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馬家の子供に生まれ変わりました

 高校からの、いつもの帰り道。スマホをいじりながら、歩道橋に差し掛かった。

 今、アプリを立ち上げたのは、友人から勧められた『三国志』のゲームだ。

 正直、歴史オンチの俺は興味がなかったが、友人の熱烈な視線を受けると無下に断れなかった。


 チュートリアルでは、劉備 玄徳というキャラを主人公にして、曹操 孟徳という敵を撃破するところだ。

 劉備は正義の人のようで、曹操は悪役のようなセリフを交わしている。

 正義と悪。ありきたりな構造だが、王道はなんだかんだ面白いと思う。

 

 ながらスマホで歩道橋の階段を上っていく。

 軽くスマホ中毒なのだろう。何かを見ていないと落ち着かないのだ。

 歩道橋を渡り道路の向こう側に行くと、今度は階段を下る。


 スマホの画面を見たまま、階段を踏みしめた。と思ったとき、体がガクッと傾いた。


 体がよろけて階段に倒れると、そのまま下に転がる。

 視界がぐるぐると回転し、頭と体を階段に打ち付けると、ゴンッと後頭部に響く鈍い音と激しい痛みが俺を襲った。


 階段を見上げる形で転がり終わった俺のまぶたが、意思とは無関係にゆっくりと閉じられていく。

 痛みも感じなくなってきた。これはやばいかも。だが、意識は遠のいていくばかりで、重くなったまぶたを上げることができない。

 ああ、これって死ぬってことかな。こんな死なんて、嫌だ。まだ十六歳なのに、青春を謳歌する前に死にたくない。

 

 気になっていたあの子に気持ちを伝えることもできない。友達と馬鹿笑いすることもできない。

 生きたいという意思に反して、視界がどんどん狭まってきた。そして、俺の意識は、そこで途切れた。



 遠のいていた意識が次第に明瞭になってくると、閉じていた目を開けた。


 しかし、開けたのは良いが、視界はぼんやりとしており、ここがどこなのか分からない。ゆらゆらと揺れる橙色の光を認識できる程度だ。

 そのとき、景色が逆さまになると、尻に激しい痛みが走った。


「おぎゃー!」


 痛い。なんという痛さだ。お陰で変な声で泣いてしまった。

 しかも、それが二度、三度と続くと遂には涙を流しながら泣いた。


「おぎゃー! おぎゃー!」


 赤ん坊のような泣き声だ。十六歳にもなって、こんなに泣きじゃくることになろうとは。

 ただただ声を上げて泣いていると、体が優しい温もりに包まれた。鼓動のような心地よい音を聞いていると、先ほどまでの痛みが嘘のように消えていく。

 心が安らぐとは、こういうときに言うのだろう。温もりを感じていると、眠気に襲われた。寝てしまうのがもったいなく感じるが、今度もまた自分の意思に反して意識が遠のいていく。


 眠りに落ちる前に耳にしたのは、とても優しい女性の声だった。

 その声音がより一層、俺の心を落ち着けてくれた。そうして、俺は眠りの世界へと入った。



 あの日から、幾月が経ったのだろうか。

 階段を転げ落ちたと思えば、今度は尻を叩かれて絶叫するという、とんでもない日。

 そう、あの日から俺の人生は大きく変わってしまったのだ。


 何故なら、俺は。


「おぎゃー! おぎゃー!」


 何を隠そう、立派な赤ん坊なのだ。



 母乳を飲んで空腹感を満たしていると、女性が俺を持ち上げて優しい声で歌う。

 この人が俺の母親だ。俺にこうして、子守唄を歌ってくれている母親の横で、俺の顔を覗き込むように見るのが、俺の父親である。

 最初は混乱したが、さすがに数か月も経てば慣れてきたのか、腹が減ったときは泣いて母乳をせがむようにしている。


 色々と考えることはあるが、今は赤ん坊ライフを完璧にこなさなければならない。

 成長することで、ここがどこか分かるだろう。それまでは成長に徹するのだ。そう思っていると、また眠気に襲われる。

 赤ん坊になってからは、一日の大半は寝て過ごしているが、これも成長には必要不可欠。


 考えるのを止めにして、眠りに落ちた。


 

 俺の赤ん坊ライフは順風満帆であった。成長するにつれて、ハイハイや掴まり立ち、よちよち歩きなどをこなしていき、今ではしっかりと歩けるようになったのだ。

 言葉だって分かるようになった。俺の知っている世界とは全く違う言語であるが、慣れというものは怖いもので簡単な意思疎通ができるようになっている。

 親は俺のことを天才と褒めてくれているが、前の世界での記憶を持っているので、この程度はできて当たり前だ。


 問題はこれからなのだ。ここはどこで、俺はどうなったのか。それを知るためには、俺は成長するしかない。

 強くてニューゲーム状態とはいえ、ただの子供なのだから。この世界を知り、己にできることをやる。

 それを模索していく必要がある。



 荒涼とした大地に乾いた風が吹く。ここは西涼。

 俺が生を受けたのは、漢王朝が統治する大陸の端の端に位置する州である。

 俺は陽の光が入る窓際に腰を下ろして本に目を落としていた。


安能あのう、また書物を読んでいるのですか?」


 母が俺を見ていった。俺は本から目を離すと、母に言う。


「母上、勉学に励むことは大事なことです。俺は、いずれ父上や叔父上のお手伝いをしたいのです」


 きっぱりと言い放つと、母は苦笑いを浮かべた。

 それもそうだろう。俺はまだ五歳児なのだから。こんなことを言う子供はなかなかいない。

 前の世界の記憶がある俺だからこそ口にできる言葉だが。


「外で遊ぶのも大事なことですよ? 」

「遊びよりも、まずは勉学です。年をとって、あのときやっておけば、と言いたくはありません」

「あなた、本当に五歳児なのかしら」


 前の世界では十六歳だったので、ここに来た年数と合わせれば二十一歳だ。

 そんなことは言えるはずもなく、母にもっともらしいことを言う。


「二度と帰らぬものは歳月なり、と書かれておりました。私は後悔せぬように生きたいのです」

「分かりました。でも、阿世あせいちゃんが来たら、しっかり稽古をつけてもらうのよ?」


 阿世とは、俺の従兄である。

 歳は七つ上で、腕っぷしがやたらと強い男だ。それだけでなく、一本気な性格で、涼やかな顔立ちをしており、多くの人から将来を有望視されている。

 とても好感の持てる人物であるのは間違いないが、稽古となると話は別だ。

 スパルタと言っても過言ではなく、阿世が来た日はボロボロになって帰宅するのが通例となっている。

 正直言って、あまり気乗りはしないが、返事だけはしておく。


「分かりました。武芸にも励みます」

「聡明な子で、母は嬉しいですよ。将来は、どんな大物になることでしょうか」


 遠い目をして、俺の将来図を描いているようだが、たぶん大物にはならないと思う。

 父と同じような役人になるだけで精一杯に違いない。前の世界の記憶があったとしても、それだけで大物になれたら苦労はしない。

 大物になるとしたら、阿世だろう。俺が言うのもなんだが、とても十二歳とは思えない貫禄を示している。


 それに、出自もとても良い。阿世の叔父上は勇猛で名をはせており、この州の将軍の副官を務めている男だ。

 このまま行けば将軍間違いなしと、こちらも将来を有望されている。


「母上、俺は父上のような誠実で実直な人間になりたいと思います」

「そういってくれるのは、とても嬉しいことですね。あの人が聞いたら、きっと喜びます」


 母との会話をしていると、部屋の戸を叩く音がした。

 いそいそと母が戸へと向かう。俺は再び書物に目を落とすと、床を踏みしめる音が聞こえた。


「安能、こっちにいらっしゃい」


 母に連れられて客間に行くと、そこには阿世と叔父上がいた。


馬騰ばとう叔父上、阿世兄さん、こんにちは」


 挨拶をした俺を見て、叔父上が顔をほころばせる。


「安能、相変わらず聡明なようだな。将来が楽しみだ。なあ、阿世?」


 問いかけられた阿世が、しっかりと頷いた。


「まことに。あとは武芸を磨けば言うことなしです」

「確かにな。どれ、阿世よ。安能に稽古をつけるといい」


 つけるとよくないです。とは言えなかった。

 気が滅入るがやるしかない。適当にやった方が、阿世はより厳しくしてきたからだ。

 やるなら必死でやらなければならない。それでも、ボコボコにされるのは変わらないが。


「阿世兄さん、よろしくお願いします」

「ああ。やろうか」


 俺は少しでも強くなることを心に決めて、小ぶりの木の剣を持つと外へと向かった。

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