ただより高い物はない
以前の選択麻痺の記事を再考してみました
ジャム実験の結果は「10倍」
──偶然ではなさそうなので、少し丁寧に検証してみる
選択麻痺の説明として、
よく引用されるジャムの試食実験がある。
ただ、この実験は
結論だけを要約すると分かりやすい反面、
数値をそのまま見ると少し引っかかる。
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まず、実験結果を整理する
ジャム実験の結果は次の通りだ。
足を止めた人の割合
• 24種類:約 60%
• 6種類:約 40%
→ 種類が多い方が
人を引きつけているのは確か
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実際に購入した割合
• 6種類:約 30%
• 24種類:約 3%
→ 購入率は
およそ10倍の差
この2つを並べると、
少なくとも次の点は言えそうだ。
• 人は集まっている
• 試食もされている
• それでも、ほとんど買われていない
この落差は、やや大きすぎる。
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重要な前提:試食は「置いてあるだけ」
この実験の試食は、
• 店員が勧める形式ではない
• 声かけや説明もない
• テーブルに置いてあるものを
自由に試すだけ
つまり、
「買わなきゃいけない」という
直接的な圧は、かなり弱い
この条件でも
10倍近い差が出ている点は、
一度立ち止まって考えていい。
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種類が多いと、試食はしやすくなる
足を止めた割合を見る限り、
• 24種類の方が
試してみたい気持ちは強くなる
これは自然だと思う。
• 見た目に楽しい
• 比較してみたくなる
• 「せっかくなら」と思いやすい
24種類は、
試食の場としては成功している。
問題は、試した後だ。
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ジャムは「違いは分かるが、驚きは大きくない」
ジャムという商品は、
• 味の方向性が想像しやすい
• 大外れしにくい
• 違いは感じられるが、劇的ではない
いくつか試すと、
だいたい想像通り
どれも悪くない
でも決め手に欠ける
という感覚に落ち着く人も多いはずだ。
ここで起きているのは、
• 情報不足
というより
• 十分に分かってしまった状態
とも言える。
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判断の焦点がずれる可能性
セルフ式で自由な試食が続き、
周囲を見ても同じ行動をしている人が多い。
この条件下では、
判断の軸が次のように移る可能性がある。
どれを買うか
ではなく
今日は買う必要があるか
この時点で、
数種類もの試食をしてしまったので買わなければという周囲の目からのプレッシャーから逃げたくなったのではないか?
ここで買わない理由を探してしまったのでは?
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「迷っている」は使いやすい理由付けになる
その理由として
使われやすいのが、
「まだ迷っている」 という状態だ。
この言葉は、
• 買わなくても不自然ではなく
• 失礼にも見えず
• 判断放棄にも聞こえにくい
かなり安全な立場を作ってくれる。
重要なのは、
迷った結果として買わなかった
というより、
「迷っている」と言えば
買わない判断(食い逃げ)が成立しやすかった可能性
がある、という点だ。
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なぜ6種類は比較的買われたのか
一方、6種類の条件では、
• 試食回数が自然に限られる
• 体験だけで完結しにくい
• 「そろそろ決める」空気が残る
その結果、
試食 → 判断 → 購入
という流れが、
比較的保たれた可能性がある。
だから、
• 足を止めた人数は少なめ
• だが購入率は高い
という結果になったとも読める。
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10倍差は「迷い」だけでは説明しきれないかもしれない
ここまでを見ると、
• 選択肢が多すぎて麻痺した
という説明だけでは、
30% → 3% という差は
やや説明不足にも感じる。
むしろこの実験では、
• 種類が多いことで試食は進み
• プレッシャーが蓄積されて
• 結果として「今は立ち去る」が
選びやすくなった
という構造が
一因として働いた可能性はありそうだ。
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結論
この実験が示しているのは、
• 選択肢が多いと人は迷う
という単純な話というより、
無料・セルフ試食という条件下では、
購入を先送りする理由が
作りやすくなる場合がある
という示唆に近いのではないか。
むしろ元々購買意欲があったにもかかわらず買わなかった人がいるのではないか。
少なくとも、
購入率が10倍違うという数字は、
軽く流さずに
検討する価値がある。
追加
そもそも実験が行われたカリフォルニアでは24種類もの試食は一般的ではないらしい。
非日常なイベントになってしまった可能性はある。




