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空を映す海の色  作者: せおりめ
第2章
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静寂の祭り 4

 アステルにどうしても話を切り出すことができないまま、日々は過ぎていった。

 記憶の方も、一度は戻りかけたのだからとペンダントを眺めてみたりもしたけれど、結構な時間を割いてみても私の頭はうんともすんとも反応しなかった。覗けるものなら頭を開いて見てみたいもんだ。

 今日は静寂の祭り。周りの人への感謝を胸に、静かに安らかに過ごす日だ。祭りの日にふさわしく、窓の外では雪がしんしんと周りの音を取り込みながら降り積もり、ひっそりとした白い世界を生み出している。

 そして今日はご飯を食べられない辛い拷問のような日でもあるのだ。うう……、早くもお腹が空いてきた。

 今日ばかりはエレーヌとソフィアもお休みで、起こしてくれる人も着替えを用意してくれる人もいない。こう考えると、本当に私はなんでも人にしてもらっているんだな、と情けないとも嘆かわしいともつかない感情が頭を巡ってくる。それと共に、改めてエレーヌとソフィアに感謝の念が湧き起こってくる。

 毎年、静寂の祭りで一番始めに感謝をするのはエレーヌとソフィアに向けてだ。朝起きて二人の顔を見ないと、いつもどんなにお世話になっているかを思い知らされてしまう。静寂の祭りの日は家族以外とほとんど顔を合わせることがないので、二人に直接挨拶できないのが残念だった。

 そして次に、ここにはいない人たちに思いを馳せる。

 おじさん、おばさん、蒼兄ちゃん。遠く隔たってはいるけれど、あの人たちへの感謝は忘れられない。いつか直接伝えることができるんだろうか。

 そこで呆けていた私は現実に帰った。いかんいかん、しんみりしている場合じゃなかった。

 顔を洗って自分で用意した服に着替えながら、今日こそはアステルに告げようと決心をする。この平らかな日だったら、落ち着いて話し合えると思ったのだ。……多分。

 身だしなみを整え、部屋の暖炉に薪をくべておいた。いつもならエレーヌたちが火を絶やさないようにしてくれているけれど、今日は自分でしないとね。


 普段の日は朝食の席でヘンリー父さんと顔を合わせる。でも、静寂の祭りの時はどこにいるのかよく分からない。まあ大体は自室にいるようなんだけれど。――というわけで私はまず、ヘンリー父さんに挨拶をするために部屋へ向かうことにした。

 そういう次第で暖気が乏しく寒い廊下を歩いていると、向こうからやってくるヘンリー父さんとばったり出くわした。グッドタイミングだね。


「お父様。今日の安静に感謝を」


 立ち止まって決まり文句で挨拶をすると、足を止めたヘンリー父さんがにこやかに「感謝を」と返してくれる。


「どこか行くの?」

「ああ。一つだけどうしても済ましておかなければいけない用事があってね」

「祭りの日なのに……」


 働いちゃいけないんだぞ、との気持ちも露わに口を尖らせ眉をしかめると、ヘンリー父さんは宥めるように苦笑した。


「それだけだ。終わったらもう何もしないよ」


 例え何もしてはいけない日でも、ヘンリー父さんにはやらなきゃいけないことがあるらしい。

 領地を管理してくれている人がいるから普段は特に忙しそうという印象はない。それでも領主であるヘンリー父さんの肩にかかる責任は重そうだった。

 仕方がない、と頷く代わりに私は念押しすることにする。


「本当に、終わったらもう何もしちゃダメだよ?」


 分かったよ、と言い置いて、ヘンリー父さんは執務室に行ってしまった。本当に休むのかな? 後で様子を見に行ってみよう。

 私はヘンリー父さんが廊下の角へ消えるまで見送り、くるりと反対方向へ振り向いた。

 さて、次はいよいよアステルの所に行こう。……と言いたいところだけれど、足はそっちの方ではなく、なんとなく図書室へ向かっている。いやいや、別に逃げているわけではなくて、ご飯も食べられない長い一日を過ごすための友を取りにいくのだ。

 自分に言い訳をしながら私は図書室へ入っていった。扉を開けて、本の匂いに包まれるこの瞬間が大好きだ。暖炉に火が灯っていない今日の部屋は紙の匂いも冷たく、氷に包まれているような錯覚を起こさせる。私の肺に一旦入り、白い息に溶けて出ていくのだ。

 ローズフォール城の図書室は蔵書量が結構なもので、二階分の高さが吹き抜けになっている。四方の壁、二面分にびっしり本が埋まっていて、一階部分と二階部分に分かれていた。

 二階部分への階段を上がると、本棚に沿ってベランダ状に通路が延びている。さらに上の方の本を取るには備えつけの梯子を使ったりもするのだ。

 ここに初めて訪れた時は、本の多さに驚嘆し、部屋の中に階段が備えられているということにわくわくしてしまい、用も無いのに昇ったり降りたりしていた。……そしてはしゃぎ過ぎてずいぶんくたびれた。

 お目当ては二階部分。私はトントンと軽快に階段を上がっていった。そして左端の一角、ここにアージュアの神話や童話が並んでいるスペースがある。難しい本は読む気になれないけれど、こういうのは大好きだ。

 地球で天動説が唱えられていた時代は、地面を亀の上に乗った象が支えていると信じられていたと聞いたことがある。アージュアでも世界は平面であるとされているらしい。そして、一本の透明な鎖で星が世界を吊り下げているというのだ。その星は北極星のようなもので、決してその位置を変えることはない。

 ということなんだけれど、本当かどうかは分からない。なんにしろ、神話って荒唐無稽で面白いなと思う。

 しばらくはどの本を読もうかな? と視線を彷徨わせ、結局は一番お気に入りの本を手に取った。少し重い大きめのサイズで、硬い表紙に綺麗な星が描かれている神話。この本は挿絵も綺麗で、何度でも読みたくなってくるのだ。

 選ぶのに時間がかかってしまったのは、なるべくアステルの所に行くのを往生際悪く遅らせたいからでもあった。でもいい加減、寒さで手がかじかんで動きにくくなってきたし、そろそろ行かなければ。アステルは多分、部屋にいるはずだ。

 いたずらのように、二・三度呼吸を繰り返して煙のような息が出るのを眺め、本を選び終わっても動こうとしない足を引き摺りつつ、私はアステルの部屋へ向かったのだった。



「――アステル、入っていい?」

「どうぞ。今開けます」


 ノックするといらえがあり、すぐに扉が開けられた。


「今日の安静に感謝を」


 やあっ! という感じで片手を上げて挨拶をする。


「安静に感謝を」


 すると静かに笑うような答えが返ってきた。

 アステルがどうぞと身体をずらし、中へ誘ってくれるまま部屋へ入っていった。暖められた空気に取り囲まれて、身体がじんじん温まっていくのを感じた。毛足の長い絨毯を踏んで部屋の中央まで歩いていき、扉を閉めたアステルを振り向く。


「何してたの?」

「本を読んでいました」


 そう答えながらアステルは三人掛けのソファに近寄り、肘掛けの上に置いていた本を見せてくれる。

 厚みが割と薄い、味も素っ気もない装丁と題名を見て私は眉をしかめてしまった。……なんだこの小難しい本は。『種々の暗号とその解法』?

 持ちこんだ本を小脇に挟み、差し出された勢いでつい受け取ってしまった。教科書のような本をペラペラと捲ってみれば、そこには目眩を起こしそうなわけの分からない数字やら記号やらが並んでいた。


「……面白いのこれ?」


 顔が勝手に、苦い食べ物を噛んだ時みたいに歪む。


「パズルみたいで楽しいですよ。解けると達成感がありますし。読んでみますか?」


 私の顔を見て楽しそうに笑いながらアステルが言った。これは私が嫌がるのを分かっているんだな。


「遠慮しとく……」


 果たして私はアステルが期待する通りに答え、読んでいる内に眠くなりそうなパズル本を突き返す。冗談じゃない。私には一生縁がなさそうだよ、こんな難解図書は。

 アステルは本を受け取りながら「それは残念」、とわざとらしく呟いた後、元の場所へ戻し、私が抱えている本に目を留める。


「桜も本を持ってきたんですか?」

「うん。図書室から借りてきたの」


 神話の本をアステルが見えるように掲げる。あんなのよりこっちの方が面白いと思うよ。

 アステルは実に私らしい選択だ、というように頷いた。


「ここで読んでいきますか?」


 と、尋ねられつつ抱えられそうになったので、ちょっと待った! と押し戻してストップをかける。


「アステルに話があるんだよ」


 今は馴れ合いの時ではない。私の自立を賭けた対決の時なのだ。

 落ち着いて話し合おうと朝に思ったことなど遙か彼方に追いやって、怖い笑顔には負けないぞ、とどんな威圧をかけられても大丈夫なように気合いを入れておく。


「それではどうぞ、座ってください」


 アステルは顎に手を当て、暫し「ふむ」と考えた後、私をソファへ促した。それに勧められるまま腰掛けると、アステルも隣に座った。

 さあ、バトル開始だ!


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