激情
朝日が登り城門が開くと、俺と阿陽、阿興の三人は馬に乗って前に男と出会った山へと向かった。
平野を馬で駆けていると、遠くに馬群と思しき影が見えた。
それらは俺達の向かう山の麓へ向かっていた。阿興が馬群に気づいたのか声を上げる。
「まさか、役人じゃないよな?」
「どうだろうか。もしかしたら、あの男の情報を掴んだのかもしれないが。安能、どうする?」
阿陽が悩ましそうに俺を見て言った。
これには少し悩んでしまう。あのもの達が同じ山に向かったとしても、俺達が行こうとしている場所にすぐにたどり着けるかは疑問だ。
こちらの方が先にあの男に接触できるだろう。
「少し距離を置いて、山に入りましょう。こちらの向かう先を特定されなければ、俺達の方が先を越せます」
「よっしゃ! そうと決まれば、あとは行くのみだ!」
そういうと、阿興は馬を疾駆させ、俺達を置いて行く。
ため息混じりに阿陽が言った。
「まったく。猪突猛進とは、あいつのためにある言葉だな」
俺はその言葉に曖昧な表情を浮かべることしかできなかった。
このままでは置いていかれるので、馬の手綱を振るって阿興の後を追いかけた。
◇
山に入り、手頃な場所に馬を止めると、小走りで山の中を駆けていく。
川の上流を目指して歩いていると、バシャバシャと水の跳ねる音が聞こえた。
俺達はすぐ側の岩陰に隠れて、そっと音のした方を覗き見た。
そこには、上半身が裸の男が川で何かをしていた。
阿陽と阿興に向けて、小声で静かに接近するように伝えると、ゆっくりと川岸を上って行く。
男との距離が縮まると、見覚えのある顔立ちであることが分かった。
あの髭面の男だ。再び、二人と顔を見合わせて接近を試みようとしたとき、男が川を離れていった。
すると、男は川岸にある石に立てかけていた剣を手にした。
男はその剣を鞘から抜くと、切っ先を俺達の潜む岩陰に向けて声を上げた。
「何者だ? 出てこい。出てこないのならば」
俺達は男の言葉に驚きを隠せなかった。
男との距離はまだ空いており、音を立てないように気を付けて歩いていたつもりだ。
なのに男に気づかれてしまっていた。対処に困った俺は阿陽に目を向けて判断を乞う。
阿陽はあごに手を当てると小さく頷き、岩陰からすっと出て行った。
その後に続いて、俺と阿興も岩陰を離れる。
「君達は」
男は俺達の顔を覚えていたようで、目を丸くして言葉を続けた。
「どうして、ここに? また釣りか?」
「違います。あなたを探しに来ました」
真っ先に口を開いたのは、俺であった。
驚きの声を上げた阿陽と阿興。男は俺の言葉を聞き、目を鋭くさせると声を低くして言う。
「どういうことだ?」
「あなたによく似た人物が手配書を見たのです。殺人、放火、子供さらいと数々の犯罪が書かれていました」
「そうか……。君達は俺を捕えに来たのか?」
男は先ほどの目つきとは打って変わって、憂いの色の瞳をしていた。
その目を見たら、尚更、男が悪人に見えなくなってしまった。
「俺はあなたが悪い人間には思えません。何か事情があるのではないでしょうか?」
「安能、何を言ってるんだ!? 犯罪者かもしれないんだぞ?」
阿陽の言い分はもっともだった。だが、俺は男を信じたくなった。
悲しみを背負ったかのような瞳。そしてあのとき、感謝の涙を流した男を。
俺と見つめ合っていた男が視線を逸らした。
「無実……とは言えない。だが、俺は間違ったことはしていない」
「では、あなたは何故、追われているのですか?」
この問いかけに、男は返事に詰まっているようで、しばらく川のせせらぎだけが耳に届いた。
男がおもむろに口を開けて、ポツリと呟いた。
「君達を巻き込む訳にはいかない」
そういうと、男は剣を鞘に戻して森の奥へと消えていった。
残された俺は男の背中を眺めることしかできなかった。そのとき、頭のてっぺんに痛みが走った。
「痛いっ」
振り返ると阿興が槍の柄で、俺の頭を何度も叩いた。
「痛い、痛いって」
「お前なぁ? いきなり言うんじゃねぇよ。ビックリしただろう?」
真っ当な言葉に返すことができないでいると、阿陽がたしなめるように言ってきた。
「今度ばかりは、阿興の言う通りだ。あの男が襲い掛かってきたら、どうするつもりだったんだ?」
「阿陽兄? 今度ばかりって、どういうことだ?」
ぼかんとしている阿興は置いておくとして、阿陽にはきちんと返さなければならない。
だが、なんと言う。なんとなく、悪い人ではないと思っただけだ。
それを言ったところで、阿陽は納得しないであろう。謝罪の言葉を口にしようとしたとき、阿興が突然、森の奥へと駆け出した。
「阿興、どこへ行く! 安能、追うぞ」
俺と阿陽は駆け出した阿興を追って、下草を踏みしめながら森の中を駆けた。
木々の間を縫って走っていた阿興が足を止めたので、俺は何事かと問いかけようとした。
だが、言葉を発しようとしたとき、阿興が背を向けたまま俺達を手で制した。
ただならぬ気配を感じ取った俺は静かに阿興の傍に近寄り、その視線を辿った。
そこには、十数人はいるであろう武装した集団がおり、その者達とあの髭面の男が向かい合っていた。
俺と阿興の隣に阿陽が並ぶと、声を潜めて言う。
「何者だ、あいつらは。役人には見えないぞ」
阿陽の言う通りだ。役人も武装するが、あれだけ物騒な気配を発しはしない。
例えるなら、野生の犬だ。獲物を前にして、よだれを垂らし今にも食いかかろうとする。そんな感じだ。
耳をすますと、集団の中央の男が威圧するような声を上げた。
「雷白! てめぇ、手間取らせやがって! どうなるか、分かってんだろうな!?」
大声を上げた男は口周りに黒々とした髭を蓄えており、雄々しい風貌をしている。
そのような男に圧を掛けられている状況でも、髭の男は動じていなかった。
逆に目を鋭くして、今にも切りかかろうという、凄味を見せている。
「亭順(ていじゅん、)、お前達はまだ、あの子にすがろうと言うのか? あの子に力はない。俺達の時代は終わったんだ」
「勝手に決めんな! 王力さえあれば俺達はまだ戦える! 雷白、昔のよしみだ。大人しく渡せば、助命してもらえるよう、取り計らうぞ?」
「断る!」
髭の男は雷白というらしい。そして、厳しい面構えの男が亭順。
どちらも一歩も引かぬ様相であった。
その光景に息を飲んでいると、阿陽がそっと俺に耳打ちをしてきた。
「逃げるぞ。どうやら、あの男達は因縁がありそうだ。関わるのは危険だ」
俺はこの言葉に頷こうとした。
そろりと後ろに下がっていると、近くの木の影から小さな女の子が男達の方を見ていることに気づいた。
こんな所に小さな子供が一人で。このままでは、あの争いに巻き込まれるかもしれない。
音を立てないようにして、女の子に近寄った。
もう一歩。そう思ったとき、女の子は木の影から飛び出すと、集団に向けて大声を上げた。
「おじちゃんをいじめないで!」
ブルブルと震えながら、女の子は言うと男達に向かって駆け出した。
亭順の表情が歪なものへと変わった。下卑た笑みを浮かべたのだ。
その顔を見て、俺の中で何かが弾けた。全速力で駆けると女の子の前に回り背中を向けて立った。
俺の登場に訝しむ、亭順達。その横で困惑の表情を浮かべる雷白。
俺はおもむろに剣を鞘から抜き放つと、男達に剣先を向けた。
亭順をきっと睨みつけてから言い放つ。
「義は雷白にあるとみた! 俺はあなたに加勢する!」
啖呵をきった俺を見て、亭順達は腹を抱えて笑い始めた。
「ガキが偉そうに。俺達が用があるのは、その子供だけだ。てめぇは捕まえて、売りさばいてやるよ」
ゲスな笑みを見せた亭順は、部下に向けてあごをしゃくると、二人の男が俺に向かってゆっくりと歩を進めた。
粗末な武具の整い方からして、下っ端も下っ端のようだ。
俺は冷静に二人の動向を見定める。一人は小柄で、もう一人はのっぽな男。
二人はへへへ、と笑いながら駆け出した。足の速さは小柄な男の方が早かった。
俺は迷うことなく駆けると、小柄な男に接近した。
まさか、十三歳のガキがまともに刃向かってくるとは思ってなかったのだろう。
男が思わず足を止めた。その間に、俺は更に一歩を踏みしめて剣を横に薙いだ。
「ひゅっ!?」
小柄な男の喉がぱっくりと裂けて、そこから鮮血が噴き出した。
俺は血の付いた剣で、のっぽな男に飛びかかる。
剣を引いて一気に突き出すと、男の右目を貫通し脳を斬った。
どさりと倒れた男から剣を引き抜くと、こびりついた血を払うために剣を振った。
瞬く間に二人を斬殺した俺を見て、亭順達は呆気に取られている。
そして、俺は震えていた。初めて人を切りつけ、貫いたあの鈍い感覚が手に残っている。
人を殺した。人生を終わらせたんだ。俺がこの手で。戦場に出ればいずれは手にした感触かもしれない。
だが、そこには戦場にいる覚悟がある。今の俺には感情に任せて飛び出ただけだ。
怖い。怖い怖い怖い。
俺は襲い来る恐怖に震えた。しかし、それ以上に俺の中で昂る感情があった。
俺の中で燃えたぎるのは、あの女の子の勇気が伝わったからだ。
震える体から発した精一杯の声。雷白を助けようと必死に駆けたあの熱情。
義は雷白にあると言ったが、本当はあの子供にあるのだ。
それを見過ごせない。俺はそんなことは習っていないのだ。
敵は十数人。勝てる訳がない戦かもしれない。
それでも、俺はこの子を守りたい。俺は咆哮を上げた。
「俺の名は安能! この子には指一本触れさせない!」




