滅びの都市
荊州から長安までの道のりは歩いて一月以上はかかる。
その間、俺は少しでも早く長安に着くために、朝も昼も夜も歩いた。
疲れれば束の間の休息を取り、腹が減れば保存のきく食料を食べながら歩いた。
夜は普段であれば歩くことも叶わないが、俺にはツバメがいるため薄明りの中、歩くことができた。
それでも疲れればツバメで暖を取り、薄い眠りについた。
普通に考えればありえない行程である。それでも俺は早く行きたかった。審端のいる長安へと。
復讐心が日ごとに増していき、俺の足を進めてくれる。
俺とすれ違う旅人は、目を見開くものが多い。それだけ、俺の顔も目も恐ろしいものに変わっているのだろう。
どのような面構えになろうとも、俺は行かねばならない。待っている、審端。
◇
長安に到着したとき、俺は絶句した。
栄えていた時の話しと、今の現状に落差がありすぎた。
簡素のボロ屋が建て並び、そこかしこに焼け跡が残っている。
これが戦争によって荒廃してしまった都市か。俺は一抹の寂しさを覚え、長安の中を巡った。
破壊を免れたところもあり、かつての栄華が見受けられた。だが、それも傷んでいるところが多く、戦乱の跡が生々しい。
そんな中でも人々は復興に尽力し、懸命に生きている。
俺はその人々を横目に見ながら、比較的被害が少ない通りへと向かった。
ここでは商いが中心に行われているようで、青空市のように商人が食い物などの必需品を売っていた。
その通りの中にある、一つの宿屋の戸を開けた。
中に入ると、女性が小走りでこちらに近づいてきた。
「いらっしゃいませ、お客様。一名様でございますか?」
「いや、一名と一頭だ。部屋を用意してくれるか?」
「承知しました。お部屋は奥にご準備させていただきます」
女はそう言うと、俺を先導するように歩き出した。
今の会話は冥達と取り決めた合言葉だ。冥達はここを長安での活動拠点にしている。
奥の魔に通されると、そこには上半身裸で、腕に包帯を巻いている冥の姿があった。
「馬岱様、お久しぶりです」
「冥、どうした、その傷は?」
「審端の護衛にやられてしまいました。少し接近しすぎました」
「命に別状は?」
俺は冥の心配をしたが、冥は軽く笑い声をあげた。
「私を叱責しないのですね。命の心配までしていただけるとは」
「当たり前じゃないか。仲間の心配をして何が悪い」
「そう言っていただけることが何よりも嬉しいです。命に心配は及びません。ただ、しばらくはお力になれないかと」
「十分だ。そうまでして追ってくれて、ありがとう」
俺は頭を下げた。命をかけてまで俺の復讐に付き合ってくれているのだ。
頭を下げることしかできない自分が悔しい。
「実働部隊は彩に率いさせます。馬岱様は少しお休みになられてください」
「動くときは俺も加わるぞ? 腕は前よりも上がっていると自負している」
「承知しております。ただ、審端が警戒を強めています。すぐに動くのは得策ではないかと」
「なるほど。その傷、審端の護衛につけられたと聞いたが、腕の立つものがいるのか?」
俺の問いに冥は自分の腕を見つめて頷いた。
「かなりの使い手でした。それに王力を持っているものと思われます」
「王力? 誰のだ?」
「おそらくは曹操。体が鉛になったかのような上から抑えられる力を感じました」
曹操の王力。戦場では巨人が地面を踏みつけると聞いている。その圧力で兵士たちは潰されると聞いたが、それはかなりの王力を与えられたものに限るのだろう。
王力がそれほどなければ、体を潰すような力は持っていないと考えてよさそうだ。
「冥、情報を持ち帰ってくれて助かる。王力使いなら王力使いで戦うのが得策だ」
「お気をつけてください。万一のときには逃げることも忘れないでください」
「分かった。冥は休んでくれ。俺も休ませてもらう」
冥が了承したのを見て、俺は部屋を後にした。
通された別の部屋で俺は汚れを落として、布団に入り寝ることにした。
審端、待っていろ。小蘭の仇に繋がる糸口をつかんでみせる。
俺はいつも慣れ親しんだツバメを呼び出し、抱きしめて久しぶりに深く眠った。
◇
長安に到着してから三日目。彩が俺の部屋を訪れた。
「彩、久しぶりだな」
「馬岱様もお元気そうで」
「彩が来たということは、今日が決行の日か?」
俺の言葉に彩は頷き応えてきた。
「本日の夜に、審端の屋敷でボヤ騒ぎを起こします。火消に警備の人間も駆り出されるでしょう」
「分かった。審端のいる寝所は分かるか?」
「もちろんです。ただ、問題があります」
「問題とは?」
「審端の用心棒をしている男です。こちらはおそらく動かぬかと」
「その用心棒とやらが王力の使い手か?」
彩は少し目を伏せて頷いた。
冥に傷を負わせた男。かなりの使い手であることは分かる。しかし、どこから王力を手に入れたのか。
王力持ちを殺せば、王力は強奪することができる。
となると、何らかの方法で曹操の配下を殺したことになる。
いや、重要なのはそこではない。王力を持っている者を相手に戦わなければならないのだ。
どうやって戦うかを考えなければならない。
「用心棒の方は俺が相手をする。彩達は審端を押さえてくれ。死なせないようにしてくれ」
「分かりました。決行の時間になりましたら、呼びに伺います」
彩とのやり取りを終えて、俺は再び布団の中に潜った。
ツバメを呼び、その頭を撫でながら浅い眠りについた。
◇
昼に目が覚めてから、軽く食事を取って時を待った。
思い出すのは小蘭と過ごした日々だ。あの日々は返ってはこない。小蘭の死は覆らない。
だから、仇を討って弔いをしなければならない。全てを終えて、俺は初めて彼女の墓前に報告ができる。
それまではこの心の中で君を思い続けよう。
日が傾き、夜が訪れ、人の賑わいが去っていく。
戸の先から気配を感じた。
「彩か?」
「はい。ご準備はいかがですか?」
「できている」
俺が言うと、彩が戸を開けて中に入ってきた。
彩の手に一振りの剣があった。
「こちらは冥が使っている剣です。ぜひ、持って行って欲しいと」
「ありがたく借りよう」
「では、行きましょう」
俺は頷き、宿屋を後にする。月明りだけが頼りの闇の中を歩く。
戦乱の破壊を免れた屋敷が並ぶ。その中の一つを前にして彩が立ち止まった。
「ここが審端のいる屋敷です。私達が火を点け、門を開けます。馬岱様は、そこから入ってください。審端の寝所にお連れします」
「分かった」
「では、少しお待ちを」
彩は言うと、軽やかに飛び上がり塀を乗り越えた。
少しの間、静寂が訪れ、虫の音が聞こえた。
「火事だー!」
屋敷の中から声が聞こえた。
行動開始の合図だ。俺は門の前で立って待っていると、音を立てて門が開いた。
「お早く」
彩が言うと、俺はすぐに門を抜けて屋敷へと入った。
屋敷の使用人や護衛と思われる者達が火消に奔走しているのが見えた。
前を行く彩に置いて行かれないように食らいついていく。
しばらく屋敷の塀の周りを沿う様に走ると、彩が足を止めた。
「彩、どうした?」
「用心棒がいません。注意を――」
彩が喋りかけているとき、俺の体に。いや、俺達の体に重しが圧し掛かったかのような力がかかった。
動きが鈍い。これは。
「ツバメ」
俺が呼びだした刹那、ツバメは俺の体に体当たりをした。
そのツバメの背中に剣が突き立っていた。ツバメが炎を残して消える。
その炎に照らされたのは男だ。切れ長の目をした壮年の男。
王力使いの用心棒。
やつの視線は彩や他の者達に向かず、俺に向いていた。
そうだ。俺と戦え。お前の相手は俺だ。俺は剣を抜くと、男に切っ先を向けた。




