戦の視点
天才。徐庶にそう言わしめるほどの男、諸葛亮 孔明。
一体どのような人物なのだろうか。
俺と徐庶は講義が終わるのを待ってから、話を再開した。
「徐庶殿は、諸葛亮殿のどこが天才だと思われたんですか?」
「そうだなぁ。視点だな。ものの見方が俺達と全く違う」
「見方、ですか?」
徐庶は頷くと、言葉を続けた。
「上から見てる感じだな。上から目線ってことじゃないぞ? 例えるなら、点で見るんじゃなくて、面で見るって感じだ。馬岱は自分が将軍になったとしたら、戦いに勝つことを考えるだろう?」
「それはそう思います。負けたら終わりですから」
「そうだ。俺もそう思っていた。だが、諸葛亮は言ったのさ。綺麗な負け方もある、とな」
「綺麗?」
負ければそこでお終いになることもある。命懸けの戦に綺麗な負けなどあるのだろうか。
「負ければ終わりって思うだろう? でも、その負けが次の勝利に繋がるかもしれない。そう考えると、負け方にも上手い下手があるのかもな、って俺は思ったよ」
「なるほど。確かに負けても終わりじゃなのなら、その考えはできますね。でも、戦っている方は、そんなに割り切れないですよ」
俺の言葉に、徐庶はその通りと言わんばかりに頷いた。
「俺は血の通っていない策は戦術とは言わないと思っている。戦う奴らがいるから戦術を考える。死なせないようにするためにな」
「徐庶殿の言葉の方が俺は好きです」
「ありがとな。だが、諸葛亮が見ているのは、戦の前だ」
「と言いますと?」
「戦は下策。戦に勝っても中策。それを避けるのが上策だとさ。それはそうなんだけどな。今の乱世でそれが通用するかね」
確かに戦になれば人は死ぬ。それが悪い事だと言われれば下策と言われのも納得はできる。
避けられるものなら避けたいところだが、徐庶の言う通り、今は乱世だ。
戦を避けるのは難しいのではないか。
「少し難しい話ですね」
「まあな。諸葛亮は戦術というよりは、戦略って考えだ。戦に至るまでにあらゆる策を用いて、戦はその結果で決まるってな」
「確かに、思い通りに事が運べば、戦になっても勝てるでしょうけど」
「それはそうだ。そこまで考えて事を進められる者が本当の天才ってやつだろうな」
なるほど。俺は腕組みをして、しきりに頷いた。
諸葛亮という男は着眼点が俺達と違うということだ。新しい視点で話を聞けるのはためになる。
「徐庶殿は諸葛亮殿と仲が良いのですか?」
「仲が良いって間柄ではないな。あいつはあまり人と関わらない生き方をしてる。だから、わざわざあいつに近づくやつもいない」
そうなのか。悪い人には見えなかったが、独特な雰囲気を出していたので、近づき難い印象を受けるの分かる。
もし機会があれば話してみよう。司馬徽が戻ってきたので、講義が再開された。
◇
塾から帰っていると、道の先を行く人影が見えた。遠目からだが、背の高さからなんとなく諸葛亮のように見えた。
竹林に差し掛かったところで、諸葛亮と思しき人は右に曲がる。
その先には、先日訪れた屋敷があった。俺とはご近所になるので、挨拶くらいはした方が良いだろう。
俺は屋敷の門を叩いた。中から聞こえた声は、女の子のものだった。
門が開くと女の子が、あっ、と声をあげた。
「馬岱様ですね。こんにちは」
「こんにちは。こちらのご主人は諸葛亮殿でしょうか?」
「はい。ですが孔明様はお休みになられているので、今日はお会いできません」
さっき帰って来たはずなのに会えないとはどういうことだろう。居留守か。
徐庶が言っていた人と関わらない生き方というのは、こういう所かもしれない。
「そっか。じゃあ、挨拶に来たことは伝えてもらえる?」
「はい。お伝えしておきます」
女の子は元気よく言うと、門を静かに閉めた。
◇
司馬徽の塾に行くと、門下生達が騒いでいたので、何があったのか話を聞くことにした。
「何かあったのですか?」
「賊が近くで出たってよ。ここら辺は安全だって思ってたんだけどなぁ」
「そういえば徐庶殿は?」
「話を聞いて血相を変えて出て行ったよ。確かに、徐庶の住む地方で出たって話だ」
俺は母親思いの徐庶のことを考えた。もし、賊が家の近くまで迫ってきていたら、気が気じゃないだろう。
もしかしたら、賊に襲われているかもしれない。徐庶は人を殺したことがあると言っていたが、賊の数次第では歯が立たないのではないか。
「賊の数とかは分かりますか?」
「さあな。ここらはしっかり統治されているから、多くて数十ってところじゃないか?」
数十。さすがに一人では無理だ。誰かに力を借りて、助けに向かおう。
「俺は徐庶殿が心配です。徐庶殿の家へ向かおうと思いますが、誰か一緒に来てくれませんか?」
俺の言葉に門下生達は顔を見合せた。
「俺達は書生だぜ。そういう荒っぽいことは役人に任せた方が良い」
「でも、それでは間に合わないかも」
「俺達に戦う力はないよ、残念だけどな」
全員が俺から目を逸らした。確かに役人に話が伝われば動き出すだろう。
だが、それがどれだけ早く動けるか分からない。こんなことをしてる間にも賊が迫ってきているかもしれないのだ。
数十の賊を寡兵で倒す方法。俺には思いつかなかった。
俺よりも頭が良い人達が来ないのだ。行ったところで多勢に無勢なのは変わりない。
何とか方法を考えなくては。その時、一人の顔が脳裏を過ぎった。
俺は跳ねるように動き出すと、塾をあとにした。
◇
竹林を駆けて、一つの屋敷へと向かった。
そこは諸葛亮の済む屋敷だ。俺の頭では考えつかないことが考えられるとしたら、天才と呼ばれる男しかいない。
俺は無我夢中に走り、門を荒々しく叩いた。
「馬岱と申します! 諸葛亮殿、いらっしゃいませんか?」
俺は何度も門を叩くと、木がきしむ音とともに諸葛亮が初めて姿を見せた。
「諸葛亮殿、お願いがございます! 共に私と来てはいただけないでしょうか?」
しまった。説明も何もせずにお願いをしてしまった。慌てて言い直そうとすると、諸葛亮は微笑みを浮かべた。
「行きましょう」
「え? でも、まだ何も――」
「三度も私を訪れてくださった。あなたは私に礼を尽くしてくださいました。そのような方の願いを無下に断ることはできません」
「諸葛亮殿……」
思わず涙腺が緩みそうになった。いや、ここで感極まってどうする。
すぐに徐庶の元へ行かねば。
「諸葛亮殿は馬をお持ちで?」
「はい。急ぎならば、使いましょう」
「ありがとうございます」
俺は屋敷の中に招き入れられると、すぐに厩へと向かった。
取り越し苦労であって欲しい。そう思いながら、馬に鞍を乗せた。




