ハロー効果は心理学の解釈で合っているのか?
人は間違いを嫌っているのではない
── 本当に怖いのは「自分サイドが負けること」だ
人は合理的だ、という前提がある。
間違いに気づけば修正し、
より正しい判断へ更新する――。
だが現実は違う。
人は
間違いに気づいても直さない。
証拠が揃っても、
矛盾が明らかでも、
判断はなぜか守られ続ける。
なぜか。
⸻
判断した瞬間、人は「派閥」を作る
人が何かを判断した瞬間、
世界は静かに分断される。
• その判断をした 自分サイド
• それに反する 相手サイド
これは他人との対立ではない。
自分の中に派閥が生まれるという話だ。
一度判断すると、その判断は
対象の評価ではなく、
**「自分が属する立場」**になる。
以降、脳の仕事は変わる。
「正しいかどうか」を確かめることではない。
自分サイドが正当であり続けることを守る方向に切り替わる。
⸻
ハロー効果は「勘違い」ではない
ハロー効果は、こう説明されることが多い。
一部の印象が、全体評価を歪める認知バイアス
だがこれは現象説明にすぎない。
本質はこうだ。
一部の評価を強化することで、
最初に属した自分サイドの正当性を補強している。
情報が後から入っても更新しないのは、
不合理だからではない。
更新すると、
自分が立ってきた側が揺らぐからだ。
⸻
人が失いたくないのは「正解」ではない
判断が間違っていたと分かった瞬間、
失われるのは知識ではない。
• 「見る目がある側」にいた感覚
• 「判断できる側」にいる立場
• 「筋が通っている側」という所属
つまり、
自分サイドとしてのランクだ。
人は間違いを恐れているのではない。
間違った側に分類されることを恐れている。
⸻
ここから、もう一段深い防衛が始まる
だが実は、話はここで終わらない。
人はときに、間違いを認める。
訂正する。
謝る。
それで全部解決したように見える。
だがその瞬間、
次の防衛が始まる。
⸻
間違いを認めた瞬間、「別の自分サイド」が作られる
間違いを認めるとき、
人は無防備になるわけではない。
代わりに、こう動く。
• 誤りを認められる 誠実な自分
• 学習できる 成長している自分
• 柔軟で 器の大きい自分
つまり、
「間違えた自分」を守るための新しい自分サイド
を、即座に作る。
これは逃げではない。
再武装だ。
⸻
認めたのに、なぜ揉めるのか
ここでよく起きる違和感が説明できる。
間違いを認めたはずなのに、
• まだ言い訳が続く
• 動機の正当性を語り始める
• 「でも当時は仕方なかった」と付け足す
これは矛盾ではない。
「判断は間違っていたが、自分の価値までは否定させない」
という防衛線を張っているだけだ。
守る対象が、
• 判断内容 → 判断者としての自分
に切り替わっただけだ。
⸻
派閥防衛は形を変えて続く
だから、
• 判断を守れないとき
• 正解を譲らざるを得ないとき
人は次にこう守る。
「間違いを認めた自分は立派だ」
派閥が解体されたのではない。
派閥が再編されただけだ。
確証バイアスも、
合理化も、
事後説明も、
形を変えて続く。
⸻
修正より防衛が合理的な環境
さらに厄介なのは社会構造だ。
多くの場面で、
• 正解しても評価は動かない
• だが「間違えた人」は記憶される
この環境では、
どの段階でも自分サイドを作り続ける方が合理的
になる。
間違いを認めない防衛。
間違いを認めた後の防衛。
どちらも、
評価の中で生きる限り、自然な反応だ。
⸻
まとめ
人は、
正しさを守っているのではない。
判断した瞬間も、
間違いを認めた瞬間も、
常に「自分が立つ側」を守っている。
だから、
• 間違いを訂正できないことがある
• 訂正してもなお、言い訳が残る
• 撤退や謝罪が重く感じられる
人の認知バイアスは、
思考の欠陥ではない。
自己を守るための、段階的な武装だ。
──
人は賢くなりたいのではない。
どの局面でも、負け側として固定されるのを避けたいだけだ。
この前提を置かない限り、
「なぜ人は間違いを直しても揉めるのか」という問いも、
正しく見えてこない。




