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韓遂という男

 馬騰と韓遂の和睦の条件の一つである人質交換の場に俺は立ち会っていた。

 馬騰側から万吉を。韓遂側からは韓遂の子供の男児を。

 それぞれが交換し、それをもって和睦は進むこととなる。


 俺には可愛い従弟の万吉が人質に出されるのは不満だが、馬騰の決めたことなので異論は挟めなかった。

 確かに馬騰の子供でまだ小さいのは万吉だけだ。人質交換の材料としては、育って傍に置いておきたい息子よりも、まだ年端もいかない子供を差し出した方が良いとの考えかもしれない。

 馬騰と韓遂の間で取り交わしが行われたのか、周りに少数の兵士がいる中で、人質の交換がなされた。


 俺は万吉を馬に乗せ、馬騰陣営から韓遂陣営へと向かう。同じく韓遂陣営からも護衛が一人と人質が馬に乗っていた。

 韓遂側の人質もまだ子供である。不安が顔から滲み出ていた。可哀想にという言葉しか胸の内で思い浮かばなかった。

 両者ともそれぞれの陣営に辿り着くと、後は粛々と兵士達は馬首を返し、お互いの都市へと向かった。


 万吉も不安な表情を浮かべているが、親族の俺が護衛のせいか頭を撫でると少しだけ微笑んだ。

 兵士の一団の中から一際鮮やかな服を着ている男が近づいてきた。


「万吉殿、安能殿、私の名は成公英(せいこうえい)と申します。以後、お見知り置きを」


 成公英はそう言うと深々と頭を下げた。一応、人質とは言え客人に近い対応をしてくれるようだ。

 少し胸を撫で下ろしたとき、成公英から鋭い視線を向けられたような気がした。


「成公英殿、ご紹介ありがとうございます。韓遂殿の治める地に入るのは初めてなので、少し緊張しております」

「ご安心ください。お二人にはしっかりとした屋敷を用意致しております。健やかにお暮らしできる手筈は整っております」


 成公英はスラスラと告げると、それではお先に、と言葉を残して少ない供回りを引き連れて去っていった。

 なかなか食えない男だという印象が成公英にはあった。

 事前に聞いていた話では韓遂の参謀で、かなりの切れ者と称されている、とのことであった。


 実際に会ってみると、言葉こそは綺麗であるが、どこか人を品定めするような目が気になった。

 どのような評価がくだされるのかは分からないが、今は万吉の心に寄り添って不安を少しでも取り除こう。


「万吉、韓遂殿の領土に行くのは俺も初めてだ。だが、同じ涼州、それほど離れてはいない。それに叔父上と韓遂殿は元は義兄弟だ。関係が改善されれば屋敷へと戻れる。少しの我慢だ」

「安能兄上……。ありがとうございます。万吉はお役目を全うします」

「それでこそ、叔父上の子だ。俺も万吉を見習わなければな」


 笑い声を上げると万吉も笑みを浮かべた。そうして言葉を交わしながら、韓遂の治める都市へ向かった。



 都市に着いてから、早速、韓遂と面会する機会が訪れた。

 応接間に通されると、上座には成公英だけが座っており、韓遂の姿はまだなかった。


「韓遂様は少し遅れるとのことでしたので、もうしばしお待ちを」


 成公英がそう言うと、視線を俺に向けた。


「馬騰様は良き親戚をお持ちのようですね」

「私のことをご存知で?」

「少しはですが。ひとかどの武人であれど、才智にも恵まれている、と」

「そのように評してくださるのは光栄です」


 ここでもまた、何か試されているような気がした。

 だが、ここは韓遂の地である。下手な事を喋ってこちらの内情を知られる訳にもいかない。

 ただ控えめな答えをするに徹しよう。


 世間話のような会話をするが、やはり何かを含んでいる気がする。俺の考えすぎかもしれないが。

 そうしていると、戸の向こう側から慌ただしい足音が聞こえた。


「すまんすまん! 遅れてしまった。おぬしが万吉で、横にいるのが安能だな。うむうむ、良き男児だ。緊張しておるようだの。儂の腹芸でも見て和ませるとしようか」

「韓遂様、そのような事は不要です」

「成公英は固いのぅ。な、そうは思わぬか?」


 突然話を振られた俺は苦笑いを浮かべた。韓遂は恰幅が良い。確かに腹芸はできるかもしれない。

 屈託なく笑う姿にはどこか親近感を覚えてしまう。ただ油断ならない。かつて馬騰の妻子を躊躇なく殺した男だ。

 俺は平身低頭に尽くすことにした。


「こちらの緊張を察していただき、ありがとうございます。韓遂様のようなお心遣いをいただいたのは初めてでございます。な、万吉」

「は、はい。嬉しい限りです」


 俺達の答えに対して、韓遂は目を細めて嬉しそうな顔をした。


「利発そうな子よな。安心せい。馬騰も儂もいがみ合うのに疲れておったところよ。ここらでお互いに手を取って、互いに涼州を統治し、安全な土地にしようぞ」


 そう言うと、豪快に笑った。

 韓遂は親しみやすさを前面に出しているように思える。ここでは冷酷差など微塵も感じない。

 近所の親しいおじさんのような温かみだ。


 その後もいくつか会話をすると、夜に宴席を設けていると告げて韓遂は応接間を後にした。

 それに続くように成公英も頭を下げて、応接間を出ていった。

 俺達も召使いに促されて応接間を出ていく。遠目に韓遂と成公英が見えた。


 その時、背中に悪寒が走った。先程まで見せていた暖かな目ではなく、凍りつくような視線を向けられた気がしたからだ。

 すぐに目を細めて手を振る韓遂。その姿を見ると、戦争を行っていたのが嘘のようだ。


「安能兄上?」

「すまない。行こうか」


 そう言い、韓遂の屋敷の出口へと向かった。



 安能と万吉が屋敷を出ていくのを眺めていた韓遂は成公英に視線だけを向けた。


「どう思う?」


 韓遂は端的に問いかけた。成公英ならば、必要なことは返してくると思っているからだ。


「万吉については凡庸かと。光るものは感じませんでした。ですが」


 成公英は一拍置くと、少し首を傾げた。


「安能には要注意かと。あれは測りかねるところがありました」

「お前をして、そう言わせるか。どの様なところがだ?」


 成公英は少しだけ目を伏せて考える素振りを見せた。


「十四歳と思えぬ落ち着きよう。こちらの探りに一切乗りませんでした。それにあの目、です」

「目とな?」

「こちらを見透かすような目をしておりました」 

「ならば、何らかの手を打つか?」

「下手を打つことは避けとうございます。今は静観がよろしいかと」

「ふむ……。馬騰もまだまだ気を許した訳ではないということじゃな」


 韓遂はあごの髭をさすると、ニッと口角を吊った。


「面白くなりそうじゃわい」


 そう言うと、呵呵と笑った。

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