中で恐慌を巻き起こしながらピキンと固まっている私に気づくと、アステルはゆったりと微笑し、頭を軽くポンポンと叩いてきた。


「心配しなくても、熱のある人相手に不埒な真似はしませんよ」


 何を宣うか。充分されているって! っていうか、不埒な真似ってなんなんだ!? そう思う一方で、身体は思うように動かないのに、心の舌だけは元気で滑らかな自分にちょっと感心した。

 いつの間にか頭も傷の痛みも楽になっている。でもこんな状態が続いたら脳が沸騰して、仕舞いには干上がってしまう。ミイラになったら祟ってやるぞ。ファラオの呪いだ! って、何を考えているんだ私は……。

 駄目だ、完全に頭が湧き上がっている。


「も、もう大丈夫みたい。そろそろ眠たくなったから寝る!」


 こういう時はさっさと眠り込んでしまうに限る。


「そうしますか」


 とても眠そうには聞こえないほど元気な声で宣言してしまったけれど、アステルは私をベッドへ横たえてくれた。


「眠るまで手を握っていますから。お休みなさい」

「……うん、ありがとう。お休み」


 繋がれた手をぎゅっと握りしめた。

 アステルだって疲れているだろうし、明日も仕事があるんだから遠慮した方がいいんだけれど。分かっていながらも甘えてしまうのが、私の悪い癖だと思う。

 なんだかんだと考えていても、その言葉と手を繋いでいる安心感で、目を閉じた途端にぐいぐい眠りへと引き込まれていった。

 ――意識が途絶える寸前、唇に、塩っぽい、涙の味を感じたような気がした。


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