表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空を映す海の色  作者: せおりめ
第2章
26/105

静寂の祭り 1

 ヘンリー父さんはいつものように机の前に座っている。紙にインクを走らせ、何か書き物をしているようだった。

 相変わらず、太っているわけでもないのにどっしりとした印象は変わらない。この四年間で外見も変わっていないように見えた。まあ私みたいな成長期ならいざ知らず、壮年のヘンリー父さんはそうそう変わるものじゃないのかもしれない。


「仕事の調子はどうだい?」

「おかげ様で、働く喜びを噛みしめております。――お店の旦那さんも奥さんも、とっても優しくていい人だよ」


 手を休めず尋ねてくるヘンリー父さんに、前半は少しおどけながら答えた。笑い混じりの声で「それはよかった」といらえが返ってくる。

 私はなんとなく間を測るるように黙ってしまい、それから思い切って切り出した。


「お父様、話があるんだけど……」

「何かな?」


 ここで初めてヘンリー父さんが顔を上げる。温かいエメラルドの目が私に向けられた。

 唾を飲む音が自分の中でやけに響く。これから告げようとしていることに緊張しているんだ。押したらすぐに揺れ動きそうな決心を悟られたくない。頼むから震えないでよ、私の声。


「単刀直入に言うね。ここを出ていきたいと思っています」


 深く息を吸い込んで、用意していた台詞を一気に吐き出した。遂に言った。もう後戻りはできない。不安な気持ちを支えるように、胸に手を当てた。

 そんな私とは対照的に、ヘンリー父さんは片眉をピクリと動かしただけで、平静な顔のまま椅子の背にもたれかかる。両腕を肘掛けに乗せて指を組んだ。


「――それはこの城を出る、というだけの意味ではないんだろうね」

「そうだね。自立したいって意味だよ」


 私はどうしても強張ろうとする、硬い表情のまま返事をした。ただこの城を出て、例えば王都のお屋敷へ行きたいとかそういうことを訴えたいんじゃない。この『家』を離れたいのだ。


「街で働きたいと言い出したのは、そのための準備だったのかね?」


 落ち着いた声音で訊いてくるヘンリー父さんに、肯定の意味を込めて一つ頷いておく。


「さすがに、何もできない自分のままで自立したいなんて説得力がないしね。それにまずは、生きてい

くための技術を身につけておかなきゃと思って」

「今のまま、ここから仕事へ通うというのでは駄目なのかい? 何も無理にここを出ていく必要もないだろう」


 そりゃあヘンリー父さんからすれば、そう意見したいのはよく分かる。引き留めてくれるのは凄く嬉しい。でも、私はもうこれ以上、『家族』の傍にいたくないんだよ。

 胸の前に当てていた手を下ろし、両手をお腹の前で握り合わせた。冷静に見上げてくるヘンリー父さんに、尤もらしく理由を語り始める。


「アステルもリディもお父様の元を離れて自分の道を歩いていってるよね? 私もそうしたい。二人は王都のお屋敷に住んでるけど、それは王城にも近くて便利だからでしょう? 私に出来ることはもっと別の世界にあるから、ここに住むわけにはいかないの」


 実は、リディはもう二年も前に夢を叶えている。試験に難なく合格して、今は王女様の護衛を務めている。リディがいなくなることはとても寂しかったけれど、喜んでいるリディを見ていると、それがうつったように私も嬉しくなった。

 そして、アステルやリディのように剣を自在に振るえる強さがあるわけでもなく、政務をこなせるような知識を持っているわけでもない。何の特殊技能もなく、また魔道具も扱えない私が二人と同じ場所で働いていけるはずもない。

 出ていく口実には丁度いいと思った。

 どうだ、と外面は平静を装って、内心では固唾を呑んでヘンリー父さんの返事を待つ。まるで私の内心を読み取ったようにヘンリー父さんが口を開いた。


「他にも理由があるんじゃないのかね? 例えば、家の立場や身分に気後れを感じているのであるとか」


 ギクリ。心臓をデコピンで弾かれたような気がした。

 鋭い……。

 でもそんなのは私の中でもこじつけに近い、自分を納得させるための表面的な理由でしかないのだ。図星を指されたって動揺は一瞬。平気でやり過ごせる。


「そういうのも確かに理由の一つではあるけど、自分でも些細なことだと思ってるよ。お父様たちはそんなことに頓着しないって分かってるから」


 私は鍛え抜かれた笑顔で誤魔化した。――ヘンリー父さんに通用しているかどうかは分からないけれど。

 この数年間、笑顔はそりゃあ徹底的に訓練させられた。なんでも上流の人々は社交の場に於いて、何を言われても感情的になってはいけないらしい。洗練された仕草で毒を投げつけてくる人はどこにでもいる。でも、それへ真っ正面から食ってかかって騒ぐなんて、無粋なのだと。どんな場面でも笑顔の下に本心を押し隠し、サラリとその場をやり過ごすのだ。私もよく鏡の前で練習しているんだけれど、及第点を貰った笑顔は自分でどう見ても胡散臭いとしか思えなかった。

 その点、アステルやリディを観察していると、実に綺麗な笑顔を振りまいている。皆あの笑顔にコロリと騙されてしまうのだ。あの技術をぜひ分けてほしいもんだよ。まあ、いくら技術があっても顔の造作の及ばなさを補えないのが悲しいところではあるけれど。――あれ? 脱線してしまった。

 私はさらに言葉を続けた。


「間違えないでほしいんだけど、家族の皆が嫌いになったとかそういうことじゃないんだからね? これは絶対。今まで感謝しきれないほどお世話になったし、色んなことを身につけさせてもらっておいて出ていくなんて、恩を仇で返すみたいでとても申し訳ないと思ってる――」

「その先は言わなくて大丈夫だ。お前が私たちを好いてくれていることは分かっているし、家族の一員だ。家族を養うのは当たり前のことだろう」


 ヘンリー父さんは私を諫めるように微笑み、断言する。途中で遮られてしまった。

 でも、そんな甘やかすように私の大事な部分を守ってくれるから、余計に早く出ていきたくなっちゃうんだよ。


「しかし、残念だが今回の件に関しては、私が勝手に決めるわけにはいかないな」

「どうして?」


 若干しんみりと視線を落としてしまった私は、軽めの空気を含んだヘンリー父さんの声に引き攣りながら顔を上げた。

 どうしてとか問いかけながら、薄々答えは分かっている。でもなるべく避けたい問題だったから分からないふりをしておきたい。


「お前を連れてきたのはアステルだからね。あの子の意見を無視することはできないだろう?」


 まるで矢のように急所を直撃する言葉に、私はガックリと項垂れた。やっぱりそれか。会話の中で今までに湧いてきた、自分の中での緊張感だとか、寂寥感だとかそういうものが、爆弾を落とされたみたいに何もかも一瞬で吹き飛んでしまった。

 あるのはただ、ヘンリー父さんに対する懇願の気持ちのみ!

 私はパンッと両手を顔の前で合わせ、拝む姿勢で頭を下げた。


「そこをお願い、お父様! 一緒にアステルを説得して! 全然納得してもらえる自信がないの!!」


 形振り構っちゃいられない。伏して願い奉る――だ。

 そのままの体勢で神様のご光臨を待つ村人状態の私に、頭上から苦笑する声が降ってくる。


「済まないね。アステルは、お前に関する事柄については私の意見でも聞き入れはしないだろう」


 返ってきた言葉は無情だった。思わず両手を目の前の机に突いてしまう。ううう、実は結構当てにしていたのだ。私一人でアステルに挑んでも、あの笑顔の前に敗北させられるに決まっている。それどころか藪蛇になって行動に制限を加えられそうだ。……可笑しそうに喉の奥で笑わないでよ、ヘンリー父さん。

 私は八つ当たり気味にキッ、と眼光鋭くヘンリー父さんを睨めつけ、くだを巻いた。


「大体アステルは、もうちょっと私を信用してくれてもいいと思わない?」


 ヘンリー父さんは優しい眼差しで全てを受け入れる。


「それだけお前のことがかわいくて仕方ないんだろう。本当は自分の傍に置いておきたいんだろうな。あの子の元で育っていたら、お前ももうちょっとおとなしくなっていたかもしれないね」

「……私、お父様の傍で育ってこられて本当によかったと思ってるよ」


 今までの思い出を噛み締めるように、しみじみと零してしまった。心の底からそう思う。アステルの傍で育っていたら、今までみたいに自分勝手に外出なんて夢のまた夢だったかもしれない。まあ自由にしすぎてそれが心配なのかもしれないんだけれど。

 でもさ。


「ずっと傍にいられるわけなんてないよ。私だっていつまでも子供のままじゃないのに……」


 ヘンリー父さんに伝えるでもなく、机のへりに視線を投げながらポツリと呟く。アステルの態度は私が十二歳の頃と変わらない。保護するべき頼りない存在みたいに、傷つけないように、過剰に目をかけてくれている。私だって心も身体も成長しているのに。


「それをアステルに伝えてみてはどうかね?」


 鬱々と口を尖らせていると、諭すような優しい調子で言葉が返ってきた。

 ゆっくりと目を合わせた私に、ヘンリー父さんが柔らかく目を細める。


「お前たちは一度ちゃんと話し合った方がいい。今働いていることも、あの子にはお前の口から言っておくべきだろう。ちょうど、一月後に帰ってくるとファーミルで連絡が入っているよ」

「今の時期に帰ってくるの? 危険じゃない?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ