父の誇りを胸に
あの日に見た降り注ぐような流れ星は、阿世の言葉通り凶兆であった。
国を治める力。皇帝の絶対的な権力の礎となる、王力を霊帝は失ってしまったのだ。
王力は、その名の通り、王となったものが持つ力で、前の世界でいう魔法のようなものである。
皇帝は代々、その力を引き継ぎ、自分の部下に力の一部を分け与えることで、この国を統治していた。
王力は、引き継いだ皇帝の代によって力が変わるというもので、鋼のような硬さの体の時もあれば、雷を落とすという本当に魔法的なこともあったようだ。
王力を与えられた者は、その与えられた力の分だけ、王と同じ力が使えるようになるため、王は信頼できる者だけに授けているという。
これだけ聞くと、漢王室にしか王力がないように思えるが、実際はそうではなかった。
かつて、この国が統一されるまでは、大小さまざまな権力者が王力を持っていたようで、その力を最終的にまとめたのが漢王室だったのだ。
王力を失ってしまった皇帝が、この国を維持できるのか。それは国の中央から遠く離れた、この涼州でも不安視されていた。
阿世の言った、乱世が来るのだろうか。もし、そんな時代が来たら、俺はどうしたらいいのだろうか。
平和だった前の世界では、想像もできない戦乱の世。
俺は前の世界に帰れるのだろうか。幾度も考えたことだが、その答えは見つかっていない。
俺は安能として生きていくしかないのか。心の中の呟きに答えてくれるものは、誰もいなかった。
◇
時の流れは早いもので、俺は八歳の誕生日を迎えた。
今日の夜は、俺の誕生日会をするとのことで、近所の人を呼んで宴が開かれるそうだ。
そんなおめでたい日に、俺は街の市場に来ていた。
今日の料理に使う野菜を買い忘れていた母の代わりに、俺が買い物に行くことになったのだ。
これはもちろん、俺から進んで買って出たものである。前の世界では親孝行をあまりしてこなかったので、こちらの両親には親孝行をしたい。
その思いを持っているためか、周りから親孝行者だと言われている。
市場を歩いていると顔なじみの八百屋が見えた。店主のおじさんに声を掛ける。
「おじさん、白菜をください」
「お、安能坊ちゃんじゃないか。お母さんの手伝いかい?」
「はい。今日は俺の誕生日会をしてくれるんです」
言葉を交わしていると、市場の奥の方に人だかりができているのが目に入った。
なんだろうか。大道芸人でも来たのかもしれない。買い物をしてしまうと手がふさがってしまうので、見に行ってから買って帰ろう。
「おじさん、ちょっと待ってください。すぐに戻りますから」
そういって小走りで人だかりへと向かう。
ざわついていることから、大道芸人などの見世物でなさそうだ。人と人の間を縫うように進んでいくと、そこには三人の男がいた。
二人の男が一人の男を地面に押さえつけており、その男は必死に暴れている。だが、二人に押さえつけられては、その抵抗も虚しいものだった。
その光景を見ていると、色鮮やかな服を着た中年の男が三人の傍に近づいた。
すると、突然、押さえつけられていた男性の顔を蹴りつけた。
「何をしているんですか!?」
思わず声を上げてしまった。俺の声に気づいた中年の男が振り返ると、ニタニタといやらしい笑みを浮かべた。
「おやぁ? 君は確か、馬英さんのところの、お坊ちゃんじゃないですか? お見苦しいところを見せてしまいました」
男の声を聞いて思い出した。ここら一帯を取り仕切っている、審端というヤクザな男だ。
父である馬英に連れられて市場に行ったときに刃傷沙汰を起こした男の親分で、役人である父に賄賂を渡そうとしていたから覚えている。
父は、その賄賂をきっぱりと断ったが他の役人が買収されたのか、結局うやむやになってしまったと、ぼやいていた。
この男の厄介なところは親族が中央と繋がりがあるところだ。父が強く出られなかったところも、そういうことが一つの要因だろう。
「今日は馬英さんはいらっしゃらないようですねぇ。お坊ちゃん、一人で市場に買い物とは、聡明と言われるわけだ」
くつくつといやらしい笑みを浮かべた。子供だと思って馬鹿にしている。
腹を立てていると、取り押さえられていた男が怒声を上げた。
「おい、審端! 金なら払っただろう! なんでこんなことを!?」
男の声で露骨に嫌な顔をした審端は再度、男の顔を蹴飛ばした。
うめき声を上げる男に、審端は唾を吐きかけた。
「金だとぉ? そんなものは貰ってないなぁ。お前は俺から薬を奪ったんだから、役人に突き出さないとなぁ」
「嘘を吐くな!」
「嘘なんて言ってないさぁ。現に、お前の懐には薬が入っているだろう? それに異民族のお前の言葉なんて、誰が信じると思う?」
審端は言うと、ゲラゲラと笑い始めた。
異民族。俺達の住む国から離れたところに住む者達だ。涼州は国の外れにあるため、異民族との交流も行われているが、自国の民と比べると差別されやすい。
二人のやり取りから察するに、男が金を払って買った薬を、審端は金だけ巻き上げて、薬を強奪されたとでっち上げようとしているということだ。
おそらく、ここにいる者達の多くが、そう思っているに違いない。
だが、誰も声を上げて正そうとはしなかった。審端が怖いのだ。逆らえば何をされるか分からない。
それに相手は異民族だ。誰も助けようなどと考えないだろう。
俺もそう思う。ここで出過ぎた真似をしてしまえば、父や母だけでなく、自分にも被害が及ぶかもしれない。
だが、父の背中を思い出すと、その思いは覆った。
賄賂の横行する役人の中で、父は清廉潔白な人物だ。それが父の自慢であり、俺の誇りでもある。
義を見てせざるは勇無きなり。これを見過ごせば、俺は勇気がなく、父の顔に泥を塗ってしまう。
そんなことはしたくない。俺に必死に愛情を注いでくれる両親に報いるのだ。
唇が震え、言葉にならない言葉を一度飲みこみ、唇を強く結んで声を上げた。
「審端さん、ちょっと待ってください」
「何ですか、お坊ちゃん? もう、お行きなさい。子供が見ても気持ちのいいものではありませんよ?」
「本当に、その人の懐に薬があるのでしょうか?」
俺の言葉に審端は目を丸くし、すぐに粘っこい笑みを見せた。
「馬英さんのように、お役人様気取りですかな? 持っておりますよぉ、間違いなく」
「で、では、俺に確認させてください」
「確認?」
首を傾げた審端に、俺は腹に力を込め頷いて答える。
「その男が奪ったかどうか、ここにいる人達には分かりません。もし、それが濡れぎぬであったら、あなたが大変な目にあいます。ですが、俺が調べて薬が出てきたら、その男が奪ったという審端さんの言葉が正しいとなります」
「なるほど。証拠を見せろと、仰っているのですね?」
「はい」
審端は、ふむ、と言って腕を組むと、片側の口角を上げて頷いた。
「良いでしょう。では、その男の懐を探ってみてください。あ、注意してくださいよぉ。噛みついてくるかもしれませんからねぇ」
そういうと、審端は下卑た笑い声を上げた。
組み伏せられた男は観念したのか、歯を噛み締めて悔しさで顔を歪めている。これで俺が懐から薬を見つけたら、間違いなく強盗に仕立て上げられるからだ。
俺はその男を取り押さえている二人の男に向けて言う。
「すみません。ちょっとだけ力を抜いてもらえますか? そうでないと、懐を探れないので」
二人は顔を見合うと、男に掛けていた力を緩めた。
ありがとうございます、と言い、男の近くによって懐に手を伸ばした。
そこで、俺は必死に考えを巡らせた作戦を男の耳元でささやく。
「俺を人質に取って逃げて下さい。今なら逃げられます」
男がびくりと反応したことから、俺の言葉の意味は理解したようだ。
あとは行動に移せるかどうか。俺は困り顔で、男の懐を探るフリをした。
「お坊ちゃん、あったでしょう?」
審端が勝ち誇ったかのように言う。
「ちょっと待ってください。もしかしたら、奥に隠しているのかも」
そういって、更に男に密着した。決心がつかないのか、男に動きがない。
早く決心して欲しい。それとも、俺を信頼できていないのか。
どちらにせよ、俺は彼に決断を迫らなければならない。
「早く」
そういうと、男は突然暴れ出し、油断していた二人の男を跳ねのけると、俺を抱きかかえた。
「来るな! 来たら、この子供の命はない!」




