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空を映す海の色  作者: せおりめ
第2章
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静寂の祭り 3

 『道の始まり亭』から帰って馬を厩舎に戻し、お城に入るとアステルが既に帰ってきていると告げられた。

 その知らせを聞いた途端、私はその内容と一緒に耳へ真冬を吹き込まれたみたいな気持ちで、暫し凍りついてしまった。

 なんで? という字が立体的になって私の周りを踊っている。確か明日帰ってくるんじゃなかったっけ?

 そういう予定だったからお休みは明日からにしてもらったのに!

 次の瞬間身体が動くようになり、すぐに両手と顔が勝手に『ムンクの叫び』を表現してしまった。

 芸術だ。じゃなくて。

 ヤバい……。

 とりあえずは大急ぎで部屋に戻って服を着替え、アステルが落ち着いているという居間に急行した。

 扉の前で深呼吸を繰り返して、心を沈める。約一年振りに会うのだ。緊張するのも無理ないと思う。とはいえその緊張の約半分は、今まで仕事に行っていたのを、いかにバレないように誤魔化すかという焦りからくるものでもあるんだけれど。

 でもそのおかげで、アステルに対する妙な感情が出てきていないのがありがたい。

 ――さあ、いざゆかん! 私は覚悟を決めて扉に手をかけた。


 部屋に入り、まず目に飛び込んでくるのは正面から少し位置がずれた場所にある、暖かそうな炎が揺れている暖炉だ。その上には銀で縁取りされた大きな鏡が部屋の様子を映し出している。暖炉の正面には、湯気の立っているカップを二客乗せた木製の低いテーブルが、水色のソファに挟まれて置かれていた。ここは家族だけが利用する居間なので、あまり広くはない。

 私から見て左側のソファにはヘンリー父さんが座っている。

 そしてその向かいに旅装を解いて、寛いだ服を着たアステルが腰掛けていた。

 私が入ってきたことに気づいたアステルがこちらに首を巡らせる。

 一年ぶり。さらさらな短いゴールドの髪。深い青色の優しい目。その目が私を捉えると、柔らかく細められる。

 それを見た途端、なんだか色々ゴチャゴチャ思い悩んでいたことがどこかへ行ってしまった。カラカラだった部分に何かが沁み込んでくる。沁み込んだものがどんどん溢れ出て、膨れ上がってしまうほどに満たされた。やっと会えたと安堵していることを自覚してしまった。

 ああとにかくなんかもう、どうでもいいや。

 私は湧き出た感情が指示する通りの表情を作り、部屋に響くほどの大声で叫んでしまった。


「アステル、お帰り!」

「ただいま帰りました」


 蕩けそうな笑顔を浮かべて、立ち上がったアステルが腕を広げ、私を迎え入れる。

 突撃するみたいに駆け寄って、ついつい胸に飛び込んでしまった。温かい懐にぎゅっとしがみつく。なんだかんだと考えていたくせに、これじゃ子供の頃と全然違わないな、私も。

 大きくアステルの香りを吸い込んで、ちょっとだけ気が済んだ私は僅かに身体を離し、頭二つ分は上の位置にある顔を仰いだ。

 この四年間でアステルも少し変わっている。昔は綺麗な印象が強かった面立ちに、雄々しさが加わったというか。いや、充分端麗で柔らかい印象は変わらないけれど、以前よりも雰囲気に深みが加わって、凛々しくなっている。

 アステルが目元を和ませたまま、口を開く。


「久しぶりですね。元気にしていましたか?」

「元気元気。風邪一つ引いてないよ」


 ここに来てしばらく経った頃の私は、不慣れな環境に適応しようとしていた緊張と疲れをちょっとずつ放出するみたいに、定期的に熱を出して寝込んでしまっていた。でもここ一・二年はバリアでも張っているんじゃないかと思えるくらい、病気が寄ってこない。

 答えた私に返事をするように、アステルが笑みを深める。

 そして私は頬に口づけられた後、ひょいと抱え上げられて、ソファに腰を下ろしたアステルの膝に乗せられた。向かいに座るヘンリー父さんは慣れっこだとばかりに表情を崩すこともなく、微笑ましそうに私たちの様子を眺めている。

 恐ろしいことに、この光景が日常なのだ。今では使用人の人たちだって驚かない。

 アステルは平気で私を抱き寄せたり膝の上に乗せたりする。最初の頃は膝からどうにか降りようとジタバタ試行錯誤していたけれど、がっちり腕を回されて放してもらえない上に、どんなに抗議をしたって何度も同じことを繰り返される。そして猫でも抱いているように頭を撫でられるのだ。もうこちらも諦めて慣れてしまった。

 とても十七歳の乙女にする行為だとは思えない。絶対にアステルの中で私は十二歳のままだ。

 そんな私の心境など知らぬげに、アステルはやっぱり頭を撫でてきた。


「しばらく見ない間に綺麗になりましたね」


 てらいも気後れもない、こうして褒めるのが当たり前だという態度。

 だからなんでそういうセリフをさらっと言えちゃうんだよ! 私は火照ろうとする顔を、意志の力を総動員して無理矢理押さえ込み、唸り声をかろうじて堪えた。

 駄目だ……。ここで照れてしまうとなんだか負けてしまうような気分になってしまう。


「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ」


 何故だか対抗意識を持ってしまった私は、にっこりと胡散臭い笑顔を浮かべて返答した。そうすると、ポンポンと頭を軽く叩かれる。

 ――なんだろう……。結局負けたような気がする。

 どう切り返したらよかったんだろうか。口に拳を当て、鼻の頭越しに手の甲を見ながらあれこれ考えていると「ところで」とアステルが問いかけてくる。私は目線だけを上げた。


「今までどこへ行っていたんですか?」


 アステルは遠足の場所を訊くような、とても気軽な調子で爆弾を投下する。忘れた頃に切り込んできた。

 一瞬頭が真っ白になり、膝からずり落ちそうになってしまった。アステルに引き戻されてハッと我に返る。

 そうだ、呑気に意識を遊ばせている場合じゃない。今までバイトしてました、なんて知られたら元も子もない。上手いこと誤魔化さねば。


「ふ、麓の村へ遊びに行ってたんだよ。織物とか見せてもらってたら遅くなっちゃって!」


 またもや胡散臭い笑顔で対応するけれど、声が上擦ってしまった。

 そしてアステルはからかうような声でさらにたたみかけてくる。


「馬に乗って?」


 私は普段、村まで馬では行かない……。なんで厩舎に馬がいなかったことまで知っているんだよ!

 心の中で文句を吐きかけながらも、苦しい作り話を続ける。


「雪も降ってたし、念のために乗っていった方がいいってお父様が! ねっ?」


 ここはぜひとも、と救助を請う穴に落ちた人の心持ちで、ぐるんとヘンリー父さんに顔を向けて同意を求める。

 助けて、お父様!


「ああ。私がそう勧めたんだ」


 ヘンリー父さんは私の必死な心を汲み取って、動じず慌てず助け船を出してくれた。差し出された支援の笑顔は実に自然で、年季の入ったものだ。

 これには騙されてくれるに違いないとアステルを見上げると――。


「そうだったんですか」


 これまた綺麗な笑顔をヘンリー父さんに返していた。

 暫し部屋に微妙な空気が漂う。なんなんだ、この狐と狸の化かし合いみたいな雰囲気は?

 でもとりあえず、と私は胸の中で安堵の息を吐いた。これ以上はアステルも突っ込んでくる気はなさそうだし、よしとしておこう。

 蒸し返されない内に、話題変更だ。

 私は、ヘンリー父さんと一見和やかに笑い合っているように見えるアステルの襟元をつんつん引っぱり、注意を引きつけた。


「そう言えば、もうすぐ静寂の祭りだよね。アステルと祭りの日を過ごすのって初めてじゃなかった?」

「ああ……、そうですね。もう何年もこの時期に帰ってきたことがありませんでしたから」


 アステルが懐かしい日に思いを馳せるように、正面の空間へ視線を漂わせた。

 静寂の祭りというのは、冬の農閑期、その中間頃の日に迎えるこの地方独自のお祭りだ。毎日忙しく働いているのだから一日だけ何もしない日を作ろうと、昔誰かが考えたのが始まりだという。

 祭りといっても何かをするわけではなく、むしろ何もしない。してはいけないのだ。

 明かりも点けない。外にも出ない。何もせずに部屋で過ごす。

 そして私が一番このお祭りで苦手なこと。それはご飯を食べられないということだ。食事を作るという行為もしてはいけないらしい。一日抜いただけで身体がどうこうなるわけではないけれど、空腹を持て余すのは辛いことだった。

 まあそれはともかく、いつもは神へ祈りを捧げている人々も、この日ばかりは家族や隣人、いつもお世話になっている人への感謝の祈りを優先する。自分が自分に関わる人たちにどれだけ助けられているかを、自分の中で再確認する日なのだ。そして出会った人に、「今日の安静に感謝を」と決まり文句で挨拶をする。今日という日を安らかに迎えられたことを、あなたに感謝しますという意味だ。

 実質の休日になるので、皆おしゃべりをしたり――大声を出してはいけない。小声で――暖炉や雪明かりで本を読んだりして過ごす。

 そうして静寂の祭りが終わると、もう数日で新しい年が始まる。

 といっても、この国の人たちは特に新年を祝うということをしない。目安にはなるけれどそれよりも、王様の誕生日の方が節目の日になるらしい。尤も、他の国がどうなのかは知らないけれど。

 アステルがふと思いついたように私へ視線を戻した。


「桜は毎年どうやって静寂の祭りを過ごしているんですか?」

「色々かな。リディやお父様とお喋りしたり、本を読んだり。暖炉の前でぼーっとしたりとか」


 リディは二年前にいなくなっちゃったけどね。


「それでは、今年は俺と話してくださいね」


 そう言って優しく微笑むアステルに、またもや頭を撫でられた。


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