十六の夜
夏の強い日差しの下、俺は魯仁と向かい合っていた。
魯仁は手にした蛇矛を天を突きさすように掲げた。
「安能、孟起兄のように加減はできないぜ?」
そう言うと、魯仁は蛇矛を振り回した。槍よりも重量のある蛇矛を自在に操る様から、魯仁の高い力量が伺えた。
俺は刃引きした剣を手にし、背筋を正して礼をした。
「全力でお願いします」
俺は言うと、剣を構えて魯仁に切っ先を向けた。
魯仁も蛇矛を構える。両者の間には今まさに戦いが始まっていた。
間合いの広い蛇矛に、剣でそのまま立ち向かうのは不利だ。俺はじりじりと足を擦りながら、ゆっくり移動した。
俺との距離を測っているのか、魯仁も同じようにすり足で近づいてくる。
魯仁は自分の間合いに入ったと判断したのか、蛇矛で突きを放つ。俺はそれを剣でいなすと、一気に踏み込んだ。
だが、魯仁はいなされた蛇矛をくるりと回して、俺の進む方向に石突を向けると、片手で蛇矛を振るった。
俺の目の前に蛇矛の石突が迫る。いなした際に上がった剣の柄を石突をぶつけた。
弾けるような金属音が響く。一歩踏み込んだ俺と、一歩引いた魯仁。
その一歩の幅は広かった。俺の剣筋に魯仁の胴体が入ったのだ。
振るった剣を魯仁の横っ腹に触れたところで、俺は剣を止めた。
魯仁は悔しそうに顔を歪めた。
「だぁ~! くそっ! 負けちまったぁ!」
魯仁は大げさに言うと、手を地面に着き肩を落とした。
俺は剣を鞘に収めると、一礼をして深く息を吐いた。
俺達から少し離れたところから、拍手が聞こえた。
拍手をしたのは嘉月だ。優しい笑みを浮かべて、俺達へと近づいてきた。
「安能、すごいな。魯仁に勝つことができる者は、そうはいないぞ?」
「たまたまです。俺も危ないところでした」
「そのたまたまを引いたのはお前の力が上がった証拠だ。なあ、魯仁?」
うな垂れていた魯仁が立ち上がると、釈然としない顔をした。
「いや、昔から安能は強かったぜ? でも、今は何ていうか、鋭い感じがする」
「鋭い感じ?」
嘉月が返すと魯仁は唸り声を上げた。
「気迫とも違うんだよなぁ。 こ~、斬るぞ~、とか言うのとも違って、俺のことをただ見据えているようだった」
「観察していたとは違うのか?」
「見ていたというか、見ている俺を見られていたような~?」
「なんだ、それは? まあ、よくは分からないが安能が強くなったならよかったじゃないか。なぁ、安能?」
嘉月が俺に向けて笑みを浮かべた。
自分では強くなった気はしない。だが、今までとは見方が変わったような気がする。
あの日、小蘭を失ってから、一年近くがたつ。だが、俺の中では心が乾いているような感じがした。
嘉月や魯仁と話すのはもちろん楽しい。自然と笑みもこぼれるようになった。
しかし、一人ぼっちのような虚無感を覚えることもあった。
これは成長なのだろうか。心に開いた穴が埋まらない。埋めようともがけばもがくほど、穴がその存在を強調してきた。
だから、俺は全てに全神経を注いだ。剣も勉学も馬術も。
ただ前のことに集中し、むさぼるように経験や知識を叩き込んだ。
それがあって、今の俺は存在している。孤独が俺を強くしたのかもしれない。
とても喜べたものではないが、その事を二人に伝えても余計な心配をさせるだけだ。
「はい。俺が強くなれば、馬家に貢献ができるというものです。もっと精進します」
「安能は真面目だな。誰かさんとは大違いだ」
「嘉月兄、なんか言ったか?」
魯仁がぶすくれると、地面に落ちた蛇矛を持ち上げた。
「安能、まだ暴れたりねぇ。俺に付き合ってくれよ」
「はい。何度でも」
「よっしゃ。次は負けねぇぞ!」
「怪我をしない程度にな」
嘉月が肩をすくめて言った。
俺は魯仁と向き合い、一礼をすると、再び剣を構えた。
その日、俺と魯仁は日暮れまで戦った。
◇
俺は霧の中をさまよっていた。
周りには誰もおらず、静寂に支配されている。
その霧に影が見えた。影は次第に明瞭となると一人の少女が俺の前に立った。
小蘭だ。その表情はいつも俺に向けてくれた笑顔。
俺がこの世で一番欲しているもの。
ああ、小蘭。声に出そうとするが、俺の口は開くだけで言葉にならなかった。
小蘭! 小蘭! 呼べば呼ぶほどに焦りが生まれてくる。
声にならない声で小蘭に呼びかけた。小蘭は笑みを浮かべたまま、振り返ると霧の中へ消えていく。
待ってくれ。俺を置いていくな。何度も叫ぼうとしても声は出ない。
遂に小蘭の姿が霧に溶け込んだ。
「小蘭!」
俺は自分の声で目が覚めた。
今でも時々見る夢。小蘭を思い出すと自然と拳を強く握り締めた。
毒殺未遂事件の続報については韓遂から来ていない。そもそも本当に調べているかどうかすら分からない。
親族を皆殺しにできる。脅迫者の戯言かも知れないが、本当であればかなりの権力者だ。
何の便りも送らぬ韓遂。それだけで俺の疑念は深まっていく。
誰が小蘭を死に追いやったのか。今の俺には知りようのないことであった。
◇
俺は十六歳を向かえた。
誕生日なので、多くの人が我が家へ集まり、酒を飲んでは笑い声をあげていた。
その中には嘉月と魯仁だけでなく、孟起もいた。
孟起は一人の武将として、今では軍を率いる存在となっている。
その勇猛さと凛々しさから、周りからは錦馬超と呼ばれることがある。
確かに、孟起の姿を見れば、錦のような美しさを感じてしまう。
孟起が酒の入った小さな樽を持ってきて、俺の盃に注いだ。
「安能も十六だな」
「はい。思えば、あっという間な気がします」
「光陰矢の如し、だな。時が過ぎるのは早い。だからこそ、今という時間を楽しむのだ」
「ありがとうございます。いただきます」
酒を飲んでいると、馬騰がやってきた。
後ろに控えているのは雷白と雪だ。馬騰が気を回してくれたのだろう。
笑顔で俺の誕生日を祝福してくれた。
馬騰が俺の横に座ると、酒を一口飲んだ。
「安能、いよいよ十六か」
「はい。叔父上のおかげで、馬家に恥じない男になれたと思っております」
「その意気やよし。お前は立派な大人だ。ついては、お前の名を考えてきた。弟と考えた名前だが良いか?」
「叔父上と父上が決めてくださった名を断るはずがありません」
「よし、ならば、お前に名を授けよう」
馬騰は立ち上がり一息つくと、高らかに言った。
「皆の者! この度、安能に新しき名を授けようと思う。その名は馬岱 賢正。以後は、この名で呼ぶがよい」
馬岱 賢正。安能という名は捨て、新しき名前に変わった。
小蘭、もし君の声が聞けるならば、賢正と呼んで欲しい。この世にはいない者に思いをはせていると、孟起がぽつりと呟いた。
「賢正か。良い名前だ」
孟起が言うと、俺は少し恥ずかしくなった。
俺にも名がついた。これで大人として認められたということだ。
多くの者達が俺の名前を呼んでいる中、馬騰が俺の隣に座った。
「賢正よ。お前に頼みたいことがある」
「何でしょうか?」
「荊州の劉表の下へ行って欲しいのだ」
「荊州ですか?」
荊州とはこの大陸の南に位置する州だ。涼州からはかなり離れた土地になる。
荊州は肥沃な土地に温暖な気候で、智者が集う場所とも言われている。
そのような場所に何故、俺が行く必要があるのだろうか。
馬騰は声を潜めて言う。
「今の儂らに足らぬものは何かを考えておってな。精強な武人たちはおれど、知識に富んだものが少ないのも事実だ。お前は昔から勉学に通じているものがある。荊州に行き、知恵をつけて儂を支えて欲しいのだ」
「私ごときが、ですか? 何か他に思惑があるのでは?」
「相変わらず賢しいな。お主にしかできぬことがある」
俺にしかできぬこととは何だろうか。少し疑問に思っていると、馬騰は更に声を潜めた。
「お前がこれは、と思うのがいれば、儂に推挙して欲しい」
「なるほど。知恵に富んだものが欲しいということですね」
馬騰に、そういうと満足そうに笑みを浮かべた。
「劉表は小賢しいところがある。名のある者が行けば警戒されるやもしれん。その点、お主はまだ名を変えたばかりだ。怪しまれることはないだろうて」
馬騰の腹は決まっているようだ。馬騰は最近、知識人達を集めているのは知っているが、更にそれを強化したいということか。
それならば、俺にできることは。
「荊州に参りましょう。必ずや、叔父上の助けになるよう、勉学に勤しんでまいります」
俺の新たな目的地が決まった。




