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空を映す海の色  作者: せおりめ
第1章
12/105

ローズランド公爵領 5

 「このような理由はいかがでしょうか? 叔母上が隣国バルトロメのヨーク家に嫁いでいかれましたが、その遠縁の娘を引き取ったというのは」


 アステルが一人一人の顔を見渡しながら提案し、そこで一旦言葉を切る。

 ヘンリーさんが顎をしゃくって続きを促した。


「仮にハノーヴ家といたしましょう。ヨーク家の遠縁であるハノーヴ家は不幸な事故に遭い、娘を一人残して断絶してしまいました。残された娘は天海の彩ということもあり、不必要な騒ぎを避けるために隠されて暮らしてきましたが、今回の事故でその存在が明らかになります。気の毒に思った叔母上は引き取ることになさいました。しかしヨーク家の当主がそれに反対なさり、叔母上は実家のグレアム家当主である父上を頼られました。さらに言えば、その娘は家族を一時に失ったことによるショックで記憶が混乱しており、この世界の常識や受けてきたはずの礼儀作法まで忘れてしまったのです。そして現在は様々な教育を受け直すために、療養も兼ねてローズランドで暮らしています」


 事故、と聞いてちょっと複雑な気分になってしまった。まるっきり私の境遇そのままだ。記憶喪失なんかになったりはしてないんだけどさ。

 それにしも、よくこんなにスラスラと嘘の設定が出てくるなあ。アステルってその気になったら詐欺師にでもなれそうだ。うん、雰囲気と容姿で大方の人がコロッと騙されそう。

 脱線気味に感心して聞き入っている私に「ここまではいいですか?」と確認するように笑いかけ、私が頷くのを見ると、リディさん、ヘンリーさんと順番に視線を移してから、さらにアステルは続ける。


「少し考えれば不自然な点はいくつも出てきますが、要は周囲に説明できる理由があればいいんです。例え疑問を持たれたとしても、当家に面と向かって疑問をぶつけてくる者もいないでしょう。隣国のことですのであまりないとは思いますが、誰かに調べられたとしても困る事柄ではありません。ただし、叔母上の名前をお借りする以上、ヨーク家には簡単な事情をご説明差し上げる必要はあるでしょう」


 ふむ、と考えるように腕を組んだヘンリーさんが、疑問点を口にする。


「名前はどうする? サクラという響きはあまり聞いたことがないが」

「耳に馴染みはありませんが、その地方独特の発音というものもあります。そのままで構わないのではないでしょうか。ただしフジエダはやめておいた方がよさそうです」

「サクラ・ハノーヴか……」

「名前を変えてしまうことになりますが、いいでしょうか?」


 アステルが再びこちらを向いて問いかけてくる。私はこくりと頷いた。

 郷に入りては郷に従えって格言もある。若干の抵抗はあるものの、ここで安全に暮らしていきたいんだったらアステルたちの言うことを聞くのが得策だろう。それに、これは私のためを思ってくれての提案だ。

 私はちゃんと、自分が『藤枝』であることが判っている。覚えておけばいいんだ。『桜』という名前は残っているんだから。


「では、妹には私の方から話しておこう。しかし、もし王や殿下に問い質されたらどうする?」

「王は疑問をお持ちになるかもしれませんが、所詮は瑣末なことです。お気になさらないでしょう。殿下については……問われたら適当にとぼけておきます」


 アステルは王子様についての部分で、これから結果が見えているテストに立ち向かうところだというような、少し諦めの混じる複雑そうな顔になった。ちなみに結果っていうのは悪い方寄り。

 一体どうしたんだろう?

 それにしても、どえらい自信だよ。要するに、王族以外は問題じゃないと確信しているんだ。

 なんなのこの家?

 そりゃあ公爵家なんて呼ばれているんだから身分は高いんだろうとは思っていたけれど、ここまでとは思っていなかった。爵位制度なんてよく分からないし。後で誰かに訊いてみよう。


「分かった。これから周囲には、そのように説明するよう心がけるとしよう」


 了解を示したヘンリーさんが、後は、と呟いて私の方を見る。


「これから君には多種多様な教育を受けてもらことになる。礼儀作法は勿論だが、有力貴族各家の名前や称号、又はその家族。さらにはこの世界の常識に……読み書きもかね? そして身を守るための護身術――」


 『読み書き』のくだりで尋ねるように眉を上げられ、軽く頷いた。

 にしてもさあ、と心中でわざと言葉を崩す。

 聞いているだけでうんざりしてくる。全部を覚えるのに一体何年かかるんだろう。私の頭に暗雲が立ち籠めた。

 この世界に来て出会った人たちは使用人さんに至るまで、みんな動作の一つ一つが流れるように綺麗だった。特に、アステルやリディさん、それに今会ったばかりのヘンリーさんも、一目でそれと分かるほど際だっている。この人たちは容姿が図抜けているだけじゃない。立ち居振る舞いの優雅さが、見目の美しさを後押ししているんだ。

 多分、これらは受けてきた教育の賜といえるんだろう。でも、果たして私にそれが身につくのかどうかを考えると、散々な未来しか想像できない。

 うぐぐぐぐ。喉の奥が勝手に唸りを上げた。でも悲観的になっても仕方がないか。

 とりあえず、頑張ろう。

 私は健気な決意を固め、よしと顎を上げた。


「待ってください。桜に剣を持たせるおつもりですか?」


 うん?

 アステルが制止の声でヘンリーさんを遮る。どうやら、護身術という単語が引っかかったみたいだ。


「それがこの家の方針だろう。当家は男女関係なく、子供たちは幼い頃から身を守る術を習う。乗馬は当然のことだが、剣の扱い方、いざという時の野宿の仕方もだ。お前たちもそうしてきたのではないかね?」


 ヘンリーさんがしっかりとアステルを見据え、次にリディさんへと視線を移す。リディさんが「はい」と返事するのを認めてから、顔の向きをアステルに戻した。見返すアステルの目は、多分私がファミレスでデザートを選ぶ時より険しくなっている。

 今はそんなに一大事なんだろうか?


「しかし俺たちは本当に幼い、五歳にも満たない頃から習ってきたんです。今から始めるなど、危ないでしょう」

「何を言っているんだ。桜はまだ十二歳なのだろう? 決して始めるに遅いということはないはずだ。お前、少し過保護ではないか?」

「過保護でもなんでも、護衛を付ければ済むことです」

「四六時中かね? 窮屈で仕方ないだろうな」


 この辺りから、ヘンリーさんの表情が面白がるようなものに変わってきた。いつものオモチャを弄っていたら、思いがけない遊び方を発見したような顔、とでもいおうか。口元は笑いを堪えるかのように歪んでいる。

 大人びているアステルも、ヘンリーさんにはまだまだ敵わないんだな。妙なところで安心してしまった。

 でも、アステルが反対してくれるのはとってもありがたい。私は剣なんてものは持ちたくないのだ。

 包丁を持って料理するのとはワケが違う。少し振り回すだけで、人や動物を傷つけてしまえる武器だ。

 アステルのフリューゲルを初めて目にした時の、迫りくるような威圧感が蘇り、私はブルリと震えた。

 もし相手の傷が重くて後遺症が残ってしまったら? まかり間違って死なせてしまうことになってしまったとしたら? その人がこれから生きて送るはずだった人生を台無しにしてしまうのだ。そしてその人の苦しみや家族の辛さを受け止め、奪ってしまった未来の重さを被って生きていかなければならない。常に、頭の片隅に暗い荷物が根を張っている人生。

 私にはそんなものを負う覚悟も、人を傷つけるに値する信念も持てそうにない。

 そしてもし私に護衛を付けてもらうとすると、その重さは護衛の人に被ってもらうことになってしまう。自身に向けられたことなのに他人にその重さを押しつけて、自分だけが身軽であろうとするのはとても卑怯なことだけれど、ただの我が儘なんだけれど。

 それでも嫌だ。怖いんだもの。

 私は開き直ることにした。そうだよ、怖いんだ。

 だから剣を持つというのは勘弁してもらいたい。

 私では口出しし辛いんだから、アステルには大いに頑張っていただこう。

 心の中で応援してるからね、アステル!

 それはそうと、この二人のやり取りは何かを連想するんだけれど……。

 何だっけかなあ、と束の間悩む。

 そうそうあれだ! 頭が雲の晴れ間のように冴え渡る。ポンと手を打った。

 父親と母親だ。子供に何かをさせようとするお父さんと、心配で、それは危ないから駄目だと反論するお母さんの図。

 確かにアステルは私の中で、お兄ちゃんというよりは佐伯のおばさんや、お母さん的な存在になってきているような気がする。すごく気にかけてくれるし、心配してくれる。そしてクドクドうるさい。

 でも男の人に母性を感じるなんて失礼だよなあ。アステルが知ったらショックを受けそうなので口には出さないでおこう。

 そうやってお母さん認定している間にも、両者一歩も譲らぬアステルたちの議論は続いていたようだった。


「大体、他の家では令嬢に護衛を付けるなど当たり前のことでしょう。ただでさえ桜は天海の彩を持っています。どんな輩に狙われてもおかしくはありません」

「だからこそ自分で自分の身を守れないと、いざという時に困るだろう。この件についておまえとはよく話し合った方がよさそうだ――リディ」


 はい、と一声返事をしてリディさんが進み出る。


「長旅で疲れているだろうから桜を部屋へ案内してあげなさい。私たちはもう少し話をしているから」

「分かりました、お父様。桜、行きましょうか」


 突然話を振られ、慌てて頷き返して扉の方へ行こうとする。


「ああ、その前に桜」


 ヘンリーさんに呼び止められた。


「これからは、私のことをお父様と呼んでくれないかな?」


 穏和な表情に、にこやかさを織り交ぜてお願いされてしまった。

 う……『お父さん』でもなく『お父様』ですか。おじさんのことですらお父さんと呼ばなかったのに。

 おじさんを差し置いて先にそう呼んでしまうと、今まで育ててもらった恩を仇で返すような気がして――。

 でも実際におじさんが、裏切りだなんて思うような人であるはずもなく、私が勝手にそう考えてしまっているだけなのは解っている。

 それにヘンリーさんはこれから私を受け入れてくれるために、わざわざそう言ってくれているんだろうと思う。

 この知らない世界でも親や家族と呼べる人ができるなんて、本当に幸運なことなんだ。だから遠慮なくそう呼ばせてもらえばいいだけのことだ。

 うん。

 ヘンリーさんはお父さん。リディさんはお姉ちゃん。そしてアステルは……お母さんだね、やっぱり。


「はい、……お父様。それでは失礼します」


 心持ち、口に出すのに勇気が要った。ヘンリーさんの顔を窺うと満足そうに、相好を崩しながら頷いてくれている。よく考えてみれば、お父さんなんて単語を誰かへ向けて声に乗せるなんて久し振りだ。なんだかお腹の辺りがムズムズしてくる。

 私の呼びかけで喜んでくれているんだと思うと、全身がじわじわと温かくなった。染み込んだ水が広がるみたいに。

 アステルに顔を向けると、私たちの様子をまるで親が子を見るかのように、微笑んで見ていた。



 執務室を出てしばらく歩くと、リディさんが足を止めてくるりと振り返った。それに合わせて髪がふわりと揺れる。これだけで映画のワンシーンを思い起こさせる。

 でもこのパターンはどこかで見たような……。前の時はアステルに忠告めいたことを言われてしまったのだから、つい身構えてしまう。でもリディさんはそのまま動かず、凝視するかのように私を見つめてきた。

 たじろいでしまうじゃないか。

 私まで熱い視線を返して、ガンのつけあいが始まってはたまらない。

 私は当然の疑問を口にした。


「リディさん? どうかしたんですか?」

「――さんは要りません。呼び捨てで結構ですわ。それから丁寧に話していただく必要もありません」


 私から漏らさず情報を汲み取ってやろうというかのように、じっと目を逸らさないままリディさんが答える。

 な、なんか喧嘩売られてないか? ビビりながらも、これもどこかで聞いたセリフだと思い当たった。

 でも本当にいいのかな? アステルもそうなんだけれど、リディさんもお嬢様らしい丁寧な口調でしゃべっている。私だけが偉そうにぞんざいな喋り方というのはなんだかねえ。

 どうしたものかと迷ってリディさんの方を窺ってみる。


「仕方がありませんわ。お兄様の仰せなのですもの」


 憂いに満ちた、という表現がぴったりな悩ましい息を一つ吐かれてしまった。

 そうか。またアステルが言っておいてくれたんだ。確かに慣れない丁寧語を使うよりもしゃべりやすい。早く馴染むためにもお言葉に甘えておこう。

 それにしても、仕方がないってどういう意味だろう。それにあの溜息。

 いかにも不本意だと伝えたげな物言いが不思議で、そのままリディの様子を見ていると。

 ――ん? あれれ? 今までとリディの雰囲気が違うような?

 いつの間にか、さっきまでのふわふわとした天使のような雰囲気はすっかり消えていた。

 唇の端がクイッと上がり、見つめるというよりは、挑戦的な目つきでこちらを睨めつけてくる。

 それでも甲をこちら側に見せてお腹の前で手を組み合わせ、背筋をピンと伸ばして立っている姿は端然として見える。これが気品というものなのかな、と頭のどこかで凄いと思った。


「でも勘違いしないでいただけます? お兄様がちゃんと面倒を見るように仰ったから表面的には仲良くして差し上げますけれど、あまり馴れ馴れしくしないでいただきたいものですわ」


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