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空を映す海の色  作者: せおりめ
第2章
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王都バーラント 6

「娘を捕らえろ、砂狼!」


 命令を受けた砂狼が真っ直ぐ私に向けて駆けてくる。

 身体が大きい割に素早く滑らかな動きだ。体重を感じさせないのは、余り音を立てないせいかもしれない。足が地面を蹴り、巨体が跳ねる度に、ポロポロと砂が零れていく。

 たった二蹴りで私との距離をほとんど詰めた所で、砂狼が裂け目のような口を開いた。それにうぇっと目を剥いた。

 それがホントに大きいんだよ。私を一飲みにできそうなくらい!

 なんて頭の中で呑気に感想を漏らしているのは、私の脳がこの状況を否定したいからなんだろうなあ……。このまま布団を被って夢にしたいくらいだもの。

 砂狼が大きく跳躍し、役に立ちそうにない棒を虚しく構える私に飛びかかってくる。

 人を捕らえるために魔術で作られた砂の囲い。広く開いたその奥には光も射さず、絶望の先行きを示すように黒い闇が覗いている。

 私は呆然とその光景を見ていた。多分、このまま飲み込んで身体の中に閉じ込める気だ。

 こんなモノに囚われるなんて、下手な冗談でしかない!

 スイッチが繋がったように緊張感が戻ってくる。私は砂狼をぎりぎりまで引きつけて、横にひとっ飛びして避けた。すぐさま背後でズシャリと重い音がした。き、肝の冷える音だな。

 私はそのまま手を突き、クルンと前転をして着地した。念のため、カツラを押さえ直す。

 急いで振り向くと、砂狼は勢いのままに地面と激突して砕け散ったところだった。

 やたっ! とガッツポーズを決める。

 けれどそれも束の間、すぐにまた砂が集まってきて、狼形を取った。

 させまじ、とその一瞬を狙い、素早く走り寄ってホームラン王を目指す勢いで棒を振り薙いでみる。でも奮闘の甲斐なく、棒が突き抜けるそばからサラサラと塞がっていく。

 私はニッチもサッチもいかない状態に、地団駄を踏みたくなった。

 う~、参ったな。やっぱりこの棒だけじゃ、砂狼には対処の仕様がない。

 というわけで、目標変更。術者をなんとかしなければ。私は女の方をチラリと窺った。でもこれがマズかった。相手から目を逸らしてはいけないと先生から教えられていたのに、一瞬注意を砂狼から逸らしてしまったのだ。

 ハッと気づき、突進してきた砂狼をなんとか避けたものの、慌てていたせいで着地点の地形を考えていなかった。


「あつっ!」


 足元から脳天に、鋭い衝撃が突き抜けた。神経を、猫が爪を立てて駆け上がっていくような感覚だった。

 ちょうど足をついた所に大きな尖った石があり、右足の脛をしたたかぶつけた上に、ザックリ切ってしまったのだ。かろうじて受け身は取ったけれど、あちこちを打ちつけ、擦り傷も沢山できていると思う。

 右足を投げ出し、左足を折り曲げてしゃがみ込んだ状態で、ぶつけた足を触ってみた。見たくないので目は向けないままだ。

 うええ。ぬるりと嫌な感触がした。血の付いた手を振って雫を払う。

 これはまた、見つかったらアステルのお説教だなあ。そうぼんやり考えつつも、帰れなきゃ意味ないかと思い直した。

 再び砂狼が口を開けて迫ってくる。でも私は足の痛みで動けそうになかった。顔を上げ、意識を散漫にしながらその様を見つめる。八方ふさがりな状況に麻痺してしまったのか、恐怖心も起こらず、なんらかの感情が湧いてくることもなかった。

 目に砂が入ったら痛そうなので、両腕を上げてかばう。

 まず影が射し、次いで圧倒的な重量を持つ砂が覆い被さってきた。

 自分が飲み込まれる瞬間が、スローモーションのようにやけにゆっくり感じられる。その様子を交差した腕の隙間からただ眺めていた。

 ふと、砂が身体に触れるその刹那、胸の辺りから緑色の光が溢れてきたことに気づく。砂狼を通して私を絡め取ろうとする、女魔術師の淀んだ思念を祓うような、清浄な輝き。

 私は緩慢な動作で胸元に目を向けた。

 ペンダント……? 泥のように重い思考を働かせる。

 砂狼がパシンと音を立て、呆気なく四方に弾け散っていった。

 ――……何、今の……? 暫し虚脱状態で、パチパチと目を瞬かせる。

 砂狼は砕け散ったままで、砂が集まってくる気配もない。一瞬、辺りに静寂が漂った。

 もしかして、助かった? じわじわと、布に落ちた一滴が広がるように実感が押しよせてきた。

 これは、チャンスだ。希望が正気を連れてくる。

 動け、私の足! 手を突いて身体を起こした。そのまま大人しくしていたかっただろう足をなんとか鼓舞して、未だに唖然と固まっている女魔術師の所へ、できる限りの速さで駆けていく。足は決して動かないと思ったのに、人間やればなんとかなるもんだ。

 女魔術師は私が接近する直前で立ち直った。身体を翻しかけていたけれど、それよりもこっちの方が速い。駆けたままの勢いで棒を腹部へ繰り出すと、あっさり崩れ落ちた。


 やっと終わった~~。

 思わずその場にへたり込む。無理したせいで右足はさっきよりも痛みが酷く、火がついたようだった。それでも、なんとか無事だったことに安堵する気持ちの方が強い。

 さっき動き回った割には、カツラも脱げずに踏ん張ってくれていた。ありがとさん、と改めてしっかり被り直す。


「大丈夫? 怪我はない?」


 女の子は蹲って震えていた。声をかけると強張った顔ながらも、コクコク頷く。

 よかった、大丈夫そうだ。女の子の無事も分かってホッと息を吐いた、次の瞬間だった。


「――よくもふざけた真似をしてくれやがったな」


 滾る怒りを内に秘めた声と共に、首に冷たい感触が走った。そこから全身の体温を奪われたみたいに、身体が凍りつく。逆に、身の内は耳から入ってきた底昏い炎のような声音で、焼き尽くされたみたいだった。

 じとりと湧いてきた嫌な汗が、背中を伝う。女の子が後ろ手で地面を突き「ヒッ」と悲鳴を上げた。

 いつの間にか男が背後から近寄っていて、私はどうやら剣を突きつけられているらしい。断言できないのは、なんせ首を動かせないのだから、振り向けないためだ。目だけを斜め下に動かすと、なんとか白刃の先が見えたので、かろうじてそれが分かる状態だ。あんまり理解したくないんだけれど。

 どうやら手加減しすぎたみたいだった。もっと遠慮なくぶっ叩けばよかった、と内心で歯噛みするものの、後悔先に立たず。というか、後悔役に立たずだ。


「商品価値が下がろうが、もうどうでもかまわん!」


 頭上から、腹の底から絞り出したような、激情をぶつける声が降ってきた。

 同時に、手加減なく左腕を後ろに捻られた。


「あぁっ!」


 激痛で声が上がり、堪らず目を瞑って耐える。揺るぎない力で押さえつけられた手の痛みは、逃れようという気すら抱かせてくれなかった。そのまま肩口に剣先が移され、切っ先が食い込んでくる。


「このままゆっくり腕を斬り落としてやる」


 愉悦に満ちた響きなのに、何故か男が頭から湯気を出している姿が浮かんできた。私みたいな小娘に後れを取ったのが、よっぽど腹に据えかねているんだろう。隠しようのない残酷さが、ガスのように漏れ出している。

 肩の肉が徐々に切り裂かれていく感触に、身体がブルリと震える。それでも男の拘束から逃れられない。

 どうしよう、このまま……。

 痛みよりも何よりも、腕を失った未来を想像する方が怖かった。

 私の肩口に収まっている凶刃に、確かな意志を伝える力が加わる。それがいわんとすることに気づいてしまった。

 一気に切っ先を進めるつもりだ。

 腕が!


「うっ、ふぁあ――!」


 耐えきれず、思わず叫び出そうとしたその瞬間。「ぐわっ」と呻き声が聞こえたと思った。

 捻られていた手が自由を取り戻す。禍々しい支えを失い、私は地面に投げ出された。

 なんなの、いきなり?

 ありがたくはあるけれど、腕が自由になったとはいえ、すぐに痛みが引くわけでもない。肩が痛いのか、腕が痛いのか。とにかく左肩から腕にかけて、全体が別の生き物になったみたいにズキズキと熱く脈打っている。足の痛みも気にならないほどだ。

 蹲って、あいたたた、ともう一方の手でさする。すると「大丈夫か?」と気遣う声が聞こえてきた。左腕を押さえたまま背後を見ると、さっきの男が俯せになって伸びている。一時前と同じ光景だ。その側には血の付いた剣が転がっていた。あれは私の血かな?

 グロいな、と思いながら視線を上に向ける。すると、心配そうにこちらを見つめる、ひまわりのように黄色い目とぶつかった。


「と、とりあえずは……死ぬ心配もなさそうなんで、大丈夫なんだと思います」


 傷の痛みに顔をしかめながらぼやけた返事をする。この傷や格好じゃ完全に大丈夫とも言えないしな。

 声をかけてくれたのはイヴよりも濃い緑色の髪をした、身なりのいい男の人だった。年齢は三十前後くらいかな。この人も腰に剣を下げているけれど、さっきの人たちとは違って雰囲気はまとも――というよりは真面目そうだし、ひまわり色の目は理知的だ。多分、この人は信用しても大丈夫なんだろう。親切に助けてくれたしね。

 そこでお礼がまだだったと思い当たる。なんとか笑顔を浮かべる努力をした。


「助けてくださってありがとうございました」

「いいや。魔力を感じて来てみたのだが、あそこに倒れている女はあなたが倒したのか?」


 あの女が魔術師なのだろう? と男の人が親指で、転がっている女魔術師をクイっと差す。


「はあ、まあ一応は……」


 曖昧に答えてはみるものの、はっきりいって傷が痛い。さっきよりもどんどん痛みが増してきている。寒気がして脂汗は出てくるし、なんだか気持ち悪かった。


「まずは医者が先だな」


 私の苦しそうな様子に気がついた男の人が呟く。そして膝裏と背中に腕を回し、服が汚れるのも構わずに私を抱き上げた。綺麗な服が私の服に付いた血と土でぐちゃぐちゃだ。申し訳ないと思う一方で、痛みのせいでそんなことはどうだっていいやとも思ってしまう。


「桜!!」

「グアルさん!?」


 突然、慌てたような声が聞こえたのでそちらを向くと、グアルさんが駆けてくるところだった。


「あちこち探したよ。こんな所にいたのか!?」


 よっぽど走り回ってくれていたのか、ぜーはーと呼吸は荒いし、玉のような汗を沢山かいている。


「グアル? この娘は君の知り合いか」


 頭上から戸惑いを含んだ声が降ってきた。あれ、グアルさんを知っているの?

 グアルさんも今気づいた、というように目を丸くしている。


「ベルナール様? 何故あなたがここに?」

「この娘が襲われていたところを助けたのだが……」


 そこでグアルさんがベルナールさんから私に視線を移し、血に濡れた肩や足を確認する。

 その目が驚愕に見開かれた。


「うわあっ!! なんなんだ、その傷は!? 早く医者に診せよう! 桜、こっちへ」


 叫びながら、グアルさんが両腕を差し出してくる。私も助けてもらったとはいえ、知らない人に抱えられているよりはグアルさんの方がいい。私が痛みのない右腕をグアルさんの方へ伸ばすと、ベルナールさんはそちらの方へすんなり手渡してくれた。って、荷物か私は?

 グアルさんが私を抱えたまま一礼する。


「それではベルナール様、失礼いたします。このお礼は、後日改めて」

「礼はかまわない。事情はあそこにいる娘に訊いておくから、後の始末は私に任せておけ」


 快く請け負ってくれたベルナールさんにもう一度お礼を述べ、女の子にも手を振った後、私はお医者さんへ連れていってもらった。


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