門下生
徐庶が俺を見る目には凄みがあった。
人を殺したことがあるかを目でも問いかけているようだった。
俺は一瞬戸惑い、答えに窮してしまった。
「すまん。また後で、聞かせてくれ」
「え?」
「徐庶くん。聞いていたかね?」
司馬徽が俺と徐庶を見て言った。
「はい、先生。もちろんです」
「では、良い。と言いたいところだが、君の解釈はあるかな?」
講義を真面目に受けていなかったのを司馬徽は見抜いているようで、徐庶の回答を求めてきた。
徐庶は俺と話をしていたので返答はできないだろう。俺は徐庶の横顔を見ると、先ほど浮かべた笑みのまま答える。
「孫子の兵法は、絶対的な戦力差を覆すために知略と戦術で補うには非常に有用です。ただ、足りないのもあります」
「ほう?」
「義の心です」
「ふむ」
「血といっても良いでしょう。戦術も智略も、血が、心が無ければ回りません。どれだけの大軍勢であっても、動くのは人の熱量です。熱がなければ、どのような戦術を用いても勝てる戦も勝てないでしょう」
徐庶の言うことが、俺の中にすとんと落ちた気がした。人の心が動かなければ、戦いには勝てない。
どれだけ兵士達を鼓舞し、戦わせることができるかは兵士を率いる将の力量だ。
戦場に出たことがない俺には、まだ未知の世界だが、徐庶の言葉で想像ができた。
「うむ。良いぞ良いぞ」
司馬徽はそう言うと、再び講義を再開した。
俺と話していたというのに、司馬徽の話も聞いていた。徐庶という男はそれほど器用なことが出来るのだ。
昼の訪れと共に門下生達は塾を後にして行った。
俺はそれを困惑してみていると、徐庶が俺の横に座った。
「さっきはすまなかったな。面白いやつが来たと思って、余計なことをしてしまった」
「いえ、おかげで恥をかかずにすみました。ありがとうございました」
頭を下げると、徐庶はあごに手を当てて楽しそうな笑みを浮かべた。
「やはり面白い。いや、不思議と言った方が良いかもしれないな」
「不思議ですか?」
「ああ、年相応に思えない。貫禄のようなものを感じる」
「ご冗談を」
何か見透かされているような気がする。徐庶の目は俺の奥深くまで見通すような透明さを持っていた。
「人を殺したことがあるかと聞いたな? そういうやつはな、命の重みを無意識に測るんだ。大事な者と、そうでない者を見極めている」
「そんなことはないかと」
「酷いやつは、こいつは斬れるかどうか判断するやつもいる。お前はそこまでない。ということは、斬ることに躊躇はないが、人殺しに快楽を覚えていないことになる」
「少し話が読めません」
俺の言葉に、徐庶は少し考える素振りを見せた。
「俺も人を殺したことがある」
「そうなのですか?」
徐庶からは人を殺めたようなあらっぽさは感じない。むしろ反対ではないかと思った。
少し自嘲気味に徐庶は笑った。
「人を殺した時は、それに恐怖した。慄いた。後悔もした。だが、時が経ち、経験を重ねると、人がいかに脆いか、簡単に死ぬかを知る。そうなると躊躇がなくなる。お前はその域に達していると思うが」
「そうでしょうか? 自分では、そうは思いませんが」
俺は乾いた笑い声をあげた。それも見抜くように徐庶は言葉を紡いだ。
「人殺しが良い、悪いは別の問題だ。知ることができるのは命の儚さだ。だから、大事にしたい人のことを守りたいと思える。悪い事ばかりではない」
「徐庶殿は守りたい人がいらっしゃるのですか?」
「ああ、母だ。気苦労をかけることが多かったから、今は反省して孝行するようにしている」
「それはとても良い事だと思います」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
徐庶は少し気恥しそうにすると、立ち上がって塾を出て行ってしまった。
残っていた門下生に聞くと、講義は昼までだそうだ。それ以降は各々の仕事に戻るとの事だった。
俺も他の門下生に続いて塾を出ることにした。
家に帰る途中の竹林の中に屋敷があるのが見えた。
せっかく近くに引っ越してきたのだ。挨拶の一つはしておこう。
俺は門を叩くと、声を掛けた。
「こんにちは。近くに越してきた馬岱と申します」
しばらく待つと、子供の声が聞こえた。
「少しお待ちください」
門が開くと姿を見せたのは小さな女の子だった。
「私の名は馬岱。近くに越してきたのでご挨拶に来たのだが、ここの主人はどなたかな?」
「申し訳ございません。ご主人様は今日はお休みになられております」
こんな昼間に。と思わず声に出しそうになったが、体調が悪いのかもしれない。
挨拶はまたの機会にしよう。俺は少女に再び挨拶に来ると伝えて帰途へついた。
◇
司馬徽の塾の門下生となって数日が過ぎた。
講義で教えられ事はどれも目からウロコの落ちるような話が多く、俺はそれを取り込めるだけ取り込んだ。
しかし、難しいのは俺なりの解釈を混じえて司馬徽に回答する時が大変だ。
知識の量はかなりあるつもりだったが、ここの門下生たちはそれを上回る人が多い。
さすが智の都荊州だ。俺達の中で頭一つ抜けでているのは徐庶だ。司馬徽の質問にもスラスラ答えていく。
司馬徽は何を答えても、良いぞ、と返すので、いまいち返した答えが合っているのかは分からないが、徐庶の言葉はどれも俺の心にすっと入ってくる。
徐庶は非凡な才能の持ち主だと、それだけで分かってしまう。
もし、徐庶が馬騰に出仕してくれたら、と思うが徐庶はここを離れることは無いそうだ。
母と共に過ごす。それが彼の生き方なのだ。それを曲げてまで無理強いはしたくない。俺にとって徐庶は友人なのだ。
塾で司馬徽の講釈を聞いていると、一人の背の高い男が音もなく隅っこの席に座った。
その顔はハッとする様な美形であった。しばらく見つめていると、その男が俺を横目で見た。
が、すぐに司馬徽に目を戻した。
司馬徽の話が佳境に入ろうとした時、美形の男は立ち上がり、ふらっと去っていった。
なんで、ここで去るのだろうか。不思議に思っていると、徐庶が耳打ちしてきた。
「あいつのこと、気になるのか?」
「はい。前も来てましたよね?」
「ちょっと変なやつなんだかな。悪いヤツ……じゃあないと思う」
徐庶でも確証は持てないということは、あまり接点がないのかもしれない。
俺は徐庶に声を潜めて質問をした。
「なんて方なんですか?」
「諸葛亮 孔明。まあ、言ってしまえば天才ってやつさ」




