龐統と魏延
俺が荊州に来てから、数か月後、歴史が大きく動いた。
天下無双の呼び声高い呂布が死んだのだ。倒したのは、曹操と劉備の連合軍であった。
曹操と劉備。巷では交わらない者達と言われていたが、ここに来て手を取り合う形になった。
曹操の領土の拡大に伴い、袁紹の陣営にも少なくとも動揺が走ったに違いない。
敵に囲まれていた曹操は呂布を下したことで、北の袁紹と南の袁術に挟まれる形である。
劉備は袁術討伐に乗り出したことから、曹操はついに袁紹との戦いに挑むことになりそうだ。
世界が動く中で、俺はまだ司馬徽の門下生として世の動向に注視することしかできなかった。
◇
俺は用事があって新野城を訪れていた。
家で普段過ごしている安穏とした雰囲気はここにはなく、市場は賑わい、人の往来が盛んであった。
市場を中心に、飯屋を覗いていると目当ての者を見つけた。
その者の周りには人が集まっており、熱を帯びた活発な議論が行われていた。
「劉備が曹操についたってことは、王力持ちが共闘することになったってわけだ。さすがに天下は曹操が有利だろう」
「いやいや、袁紹の王力も侮れん。兵の数なら袁紹の方が上だしな」
議論されているのは、天下の趨勢についてのことのようだ。
その中で目当てにしていた者が、酒を一口飲むと旨そうに息を吐いた。
「みんなさぁ、考えてみなよ~。王力持ちがぁ、共闘できる訳ないじゃな~い。曹操にしろ~、劉備にしろ~、王力を持ったままなら~、天下は狙うさねぇ」
怠い喋り方の男が言うと、周りの者達が息巻いた。
「だが、実際に曹操は自分と同じような待遇を劉備にしているし、劉備も曹操にへりくだっていると聞く。それにもし、劉備が曹操に反逆しても、それこそ簡単に捻り潰されるのではないか?」
「曹操側の考えなら分かるよぉ」
「どういうことだ?」
「義の人と呼び声高い劉備を従えることで~、自分の名声を高めているのさねぇ。恐れられてきた曹操と劉備が手を結んで~、天下取りに挑むとなれば、曹操の悪名も次第に薄くなるってもんよぉ」
男の言葉を聞いて、周りの者達は沈黙した。男の言葉にも一理あると分かったようだ。
「たださぁ、おいらにゃあ、劉備が曹操の下で、ただ従うようには思えんなぁ。なぁ、そうだろう~? 馬岱」
男は酒を飲むと上機嫌な笑みを見せた。
この男の名前は龐統 士元。司馬徽と縁があって、今は司馬徽の塾で講義をしてくれている。
得意なのは人物評で、独自の視点からこの国で活躍する人物達の批評をしていた。
俺は自分の存在に気づいてなお、酒を飲んでいることに肩を落とした。
「龐統殿、今日は龐統殿の講義の日ですよ? 早く行きましょう」
「いやぁ~、ちょっと話が白熱しちゃったよぉ。酒を飲むとこうなっちまうんだよねぇ」
「なら、お酒は止めてください。せめて、講義の日だけは」
「真面目だねぇ、馬岱は」
龐統は店員に金を払うと、俺と共に通りに出た。
今から司馬徽の塾に行けば、なんとか間に合うだろう。フラフラと歩く龐統をせっつくようにして歩き出した。
◇
司馬徽の塾に到着すると、待ってましたと言わんばかりに門下生たちが龐統を囲んだ。
ここ最近、戦の動きが活発化してきたからだろう。龐統の考えに対して興味津々の様子だ。
俺は龐統を連れてきたことを司馬徽に伝え、自分の席に座った。
「馬岱、お疲れさん。龐統殿は今日はどこにいたんだ?」
「市場の奥の方にいましたよ。毎回、違う店に行くから探すのが大変ですよ」
「まあ、そう言うなって。お前のおかげで俺達は助かっているんだ」
「司馬徽先生に良いように扱われている気がしますけどね」
司馬徽から珍しく頼みごとをされたのが、龐統の面倒を見ることだった。
龐統は暇があれば飯屋で酒を飲み、人物評に花を咲かせる。本人は楽しいかもしれないが、面倒を見る俺はたまったものではない。
だが、龐統の人当たりの良さと、視点の豊富さから共にいて面白いことが多いのも事実だ。
人物評だけでなく、軍略についても詳しい。司馬徽とはまた違うところからの切り口になるため勉強になることが多いので、司馬徽一門の中でも、かなりの人気を博している。
龐統の講義が始まると、ふらりと部屋の中に諸葛亮が入ってきた。龐統の語りに目を閉じて聞き入っているようだ。
諸葛亮とは徐庶の村での一件から、親しくなったと思っている。
時々、畑で取れた野菜や釣った魚を持っていったり、逆に諸葛亮からも野菜などを貰っていた。
徐庶とも変わらず仲良くしているので、俺は充実した留学生活を送っている。
だが、時々胸が痛む。未だに見る夢。小蘭の事が俺の頭の片隅に常にあるのだ。
俺は馬騰からの命令でここに来ている。ここでの生活を充実させるのはいい事ではあるのだが。
分かってはいても、なかなか割り切れない。
冥からの連絡もないため、俺はここで命令通り、勉学に勤しむしかない。
もどかしい思いを抱きながら、今日も講義を受けた。
◇
今日も龐統の講義の日だが、相変わらず家にはいなかった。
またか。いつも通りだが、また新野城の飯屋を探し回る羽目になりそうだ。
馬に乗って新野城に入り、市場や大通りにある飯屋を回っていく。
その時、一つの飯屋から大声が聞こえた。
「ワシのことを知らんだとぉ!」
耳が痛くなるほどの声を聞き何事かと飯屋に入った。
そこには龐統と、がっしりした体つきの男が立っていた。
男は俺と同じくらいの歳に見える。まだ整っていない髭を伸ばしていた。
「お前さんは天下の批評家、龐統 士元じゃろ? ワシのことを知らんとはどういうことじゃ!」
「いやぁ~、知らないものは知らないんだよぉ」
龐統が困り顔をしていると、俺と目が合った。
「馬岱~、助けてくれぇ」
情けない表情を浮かべた龐統。仕方ない。助けるとするか。
「あの、すみません」
「なんじゃ? お前はどこのどい……つじゃ?」
男は俺を見るなり、後ろに一歩下がった。表情は驚きから次第に険しいものに変わっていく。
「お前、なにもんじゃ?」
「え? 馬岱 賢正と申しますが」
「そうか、馬岱。お前、ただもんじゃないなぁ。龐統殿よ、こいつはどう評価できる?」
男の急な問いかけに、龐統は呆気に取られているが、すぐに考えをまとめたのか、俺を評し始めた。
「馬岱はなぁ、腕は立つし~、勉学もぉ光るところがある。これからぁ、名前を上げていく、と思うよぉ」
高く評価されてるみたいだが、本人を目の前にして厳しくは評する事もできないだろう。
話半分に聞いておこう。そう思っていると、男は眉間にシワを寄せて鋭い眼光を見せた。
「勉学についてはワシは知らん! だが、腕前がそんな簡単な評価じゃない事は分かる! お前、なにもんじゃ? 何を抱えておる?」
「えっと……。すみません。言葉の意味が分かりませんが?」
「お前は人の生き死にを知っておる、と言ってるんじゃ!お前は何を歩んできたら、そんな目になるんじゃ」
徐庶から見抜かれたように人殺しをしたことがある目をしている。と言っているのだろうか。
だが、それ以上のものを見られている気がする。それほどにこの男の目は純粋に見えた。
「私の人生を語る必要はないかと」
俺はキッパリと断ったが、男の目には納得の色が浮かばなかった。
「馬岱 賢正というたな? お前と勝負じゃ」
「え? なんで、そうなるんですか?」
「ワシはワシ以上の相手を見つけたら、やり合うことに決めとる。お前はワシが認めた男じゃ!」
「いや、勝手に認められても」
「ワシの名は魏延 文長 いざ、尋常に勝負!」




