なぜ「知っていることをもう一度聞く」と人は煩わしくなるのか
人は一日経てば70%忘れる、と言われる。
この話の出どころは、Hermann Ebbinghaus の忘却曲線だ。
ただしこれは「意味のない単語列」を覚えさせた実験の結果で、
現実の生活記憶はもう少し粘る。
それでも確かに、私たちはかなり忘れる。
ではなぜ、
覚えている内容をもう一度聞かされると煩わしいのか。
忘れるのに、なぜ腹が立つのか。
⸻
① 情報の問題ではない
煩わしさは「内容」ではなく
処理コストと報酬の問題だ。
一度理解した情報は、
脳内で「処理済み」のタグがついている。
それをもう一度ゼロから説明されると、
•すでに圧縮された情報を再展開させられる
•ワーキングメモリを再度占有される
•新規更新が起きない
つまり、
負荷はかかるのに報酬がない。
これは認知負荷理論(John Sweller)や
予測誤差モデル(Karl Friston)で説明できる。
脳は「予測との差分」を報酬にする。
差分ゼロは、更新ゼロ。
更新ゼロは、退屈。
煩わしさの正体は、
更新されない消費行動だ。
⸻
② もう一つの問題 ― ポジション
さらに厄介なのは、
説明される構造の中にある。
誰かが丁寧に説明するとき、そこには暗黙の前提がある。
あなたはまだ十分に理解していない。
ここに軽微なランク再配置が起きる。
社会学者Erving Goffman の言う「フェイス」の問題。
人は自分の立場や能力を維持したい。
だから既知のことを再説明されると、
•能力を疑われた感覚
•教えられる側に回された違和感
がわずかに生まれる。
情報ではなく、
立場の揺れが煩わしい。
⸻
③ ではなぜ「忘れたことを聞く」のは嫌ではないのか
重要なのはここだ。
忘れている内容を聞く場合、
•更新が起こる
•予測誤差が生じる
•記憶が再構築される
報酬が発生する。
つまり
忘却は不快ではない。
更新の欠如が不快なのだ。
⸻
④ SNSで起きていること
SNSでは、
•「これ前にも言ったけど」
•「知ってるかもだけど」
•「超基本だけど」
といった前置きが増えている。
なぜか。
相手が既知か未知か分からないからだ。
だがその曖昧さが、
すでに知っている側の煩わしさを生む。
現代は情報過多だ。
煩わしさは、
情報の多さではなく、
自分の更新が起きない時間の増加
に比例している。
⸻
覚えていることをもう一度聞くのが煩わしい理由は:
1.認知資源が再消費される
2.予測誤差が生まれない
3.更新が起きない
4.立場が微妙に揺れる
煩わしさとは、
情報の重さではなく、
更新がないのに処理を求められる状況への反応である。
忘れることよりも、
更新されないことの方が、人は嫌う。
ここまで整理すると、
「効率の悪い会話」がなぜ疲れるのかも見えてくる。




