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ケモノノ巣域 ──白岳の王討伐戦──  作者: 夢虚
第一章 白岳の王討伐戦
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第六話 近代兵器と格差

 午後。

 北域の空はすでに夕闇の予兆を帯びていた。

 雲はどこまでも低く沈み、森の上空に垂れ込めて、まるで蓋をされているかのように重く、息苦しい。

 前日の調査で見た日下部(くさかべ)のものと思われる血痕と、森の奥へと続く異様な痕跡。

 その真相が判明するどころか、兵士たちの中にはむしろ、"何も分からないまま”沈黙だけが積み重なっていった。

 そんな中巳影(みかげ)は、司令棟地図室で岩倉中佐と向かい合っていた。


 「……北側斜面の痕跡は、報告書に記した通りです」


 「それは読んだ。貴官の判断力は信用している。

 それを踏まえて、俺はあの報告書に一切の疑いはない。だが……」


 岩倉は未踏の森の地図に指を置き、かすかに眉を寄せた。


 「本部は、まだ“獣害”という言葉を使っている。

 そのうえでさらなる現地確認の要請が来た」


 「あれは、到底”熊”による被害という一言で説明できる状況ではありません」


 「分かっている。だが、そう簡単に『はい、そうですか』とは言えん。

 ……国は簡単には間違いを認めない。それはお前もよくわかっているだろう?」

 

 岩倉の声は低く、疲れていた。

 

 そのとき。

 地図室の扉が乱暴に開いた。


 「少佐!!」

 

 北原伍長が駆け込んできた。息が荒い。


 「南が……!」

 

 巳影の背筋が瞬時に固まった。


 「南がどうした」


 「倉庫の裏で、“変な音がする”って……震えてて……!」


 「音……?」

 

 東側補給倉庫。

 南二等兵は倉庫の影で肩を抱えて震えていた。


 「南」


 「す……すみません……!」


 「何が聞こえた」


 「倉庫の裏です……森のほうから……なにか重いものを引きずる音ようなが……」

 

 南は震える手で森がある方角を指さした。


 「……ず……っ……ずず……って……」


 巳影と北原は同時に息を止めた。

 脳裏には、想定できる限りの最悪が思い浮かぶ。


 一呼吸ついて、巳影は答える。

 

 「裏に回るぞ」


 「了解!」

 

 倉庫裏に回った瞬間、巳影は呼吸を忘れた。

 雪の上。

 黒く、濃く、湿った“血の線”が描かれていた。

 それは昨日、森の中で見た痕跡と同じ色だった。

 

 だが少し違う。

 これは――乾ききっていない。

 指に張り付いたさらさらとした感触と、巳影の経験がそう判断する。


 (……つい数時間前だ)


 「足跡があります……!」


 北原が低く叫んだ。

 地面には巨大な踏み込み跡。

 最初は四つ。

 途中から――二つに変わっている。


 (四足歩行からの二足歩行……)


 巳影の背を冷たいものが走る。

 

 「続いてるっす! 斜面の方へ……!」

 

 北原が血痕を追いかける。

 南が震える声を上げる。


 「な……何が引きずられたんでしょう……?」


 「考えたくもない、”何か”だろうな」

 

 巳影の目が、雪の中に落ちている“布”を捉えた。

 北原がそれを拾い上げる。


 「これ……防寒ジャケットの袖……肩章が……引きちぎられて……」

 

 肩章部分だけが剥がれ、袖口は血で濡れている。


 「所属は……松崎班だ」

 

 北原の声が震えた。

 

 斜面の下で、何かが光った。


 「……?」

 

 北原が先に気づいた。


 「巳影少佐……あれ……」

 

 巳影も目を凝らす。

 雪の上に落ちている、金属片。

 近づいて拾い上げた瞬間、それが何か理解した。

 赤い一本の線が刻まれた階級章。

 帝国軍小隊所属を表す階級章だ。

 血に濡れているが、判別はつく。


 「これ……松崎伍長のです……!」

 

 北原の顔が蒼白になった。


 「まさか……松崎班長が……?」

 

 南が震える声で呟く。

 

 更に進んだ斜面の中腹。

 遠目で雪の上に“何か”が落ちているのを発見した。

 冬季兵装の軍人だ。

 だが、その姿を見た瞬間、南は喉を押さえて崩れそうになった。


 「ちが……っ……!」

 

 巳影も北原も目を見開いた。

 倒れていたのは、松崎班の現場指揮官――松崎伍長の身体だった。

 だがその身体は、胴体の上半分しか残っていなかった。

 

 胸の高さについた切断面は、かなり滑らかだった。

 裂けた跡がない。

 喰われた跡でもない。

 切り取られたように、整って見えた。


 「……運ばれた、んだな」

 

 巳影は低く言った。

 北原が口を押さえながら呟く。


 「……獣じゃねぇ。

 こんな綺麗な切断、獣にできるわけねぇ……!」

 

 その時、風が一瞬止んだ。

 森の奥から、湿った冷気が流れ出す。

 その匂いには――

 土、血、苔、獣の息、そして“意図”が混ざっていた。


 「巳影少佐……来ます……!」

 

 南が震える声で言う。


 「全員、安全装置を外せ!」

 

 巳影の声に、全員が身を固くし小銃を構える。

 

 そのときだった。

 森の中で影が揺れ、一本の大木が横方向へ飛んだ。


 ――ガアンッ!!!


 爆音。

 折れた大木が舞い、雪煙が爆ぜ、地面が揺れる。


 「ひっ……!」


 「焦るな! 足元に注意しながら下がれ!!」

 

 巳影が叫ぶが、背中に粘るような汗が流れるのを感じる。

 汗は冷気で冷やされ、鳥肌が立つ。

 

 ――ズ……。

 ――ズズ……ッ。

 

 何かが歩いている。

 巨大な“何か”が。

 南が巳影の袖を強く掴んだ。


 「た、立ってます……! 木の間に……!」

 

 巳影はゆっくり視線を音がする方に向けた。

 

 舞い上がった粉雪。

 その白い視界の中で太すぎる影が一本、不自然に揺れた。

 顔の輪郭がうっすらと浮かびあがる。

 

 視線が固定される──人間の倍以上の高さに。


 「……見えたか」


 「……はい……!」

 

 北原が汗を浮かべながら答える。


 「立ってやがる……!」

 

 その巨影は、森から一歩も出てこない。

 出ない。


 だが――見ている。

 巳影たち一人ひとりの位置を、確かめるように。

 そして、息を吐いた。


 ――ヴォォ……。

 


 「ッ――発砲準備!!!」

 

 巳影は迷わなかった。


 「全員、射撃姿勢を維持したまま基地へ後退!!」

 

 北原の怒号が飛ぶ。


 「隣の人間との距離に注意しろ! 照準をぶらすな」


 三人は、訓練より少し速い歩幅で後退する。

 

 ここで撃っても殺される。

 走り出したい。

 でも、背を向けた瞬間に殺される――

 

 7.62㎜弾が装填された半自動小銃(近代兵器)で武装していてもなお、誰もがそう確信していた。

 南は涙目になりながらも、巳影の背後を守るように動く。


 「し、少佐……」


 「息を乱すな。吸って、止めろ。ゆっくり吐け」

 

 南は必死に従い、視界の揺れを抑えた。

 

 敵は銃を視界に捉えたまま、その場を動かない。

 時々深く息を吸い込み、何かを確認するような仕草をとるが、それでも近づいてくることはなく、ただそこに立ち止まっている。


 (銃を見るのは初めてか……? やけに警戒してるな)


 巳影は、驚くほど冷静に分析していた。

 走馬灯に似た、現状を生き抜く術を脳が模索しているような感覚が支配する。

 

 (弱者(人間)の武器がどれほどやれるか……どれほどの価値があるか……)


 巳影は唇を噛んだ。

 

 森を抜けた巳影たちに、見張り台の兵が気づいた。

 臨戦態勢の姿に、緊急事態であることを察知した門兵が速やかに柵を開ける。

 三人は転がり込むように基地内へ入り、直後、柵が閉じられる。

 

 森は静かだ。

 もう何もいないかのように。

 だが――巳影は知っている。


 (まだいる)

 (ずっと……見ている)

 

 北原が荒い息で呟いた。


 「……これが……

 これが“王”かよ……」

 

 対峙するだけで、生物としての格の違いを突き付けられた。

 巳影の胸で、十年前の市街地戦の残光が弾けた。


 (……このままじゃ全員殺される)

 (だが、逆に言えば……まだ“遊ばれてる”だけだ……)

 

 その夜、基地全体に緊急警戒態勢が敷かれた。

 報告書には、こう記される。


 《初の接触。

 敵の行動パターン不明。

 行方不明者・松崎伍長の遺体上部のみ確認。

 損壊は最小限。

 対象はただの《羆》ではない。》


 そして――

 北域の森の奥。

 銀灰色の巨影が、ゆっくり息を吐く音が木霊す。


 ――ヴォ……。

 それはまるで、”次は、逃がさない”と告げるようであった。

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