邂逅
「え?」
俺は思わず呆けた声を上げてしまった。
「言うた通りじゃ。曹操 孟徳に会いに行く」
「危険すぎませんか?」
「儂の王力は知っておるじゃろう? 逃げることなら簡単じゃわい」
ふぉっふぉっふぉっと楽しそうに笑った。
確かに瞬間移動なら、伏兵でもいない限りは逃げるのに十分だということか。
それならば、危険は最小限かもしれない。
「分かりました。お気をつけていってください」
「何を言うておる? 馬岱、お主も行くのじゃよ」
「な、何で私が?」
俺が曹操のところに会いに行く理由が分からない。
「曹操という男を見定め、儂が仕えうるに足る覇者であれば、我らは曹操に仕えることにする」
「それならば、私は不要なのでは?」
「果たしてそうかの?」
左慈は俺を試すような目を見せた。
「儂は王力を持つ者、すべてに会いに行こうと思うておる。馬岱よ、一緒に行けば、多くの英雄たちと会うことができるぞ?」
「そこに馬騰様が入っていると?」
「うむ。次に会う者は馬騰にいたす。ただし、仕えるかどうかは別じゃ。ただし、どの者に仕えようとも、必ずお主は返すと誓おう。それでどうじゃ?」
魅力的な話だ。王力を持っている男と出会える話はそうない。
ここでどのような者か知ることができれば、馬騰にとって損はないはずだ。
左慈が俺に嘘を吐く理由はない。俺はこの提案に乗ることにした。
「分かりました。行きましょう」
「うむ。では、早速行くとするかの」
「え? 今から行くのですか?」
「思い立ったが吉日と言うじゃろ? ほれ、馬岱、儂と手を繋げ」
こんな夜に会いに行くのは無礼なのではないだろうか。
俺が思案していると、左慈が俺の手を取った。
「左慈殿、俺と二人で行くんですか?」
「そうじゃよ? 帰ることを考えると、儂の王力で、曹操の下に行くのは二人で限界じゃ」
そんなに大人数では飛べないということか。
瞬間移動は強力な王力だと思ったが、莫大な王力を使うのだろう。
左慈が後ろに控える、夕を見た。
「行ってくる」
「お気をつけてくださいね」
夕の言葉を聞き終えた時、世界が変わった。
天には月が浮かんでいることから、外であることは分かった。
周りは部屋で囲まれていることから、どこかの内庭のような場所だと思われる。
辺りを見回していると、庭にある大きな池に架けられた橋の上に立っている人影に気づいた。
それは男で、まだ青年の面影を持っている。
「お主が曹操じゃな?」
左慈が唐突に話を切り出した。
曹操と呼ばれた男は、こちらに視線を向けると、再び月を見上げた。
「思ったよりも遅かったな」
曹操はこちらを見ずに答えた。まるで、こちらが来るのを察していたかのようだった。
「帝の勅書……。あれを逃したということは、俺に刺客が向けられるのも時間の問題だと思っていた」
「知っておったのか?」
左慈の声に微かに驚きの声音が混じっていた。
月から目を離した曹操が俺達を見据えた。
「帝の周囲にいるお前達を一掃することが目的だった。そのために、あえて帝を泳がしておいたのだ」
「なるほど。お主、怖いのじゃな?」
「怖い、だと?」
曹操の視線が険しいものに変わった。
「ま、怖いな」
あっさりと認めると、橋の上から縁側に腰かけた。
「怖さは人を慎重にさせてくれる。慎重になるからこそ、見えてくるものがある。真価がな。俺は恐怖することが好きだ。今まで見えなかったことが見えてくる。恐怖するからこそ、生きている実感が湧く。ああ、老いも怖いな。あとは女の嫉妬だな。あれは恐ろしいの一言だ」
曹操は楽しそうに笑うと、縁側の床を軽く叩いた。
座れていうことなのだろうか。左慈はそれに従い、少し離れたところに座った。俺もそれにならって座る。
「ご老体には、夜風は厳しくないか?」
曹操が左慈のことを慮るように言った。
「よいよい。少し肌寒い方がちょうど良いわ」
「そうか。で、刺客はご老体か? それとも横にいる者か?」
「儂らは刺客ではない」
「ほお? ならば、何をしに来た?」
「お主に仕えるか、を見定めに来た」
左慈の言葉に曹操は呆気にとられたのか、目を丸くしていた。
「殺しに来たのではないのか?」
「違う。お主が我らが仕えるに値する人物かを見に来たのじゃ」
「なるほど。それは面白くない話だな」
「……どういうことじゃ?」
曹操は呆れたように言った。左慈の疑問は俺の疑問でもあった。
一掃したいと思う者を従えることができるかもしれない。これは嬉しいことではないのだろうか。
「見定めると言ったな? お前達は何様だ? 常に影でこそこそ動き回り、帝に忠を尽くす存在。まるで蟻ではないか」
「蟻じゃと?」
「あぁ、つまらぬ。時代遅れも甚だしい。自分達だけが特別な存在だと思っている。貴様らのような存在は、いくらでも替えがきくということだ」
「それを恐れている、と言っていたのはお主じゃぞ?」
左慈の返す言葉に、曹操は低く笑った。
「そう。可能性があれば、俺は恐れる。一度、とんでもない女に嵌って以降、余計に生きるのが怖くなった」
「ならば――」
「何度も言わせるな、ご老体。お前達だけが特別ではないのだ。帝の周りにはすでに俺の手の者達が監視している。その時点でお前達は古き者になったのだ。中古品には興味がない。殺さぬなら、さっさと去れ」
「そうか……。そんなに死にたいのであればっ!」
左慈の手から何かが放たれた。だが、次の瞬間、空間が歪んだ。すろと、それは地面に落ちてしまった。
短い剣を投げたようだ。目にもとまらぬ速さで投げられたものが、何故、地面に落ちているのか。
曹操を見ると、体からもやのようなものが漂っている。まさか、これは曹操の王力では。
曹操の王力の話を聞いたことがある。それは百の敵を潰すことができる巨人を出現させるというものだ。
局所的に発生させているのか。なんにせよ、これで俺達は曹操の敵になってしまった。
俺は左慈の肩に手を置いた。
「左慈殿、逃げましょう」
「……うむ。曹操よ、最後に聞こう。お主は天下を欲するか?」
左慈の問いに、曹操は一転の曇りもない瞳を見せた。
「天下など、人それぞれだ。俺は恐怖に震えながら生きたい。死を乗り越えた瞬間に得られる快楽に俺は憑りつかれているのだ」
曹操の答えに、しばらく沈黙が流れた。
いや、左慈の手が少し震えている気がする。恐怖しているのか。
「天下は一つじゃ。この国の覇者が天下を――」
「ならば、貴様が天下を取りに来るが良い」
「なっ!?」
左慈が驚愕の声を上げた。左慈は王力を持っているのに、その力の魅力に逆らって、ここまで来た。
己の欲望に忠実なはずがない。いや、欲望に溺れていたのではないか。誰でも殺す力があると思い込み、それを否定されると逆上した。
これは王力の力に囚われているのではないか。
「わ、儂が天下を?」
思わぬ言葉に左慈が声を上げた。
手に力が入っているのか、ぶるぶると震えている。
左慈の顔を覗き込むと、その目がかっと見開かれていた。
「そうだ。大義名分などそこら中に転がっている。好きなように拾え。そして、王力を天下に示せ。誰かに仕えるよりも、まず己の心に従ってみてはどうかな」
「曹操、お前は――」
「これ以上の問答は不要だ。去れ」
曹操はそう言うと、立ち上がって俺達に背中を見せた。
無防備に見える背中だが、そこには計り知れない力が潜んでいる気がする。
「馬岱よ。すまぬな」
「何を言われますか。帰りましょう」
「うむ。帰るとするか」
左慈の王力で俺達は一瞬にして、左慈の家の中に移動した。
無事に帰れたことに胸を撫でおろしていると、左慈が床に倒れてしまった。
「左慈殿!?」
「王力を使いすぎただけじゃ。もう、空っぽになってしまったわい」
無事そうなので安心した。ひとまず安静にするのが良いだろう。
寝室がどこかを探そうとしていると、夕が部屋に入ってきた。
「影様、お帰りなさい」
「おお、夕か……」
「お疲れのご様子で。曹操はどういうやつでしたか?」
「ただの自分に酔っている愚か者よ」
「なぁるほど」
楽しくなさそうな返事をした夕が左慈の体を起こした。
「で、次は誰にお会いになるのですか?」
「いや。儂は誰にも会わぬ……」
「へぇ、それはどういう意味ですか?」
夕の質問に左慈の目に暗い炎が宿った気がした。
「儂は天下を取りに行くと言っておるのだ」
夕の口角がしっかりと上がったのが見えた。
「じゃあ、あんたはこの里の反逆者だな」
「なにっ!? ごほっ!」
突然、左慈が血を吐いた。
そこには左慈の腹に夕の剣が突き刺さっていた。




