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空を映す海の色  作者: せおりめ
第3章
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間話 酒宴

「一番、藤枝桜! 歌います!!」


 先程まで機嫌よく会話に加わりながら、ちびりちびりと酒を飲んでいた桜が突然スックと立ち上がる。高らかな宣言と共に歌い出すという事態に一同ぎょっと目を剥いた。

 アステルが翌日屋敷に帰るということで、最後の晩は名残を惜しもうと、ピジョン秘蔵の酒を囲んでいる最中だった。何故か寝ていたはずの桜まで加わり、今は宴の真っ最中と相成っている。食卓の椅子には限りがあったので、床に布を敷き、銘々が好きな酒を前にぐるりと車座していた。

 気持ちよさげに朗々と歌い続ける桜を、暫し呆気に取られて見詰めていたピジョンがふと彼女の足元に目を転じると、そこには既に空になっている果実酒の瓶が三本転がっている。甘くて飲みやすいと桜が喜んで飲んでいた三種の果実酒は、その賛美を与えていた本人一人に飲み尽くされてしまったらしい。


「おいスター、あいついつの間にあれだけ飲んでたんだ?」

「どうやら、止められたら嫌だと思って空いた瓶を背中に隠しておいたようですね。瓶の色が同じなので気付きませんでした。アステルバード殿、桜はお酒に弱い方ですか?」

「あまり桜が酒肴の席に出向く機会はなかったのでハッキリとは申し上げられませんが……。強くも弱くもなかったように思います」

「果実酒三本空けたら弱くはなくとも大抵はぐでんぐでんになるじゃろうのう」

「それにしても……」


 頭を突き合わせて協議していた四人は、躊躇いがちに漏らされたピジョンの呟きを切っかけに、振り付けまで加えだした桜の方を改めて見やった。ピジョンが何を言いたかったのか、どうして途中で言葉を切ったのか。他の三人にもその理由は自明の理が如くに察することができた。

 耳に馴染みのない旋律は、桜が元いた世界ではありふれた調べなのかもしれない。歌詞の意味は判然としない。どうやら一同には桜の母国語がそのまま伝わっているようだった。ホープの守りを以てしても翻訳されない理由は、歌が言語としては認識されていないからなのかもしれない。

 しかし……。音楽というものは、例え今まで聞いたことのないメロディであっても、ある程度の正しい音階は判別できるものである。外れた音にはどうしても違和感がつきまとう。そして楽しそうに声を張り上げている桜の紡ぎ出す音律は、どう好意的に解釈しても作曲者の意図とはかけ離れているという感想しか抱けない。ここに居合わせている桜以外の全員が今、そう心を同じくしている。


「まあ、酔っておることじゃしのう……」


 誰も何も言っていないのに、ジスタが一応弁護に回る。果たしてこの調子っ外れの節回しが、前後不覚に陥っている状態に由来するものなのか、桜が本来持ち合わせている性質なのか。唯一真実を知るアステルは、彼女の名誉を傷つけないために沈黙を守った。

 何はともあれもう夜も更けた。そろそろ寝させた方がいいだろう、とアステルは歌らしき唸りを上げている桜に近寄り声をかけた。


「桜、もう部屋に戻りましょう。眠くなってきたんじゃありませんか?」


 アステルの言葉にピタリと静かになった桜が、返答をすべく口を開いた。

 曰く――


「イヤ!」


 抱え上げようとしたアステルに否定語を叩きつけた桜は、差し伸べられた腕をスルリとすり抜けた。次いで状況を面白そうに傍観していたスターの元へと駆け寄っていく。残されたアステルは受けた衝撃の度合いを表すかのように、そのままの姿勢で剥製と化していた。

 そのような姿でも、名工の手による芸術品の様相を呈して見えるのは、秀でた容姿と、たゆまぬ訓練で得たしなやかに頑健な体躯の賜なのかもしれない。


「私、まだスターの傍にいたい。スターと離れたくない!」


 桜としては、最後の宵なんだからという切実な動機の上で取った言動だった。しかし酒が過ぎて回らなくなった頭では、それに至るまでの思考経緯を説明できるはずもなく……。必要最低限の応酬で留まってしまったとしても、やむを得ないといえるだろう。

 思考と行動を停止した約一名を尻目に、桜は強い意志を窺わせる所作と口調でそう断言した後、酔いを思わせない素早い動作でスターの膝によじ登り、首元へヒシと抱きついた。何があっても離れるものかといわんばかりの態度である。

 周りの空気が瞬時に冷気を孕む。

 ピジョンは今、女性の姿をとっている。であれば当然スターは男になっているわけで。この場にいる全員が二人の元来あるべき性別を正確に把握しているとはいえ、視覚が与える効果は絶大であり覿面である。

 現在の状況はどう見ても、桜がアステルを拒否して他の男に走ったというアレであり……

 しかも本来であればその桜を諫め、アステルの元へと返す役割を担うはずのスターは何を考えたのか、不敵に一度笑んだ後に桜を抱き締め返し、親しみを込めて頭を撫でてやっていた。更には髪にキスを一つ落とすという真似まで見せてのける。

 慕う者と慕われる者。端から見ても、いかにも親密な空気を伴い繰り広げられた二人の行為には、お互いに対する信頼と慈しみが満ち満ちていた。

 事情を知らなければ、という但し書きをつけたらではあるが。

 ますます温度を下げていく室内とアステルの表情に、ピジョンとジスタは快い酩酊の世界から瞬く間に引き戻された。

 ピジョンの脳裏には、もしかしてスターは酒に飲まれているのかという疑問が芽生えた。しかしそれは彼自身によってすぐさま摘み取られる。スターは酒に強い、とは言い難いが、いつもペース配分を心掛けながら杯を進めていく。なのでこういった場ではせいぜい酒気を帯びるという程度の酔い方しかしない。今夜も見ていた限りではその常に漏れなかった。

 ならば、これは確信犯なのだろう。恐らくは、面白がって桜の行状に便乗しているだけだ。

 我が姉ながら性格が悪い……。ピジョンは心中でアステルに同情を寄せ、深々と溜め息を吐いた。

 冷たい感じに固体化を始めようとしている空気の中、いつの間にか寝てしまった桜の平和な寝息だけが室内に響いていた。



 その後、表面的には和やかに笑い合っているアステルと、見せつけるように愛しげな素振りで桜を抱えたスターが、部屋へ桜を送り届けるために連れだっていったことで、やっと室内は正常な状態を取り戻した。

 珍しく意見の衝突による華を咲かせることもなく、ピジョンとジスタはお互いに顔を見合わせる。どちらからともなく掲げた杯を交わして一気に煽った。

 後のことは関知しない。二人は暗黙の了解を確認するべく杯を重ねていった。


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