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心理学は正しいのか?  作者: シンリーベクトル


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ミルグラムの実験

ミルグラムの実験は「人の残酷さ」を証明したのか?


ミルグラムの服従実験という、有名な心理学実験がある。


まずは、簡単に実験の概要から整理しておく。



ミルグラムの実験とは何だったのか


1960年代、心理学者スタンリー・ミルグラムは、

次のような実験を行った。


被験者は「教師役」。

別室には「学習者役」がいる(※実際はサクラ)。


教師役は、

学習者が問題を間違えるたびに、

電気ショックのスイッチを押すよう指示される。


電圧は15Vから始まり、

間違えるごとに徐々に強くなっていく。


途中から学習者は、

• 痛がる声を上げ

• 叫び

• やがて反応しなくなる


それでも実験者は、白衣を着てこう言う。

• 「実験を続けてください」

• 「責任は私が持ちます」

• 「科学のために必要です」


結果として、多くの被験者が

「危険だと思いながらも」スイッチを押し続けた。


これが「人は権威の前でどこまで服従するか」を示した、

衝撃的な実験として紹介されてきた。



だが本当に見ていたのは「残酷さ」だろうか


この実験はよく、

• 人は簡単に加害者になる

• 普通の人でも命令されれば残酷になれる


という文脈で語られる。


だが、この読み方だと、

実験中に起きていたもう一つの重要な要素が抜け落ちる。


それが、責任の見え方だ。



行為よりも、「責任」がどう配置されていたか


被験者が行っていたのは、

• 電気ショックを「与える判断」を下すこと

ではなく

• 指示された操作を「実行する」こと


だった。


しかも実験者は、繰り返しこう強調する。

• 「責任は私が持ちます」


この瞬間、被験者の中で起きるのは、


自分は行為者だが、

結果の責任主体ではない


という状態だ。


つまり、


行動と責任が切り離されている。



では、押さなかった場合の責任は?


ここで重要なのは逆側だ。


もし被験者が

「もう押せません」と拒否した場合、

• 実験を妨害した責任は?

• 科学的進行を止めた責任は?

• 指示に従わない人間だという評価は?


これらは、一切はっきり説明されない。


つまり、

• 押した場合の責任 → 明確に外部化されている

• 押さなかった場合の責任 → 帰属先が不明


という、非対称な責任構造が作られている。



人が避けるのは「責任」ではなく「不明瞭さ」


多くの場合、人が最も避けるのは、

• 罰

• 他者の不幸


そのものではない。


自分が何の責任を負うのか分からない状態だ。


ミルグラムの実験では、

• 押す → 責任の所在が説明されている

• 押さない → その後どうなるか分からない


結果として、


押す方が、予測として安全に見える


という歪んだ状況が生まれている。



服従は「弱さ」ではなく、予測の選択だった


ミルグラムの実験で起きていたのは、

• 悪意

• 思考停止

• 勇気の欠如


ではない。


責任の所在が最も安定して見える行動を選んだ結果

と見る方が、行動の流れは自然だ。


被験者は、

• 誰が責任を負うか分からない未来

よりも

• 「責任は自分ではない」と説明されている未来


を選んだ。



まとめ

• ミルグラムの実験は、人の残酷さの証明とは言えない

• 行為と責任が意図的に切り離されていた

• 押さなかった場合の責任は極端に曖昧だった

• 人は曖昧な責任予測を強く避ける

• 服従は、予測上もっとも安全な選択だった


ミルグラムの実験が突きつけているのは、


「人は命令に従うか」ではなく、

「責任がどこにあると見えるか」で行動を変える


という、かなり日常的な構造だ。


この実験は特別な話ではない。

私たちの身の回りでも、

形を変えて何度も再現されている。


予測が確定した瞬間、人は動きやすくなる


ここまで見てきた構造を一言でまとめるなら、こう言える。


人は「正しいから」ではなく、「予測が確定しているから」動く。


ミルグラムの実験で被験者が従ったのは、

命令そのものではなく、


「この行動を取った場合、何が起きるか」が説明されている状態


だった。


逆に言えば、

予測が確定していない行動は、それだけで高リスクに感じられる。



上司が「責任を取らない」組織で何が起きるか


この構造は、職場でも頻繁に見られる。


たとえば、

• 上司が「判断は任せる」と言うが

• 失敗したときに責任を負うかどうかは曖昧

• 成功しても評価基準が不明確


こうした環境では、

能力の有無とは関係なく、


人は動かなくなる。


一方で、

• 「結果の責任は自分が持つ」と明言され

• 失敗時の扱いが事前に説明されている場合


部下の行動に従う中央値は、確実に上がる。


これは、

人が従順になったからではない。


「どう転んでも先が見えている」からだ。



法律やルールに人が従う理由


人々が法律やルールに従う理由も、

道徳心や善意だけでは説明しきれない。


少なくとも多くの場面で成り立っているのは、次の構造だ。

• ルールに従う →

 違反しなければ責任は発生しない(予測が安定している)

• ルールに従わない →

 誰にどう扱われるか分からない(予測が不確定)


つまり、


従う行為の報酬ではなく、

従わない行為の予測の不明瞭さ


が、行動を制御している。


ミルグラムの実験と同様、

ここでも人は


「安全そうな方」

を選んでいるだけだ。



行動を決めるのは、善悪ではなく「確定度」


ミルグラムの実験は、

人の残酷さを暴いたのではない。


また、

服従の弱さを証明したわけでもない。


予測がどこまで確定しているかで、

人の行動がどれほど容易に変わるか


を、極端な形で示しただけだ。

• 責任が誰にあるか

• 失敗したとき何が起きるか

• 拒否した場合の未来はどうなるか


これらが明示された瞬間、

人は驚くほど合理的に「動けてしまう」。



まとめ(補足)

• 人は命令に従うのではない

• 予測が確定している行動を選んでいる

• 責任の所在が明確な行動は、心理的コストが低い

• 不明瞭な責任は、それ自体が強いブレーキになる


ミルグラムの実験が示したのは、


人は善悪より先に、予測の安定性を選ぶ


という、きわめて日常的な判断原理だ。


そしてこの構造は、

学校でも、会社でも、法律でも、

私たちのすぐ隣で、今日も静かに再現されている。

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