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王朝の影

 左慈と名のった老人は言葉を続けた。


「さて、馬岱よ。まずは彩を助けてくれたことに礼を言う。あやつは儂の孫娘での。特別可愛がっておったのじゃ」

「そうだったんですね。彼女は曹操軍に追われているようでした。何かあったのですか?」

「曹操か……」


 左慈は少しだけ思案するように目を伏せた。


「厄介な男に見つかってしまったのぉ」

「どういうことですか?」


 俺が質問をしようとすると、後ろにある戸が開いた。

 姿を見せたのは夕と彩であった。


「影様、それ以上は喋らない方が良いんじゃないでしょうか?」

「夕よ、言うたであろう? この者は覇者になるかもしれぬ一門じゃと」

「そんなことを言っても、今の我々には関係のないことではありませんか。田舎者の馬家などに仕えることになるとは思えませんなぁ」


 夕の言葉に軽い苛立ちを覚えた。確かに涼州は中央から遠く離れている。

 中央の者達には田舎者と思う者がいるのは仕方がないが、面と向かっていわれれば話は違う。

 立ち上がりそうになった俺を左慈は手で制した。


「夕よ、口が過ぎる。腕は良くても、それでは認められぬぞ?」

「はいはい、分かりましたよ。じゃあ、彩の話を聞きましょう」


 夕に話を振られた彩が懐から一つの巻物を取り出すと、それを左慈に渡した。

 左慈は巻物の紐を解いて、中身を読み始めた。何が書いてあるのか。一心に読み進めている。

 巻物から目を上げた左慈は、彩に目を向けた。


「彩よ、かなり危険じゃったじゃろう。よく持ち帰った」

「いえ。それでも、潜伏していた仲間の多くが……」

「仕方あるまい。これが露見するよりはマシじゃ」

「影様、何が書かれていたんですかぁ?」


 夕が問いかけた。その問いかけに左慈は唸るような声を上げた。

 少し待つと、左慈が俺を手招きした。

 俺はそれに従って立ち上がると、左慈の傍に寄った。


 左慈の手が俺に触れた瞬間、また世界が変わった。

 暗い森の中だ。また左慈の王力か。


「馬岱よ、すまぬ。しばし、ここにおってくれ。また迎えに来る」


 森のどこからか左慈の声が聞こえた。この暗闇の中を下手に歩くわけにはいかないか。

 左慈の言葉を信じて待つとしよう。

 俺はツバメを呼び出すと、適当なところに座ってツバメを太ももの上に乗せた。


 ツバメの頭を撫でながら思う。余程、重要な話なのだろう。聞かれては困るということだ。

 俺には荊州に行くという任務がある。ここで足止めされるの訳にはいかないが。

 色々と考えていると、暗がりから足音が聞こえた。倶利伽羅を手にした。


「誰だ?」


 俺は暗闇に声を掛けた。足音が止まる。


「俺に敵意はない。先ほど、影様に連れていかれたであろう? 招かれたということは敵ではない。ということだ」


 まだ若い男の声だった。確かに敵意のようなものは感じない。

 ここで黙っているのも暇なので、話でもしようと思った。


「なら、近くに座ったらいい」

「すまない」


 そう言うと、ツバメの炎の光にうっすらと照らされた男が現れた。

 先ほどの黒装束と恰好は同じだ。落ち着いた表情を見せている。


「礼が先だった。彩を助けてくれたのだったな」

「なりゆきだ。でも、助けられて良かった」

「彩は俺の妹だ。俺達の世界は非情だ。親子だろうと兄弟だろうと切り捨てる。彩が任務についた時に、もう二度と会えぬと思っていた」

「任務?」


 俺の問いかけに、男は僅かに頷いた。


「帝を影でお守りするのが、我々の務めだ」

「それなのに、彩はどうして戻ってきたんだ?」


 男は力なく、首を横に振った。


「分からない。俺のような地の者には伝えられていない」

「地の者?」

「俺達は天、地、人、で組み分けをしている。天が位が高く、人が一番低い」

「そうなのか」


 俺はツバメの背中をさすりながら聞く。


「あの、夕ってヤツは、天なのか?」

「ああ。そうだ。影を継ぐ有力候補だ」

「あんなのが上になったら、ぞっとするな」


 あの嫌味なヤツに従うなど、考えるだけで嫌になる。

 男がくすりと笑った。


「俺も嫌だな。あいつの下で命を無駄にしたくはない」

「同じ気持ちで嬉しいよ。俺は馬岱。君は?」

「俺はめいだ」

「冥は、俺に色々と喋っているが良いのか? どうやら秘密が多そうなところだが?」


 俺の問いかけに、冥は視線を天に向けた。


「俺達の里に伝わる言葉がある。星砕けしとき、次代の覇者あらわる。我ら、その覇者に従うべし。とな」

「左慈殿も覇者と言っていたな。覇者っていうのは誰のことを指しているんだ?」

「王力を持つ者のこと。次にこの大陸を治めることになる人だ」


 王力を持つ者。それならば、今の天下には六人いる。

 今後、王力の保有者が王力を取り込んでいくことになれば、この大陸の覇者となる。ということか。

 だが、俺はここで一つの疑問が湧いた。

 

「冥、王力持ちには漢王室を復興させようとしている者もいるはずだ。漢王室が続くということはないのか?」

「残念だが、それはない。王力は持てば持つほど、力を、天下を欲するものだ」

「じゃあ、漢王室は終わりということなのか?」

「ああ。帝が王力を失ったときにな」

「それなら、何でまだ帝に仕えているんだ?」

 

 俺の言葉が芯をついていたのか、冥は少し言いよどんだ。


「影様が王力をお持ちなのは知っているな?」

「ああ。一瞬で別のところに移動した」


 おそらく、瞬間移動というものだろう。冥が小さく頷いた。

 左慈の王力は触れたものや自分を瞬間移動させるもので間違いなさそうだ。

 俺はここで重大なことに気づいた。


「冥、左慈殿に王力が宿ったということは?」

「ああ。覇者としての器がある、ということだ」

「じゃあ、天下を取りに?」

「そこが問題になっている。このまま里にこもるか。それとも、王力を持った者として天下を取りに行くか。これが里を二分している」


 王力を持てば、天下を我が物にしようとする欲望に駆られると言っていた。

 となると、左慈は今、その欲望と戦っているのかもしれない。王力を持った者がいるのならば、周りは天下取りに行こうという者達がでてくる。

 それが里を二分しているということだ。おそらく、天下取りに行きたいと言っているヤツは夕だろう。なんとなく想像ができる。


「冥はどうしたいんだ?」

「分からない。だが、帝を守るのも違う気がする」

「違う?」

「ああ。俺達は覇者の影として生きることを掟としている。今の帝は曹操に良いように扱われているだけだ。帝の力になることをすれば、それは曹操の利になるかもしれない」

「曹操か……」


 世間の話では血も涙もない人間と評されているが、実際のところはどうなのだろう。

 天下にいま、一番近いと言われているのは袁紹だ。曹操と違って周囲を敵に囲まれていないのが大きい。

 間接的にとはいえ、曹操に力を貸してしまったとして、袁紹が天下を取って、それが明るみになれば立場が危うくなるだろう。


「曹操の下から帝をお救いするのは、どうなんだろうか? 左慈殿の王力ならできそうだが?」

「帝をお救いしたとしても、何らかの手を使い、新たな帝を立てるだけだろう。帝の威光は手中に収め、存在を証明してから光るものだからな」

「となると、話が巡ってしまうな」

「そうだ。答えは出すのは影様だ。俺達では議論しかできない」


 冥の言う通り、左慈が腹を決めるしかないことだ。

 だが、天下を取りに行くとして、どうやってここから勢力を広げていくのだろう。

 主要な都市はどこかしらの勢力が治めている。里の規模がどれくらいかは分からないが、旗揚げをするには心もとないと思う。


「思い切って、他の人に仕えるってのはどうだろうか?」


 俺の提案に冥は首を力なく振った。


「それもありかとも思うが、我らは個で動くように教育されてはいない。影の決定に従う。影が言うならば、そのために命を捧げるのが、俺達の生き方だ」

「そういわれると難しいな」

「ああ。難しいな」

 

 俺と冥はため息を吐いた。すると、目の前に突如、左慈と夕が姿を見せた。


「影様」


 冥が頭を下げた。俺も軽く会釈した。

 

「馬岱、冥から話を聞いたかの?」


 左慈の問いかけに、素直に頷きそうになったが、内情を聞きすぎたような気がする。

 ここは穏便にすませるか。

 

「少しですが。覇者に仕えるのが掟と」

「左様じゃ。ならば、儂らは行くしかない」

「どこにですか?」

「曹操 孟徳。その男を見定めに行くのじゃよ」

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