王都バーラント 3
「――まったく、あなたという方は何をフラフラとなさっていますの?」
私たちはグアルさんの部屋を出て、日の光が燦々と射し込んでくる廊下を歩いている。
さっきの彩度全開な笑顔を引っ込めて、苦々しい表情を隠しもせずにリディが私を咎める。
私は長い廊下の先へ視線を泳がせ、真っ当な理由を口にした。
「ここへ来るのも久し振りだったからね。グアルさんに挨拶したかったんだよ」
おかげで明日の約束も取りつけられたしね。
でも、そんな私の殊勝な言葉なんてお構いなしに、リディの御託は続く。
「それにあなた、その格好はローズランドの服装でしょう? エレーヌとソフィアはこちらの服を出してくださいませんでしたの?」
……さすがは兄妹。アステルを彷彿とさせるな。
「ううん。ワンピースを出してくれてたけど、窮屈そうだったからこっちにしてもらったの」
「その気持ちも少しは解りますけれど……。慣れておかないと、いざという時に困りますわよ」
「いざという時って?」
何かあったっけ? と私は少し考えた。
「王城へお行きになるんでしょう? さすがにその格好で、王の御前に立つことはできないでしょうに。正装はもっと窮屈なんですのよ」
それがあったか。私はがっくりと肩を落としてしまった。
「まあ、その時はその時で頑張るよ……」
「……」
虚ろな目をして答えた私に、リディは呆れたような視線を寄越すだけだった。何も言われないっていうのもなんだか寂しい。話題を急いで方向転換することにした。
「それはそうと、護衛の仕事はどう? 順調?」
「ええ。やり甲斐がありますわ。セシリア殿下は気立てのいいお優しい方でいらっしゃいますし、少しでもお兄様の傍にいられるんですもの」
そこでギロッと不穏な目を向けられる。
な、なんでしょうお姉様、と私はびくついた。
「せっかくお兄様と仲良く暮らしておりましたのに、はっきり言ってお邪魔虫ですわ」
うーん、予想通りのお言葉を頂いてしまった。
ははは、と曖昧にすませようとする私から目線を外し「でも……」とリディが少しだけ顔を俯かせる。
うん? どうしたのかな?
「また皆で暮らせるようになるのは賑やかでいいかもしれませんわね。お父様もこのお屋敷に戻っていらっしゃいましたし」
「あれ? 私がここで暮らすこと、喜んでくれるの」
ちょっと衝撃的。
「まあ、一応あなたは私の妹ですし。仕方がないから歓迎して差し上げますわ」
溜息を一つ吐いて、いかにも不本意だけれどしょうがないというような態度を取っているけれど、嬉しく思ってくれていることは伝わってくる。こういうところがリディってかわいい。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
溢れる感謝の気持ちを込めて、ガシッとリディの首に齧りついた。あ、いい匂いがする。それなのに、つれないリディに、お止めなさい鬱陶しい、と言われて迷惑そうに振り払われてしまった。そんなに照れなくてもいいのに。
「さ、行きますわよ」
早足になったリディに置いていかれまいと、私も小走りになるのだった。
屋敷の居間には初めて入る。部屋の広さや造りはローズフォール城とあまり変わらないけれど、一方の壁がまるまるガラス張りになっていて、整えられた瀟洒な庭や、広い空をそのまま感じられるようになっている。開放感があって気持ちいい。壁紙は小花柄でかわいい雰囲気。
手前のソファにアステル、向こう側にヘンリー父さんが座って話をしていた。私たちが入ってきたところでヘンリー父さんがこちらへ視線を投げかけ、アステルが振り向く。
「お父様、お兄様、お待たせいたしました。桜を呼んで参りましたわ」
そう言って、リディはここが自分の指定席だと言わんばかりに向こう側から回ってアステルの隣に腰掛ける。
「ご苦労だったね、リディ」
ヘンリー父さんが優しい顔でリディを労った。じゃあ私はヘンリー父さんの隣に座ろう。手前にあるソファの脇を真っ直ぐそのまま通り過ぎようとする。
すると、いきなり横から腕が伸びてきた。
「わっ!」
何事? と思う間もなくアステルの片膝にポテッと乗せられる。暫し呆然……。
ちょっと待て、ここでもそうなのか!?
アステルを見上げると、全く邪気を含まない輝く笑顔を向けられ、私は一言も不平を発することなく毒気を抜かれてしまった。お腹と背中を囲んでいる腕が、どんなに暴れても揺るがないのは、経験的にいやというほど思い知らされている。
私はぜひとも正面に座るヘンリー父さんの所へ行きたい。援護を請う目を向けると、当の本人には仲良きことは美しきことかな、とでも言いたげなぬるい眼差しを送られた。一人で座って平気なの、お父様!
焦る思いで視線だけを下に向けた。
慣れっこになっている領地のお城とは違い、お茶を運んできてくれた使用人さんは微妙に視線を逸らしているし、顔に当たるリディの視線がとにかく痛い。横目を使ってチラリと窺うと、見かけはニコニコとこの光景を見守る風情で穏やかな微笑みを浮かべているのに、目つきは絶対零度の冷ややかさを保っている。急いで目線を引っ込めても強烈に突き刺さってくる感覚は変わらない。これは鉛筆の芯とかそういうかわいいものではない。
――その鋭さたるや、正に氷刃の如し!
などとふざけた言い回しが頭の中に浮かんできたけれど、冗談抜きで突き刺さったところからカチカチに凍りついてしまいそう。大体、こうなったのはアステルのせいなのに、何で私が睨まれなくちゃいけないんだ。世の中理不尽な。私は胸中でままならぬ世界の仕組みを嘆いておいた。
氷室のように冷たく感じられる空気を温かな表情で遮っているのか、ヘンリー父さんは平然としているし、アステルは「どうぞ」とお茶のカップを取って私に勧めてくる。いたたまれない思いを抱いているのは私だけなんだろうか? とりあえず氷像になるのは嫌だったので、アステルからカップを受け取っておいた。湯気の立つお茶を飲み、身体が凍てつくのを防ぎつつ、カラカラだった喉を潤しておく。リディの方は見ないようにしておこう。
「どうしてローズランドの服装をしているんですか?」
アステルが私の頭を撫でながらも怪訝そうに訊いてくる。小言を述べられるのが嫌だったのに、今はこの雰囲気を打破する切っかけになるのだから、逆にありがたいと思ってしまう。状況によって考え方というのは変わるものだなぁ、と私は一つ賢くなった。
「こっちの服は動きにくそうだったから、換えてもらったの。人前に出る時はちゃんと着替えるからいいでしょう? 駄目かな、お父様」
こういう時は許してくれそうなヘンリー父さんに話を持っていこう。
「だったらそうしなさい。桜の好きな格好をすればいいだろう」
計算通り、許可を得られた。私ってばお利口さん。
やっぱりヘンリー父さんは理解があるよね。得意げにアステルを振り向くと、やってくれたなという目で見られた。でも後は、頭をポンポンと叩かれただけだった。とりあえずは許してくれたんだと解釈しとこう。よし。
私は嬉しさを表現するために、バーテンさんがシェイクをする時のように両手を胸の前で組み合わせて振るという、ご満悦のポーズをとっていた。すると、目元を和ませて一連のやりとりを見ていたヘンリー父さんが、おもむろに口を開く。
「ところでお前を呼んだのは、謁見の日取りについて話をするためだ。五日後に王城へ参るようにとの仰せなので、そのつもりでいなさい。ご挨拶する際の手順と口上は覚えているかね?」
「まだです……」
さっきまでの態度とは打って変わって、声のトーンが低くなってしまった。
やる気にならないので、全然取りかかっていなかったのだ。というより、すっかり忘れていた。なるべく考えたくない事柄だったから、記憶の中の奥深くに押し込んで放置していたのかもしれない。
なんて考えている間中、アステルが頬やら顎やらを撫でてくる。
ええい、くすぐったい。猫じゃないんだぞ、私は。
「それではこの五日間で覚えておきなさい」
首を振ってアステルの手から逃れながら「はい、わかりました」と返事をしておいた。
あ、でも――。
「お父様、明日は城下町を見物したいんだけど、それからでもいい?」
「町へ? まさか一人で行くつもりですか?」
ヘンリー父さんではなく、今度は私の髪を指にくるくる巻きつけているアステルが尋ねてくる。
「グアルさんについてきてもらうよ。明日はお休みだから、付き合ってくれるって」
アステルを振り返りながら答えた。あてっ、拍子に髪引っ張った。
「どうしてグアルの所にいらっしゃったのかと思っておりましたけれど、そういう理由だったんですのね」
未だに寒々としたツンドラ気候のリディが、表情だけはかわいらしく得心を語る。
「まあ、それだったらいいでしょう。ただし、グアルの傍を決して離れないでくださいね」
アステルは一瞬だけ眉根を寄せた後、またもや私の頭を撫でながら許可してくれた。
「分かった。明日は楽しんでおいで」
ヘンリー父さんも悠然と微笑みながら言ってくれる。
三者三様にかけてくれる言葉。
かけがえのない私の家族。
こういう時、私の心は荷車に乗ってガタガタ道を走っているみたいに揺れ動く。同時に一抹の寂しさのようなものが、小さな隙間からひたひた侵入してくる。意識して、アステルのお腹辺りの服を握り締めた。リディに何事か話しかけられている当人は気づかない。
「おじさん」
誰からも見られない角度で、口の中だけで小さく呟いた。
おじさん、おばさん、蒼兄ちゃん。こういう何気ない時間に、皆の顔を思い出してしまうよ。
どちらも優しくてあたたかい、大切な人たち。
私の居場所。
アステルの服を掴んでいる指にもっと力を込め、一度目を閉じた。
――もう、逃げずに認めよう。いつまでもしつこく過去の思い出に縋って、こちらの家族を蔑ろにしていてはいけない。確かに私は迷っているのだから。
「桜?」
黙ってしまった私の様子を窺うように、アステルが話しかけてくる。
――こちらに残るのか。向こうへ帰るのか。
目を開いて顔を上げ、胡散臭い笑顔を向けた。
私は、ちゃんと選ばなければならない。
翌日。
今朝は張り切って、いつもより大分早起きをした。身支度を済ませた後、前もって約束しておいた時間に、今回は迷うことなくグアルさんの仕事部屋を訪ねる。悠長にお茶なんて飲んでくつろいでいるグアルさんは、私の髪が青くなっていることに目を丸くしていた。私は簡単にカツラの説明をして、早く早くと準備を促した。
グアルさんは苦笑しながら「分かったよ」と答え、側に立て掛けてあった剣を腰に装着する。意外とその姿に違和感がなくて、本人が言っていた通りに剣を使える人なんだな、と納得してしまった。
連れだって玄関へ降りていくと、ちょうどアステルとリディが出て行こうとするところだった。
いつものようにアステルに抱え上げられたり、それを見たリディに睨まれたりと
一悶着(※)あったけれど、なんとか二人を送り出した。
「――君はアステル様とどういう関係なんだい?」
玄関を向いて二人を見送っていたグアルさんが、私の方にクルリと向き直って疑問に満ちた目を向ける。
どういう関係と問われても。首を傾げつつ、私は該当する言葉を探り当てる。
家族、というよりは。
「アステルは私の保護者……なんだと思うけど……。なんでそんなこと訊くんですか?」
「保護者、ねえ? それにしては、君たちの間に流れる雰囲気はなんと言うか……」
なんなんだ。グアルさんは少しの間顎に手を当てて考え込むようにしながら、意味ありげに私の目をじっと見つめている。私は妙に居心地の悪い思いで身を引き、一歩下がった。
「これはファーミルの管理者としての守秘義務に反することだけれど……。アステル様はローズランドで生活する君の様子を逐一報告させていたよ。随分と気にかけていただいていたようだね。リデル様でさえそんなことはなかったのに」
そういえば、目になってくれる人がいるとか話していたな。でもそれについては、私が別の世界から来たという事実や、ティア・ダイヤモンドからよろしく頼まれたことなんかが関係しているんだろうけれど。
グアルさんにはちょっと言えないよなあ。どう答えようか、と目線だけを天井に向けていた。
――不意に、お祭りの日にあった出来事が頭に浮かんできた。アステルの眼差しや唇の感触を思い出して、顔が一気に熱くなってくる。思わず両手でカツラの髪をグシャリと掴んでしまった。
なんで今あんなことを思い出すんだ! 鼓動がドクドク早くなる。
なしなし。あれは無かったことにしたはずだってば。胸に手を当て、内心で酷く狼狽していた。
「……?」
私の様子を見て怪訝そうに眉をひそめるグアルさんに、俯き加減で素早く背を向ける。
「そんなことよりグアルさん、早く行きましょうよ。折角早起きしたのに、こうしてる間にも時間がどんどん過ぎてしまいますよ!」
赤くなっているだろう顔を隠すべく、私は振り向かないまま早口で捲し立て、さっさと玄関へ向かったのだった。
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