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空を映す海の色  作者: せおりめ
第2章
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静寂の祭り 2

 ついでのように驚きの発言を落とすヘンリー父さんに向けて、私は眉根を寄せた。

 ローズランドは豪雪地帯――と表現したらいいのか、結構な雪が降る。もう季節は冬の始まりにさしかかっていた。

 横を向いて窓の外を見てみると、どんよりとした灰色の雲の下、木枯らしに乗って茶色い葉がくるくる踊っている。一月後には雪も積もってしまっているだろうに、そんな時期に旅をするなんて場合によっては命がけだ。


「王太子殿下が王の名代で、隣国を訪問なさるらしい。アステルも今年一度も帰ってこなかったからな。丁度いいからとその分も休みを頂いたそうだ。三月以上は滞在する予定だったかな」

「それって、アステルは王太子殿下についていかなくてもいいの?」

「他の護衛が付くらしいな。なんでもほとんど休みが無かったらしく、殿下が気遣ってくださったそうだ」


 私は自分の気を宥めるように頬へ手を当て、思いを巡らせた。

 アステルは毎年、雪の季節を避けて三度はローズランドへ帰ってきていた。今年は王と御側室との間に新しく王子が誕生したということで、大きなお祭りもあり、準備や後始末なんかで忙しくて帰れないと言っていたのだ。

 私はというと、その分心置きなく『道の始まり亭』に通えていたんだけれど……。――そうか、考えてみればもう、約一年はアステルの顔を見ていないんだ。

 頭の中では別のことを考えながら、ヘンリー父さんに言葉を返す。


「じゃあ雪解けの頃に王都へ帰るんだね。その時はいいけど、ここへ来る時は大丈夫なの?」

「なんとかなると思ったから帰ってくるんだろう。しばらく顔を見ていないから、お前に会いたいんだろうね」

「会いたいと思ってくれるのは嬉しいんだけど……」


 子供の頃は、アステルが帰ってくると知った時は嬉しくて、会える日を指折り数えて待っていた。会えたら会えたで飛びついていったものだ。

 でも成長するに連れて、考え方だって変わってくる。あの頃のように、単純に喜ぶことを私の深い部分が許してくれない。複雑に絡み合った糸みたいな感情が私の心に巣くっていた。たった四年前のことなのに、どうしてお母さんみたいだと思えていたかが分からない。そしてどうして今はそう思えないんだろう?

 家族なんだもの。会いたいに決まっている。でも同じように離れているリディに、アステルに抱いているような渇望は感じない。いつもだったら帰ってくる時期に戻らないと知って、地面を突き抜けて落ちていきそうな胸の塊を支えるのに必死だった。だったらいっそずっと戻ってこなければいいとヤケクソ混じりに強がって、すぐに否定した。

 どうしてアステルに関してはこんなにゴチャゴチャと、思考が行きつ戻りつするのか考えるのが怖かった。足の裏に絵の具を付けている誰かに、自分のまっさらな場所を歩き回られている気分。歩を進める度に変わる色と模様は、私の頭を好き放題に翻弄する。止めたくてもどうしようもない。

 いつの間にか考えに没頭していた自分に気づき、頭を左右に勢いよくぶんぶんと振った。

 ええいもう、こんなのは無視だ無視! と、怒濤のように湧き出た感情を払っておく。

 散ってしまえ。

 挙動不審な私を訝しく思った様子のヘンリー父さんが「どうした」と声をかけてきたけれど、それには答えず、気を取り直すように明るい調子で口を開いた。


「私のことをあれこれ叱るけど、アステルだって無茶するよね。まあいいや。分かった。アステルと話し合ってみるよ」


 ヘンリー父さんの言う通り、いつまでもアステルに隠し事をしておくのは落ち着かない。徹底的に話し合って、私の自立を認めさせてやる。

 あの怖い笑顔なんかに負けてなるものか!

 私がアステルとの対決に向けてメラメラと音がしそうなほど燃えているのを、楽しそうに眺めているヘンリー父さんが「それから」と言ったので、意識をそちらに向ける。


「意図的に除外しているようだが、お前たちがお互いずっと傍にいる方法はあると思うがね」

「……それってどういう意味?」


 さっきせっかく振り払った思考が戻ってきてしまった。頭の隅の方で浮かび上がってきた答えを見ないまま、無理矢理放置してヘンリー父さんに問いかけた。

 そんな答えはそのまま空まで浮いていって、大気に溶けてしまえばいいのだ。


「分からなければいい。自分で考えなさい」


 ヘンリー父さんは少し寂しそうに、口の端を上げて微笑んだ。その顔を見た途端、罪悪感が頭をもたげてくる。

 ――でもね、お父様。頭の中でずっと響いている声が囁くの。帰らなきゃって。答えが分かってしまうと、今まで避けてきた感情に向き合わされてしまうでしょう?

 その感情を自覚してしまうと、私は向こうの世界へ帰るのか、アージュアへ残るのかを選ばなきゃならなくなる。向こうへ戻るのが当然で、選択肢なんかあってはならないはずなのに。

 それにさ。

 私は外の景色を眺める素振りでヘンリー父さんから顔を逸らし、悟られないように目を閉じた。

 優しすぎるんだよね、あなたたちは。

 一つ息を吐き、私は再び目を開けた。

 ここの人たちは私にとって、今ではおじさんたちと同じくらい大事な存在になりつつある。

 そう。結局、なんだかんだと理由をつけていたけれど、私がグレアム家を出たい動機はただ一つ。

 これ以上この人たちを好きになりたくないから傍にいたくない。

 もうさっさと向こうへ帰ってしまいたい。それなのに、なんで私の記憶は戻らないんだろう?



 部屋に戻ると、なんだか私は脱力してしまってソファへだらしなく身を預けた。

 そうすると、教育的指導が飛んでくるわけなんだよ。


「桜様? その姿勢は感心いたしませんよ」


 ここにも笑顔の達人がいる。エレーヌの、どう見ても慈愛の微笑みなのに、この顔で注意をされると逆らえないのだ。私は急いでお行儀よく座り直した。

 礼儀作法については日々実践させられている。常に背筋は伸ばしておくこと。立ち居振る舞いには指先まで気を配ること。――云々。さすがにやっていられないので、人目のない所ではあぐらを組んで座ったりしているけどね。


「旦那様とのお話し合いはいかがでしたか?」


 問いかけてくるエレーヌからお茶を受け取る。


「――ありがとう。お父様は特に反対ってわけでもないみたい。でも、アステルの許可がないと駄目なんだって。今度アステルが帰ってくるから、その時に話し合うことになったよ」


 エレーヌとソフィアには、既にここを出ていきたいと伝えてある。二人は異議を唱えることもなく、黙って頷いただけだった。もしかしたら、私がそう言い出すと薄々分かっていたのかもしれない。

 カップの中に注がれているオレンジ色の水面を眺める。私の好きな甘いお茶。一口飲むと、ホッとした。


「さようでございますか。頑張ってくださいませ」


 エレーヌ、なんか嬉しそうな顔してない?

 いかにも私の負けは決まっていると伝えたげな声音にムッとして、ジトッと睨んでやると、慌てて顔を背けられた。ふんだ、と鼻を鳴らし、それからまたお茶に口を付ける。

 本当に、どうなることやら……。

 カップを乗せた受け皿を木製の平らな肘掛けに置き、そのままどこを見るでもなく視線を流していると、そういえばと思い出した。

 そうだ。タバサさんとディックさんに、一月後からしばらくお休みさせてって頼んどかなきゃいけない。

 そうやってつらつらと考えことをしている内に、無意識に手が胸の辺りを押さえる。固いペンダントの感触。

 なんとなく服の下からペンダントを引っこ抜いて眺めてみた。花の形をしたペンダント。緑・青・紫・ピンク・黄色がそれぞれきらきら光っている。

 ローズランドで過ごす間に、ペンダントに掛けられている魔術が一つ判明した。

 その時私はこの国の言葉を勉強するために、ペンダントを首から外していた。そして勉強が終わっても、うっかりして首に掛けずにそのまま席を外してしまったのだ。その時はまだ言葉をちゃんと覚えていなかったから、リディに話しかけた時に怪訝な顔をされて、やっと気がついた。

 慌てて取りに戻ろうとしたところでいきなり手の中に固い感触がして、うへっ? と驚いてしまった。手を開いて見てみると、忘れてきたはずのペンダントがあったのだ。

 なんじゃこりゃ、とリディに話してみると、いつも綺麗で賢いお姉様はこう言った。


「もしかしたら、あなたと一定の距離を離れてしまうと追いかけてくるのかもしれませんわね」


 それじゃあ試してみようと、ペンダントはリディに持ってもらって私は部屋に帰ってみた。

 そうしたら、いきなり目前のテーブル上にペンダントが現れたのだ。リディによれば、手の中から突然消え去ったということだった。

 一つ目は翻訳機能。二つ目は掛かっている魔術を隠すための魔術。三つ目は追尾機能……でいいのかな?

 後の二つはなんだろう?

 そんなことを思いながらぼーっとペンダントを見つめていると、不意に、頭の中に音と映像が浮かんできた。


 ――……広い部屋。枝葉を広げた樹。沢山の奇妙な動物たち。

『――あなた、しばらくこの世界にいる気はない?』

 ――……女の子が何かしゃべっている。日本人形みたいに綺麗な女の子。

『――ここにはあなたを引き留め得る人間がいない』

 声と映像は夢の中のように輪郭が曖昧で、近づいたり遠ざかったり、ゆらゆら揺れている。

 ――……女の子は翼の生えたライオンにもたれかかっている。

『――その時に、彼はあなたのことを忘れるわ』

 そこまで思い浮かべた時、ラジオの電波が突然近くなったみたいに、頭に映像の中と同じ声が直接響いてきた。

「駄目じゃない。まだ思い出しては――」

 そこではっと我に返った。キョロキョロ辺りを見回しても、見慣れた部屋があるだけで、誰もいない。エレーヌは隣の寝室で何かの用事をしているみたいだ。

「今のは……?」

 もしやと思って再びペンダントに視線を注ぐ。でもなんの反応もない。

 もしかしたらあれが私の記憶……?

 私はペンダントを眺めたまま、恐らくは確信に近い可能性を前にしていた。

 ――じゃあ、あの女の子がユヴェーレンのティア・ダイヤモンドなんだろうか?


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