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鷹のような男

 夏侯淵は馬上から俺を見下ろしている。

 まさか、ここで曹操の腹心中の腹心の出会ってしまうとは。

 ここで下手を打って、変な疑念を持たれると面倒な事になりかねない。

 

 俺は恭しく頭を下げた。


「夏侯淵将軍とは知らず無礼な態度をお許しください」


 俺は顔を伏せたままチラリと夏侯淵を見た。

 そこには俺のことを真っ直ぐ見据えている夏侯淵が、手に剣を掛けるところが見えた。

 反射的に後ろに飛び退く。


「その動き……貴様、何者だ?」


 しまった。下手を打ってしまったことに内心舌打ちをしてしまった。

 誤魔化せば余計に怪しまれる。ここはぼかしつつ、自分の事を話そう。


「私は多少、武に覚えがあります。若輩者ですので、過剰に反応してしまいました。再びの御無礼をおゆるしください」


 また頭を下げて、ここでも敵意がないことを伝える。


「それだけ……か? 貴様から……力を感じる。王力の……力を」


 思わず表情に出てしまいそうになった。何故、王力の事がバレている。

 いや、夏侯淵がかまをかけているのか。いや、それともまさか、王力を持った者には、王力の事が分かるのか。

 夏侯淵の目が鋭くなった。俺に更に疑念を持ってしまったようだ。


 その時、遠くから声が聞こえた。


「夏侯淵将軍! 馬影を確認しました」

「……分かった。向かおう」


 これは僥倖だ。夏侯淵が去ってくれるのならば、それに越したことはない。

 俺は頭を下げたまま、ピクリとも動かなかった。

 夏侯淵の刺すような視線が俺から離れたことが分かった。


 馬首を返すと馬を走らせて行った。

 危なかった。もし、戦いになったら勝てるかどうか全く分からなかった。

 孟起と同じような奥深い力を感じる。ここにこのまま突っ立てるより去る方が先だ。


 俺はすぐに林の方へと向かった。

 木の影に回るとまだ少女が寝ていた。黒装束を追っていると夏侯淵は言った。

 この子の事だろう。ここだと見つかりやすい。もう少し林の奥に移動しよう。


 俺は少女抱き抱えると林の奥へ向かった。



 日が落ちてから少し時間がたった。

 この暗さで人を探すのは難しいだろう。俺は薪になりそうな枝を取ってくると、火をつける準備をした。


「ツバメ」


 俺がそう呼ぶと、炎狼が姿を見せた。

 俺はツバメの頭を撫でて、枝を重ねたところを指さした。


「あそこに火をつけてくれ」


 ツバメは俺の言う通り自分の体を枝に近づけた。すると、ツバメの体の炎が激しく火をあげると、枝に火がついた。

 炎狼はただの狼ではない。王力を更に与えれば、炎を巻き上げることも可能なのだ。


 ただ、気をつけないと行けないのは、王力が尽きる事だ。王力が無くなる訳ではなく、王力がしばらく使えなくなってしまう。

 時と共に回復するので、今みたいな力を連発しなければそれなりの時間は炎狼を使える。


 割と燃費が良い、王力なのかもしれない。

 今の地方は気候は温暖ではあるが、夜はそれでも少しひんやりとしている。

 俺は持ってい掛け布団を取り出すと、少女に掛けた。


「ツバメ、その子のところに行って寝てくれ」


 ツバメはフンと鼻息を鳴らすと、少女の腹の辺りで丸まった。

 最小限の力では炎狼が近づいても火はつかない。温かいくらいなので、寝る時はちょうどいいのだ。

 俺は火の番をしながら少しだけ眠った。



 明け方に微かに物音が聞こえた。

 俺は目を覚ますと、少女がフラフラと立ち上がっていた。


「無理をしちゃダメだ。もう少し休んだ方が良い」


 少女は俺に視線を一瞬向けたが、すぐに前に向き直った。

 少女は足から崩れると、地面に片膝をついた。

 夏侯淵達に追われたということは、この少女は曹操軍の敵なのかも知らない。


 変な気を回して、曹操軍とやり合うつもりもないが、このまま放って置くのも性分ではない。


「肩を貸そう」

「……すまない」


 俺は少女の言葉を聞くと、肩に手を回し歩き始めた。

 林は次第に濃くなって行き、森へと変わる。終いには、足元が悪くなり、歩くのも大変になってきた。


「こんなところに行きたい場所があるのか?」

「ああ。もうすぐ着く」


 少女の言葉はずっとこんな感じだ。一体、いつ着くのだろうか。

 こんな山深いところに何があるというのだ。不安だが、少女を信じる他にない。

 俺は少女に言われるまま、道なき道を進んで行った。

 

 森の中では日が暮れるのが早く感じる。日が無くなれば歩けなくなるのは間違いない。

 そう思っていると、僅かだが森の中に緊張が走った気がした。

 俺は足を止めると、少女に問いかける。


「これは、どういうことだ?」


 森の至る所から気配を感じとった。殺気に近い視線。俺にそれが向いている事が分かった。


「すまない。ここまで来れば大丈夫だ。あとは仲間が――」

「仲間ってのは、俺達のことかい?」


 木の影がら音もなく現れたのは、少女と同じ黒装束の男だった。


「部外者をここまで連れてきたのは、どういうことだ、(さい)

「怪我を負った私を連れてきてくれた恩人だ。部外者だが――」

「それを決めるのはお前じゃない。俺だ」


 どうやら、俺は招かれざる客ということだ。このまま黙って帰らせてくれるか。

 俺は手を挙げて、敵意がない旨を伝える。


「何か理由があるようだが、俺は君達とやり合う気はない。そのまま帰らせては貰えないだろうか?」

「ふーむ……。このまま帰ったら、こちらの居場所がバレるかもしれない」

「君達のことを俺は何者か知らない。それならば、話すことはないんじゃないか?」

「なぁるほど。確かに一理ある……けど」


 殺気と共に何かが俺に飛ばされたことが分かった。それを俺は横に飛んでかわした。

 男がご機嫌そうな口笛を吹いた。


「とてもただの旅人とは思えない反応だねぇ。ますます見過ごせないなぁ」


 森中に殺気が満ちている。隠れている者達は、前にいる男が指示を出せば、一斉に襲い掛かってくるだろう。

 どうする。ツバメを使えば、戦えないことはないか。だが、どれだけの者達が潜んでいるのか分からない。

 周りの気配に注意していると、俺と男の前に突如、人が現れた。


 髪は全て白髪で、少し腰が曲がっている。白髪の人が振り返った。

 顔に年季の入ったしわのある老人であった。


ゆうよ。これは何事じゃ?」


 黒装束の男を夕と呼んだ。この老人は夕達の味方ということか。

 だが、夕は僅かに表情を歪めた。

 

えい様、怪しい奴が彩を連れてきましてねぇ。もしかしたら敵かもしれないと思ってさぁ」

「ほお? この者が怪しいか」


 老人はまじまじと俺の顔を見ると、二っと笑みを浮かべた。


「馬家の一門の者じゃな」

「なっ?」


 俺は思わず声を上げてしまった。何故、俺が馬家の者だと知っているんだ。

 かまをかけたとは思えない。一体、どうして。

 困惑する俺に、老人は笑い声をあげた。


「馬家の王力が見えたのでな。当たっておるかな?」


 王力が見える。老人は夏侯淵と同じことを言った。

 俺は老人のことをじっと見つめると、うっすらだが体から薄いもやのようなものが漂っていた。

 まさか、これが王力。疑問に思っている俺のことを見た老人が再び笑った。


「まだ力を会得して、長くはないようじゃの。夕よ、この者を里に連れて行くぞ」

「どうしてですかぁ? 怪しくないでしょうか?」

「覇王になるかもしれぬ男の一門じゃ。もてなすのは当然であろう?」


 老人の言葉に、夕が少しだけ目尻を上げたように見えた。

 だが、それも一瞬だった。夕は大げさに肩をすくめると、老人に言う。


「まあ、影様のお言葉なら仕方がないでしょう。命拾いしたな」


 森のいたるところから放たれていた殺気がしぼんでいくように消えた。

 俺は少しだけ胸を撫でおろすと、老人が俺に近づてきた。そのあまりにも自然な歩みに身構えることを忘れていた。

 老人は俺の胸に手を当てた。えっ、と声を上げた次の瞬間には俺の世界は一変していた。

 

 そこは先ほどの森とは違い、どこかの家の中であった。

 何があったのだ。触れられたことは分かったが、移動した覚えはない。

 まさか、これがあの老人の王力。


 困惑している俺の横に老人が立っていた。また笑い声をあげて、部屋の奥の一段上になっている床に座った。


「ここにはわしとお主しかおらん。安心せい」


 俺は神経を集中させて、周りの気配を伺った。何も感じないので、老人の言葉は本当のようだ。

 老人は手で座るように促したので、俺は床に座った。


「お主、名は?」

「馬岱 賢正と申します」

「馬岱? 聞かぬ名じゃの」

「先月、名をいただいたばかりです」

「なるほど。得心が言ったわい」


 老人は長い髭を触りながら、優しく目を細めた。


「儂の名前を言ってなかったの。この里の長で、影と呼ばれておるが、世俗では左慈さじと名のっておる」


 左慈はそう言うと、にっこりと笑った。

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