雷鳴の夜
突然鳴り響いた音で目が覚めた。
一瞬、何が起きたの? と壁の常夜灯を眺めながらぼーっとした頭で考えていると、カメラのフラッシュみたいに窓の外が瞬間的に光った。その後すぐにお城がびりびりと震えるような轟音。
「……びっくりしたあ」
雷が鳴っているみたいだった。広いベッドからよいしょと降りて、窓の方へ寄っていく。
ガラス越しの外は真っ暗で見えないけれど、雨の音は聞こえてこない。そしてまた閃光が走ったかと思うと、すぐに地鳴りのようにズズンと激しい音がした。
確か、光った後にすぐ音が鳴るのは雷が近い証拠だと聞いたことがある。今も、轟き渡るその雷鳴だけで凄まじさが伝わってくるのだ。案外、本当なのかもしれない。
私は雷が嫌いじゃない。別に好きなわけでもないけれど、そんなに怖いとは思わなかった。雲の間を光が走っているのを見ると、綺麗だとさえ感じることがある。
「うん?」
思わず声を上げてしまった。今、荒れ狂う太鼓のような音を小さくして反響させている耳が、何か別の音を拾ったように感じたからだ。
ちょっとの間耳を澄まして、やっぱり気のせいかなと思っていると。
「え」
雷の合間に、今度ははっきり聞こえた。
窓辺に立ったまま、ベッドを挟んだ向こうにある、扉の方を振り向く。あれは、ノックの音だった。
「まさか……」
認識した途端、一気に鳥肌がたってきた。お腹の底がいやな感じに冷えていく。身体に感じる心臓の音がやけにうるさい。――まさか泥棒か何かが入り込んできているとか!?
「どうしよう?」
護身用に習っている棒は隣の部屋に置いてしまっている。こんな時こそ役立てなきゃいけないのに、と心底後悔した。
今度からは絶対に寝る時も側に置いておこう! と拳を握り締めて決心するけれど、そんなものは今現在において、スリッパほどの役にも立たない。スリッパだったら相手を叩くこともできるもんね。ダメージは少なそうだけれど。だから私の足を包んでくれているルームシューズは却下。
私は何か武器になりそうな物は無いか、あたふたと部屋を見回した。でもパッと見、侵入者を威嚇できる威力がありそうな、優れものは見つからない。ああ、こんなこと考えている間にも、入ってこられちゃうじゃないか!
仕方がないので抵抗は諦め、今度はどこか隠れる所はないの? とベッドの下にでも潜り込もうかどうしようか、腰を屈めたり伸ばしたりでおろおろしていた。すると、ホラー映画のワンシーンのように扉のノブが動いた。
私は全身に接着剤でも浴びせかけられたかのように、動きを止めてその様子を凝視することしかできなかった。そして私的には製氷皿の氷が全部溶けてしまうくらい、それだけの長い時間をかけてからカチャリと音がした後、無慈悲にも内側へ向けて、扉がゆっくりと開いていった。
背中に当たる窓の感触が冷たい。これ以上後ろへは下がれない。姿をくらます場所を思いつけなかった私は、どうしたらいいのかわからないまま、じっと扉を見つめるしかなかった。
「桜……起きていらっしゃる……?」
リディじゃないか~~~。扉が完全に開いた後、姿を現したのはよく見知った顔だった。安心しすぎてへたり込みそうになる。
「リディ……びっくりさせないでよ。心臓止まるかと思ったよ……」
私はリディに、安堵とか怒りとかまだちょっとだけ残っている恐怖とか、色んな感情がごった煮になった声を向けた。その本人は枕を抱きしめて、不安そうな面持ちで立っている。
「ごめんなさ――! っきゃあっ!!」
謝りかけたリディは、再びの閃光と轟音にしゃがみ込んでしまった。
その素振りに首を傾げてしまった。これはもしかして。
「リディ、もしかして雷怖い?」
歩み寄りながら訊くと、リディは枕を膝に乗せて、手は両耳に当てて座り込んだままの体勢で顔だけをこちらに向ける。最初は私の声が聞こえなかったみたいで、一瞬「何?」という問いかけるような表情をされたけれど、その後合点がいったのか、泣きそうな表情で訴えてきた。
「私、雷はどうしても苦手で……。桜は怖くありませんの?」
私も屈んでリディと目の高さを合わせ、気弱な発言に、にやりと笑いかける。
「確かにここまで音がしたらちょっと怖いと思わないでもないけど……。リディほどじゃないよ」
からかわれたと感じたのか、リディがほっぺたを膨らます。まあその通りなんだけれど。
さらに何か反論しようとしたリディは、でもすぐに膝の枕に顔を押しつけた。また外が光ったのだ。
雷のせいでリディにいつもの勢いがない。これ以上意地悪するのはかわいそうかもしれない。滅多にない反撃の機会なのに、ちょっと残念だ。
後でバレたら怖いので、その気持ちは押し隠す。
「一緒に寝る?」
「……そうして、くださいます……?」
不安そうにこちらを窺い見るリディがかわいい。
「いいよ。私もこういう時は一人でいるよりも、二人の方がいい」
そう笑いかけ、リディの手を取って立ち上がり、一緒にベッドへ寝転んだ。顔を埋めた時の、フカフカの感触が気持ちいい。大きなベッドは二人で並んでも全然余裕がある。
「リディは今まで、雷の時はどうしてたの?」
俯せのまま両肘を突き、胸から上を起こした姿勢で尋ねた。
雷が鳴る度に一人で震えていたわけでもないだろうし。
リディは持参してきた枕を頭の下に敷き、掛け布団を目のすぐ下まで引き上げた状態で口を開く。雪の間から顔を覗かせる、ウサギを思い出してしまった。
「小さい頃は、こうやってお兄様のベッドへ潜り込んでおりましたわ。でもさすがに大きくなってくるとそういうわけにもいきませんし……。普段はマーガレットかジーンに手を握ってもらっていますの」
マーガレットさんとジーンさんはリディの侍女で、二人ともとっても優しい人たちだ。
でも大きくなったら夜にお兄ちゃんの所へ行けないなんて、そういうものなのかな? 私だったら、G――出てきそうでとても名前を出せない――を見つけたらどんなに夜遅くても、蒼兄ちゃんを叩き起こしにいくのに。
「今日はどうして私の所に来たの?」
それこそ、侍女さんたちに頼まなかったのかな?
「――桜が怖い思いをしていたらかわいそうだと思って、来てあげたのですわ」
プイッと顔を向こう側に向けられた。この憎まれ口がリディらしい。少し調子を取り戻したみたいだ。こういう時に頼ってきてくれるのは嬉しくて、なんだか胸がくすぐったくなってくる。
ふと、頭を動かした拍子にリディのふわふわした髪が顔に触れた。薄暗い中でも僅かな明かりを反射している、ゴールドな金色。このキラキラした輝きを見ると、アステルを思い出してしまう。
「ねえリディ、アステルって年に何回ぐらいローズランドへ帰ってくるの?」
「そうですわねえ……大体、一、二度くらいかしら? あちらでのお仕事もありますし」
エメラルドの目がこちらへ向けられる。いつの間にか雷の音は止んで、時々弱い光が明滅する程度になっていた。
遠のいた雷の元、夜が闇を深めるように、私も気分が沈みこんでいくのを感じる。
「そんなに少ないの? あんまり会えないんだね」
寂しいな。我が儘は言っちゃいけないんだけれど、確かにがっかりしている自分がいる。
「ええ。私は年に何度か王都へ参りますからその時に会えますけれど……。あなたはしばらくローズランドから出られないんでしょう?」
「うん。いろいろ勉強しなきゃいけないから。でもリディも王都へ行くんだったら、その間寂しくなるね」
アステルがいない上に、リディまで留守にするなんてつまらない。
「王都へ行った時はお土産を買って参りますわ。それで元気をお出しなさいな」
私の声があんまり気落ちしていたんだろうか。リディがなんでもなさそうな調子で、でも励ましの心を組み込んだ言葉をかけてくれた。
それに――とさらに続ける。
「お父様は王都へはお行きになりませんわ」
「……それってやっぱり、リディたちのお母さんを思い出すから?」
「ご存知でしたの? でもお父様は、最近ではお母様のことは大分折り合いをつけているようですわ。時々お母様の絵姿を懐かしそうに眺めていらっしゃいますもの。以前はとても辛そうでしたのに。だから後は、何かきっかけがあればいいと思うんですけれど……」
わたしは喉の奥でふうんと相づちを打った。
肉親を失った辛さは私も味わったけれど、ヘンリー父さんの苦しみがどんなものなのかは想像することしかできない。それでも、私が色々な人たちに優しくしてもらってそうだったように、ヘンリー父さんの中で辛いばかりだった思い出が、優しいものに変わってきているのかな? そうだといいな。
「そっか。またみんなで王都へ行けるようになればいいね」
「……その時はあなたも一緒に行けたらいいですわね。――お休みなさいっ」
そう早口で言い放った後、リディは急いで向こうを向いて、頭まで布団を被ってしまった。多分照れているんだ。
もう外はすっかり安らかな静けさを取り戻している。雷は完全に去ってしまったみたい。
「ありがとうリディ。お休み」
私もリディに背を向ける。背中越しに感じる温もりが心地好くて、しばらくは波間を漂うようにうとうとしていたけれど、そのうち柔らかな眠りに引き込まれていった。




