ローズランド公爵領 6
後ろに流した髪を片手で払いながら言い放つ、この見事な豹変ぶりには絶句してしまった。
思わず口を開けて呆然としていると、「何ですの、間抜けなお顔をなさって」と注意されてしまう。
間抜けとは失敬な。あんたのせいでしょうが!
「アステルたちの前と今とで、態度が違いすぎない?」
違うと表現するのも生やさしい。ほとんど二重人格だ。
「当たり前でしょう? お兄様とお父様に嫌われたくはありませんもの」
実は今のリディは白昼夢か何かで、否定の言葉が返ってくるとの期待を込めて訊いてみたんだけれど……。当然という風にツンと顎をそびやかし、堂々と言い切られてしまった。
ここまで一つの絶対的な真理とばかりに断言さてしまうと、いっそ清々しく感じられる。
「大体アステル、アステルと馴れ馴れしいですわよ。あなたはお兄様にとってどういう方ですの? 異なる世界からいらしたとお聞きしましたけれど、いくら天海の彩だからといっても、あれほどお兄様がお気にかけるだなんて」
そりゃあ、アステルはお母さんですから。なんて本音をそのまま告げてしまったら、お兄様をなんだと! という感じでますます怒りを煽ってしまいそうだ。
私は話題をずらそうと、気づいた疑問点を口にした。
「そういえば、私がこの世界の人間じゃないって知ってるんだね?」
「ええ。堅く口止めされてはおりますけれど。存じておりますのは、他にお父様と、あなたの侍女二人だけですわ」
起こった事柄をありのままに捉えている、というようなリディの態度に、ううむとしばし考えを巡らせた。思い起こせばアステルもそうだった。二人とも、別の世界から何者かが訪れるという真面目に語れば語るほど何言っちゃってんの? 的扱いされそうな出来事を、平然と受け入れている。きっと、ヘンリー父さんもエレーヌたちも。
魔術という私の世界とは全く違った『理』が、私の巻き込まれた状況にとって有利に働いている、と考えたらいいのかな。これが逆の世界だったら信じてもらうだけで一苦労も二苦労もしなくちゃならなかったんだろうな。その点に関してはラッキーだったのかも。
うん? 前にアステルは、私がこの世界の人間じゃないという事実はなるべく知られない方がいいと忠告してきた。家族や身近な人たちには話しておいた方が賢明だと判断したってとこなのかな。
「お父様が、男女の区別なく剣を習うみたいなことを言ってたけど、やっぱりリディも扱えるんだよね? 剣を持つのって嫌じゃなかった?」
「嫌ではありません。自分の命だけでなく、この手で大切な人の命まで守ることができるんですもの。お兄様はかなり反対していらっしゃいましたけれど、あなた自身はどうお思いなんですの?」
凛々しいと感じられるほどに毅然と、正反対の意見を出されて躊躇してしまった。けれど私もさっき導き出した結論を述べることにした。
「自分の身を自分で守れたらそれに越したことはないんだけど……。私のいた場所では、一般人が武器を持つなんてとんでもないことだったから、その考え方が染みついてる。誰かを傷つけるのは――怖いよ」
リディは人を傷つける覚悟ができている人なんだろう。それどころか、他の人を守りたいとの決意を胸に閉じ込めている。見た目はこんなに可愛らしい天使のような女の子なのに、心の中には芯の通った、揺るがない何かを持っている。
本当に、アステルといいリディといい、歳がかけ離れているわけでもないのに、見ている場所と心構えが全く違うと思い知らされてしまう。それこそ、地上と地下の住人というほどに立っている場所が隔たっている。
私でもこの世界で生きていく内に、この人たちのように揺るがない何かを見つけられるんだろうか?
「武器を持つことがとんでもないだなんて、あなたの国は平和だったんですのね……。あのね、私、本当は王城の騎士団に入りたかったんですの」
騎士団!? 思わず首を伸ばし、目を全開にしてしまった。
この人にはさっきからびっくりさせられてばかりだけれど、これまた驚いた。しつこいようだけど、外見に似合わない。あ、アステルもか。意外性のある兄妹だ。
「リディってそんなに剣が強いの?」
「同じ年齢の男の子たちにだって負けない自信がありますわ」
驚いて尋ねる私に、リディが腕を曲げて力こぶを作るような真似をした。さっきまでの挑戦的な態度はもうすっかりどこかへ葬り去っている。
「ですが、規律で女は騎士団に入ることができませんの」
少し目を伏せて悲しげな素振りを見せる。こんな様子を見せられてしまったら、よしよしと慰めてあげたくなる。
……と思ったら、リディが突然「でも!」と気合いを漲らせて言い放ち、勢いよく顔を上げた。
なんだか目まぐるしい人だ。
「女性の王族の護衛なら、女でも就任可能なんですのよ。ですから私は今それを目指して特訓中ですの。絶対に王女殿下の護衛に任じていただいて、お兄様とご一緒に王城で働くんですわ!」
口調と、決意溢れる顔つきから断固とした意志が感じられる。パチパチと応援の拍手を送りたくなるほどだ。
でも。
「アステルやお父様は反対したりしないの?」
ヘンリー父さんはともかく、アステルは私に剣を持たせること自体あんなに反対していたのだ。騎士団や護衛の仕事なんてかなり危ないものだと思うんだけれど。
「いいえ。お父様は自分の行動に責任を持てるのであれば、好きに決めればいいと仰いました。お兄様も同じお考えのようです」
誇らしげに微笑むリディを見て、胸がチリリと疼く。ほんのちょっとだけど無視できない、自分が持っていないものを持っている人から与えられる苦[にが]み。
ああ、それってリディは信用されているってことなのだ。家族の心配をしないはずがないのだから。
それを勝ち取ったリディも偉いし、信用して、好きにしたらいいって任せられるアステルやヘンリー父さんも凄い。
つまり、アステルは私を全然信用してないってことだ。思い当てた事実に私は少し落ち込んでしまった。
でもまあ、と考え直す。
それはそうだよね。出会ってから今まで、お世話をかけっ放しなんだもんなあ。
それにしても要するに、リディが王女様の護衛になりたいのはアステルの傍にいたいからってことなんじゃない?
もしかしてリディの揺るがない何かっていうのは、アステルのことが大好きだってこと?
得々とまだ何かを語っているリディを前に、私は投げ遣りにな気分になった。
――さっきしんみりしてしまった私の時間を返してほしい。
ということはだよ。リディがさっき敵意をぶつけてきたのは、ようするにお兄ちゃんを取らないでってことなんでしょ? それはつまり。
「もしかしてリディは私にヤキモチを焼いていた?」
言葉が勝手に飛び出てきてしまい、しまったとおしゃべりな口を押さえたけれど、もう遅かった。ついつい余計な一言を呟いてしまったと思って、恐る恐るリディを窺ってみると……。
ひいっ! リディの目が吊り上がっている!
さっきまでの得意げな佇まいはどこへやら、敵意も露わに、親の仇とばかりに私を睨みつける。
「あなたになど負けてなるものですか。今に見ていらっしゃい!」
美少女、いやいや、美形が怒るとやたらに怖い。ダンゴムシのように丸まり、嵐が過ぎ去るのを待つのみ。綺麗な人には、こちらが好意を持ってもらいたいと無条件で願ってしまうような、問答無用の説得力が備わっていると思う。
私はひええと首を竦めた。
以前の天使にぜひとも帰ってきてほしかった。
リディが怒りのままに言い捨てて、踵を返してツカツカ歩いて行こうとするのを慌てて呼び止める。
「ちょ、ちょっと待って! 私の部屋は?」
置いてかないで、お姉ちゃん。迷っちゃうよ!
「すぐそこの扉ですわ。中であなたの侍女が待っているはずです。後はよしなになさいませ!」
少し離れた場所にある扉を指し示した後、今度は本当に行ってしまった。
「あ、ありがと……」
もう聞こえるわけもないんだけれど、お礼を口の中で呟く。
吸って。吐いて。
心を落ち着けるために私は大きく深呼吸した。
リディにはびっくりだ。最初とは印象がまるっきり違ってしまった。
でもやっぱり可愛いと思ってしまうのは変わらない。アステルに近い場所で働きたいというところも、私にヤキモチを焼いて言葉をぶつけてくるところも。
これからもアステルやヘンリー父さんがいない場所ではあんな感じなんだろうか。でも、私も負けてはいられない。きっと楽しい喧嘩ができるはず。
私はなんだか嬉しい気分で、リディの示した扉へ向かった。




