表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ケモノノ巣域 ──白岳の王討伐戦──  作者: 夢虚
第一章 白岳の王討伐戦
8/9

第八話① 斥候任務(前編)

 北域司令基地から見える森は、朝になっても夜の黒さを残していた。

 太陽は雲に隠れ、斜面と木々の境界線は、ぼんやりとしか見えない。

 けれど、巳影朝人には分かっていた。

 あの黒の向こうは、完全な敵地だ。

 

 「――斥候班編成、以上だな」


 広場に集められたのは、各班から選抜された少人数。

 巳影班からは、巳影、北原、南の三名。

 田邊班から二名。通信担当一名、医療担当一名。

 計八名の小隊。


 岩倉中佐が最後の確認を行う。


 「昨夜の軍議をもとに、我々は対象──”白岳(しらたけ)の王”を明確な敵性生物と決定した。

 今回の斥候部隊の目的は、森の縁の地形および獣道の確認だ。

 我々はこの森について無知な部分が多い。周囲の侵入経路の洗い出しが必要だ。

 森に“入る”こと自体が目的ではないことを忘れるな」

 

 淡々と作戦の概要が説明される。

 そして最後に、語尾が強くなる。

 

 「いいか――必要以上には近づくな」

 

 兵たちは、無言で敬礼した。

 誰も軽口を叩かない。

 一昨日の惨劇が、まだ全員の眼の奥に焼き付いている。

 

 柵の門が開く。

 外の空気が、基地内とは違う冷たさで頬を叩いた。

 巳影は斜面を見上げ、短く命じる。


 「斥候班、展開」


 「了解」

 

 先頭は巳影、そのすぐ後ろに北原。

 三番目に南、その後ろに田邊班の二人。

 最後尾を通信・医療担当が固める。

 隊列の間隔は、近すぎず遠すぎず。

 互いの背を追える距離。

 

 斜面を下りる足音が、静かな空気に切り込んでいく。

 ――ザク、ザク。

 ――ザク、ザク。

 

 森が近づくにつれて、世界の色が変わっていく。

 土の匂いが濃くなり、

 冷えた空気が肺の中で重く溜まる。

 南は、マフラーの内側でそっと唇を噛んだ。


 (怖い……)

 (でも……)

 

 前を行く巳影の背中が、いつもより大きく見える。

 その後ろ姿は、

 何度も死地を越えてきた者だけが持つ静かな重さを帯びていた。

 

 森の縁にたどり着く。

 木々の最前列は、まるで柵のように並んでいた。

 幹と幹の間は狭く、外から見ただけでは奥の様子が分からない。


 「ここから先は、完全に奴の庭だ」

 

 北原が小声で言う。


 「足音を最小限に。

 無駄口は控えろ。どうしても喋るなら囁き声で」


 巳影は簡潔に指示を出した。


 「南。匂いと空気の変化に注意しろ。

 何か感じたら、すぐ言え」


 「……はい」

 

 一歩、森の中へ足を入れる。

 途端に、音が変わった。

 基地側の空気には、まだ人の気配があった。

 風、足音、遠くの作業音──地上の生活音。

 

 だが森の中では、それらがすべて、厚い湿布で塞がれたように、急に遠のく。

 踏んだ枝が折れる音だけが、妙にくっきりと響いた。

 

 ――パキッ。

 ――ミシ……。

 

 南は肩をすくめる。

 (森が……聞いてるみたいだ)

 

 樹木の間隔は不規則で、

 場所によっては兵士一人がやっと通れるほどだ。

 巳影は先頭で、通りやすそうなルートを瞬時に選びながら進んでいく。

 木の幹には、ところどころ、樹皮が剥がれた跡があった。

 

 「これ……」

 

 北原が指先で触れる。


 「でけぇ何かがぶつかりながら通った跡っすね」


 「獣道だな」

 

 田邊が低く言う。


 「何度も通った場所だけ、こうやって道になる」

 

 南の背筋に、冷たいものが走る。


(何度も……)

(何度もこんな基地から近いここを通ってたってこと……?)

 

 数百メートルほど進んだところで、巳影が手を上げた。


 「停止」

 

 全員が動きを止める。

 森の中の空気が――わずかに“違う”気がした。


 「……匂いが変わりました」

 

 それを先に言ったのは、南だった。

 巳影が横目で南を見る。


 「どんな匂いだ」


 「……血と、土と……あと、何かもっと……古い匂いです」


 「腐臭か?」


 「いえ、違います。

 腐ってるっていうより……長いこと、ここにあるものの匂いで……」


 巳影は短く頷いた。


 「進む。

 だがここから先は、一歩ごとに周囲を確認しろ」

 

 数歩、進んだところで――

 森の中の一角が、不自然に開けていた。

 木々の密度が急に薄くなり、

 円形の空間ができている。

 木漏れ日もほとんど届かないその中心に、“それ”は積まれていた。

 

 「……なんだ、あれ」

 

 田邊班の兵が、思わず呟く。

 近づくにつれて、それが“石”ではなく“骨”だと分かる。

 大小さまざまな骨。

 人間のものも、獣のものも混ざっている。

 頭蓋骨。

 肋骨。

 長い脚の骨。

 それらが、意味ありげに積み上げられ、一つの“山”になっていた。

 

 南の喉が、ひゅっと鳴る。


 「なっ……」


 「おいおい……」


 北原も思わず息を呑んだ。


 「巳影少佐、これ……

 どう見ても、偶然こうはならねぇっすよ」


 「ああ」

 

 巳影は、静かに骨の山を見つめた。

 骨の山は、森の中の祠のように鎮座している。

 周囲には、濃い血溜まりはない。

 ここは、“殺した場所”ではない。

 集めてきた場所だ。

 

 「南」

 

 「は、はいっ」


 「何か感じるか」


 南は目を閉じ、ゆっくりと呼吸をした。

 鼻腔に、独特の匂いが入り込む。

 土でも血でもない。

 骨そのものとしか言えない匂い。

 それに混じって、ほんのわずかに――


 「……笑ってるような感じがします」


 「笑っている?」


 「えっと、その……馬鹿みたいな言い方ですけど……」


 南は喉を詰まらせながらも続けた。

 

 「“見せびらかしてる”みたいな、

 “どうだ、ここまで集めたぞ”って……そんな感じが……」


 言っていて、自分でもおかしいと思う。

 だが、巳影は否定しなかった。


 「正しいと思う」

 

 「え?」


 「これは縄張りの標識だろう。

 同時に、俺たちがここに来るのをわかっていて、それ故に“ここまで届いている”と誇示するためのものだ」

 

 田邊が、慎重に周囲を見回す。


 「熊って、こんな真似……しますかね」


 「普通の熊はしない」

 

 巳影は答える。


 「だが、“王”はするのかもしれん」

 

 その言葉に、誰も反論できなかった。

 

 骨の山の中に、見覚えのあるものが混ざっていた。

 軍靴。

 潰れた飯盒。

 半分ちぎれた識別票。

 北原が、それを拾い上げる。


 「……松崎班のだ」


 刻まれた番号は、

 確かに先日まで同じ広場に立っていた兵のものだった。

 

 そのとき、通信兵が小さく声を上げた。


 「少佐……無線が入ってます」


 「基地からか?」


 「いえ……これは……」

 

 通信兵の顔色が変わる。


 「誰かが……この近くで送信ボタンを押してます……!

 声は聞こえません。

 でも、ノイズの裏に――」

 

 ――ザザ……。

 

 無線機のスピーカーから、微かな音が漏れた。

 

 ――はぁ……はぁ……。

 

 呼吸音だ。荒く、苦しそうな息。

 その合間に、金属が擦れるような音が混じる。

 

 ――カチ……カチ……。


 「これ……誰かが、銃の安全装置を――」


 「黙れ。

 総員、周囲を警戒。

 北原、人数を確認しろ」

 

 巳影が低く制した。

 耳を澄ます。

 ――はぁ……。

 ――ヴォ……ォ……。

 呼吸音の向こうに、聞き覚えのある低音が混ざった。

 

 森の空気が、さらに重く沈む。

 南の指先が、震え始めた。


 (来る……)

 (どこかから、こっちを――)


 「巳影少佐、後方にいた医療班の一人が……」 

 

 北原の報告を受け巳影は、無線機から目を離さずに言った。


 「……ここまでだな」


 「撤収っすか……。

 行方不明の医療班の奴はどうしますか?」

 

 北原が問う。


 「ああ、悔しいが、あきらめるぞ。

 長居すれば全滅だ」


 巳影は唇を嚙みながら支持を出す。

 

 「骨の山の位置測定と撮影だけして、すぐ引き上げる。

 基地には、無線を入れてくれ。

 『殉職者一命。敵生成物の痕跡を確認。

 これより、帰還する』、と」


 「了解」

 

 斥候班が、それぞれ無言で頷いた、そのとき。

 森の奥から何かの気配を感じた。

 

 ――ズ……ッ。

 足裏に、重さが伝わってきた。

 土の下から、何か巨大なものが近づいてくるような感覚。

 南は、息を止めた。


 (ここは、まだ“入り口”だ……)

 (本当の森は、この先に――)

 

 巳影は、森のさらに暗い方を見据えたまま、短く命じる。


 「撤収態勢に入れ。視線は絶対に森から外すな。

 安全装置は解除しろ。

 だが、発砲はするな」

 

 誰もが感じていた。

 ――この森には、“王”がいる。

 その確信だけが、骨の山より重く、全員の胸にのしかかった。

 

 斥候任務は、まだ終わっていない。

 “本当の惨劇”は、これからだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ