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空を映す海の色  作者: せおりめ
第1章
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ローズランド公爵領 4

 一騒動あったものの――主に私のせいだけど――無事に盗賊の人たちの引き渡しも済み、食事や夜営の後片付けが終わると馬車は再び出発した。

 初日からトラブル続きだった旅も、それからは特に何事かが起きるわけでもなく――魔物に襲われることはあったみたいだけれど、たいした被害もなく、私は窓から見せてもらうことすらできず仕舞いで――日程を順調に消化していった。お天気も、時折小雨が降る程度で、大きく崩れることはなかった。私は馬車の中でぼーっと座っていればいいだけなんだけど、御者の人は大変だもんね。

 私はというと、さすがに反省もしたので迂闊に動き回ることも止めた。外に出たい時なんかは、ちゃんとアステルに許可をもらってからにしている。

 旅にもすっかり順応してきて、多めに取ってもらっていた休憩時間を少し縮めてと頼んだ。慣れてきた以上、いつまでも私一人のためだけに、貴重な時間を無駄に潰させるわけにはいかないのだ。

 途中、街道沿いの宿へ泊まることも多かった。これの何が嬉しかったって、お風呂に入れることなんだよ。

 夜営の時でも、タライを持ってきているからテントを張ってお湯を使うことができる。遠慮なく申しつけてほしいと言われたけれど、その場合お湯を使うのは多分私だけ。

 私だけのために大量の水を汲んできてもらい、さらに私だけのために、大量のお湯を沸かしてもらう。

 そんなこと、考えただけで気が滅入ってしまう。まだまだ涼しくて汗をかくこともなく、全然平気だから気にしないでと、絶対の意志を滲ませて断っておいた。

 特別立派な構えではないものの、さすがに公爵領へ続く街道だけあって、宿には一般の部屋とは別に、特別室なんてものが用意されていた。それでも浴室は設置されていないらしく、旅と同じように、タライにお湯を張って部屋で浸かるという方式。けれどここでお湯を使うのは、私だけじゃない。だから遠慮なく身体の汚れを落とすことができる。それがたまらなく嬉しい。

 ……んだけど、エレーヌとソフィアが洗ってくれることになるんだよね、やっぱり。

 そしてタライで洗ってもらっている時、宿の人から面白い話を聞いたとエレーヌが言いだした。


「宿の主人も旅人から聞いた話だそうですが、ここよりも南に位置する国、エルネット王国のある地方で、幽霊に出会ったと申すのです」


 幽霊? この世界にも幽霊なんて出るんだ。まあ霊感なんて欠片もない私は、向こうの世界でも見たことがないんだけれど。バシャバシャと頭からお湯をかけられ、フンフン頷きながら続きを催促する。


「その幽霊は紫色に淡く光っていて、旅人の身体を通り抜け、笑みを浮かべて消えたということです。そんなものに出会ってしまったら、きっと私など恐ろしくて気絶してしまいます。遠く離れた場所での出来事でよろしゅうございましたわ」


 頭を拭われながら、「ね、桜様」と同意を求められてうんうんと頷く。向こうでもこの手の怖い話を聞く度に、自分にそんなものを見る能力がなくてよかったと、胸を撫で下ろしていたのだ。これからも関わりたくはないね。



 旅が五日目にもなると、段々と坂道が多くなってきた。

 草がまばらに生えている開けた風景の中、私が窓から遠くまで続いている砂利の多い道を眺めている最中に、アステルが補足してくれる。


「これからは坂を登るに連れて、気温も下がってきます。ローズランドは王都よりも高地にありますので、まだ雪の降る日もあるでしょう」


 確かに、こちら側の空はよく晴れているのに、進む先の、遙か向こうの空を窓越しに見上げてみれば、灰色にどんよりと曇っている。あれは雪雲なのかもしれない。

 私の住んでいた地方では、寒い時でもあんまり雪が降らなかった。降っても少しだけで、積もるほどじゃない。


「それじゃあ雪合戦とかもできるかな?」


 実は憧れていたのだ。わくわくする思いで訊いたら、アステルが請け負うように笑う。心ゆくまで楽しめると言ってくれた。


 やがて吐く息が目に見えるようになり、着る服を一枚増やされる。街道の脇に白いモノ――溶け残った雪が見えだした頃、そろそろ領内に入ると教えられ、期待と不安で一気に緊張してきた。でも目的の、お城に着くのは明日になるそうで、肩すかしを食らった気分。ドキドキして損してしまった。

 それにしてもそう、お城なんだよ。王都でのお屋敷だって、充分お城みたいに広かったのだ。それがローズランドでは、本当にお城に住んでいるというのだから驚きだ。でも、日本にも昔はそれぞれの地方に各大名がいて、お城を構えて治めていた。それを考えてみたら、同じことかと納得できた。


「……ら、桜、起きてください。見えてきましたよ」


 そして八日目のお昼過ぎ。

 肩を軽く揺すられる感覚で目が覚める。昼食の後、いつの間にかアステルの膝を枕に寝てしまっていたみたいだった。毛布までかけてもらっている。涎を垂らしていたらどうしよう……。その場合はごめんなさい、と心の中で謝っておくことにした。

 見えてきましたよ、ともう一度示してくれる優しい声に促され、身体を起こして窓を見た。


「ローズフォール城です」


 雪は降っていなかった。それでも道路の両脇にはかき分けられた雪が、私の膝くらいの高さまで積もっていて、空も重く立ち籠めた雲で覆われている。

 うわぁ、本当にお城だよ……。

 どこかお話の中のような光景に、目を奪われる。まるで外国に来ちゃったみたいだ。

 ううん、外国ですらない、全く別の世界。

 ここはとても遠い所だよ、おじさん、おばさん、蒼兄ちゃん。

 窓から見上げると、森の木々に囲まれた丘の上に、白っぽい灰色の大きなお城がそびえている。今はまだ馬車が通る場所によって見え隠れするお城は、近づくにつれてはっきりとその姿を現してきた。

 城壁の上部分は凹凸のある作りで、それがお城をぐるりと取り囲んでいる。屋根は真正面から見上げると城壁と同じように平らで凹凸がある作りに見えたけれど、横方向からの眺めでは三角の形をしていた。中央にででんと大きな本館のような建物があり、それより小さな別館らしき建物が渡り廊下で繋がれている。

 優雅というよりはガッシリとした雰囲気があるものの、孔雀のような色合いをした屋根が綺麗で、こんな灰色の空じゃなく、青空の下で見てみたいなと思った。

 お城の門をくぐり、いよいよ城壁の中へ入る。お城の観察に忙しくて忘れてしまっていた緊張が、今頃蘇ってきた。ついに到着したんだ。

 馬車が止まると、外から扉が開かれる。自動ドアみたいだ、なんてふざけたことを考えた。

 まずアステルが外に出て、それに私が続く。降りる時には手を差し出され、素直に支えられて地面に下りた。


「お帰りなさいませ、アステル様」

「ただいま帰りました」


 既に開いている重厚で巨大な玄関扉――これがまた大きくて、私の何倍もの高さがある――の奥には、正面に広い階段を据えた豪奢なホールが覗いている。そんな煌びやかで目が眩みそうな光景の中、ズラッと使用人の人たちが並び、代表の執事さんらしき人がアステルと挨拶を交わした。

 こういう時、明らかに場慣れしていない私みたいな人間の第一声は、どういう言葉がふさわしいんだろう? そんなことを悩んでいる時、よく磨き込まれたすべすべした石の床に敷かれた絨毯越しにも、慌てたように小刻みな足音が聞こえてきた。

 弾むようなその音に気を取られ、私はそちらの方に顔を向けた。


「アステルお兄様、お帰りなさいませ!」


 見る間にも澄んだ甘い声が響き渡ったと思ったら、金色の光がアステルに勢いよく飛びついた。

 同じ、ゴールドといえる髪の色をした女の子をアステルが抱き止める。女の子はほっぺたにキスを、アステルは額にキスをし返していた。この女の子が妹のリディさんなんだろう。

 それにしても……。

 う~んと私は項垂れた。やっぱりハグとキスは親愛表現として普通に交わされているみたいだ。私もそろそろ覚悟を決めて、この習慣に従わないといけないのかもしれない。


「ただいまリディ。そこにいるのが桜です」


 アステルの紹介を受けてリディさんがこちらを向く。私を見て驚いた顔をされたけれど、こっちの方がびっくりだ。

 もう、もんのすごくかわいい!

 見開かれた緑色の目はエメラルドのように神秘的。クリームみたいな真っ白な肌に、ふっくらとした桃色のほっぺは赤ちゃんのようにスベスベしている。ツンと上を向いた小さい鼻の下にあるさくらんぼのような唇は、女の子の私でも思わず啄みたくなってしまう。その愛くるしい顔を、一部分しか結わずに緩やかに流れている波打つ金髪が、豪華な飾りのように取り囲んでいた。

 なんて、私の貧弱な知識を総動員してリディさんを表現してみたけれど、本当に天使のような女の子なのだ。


「まあ、お話を伺ってはおりましたけれど、本当に天海の彩なんですのね。初めてお目にかかりますわ」


 リディさんは口に手を当てて、いかにも驚いてますという風情。こんな仕草も本当にかわいい。

わたくしはリデルと申します。どうぞリディとお呼びくださいな。これから仲良くしてくださいましね」


 スカートの端を摘んで、膝を折って挨拶される。小鳥のように可憐な動作だ。

 そこで私は我に返った。リディさんの容姿や振る舞いにぼんやりみとれている場合じゃない。

 挨拶されたんだから、ちゃんと返さなければ。


「初めまして、桜と言います。私の方こそよろしくお願いします」


 私の方は両手を前に重ねてお辞儀をする。きっと誰も小鳥のようなんて思ってはくれないだろう。

 いいんだ。私は私なのだ。

 なんで一人で勝手に比べて、自分で自分を勝手に納得させているんだろう私は? でもこんな天使のような女の子を目の前にすると、比べること自体が身の程を弁えていないという、なんとも卑屈な気分になってくる。

 うん。虚しくなってきたからこの辺にしておこう。


「リディ、父上はどこに?」

「いつもの執務室にいらっしゃいますわ」


 リディさんに尋ねると、アステルは私の方を向く。


「それでは父に紹介します。行きましょうか」


 自然な動作で私の背中に左手を添え、促しながら歩きだした。ちなみに右手にはリディさんが巻きついている。アステルは両手に花状態。役得だね!

 赤い絨毯が敷かれたとんでもなく広い階段を上がっていく。価値を主張する台の上に乗せられた、重量のありそうな花瓶。その中でいい匂いと華やかさを振りまく花の束。他にも上手なのか下手なのかがよく分からない絵画やなんかが飾られた廊下を進み、いくつか扉を素通りして目的地へ辿り着く。

 それにしてもこう、何もかもが広くて豪華で桁違いだと、自分の存在がどうにも浮いているように感じられて、尻尾巻いて逃げ出したくなる。とはいえ、今までにどれほどの距離を歩いて、何度角を曲がったことか。今、一人で放り出されてしまったら絶対に迷う自信があるぞ、私は。


「――アステルです」

「入りなさい」


 ノックの後にアステルが名乗ると、すぐに返事があった。横幅も広い扉は三人一緒に入っていくことができる。歩を進めながら、それとなく目線だけで見渡した。

 狭くない部屋には中身がぎっしり詰まった三つの大きな本棚と、向かい合わせになったソファ、それから暖かそうに燃えている暖炉がある。飾り気がなく、実用的な物しか置いていない場所だという印象だ。

 そして正面を見ると、鈍い艶のある、私の身体よりももっと大きな机の向こうにアステルのお父さんらしき人が座っていた。机の上に両腕を置き、指を組んでいる。

 ゴールドに輝く髪はアステルやリディさんと同じで、二人の髪の色はこの人から受け継いだんだなって思える。エメラルドの目はリディさんだけが同じ。青い目をしているアステルはお母さんに似たのかもしれない。さすがは二人のお父さんだけあって、とっても端正なお顔。ようするに美形一家なのだ。その美貌をちょっとは分けてもらいたい。

 世の中って不公平だ、と私は心中でくだを巻いた。

 それにしてもこの人の雰囲気はなんと表現したらいいんだろう? どっしりとしていて、何があってもこの人がいれば大丈夫というような安心感がある。逆らえない……というよりは、この人には逆らいたくないと思ってしまう。この人の役に立つことをして、よくやったと褒めてもらいたくなるような、そんな仕えたくなるような雰囲気があった。――思わず犬がご主人様に駆け寄っていって、尻尾を振りつつよしよしと撫でてもらっている所を想像してしまったじゃないか。

 ローズランドという領地を治めている人なのだ。人の上に立つ人というのは、どこか違うモノなんだなと感心してしまった。


「ただいま戻りました」

「無事に帰ってきて何よりだ。そして君が桜だね」


 礼儀正しく、でも親しげに挨拶するアステルに頷き返し、その後は私の方を見て話しかける。顔を向けられた時に、緊張で思わず肩を竦めてしまったけれど、エメラルドの目は温かそうで優しい。


「息子からの報告を聞いて、会えるのを心待ちにしていたよ。ようこそローズフォール城へ。私は当主のヘンリーだ。これからはここを家だと思って、当家の一員として暮らしていくといい」


 その言葉を聞いて、風船から空気が漏れ出すように、私の全身からほっとチカラが抜けていった。不安感で身体が硬くなってしまってたみたい。

 アステルが請け負ってくれたとはいっても、当主であるこの人が認めてくれなかったらどうしようと思っていた。

 この世界のことをほとんど知らない上に、私はまだ子供だ。そんな私が生きていくためには、身を落ち着けられる場所が必要なのだ! と私は胸の奥で拳を固め、誰にともなく力説しておいた。

 何はともあれ、お礼は言っておかねば。親切には感謝を返そう。


「私を受け入れてくださってありがとうございます、ヘンリーさん。改めまして、桜・藤枝と言います。これからよろしくお願いします」


 深々とお辞儀する。

 それにしても、名前を先に持ってくる名乗り方はまだ慣れないな。続けていたら馴染んでくるのかな。


「こちらこそよろしく。それでは早速だが、これからのことを決めようか」


 ヘンリーさんは眼差しを緩めて挨拶し返してくれた後、テキパキと話を進める。

 これからのこと?


「まずは君がどうしてこの城で暮らしていくことになったのか、対外的な理由を決めておかなければならないからね」


 そうか。猫の子を拾ってきたわけじゃなく、私は人間だ。しかも公爵家なんて身分の高そうな家の一員として暮らしていくのだから、周りの人たちにも説明できるような理由を考えておかなければいけないんだろう。


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