静寂の祭り 5
アステルが、昔テレビに出ていた『青少年お悩みコーナー』のお兄さんみたいに、なんでも話してみなさい的な眼差しを私に向ける。ちなみにその番組では、相談者の少年がどうやったら年上の兄弟に勝てるかと打ち明けていて、かなり感情移入しながら見入ってしまった。あんまり役に立たなかったけれど。
「伺いましょうか。どうしたんですか」
そんなアステルとは対照的に、私の方は、パンパンに膨れたタイヤのようにたっぷり入れたはずの気合いが、パンクしたみたいにどんどん抜けていくのが自分でも分かった。「あー」とか「そのう」とか、中々言葉になってくれない。でもこれじゃ、いつまで経っても埒が明かない。
よし、覚悟を決めて一息に言ってしまうのだ!
「あのね、家を出て一人で暮らしたいと思っている……んだけど……」
膝の上に置いた本に描かれている、輝く星を見詰めながらというなんとも弱気な態度を取りながらも、断固とした決意を滲ませて重大発表した。……はずなんだけれど、語尾が消えそうになってしまった。
いや、でも深刻な任務をついに果たした気分。
さて、その成果は? バクバクの心臓を抱えながら目だけを斜め上に動かして、チラッとアステルを窺う。
「……」
む、無表情だよ! アステルの顔が、火を近づけられても決して変化は起こらないんじゃないか、と思わせるくらいの硬さを表していた。怖い笑顔には立ち向かうべく気合いを入れていたけれど、その段階をすっ飛ばすなんて予定にない。
「どうやって暮らしていく気なんですか」
表情に勝るとも劣らない、平坦な声が質問してくる。野生の小鳥のように臆病な私はすっかり怖じ気づいてしまった。――でもね。
そこまで怒らなくてもいいじゃない、と思い直す。
そして、負けるもんか、と再び気合いを注入する。
そこで内心ではアステルの顔色を窺いながらも、なるべく毅然として見えるように理由を説明した。
何もせずにお城で過ごすのが嫌だということ。アステルやリディみたいに働きたいということ。いきなり自分で居を構えるのは無理だろうから、どこか住み込みで働ける場所を探したいということ。
相変わらずな表情で私の話をじっと聞いていたアステルは、少しの間目を瞑った後にとんでもない内容を口にした。
「今もミルトで働いているんでしょう。それでは駄目なんですか」
これには度肝を抜かれてしまった。
思わず身を乗り出し、目を瞠ってアステルに尋ねる。
「知ってたの!? なんで。どうやって」
「俺の代わりに見てくれる人がいますので」
告げられた事実に息を呑んだ。大変だよヘンリー父さん! お城にアステルのスパイがいるよ!!
でもよく考えたらあり得ることか、とも納得する。アステルは驚くほど世間の動きに聡い。どう考えても、普通じゃ手に入らないでしょうと思えるような情報も、いち早く察知する。その一端を垣間見たような気がした。
とはいえ既に知られているという事実にかなり狼狽したものの、それならば話は早い。
私は素早く立ち直り、必死で訴えた。
「じゃあ私がもう働けるってことも分かるよね? 魔道具も使えない私じゃこんな上流の世界にいたってなんにもできない。だから街で暮らしたいんだよ」
「あなたが自分で何かをする必要はないでしょう。そのためにエレーヌとソフィアがついています」
私の言いたいことが全く伝わっていない。淡白な表情でのれんに腕押しなアステルに、カッとなってしまう。
「人にしてもらいたいんじゃなくて、私は自分でしたいんだってば!!」
アステルの頑固者。何で分かってくれないんだよ。
祭りの日に大声を出してはいけない。それは承知しているのに、つい興奮して声が大きくなった。
「――本当にそれだけが理由ですか?」
私とは百度くらい温度差がありそうな声音で、ポツリとアステルが発言する。何もかも見抜いているぞ、とでも言いたげな意味が込められているようだった。
うぐぐ。多分、ヘンリー父さんの時と同じだ。アステルにも、私の心情はある程度看破されている。
でもそれがどうした。かまうもんか、既に練習済みだ。
「それだけってどういう意味?」
アステルに対抗した無表情でとぼけると、それよりも数段上の鉄仮面を彷彿とさせる面持ちでしばらく見つめられた。
受けて立つぞ! とこちらも見つめ返す。すると、溜息を一つ吐いた後に眉根を寄せられる。そしてアステルはじっと私を見据えたままで、これだけは口にしたくなかった、という調子で言葉を紡いだ。
「俺たちから離れようとしていませんか?」
――――驚愕。愕然。
どうして分かったの?
予想外だった。完璧に不意を突かれた。表情を取り繕う余裕もない。
唖然としたままアステルの顔を凝視した。誤魔化しを寄せつけない、深く青い目が静かに見返している。
「帰るか帰らないか、どちらを選ぶか迷っていませんか?」
信じられない。徹底的に見透かされている……。
私は無意識に、歯を食いしばった。
今まで知られないように閉じ込めて隠してきた本心は、アステルにとってはお見通しのことだったんだ。まるで自分が一番見せたくない、心の大切な部分を覗き込まれたみたいだった。
恥ずかしさだとか、妙な焦りだとか、そして恐らくは理不尽だろうアステルに対する怒りだとか、色んな感情がごちゃまぜになって瞬時に私の頭を駆け巡った。
でもその感覚に耐えて一番大きな波が過ぎると、潮が引くように、逆に段々と落ち着いてきてしまった。スウッと頭が冷えてくる。顔に入った余計な力も自覚できるようになり、強ばりを抜くように意識した。
さっきの指摘を認めるわけにはいかない。余計に引き留められることは目に見えているもの。
「――そんなことないよ。離れようとしているわけでもないし、迷ってもいない。その時が来れば向こうへ帰ろうと思っていることに変わりはないから」
心持ち声は低くなってしまったけれど、胡散臭い笑顔を浮かべる。それを見たアステルにまたもや溜息を吐かれてしまった。
その溜息は返答に対してかな? それとも私の笑顔の方? 後者だったらちょっとその反応には傷つくな。
私はにこやかな表情を崩さず、さらに続ける。
「私だってもう子供じゃないんだからね。いつまでも甘やかされてばっかりいるわけにはいかないよ」
だから快く見送ってあげようよ、と続けようとしたら、やけに真剣さの加わった眼差しで見据えられていた。
どうしたんだろう? これはもしかして説得が功を奏して、真面目に検討しているのか? 私の胸が明るい予感に踊る。
「分かりました。もう子供じゃないんですね?」
今の言葉に二言はないな、というように確認を取られる。やっぱり納得してくれたのかな?
私はもちろんだ! と頼もしく応じる戦国武将の気分で頷いた。内心では、よっしゃあ! と拳を突き上げて。
「そうだよ。忘れているかもしれないけど、もう十七さ――うわっ!?」
希望が出てきたと思って一気に勝負をかけようとしたら、いきなり膝の上に横向きで抱き上げられた。拍子に本が床へバサリと落ちる。
瞬間呆気に取られたものの、即座に腹が立ってきた。これじゃあ今までと変わらないじゃないか!
「ちょっと! もう子供じゃないって言ったよ」
ありったけの憤りを込めてアステルを睨む。
「だから子供扱いしていませんよ」
一方の相手は私の感情を軽く受け流し、どこ吹く風の態度だ。どうしてくれようか!
私は湧き上がってくる凶暴な心が命じるまま、大型台風のように荒れ狂ってやろう、と暴れる心構えをした。
――不意に、アステルが振り回そうとした私の手にゆっくりと長い指を絡ませてきた。
突然の事態に毒気を抜かれ、さらには動揺させられてしまった。意外と節くれ立ってかさついていて硬いな、と自分を誤魔化すように考える。もう何度も自分に触れてきた手について、今さらなのは分かりきっているんだけれど。
どうしたの? と不安な気持ちを押してアステルを窺い、その目を見た途端に私の身体は固まってしまった。金縛りに遭ったみたいに動けないまま、やけに自分がどう呼吸をしているのかを意識してしまう。妙に息苦しい。
だって、今までこんな眼差しを向けられたことなんなてかった。
「子供じゃないなら、自分が今から何をされようとしているのか分かりますよね?」
諭すような低くて甘い声。身体は凍りついているのに、その声と目に焼かれたように頬が熱くなっていく。縫い止められたみたいに視線を逸らせない。
絡め取られたまま硬直している私の手を、アステルはもう一方の手で包み込んできた。自分で動かしたらぎしぎし鳴りそうなほど強張っていると思っていたのに、優しく力を加えられただけで握り返すような形になってしまった。
「嫌われているわけでもないのに、離れてしまわれるのは納得いきませんから――」
アステルは包み込んでいた手を外し、今度は私のもう片方の手を取って、自分の首へ回す。その間私は自分の意志では身体を動かせなくて、されるがままだった。
気がついたら抱きつくような格好になっているのに、腕を外すことができない。鼓動がやけに激しい。カウントダウンしているみたいだった。その内爆発しちゃうのかもしれない。
「態度で示した方が、気づきやすいでしょう?」
何に……? と反射的に思うものの、その先が浮かばない。
アステルの手が今度は私の頬に添えられる。とんでもなく近い場所にある青くて綺麗な目には、相変わらず視線を逸らせないまま呆然としている私が映っていた。――ふと、その眼差しがいくらか和らぐ。おかげで少しだけ、身体と思考が解れてきた。
とりあえずこのままだとなんだか不味いことになりそうな気がする。
「――アステル、離して……」
頼りない声しか出ない自分に泣きたくなってくる。頬の手はそのまま顎の線をなぞって一度離れ、私の前髪を優しく掻き分けた。
「子供じゃないんですよね? 駄目です」
囁くように柔らかく却下されて、露わになった額へ労るように唇を落とされる。寒気は感じないのに、背筋がゾクリと震えた。
額にキスなんて今までに何度もされていた。それなのにいつもと全然違う。今まで見ようとしなかったことを、強制的に突きつけられた気分だった。
――ああそうか、気づいてもらうというのは、こういうことなのか。
絡め取られた指を引っ張ろうとするけれど、外れない。それとは反対に、首に回った手は反射的に襟首を掴んでしまった。間違えた。そう思うのに手が言うことを聞いてくれない。
唇はまぶた、鼻先へと順に降りてくる。次は頬。これ以上は開けていられなくなって、目をぎゅっと瞑った。
そして唇のすぐ横に柔らかい、濡れた感触。
――もう駄目だ!
「ごめんなさい! 私はまだまだ子供です!!」
目を閉じたまま顔を下へ向け、とうとう叫んでしまった。くそう、敗北宣言だあ……。




