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空を映す海の色  作者: せおりめ
第2章
38/105

王都バーラント 5


「手間かけさせてんな! このガキが!」


 お店からさらに路地を奥に進んだ場所。後を尾けていった私の先、草もまばらな空き地に着くと、男が女の子を苛立ち紛れに突き飛ばした。地面に転がされた女の子が悲痛な叫び声を上げる。

 それを見て、私はコノヤロッ、と憤った。なんて乱暴な男なんだ。女の子は大切に扱わなきゃいけないんだぞ。もちろん私も含めてね。

 こういう人は、実生活で鬱憤が溜まっているに違いない。弱い者に当たって、ストレスをまき散らしているんだ。

 このイジメッ子!

 心の中でだけ、男に対する悪口雑言を吐いておいた。とても声には出せない。だって怖いんだもの。


「あんまり手荒に扱うんじゃないよ。傷が付いたらどうするんだい」


 細身の女が女の子を見下ろしながら腕を組み、忌々しそうに注意する。……止めるのはいいけれど、その理由はないんじゃない? 一応内心でツッコんでおいた。


「あのー、すいません」


 そこで私が、乱暴をするな! と華々しく登場する予定だったけれど、やっぱりこんな怖そうな人たち相手に、そこまで自信に溢れた態度を取れるわけがない。心臓も口から飛び出しそうな勢いでバクバク鳴っている。思わず、棒を握り潰しそうなほど、手にもギュッと力が籠もった。

 控え目に声をかけた私を、二人が「あぁ?」というチンピラがイチャモンをつけるような仕草で睨めつけてくる。それを目の当たりにして、私の精神が自らを落ち着かせようと働きかけたのか。なんだか型通りな反応だ、と頭の片隅でちょっぴり気楽に考えた。

 視線で二人を上から下までなぞってみると、男はいかにも暴力に慣れているような崩れた雰囲気があり、剣も身に馴染んでいる。女の方は何も武器を持っていなかったけれど、やはりどこか荒んだ印象があった。

 この二人、きっと人を攫って人買いへ売るのを商売にしているんだ。

 私は極力落ち着いた声を出せるように、見えない手で心臓を宥め、足を踏ん張った。


「すいません、その子私の知り合いなんです。離してあげてもらえませんか?」


 一度女の子の方を見て、その後男に視線を合わせて頼んでみる。とりあえずは下手に出るのだ。

 男が私に興味を引かれたように片眉を上げ、顎を撫でる。


「ほお? 珍しい顔立ちだな。大陸の出身じゃあないな」

「お金なら払いますから……」


 話が噛み合ってないなと思いながらも、か弱く怯えた様子を作って話し続ける。いや、本当に怯えているんだけれどね。


「全体的に小作りだが育ちも良さそうだし見映も悪くない。高く売れそうだな。おいっ、こりゃ儲けもんだぞ!」


 男が声と表情に喜色を籠めて女を振り返った。

 駄目だ、全くこっちの話を聞いてない。というか、小作りって何だ?

 胸中で立腹しつつも、それは表に出さないように片手を胸の前で握り締め、不安げな表情を浮かべ続ける。カツラを被っていてよかった。これで天海の彩なんてことがバレたら、目の色変えて何を置いても飛びかかってくるだろうし。


「お前も売ってやる。無駄な抵抗はするなよ?」


 男が無造作に剣を抜き、下卑た表情を浮かべながらこちらへ向かってくる。抜き身の剣を持っているとはいえ、切っ先は下に向いている状態だ。完全にこちらを侮って油断している。或いは、間違って傷を付けては価値が下がるとでも思っているのかもしれない。私は棒と汗を握る手に、さらに力を入れた。

 なんにしろ、好都合だ。

 多分、イヴの助けは期待できない。今まで何度か怪我をしてきたけれど、命に関わるような場面でないと梔子は現れなかった。この人たちはなるべく私を無傷で捕らえたいようだし、殺されるほどの怪我は負わされないんだろうと思う。まあ、捕らえられて実際に売られそうになったら来てくれるかもしれないけれど。

 迫ってくる男を緊張と共に見据える。自然と強張ってくる顔が作り出す表情は、相手の方でいい具合に解釈してくれるだろう。

 肝を据えた。捕まってしまった場合、イブが女の子を一緒に助けてくれるかどうかは分からない。

 とりあえず、今は自分でなんとかしなきゃ。

 地面に突いている状態の棒を意識し、細く息を吐いて心を落ち着ける。男は追い詰めるのが楽しくて仕方がない、と趣味の悪いハンターが獲物をいたぶるような様子でゆっくり近づいてくる。

 もう少し。私の間合いまであともうちょっと。鼻から息を吸い、お腹に力を込めた。膝は柔らかく。

 次の瞬間、男が最後の一歩を踏み出した。

 ――今だ!


「はあっ!!」


 素早く棒を両手に持ち替え、気合いと共に踏み込んで、男の鳩尾に先端を突き込む。

 ぐぅっ、と籠もった呻き声を漏らし、男が身体をくの字に折ったところで素早く棒を引く。その勢いのまま手の中で滑らせ、後方が長くなった棒をくるりと返し、男の無防備なうなじへ叩き込んだ。

 男の手から剣が離れ、続いてその当人自身も俯けに、ドサリと膝から地面へ崩れ落ちた。

 男は糸が切れたようにピクリとも動かない。それでも一応構えは解かず、警戒は怠らない。その状態で少し身を屈めて見下ろしながら、私は少し不安になった。

 力加減を間違えれば命を奪ってしまうような場所だけれど、大丈夫だよね?

 私は棒の先生に、とにかく急所を狙えと教えられてきた。急所を突いて、相手が怯んだところで一目散に逃げなさい、と。

 君の実力じゃ、相手を倒すのはほぼ無理だから、に当たる意味を私になるべくやんわりと、婉曲に伝え続けてくれていたのは、先生の優しさだと解釈しておいた。ううう、運動神経は悪くないはずなのに。

 それはともかく、今まで先生以外とこんな風に戦ったことがなかったけれど、今回は相手が舐めてくれていたから助かった。私は強いとは言い難い――というのは私の中の、現実を認めたくない見栄っ張りな部分による控え目な表現で、はっきり言ってしまえば弱いのだ。

 本来ならこれで逃げたいところなんだけれど。男から目を離し、視線を広場の片隅へ投げかける。

 細身の女がしっかり女の子の腕を掴み、こちらを信じられないという面持ちで凝視している。女の子は怖さで足の力が入らないのか、ほとんど座り込んでいて、女に掴まれている片腕で吊り上げられているような、中途半端な体勢を取っている。

 やっぱ無理かな。

 あの様子では、女の子自身が隙を見て逃げ出すなんて真似はできそうにない。

 うー、仕方ない。

 私は、次はあんただぞ、と女に射るような鋭い視線を浴びせかけた。うん、私なりに精一杯の目つきを作ったつもり。

 ここで逃げては元の木阿弥。あの女をなんとかしなきゃ。

 今度は女の方を向いて棒を構えた。すると驚きから立ち直った女が憤怒に顔を歪ませる。


「この馬鹿が! 油断して!」


 男を苦々しげに罵った後、ニヤリと嘲るような、やけに余裕の覗く笑いを零した。

 私は嫌だなあ、と顔をしかめてしまった。物語でもなんでも、こういう場面で敵方は、大抵こっちが不利に追い込まれるような隠し球を披露してくるものだ。


「これで勝ったと思ったかい? 武器を持っていないと思って侮ってんじゃないよ!」


 女が前方に、自由な方の手をかざす。女の子がビクビクと不安げに女を仰いだ。

 何の真似? 訝しく思いながらも、棒を構えたままで女の挙動に神経を尖らせる。


「抱育する律動よ 従属せよ 我が導きたる響に従い 厳かなる奇跡を示せ」


 初めて耳にする、捉え所のないリズムを持つ言い回しだった。掴んだそばからスルリと抜け出てしまうといおうか。大地全体からゴウと轟き渡るような、空気の中からトロリと染み出してくるような、どうやって出しているのか分からない、不思議な声。知らない間に聴き入ってしまった。


「従属せよ!」


 むち打つように鋭い最後の言葉で我に返る。

 そして私の目に、信じられない、というより信じたくない光景が押しつけがましく飛び込んできた。

 女がかざした手に、周りの地面から砂が集まってくる。まるで不可視の強力な磁石に砂鉄が引かれるかのように、一点を中心として凝縮する。巻き込まれた蟻やミミズの虫たちが宙を舞い、ふわりと落ちて避難していた。

 私は愕然と目を見開いてしまった。これはもしかして魔術!? じゃあさっきわけの分からない言葉を呟いていたのは呪文ってやつですか?

 確かイヴが術を使う時は、そんなもの使ってなかったと思ったけれど……。

 などと卒倒しそうになったり頭を捻っている間に、集まった砂は狼の形を作っていた。ピンと立った耳、尻尾のふさふさ感も見事に再現されている。こだわりでもあるのかな?

 じゃなくて、デカい! 私よりもよっぽど大きいじゃんか!!

 バタンと覆い被さってきそうな砂狼に気圧されて後ずさりしつつ、クルリと踵を返して逃げ出したい自分と必死に戦っていた。

 こんなのとどうやって勝負しろっていうんだよ。砂を叩いたってバラけるだけなんじゃないの? あ、そうか。水だ。水で固めるんだ。ナイスアイディア、私!

 星が瞬くようにキラリと閃いた自分に思わず拍手を送りたくなったけれど、よく考えたら辺りに水っ気は全然無かった。

 自分のことながら、褒めて損した!

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