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ケモノノ巣域 ──白岳の王討伐戦──  作者: 夢虚
第一章 白岳の王討伐戦
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第四話 夜警

 北域司令基地の一日は、異様なほど静かに暮れた。

 昼間の調査から戻った各班は報告書を簡易にまとめ、武器の手入れをし、最低限の食事を済ませると、それぞれの寝台に体を沈めていった。

 疲労があった。

 だが、それ以上に――夜を迎えるのが恐ろしかった。

 

 この土地の夜は、噂で聞いていた以上に“人間の領域”ではなかった。

 森が黙る。風が止む。

 何もいないはずの闇の奥で、“何かの息”だけが蠢いている。

 

 どの兵士も共通して、どこかで小さくカサッと音がする度に体が警戒態勢をとる。

 電気を完全に消す気にはなれず、宿舎の中でさえ一息つくことができないでいた。

 

 「巳影班、夜警に任ずる。配置につけ」

 

 岩倉中佐の短い号令が、基地の広場に冷たく響いた。

 集められた夜番の兵たちの吐息は白く、寒気のせいだけではなく、不安の色が混ざっていた。


 「……またウチの班っすか、少佐」

 

 北原伍長が外套の襟を立てながら苦笑する。

 

 「“初日だ”」

 

 巳影少佐は淡々と答える。

 

 「いや、そういう意味じゃなく……

 こういうの、最初に当たる班って、だいたい面倒な目に――」


 「北原」


 「はいよ、黙ります」

 

 ただの冗談のはずなのに、その軽口は妙に現実味を帯びていた。

 

 「……少佐」

 

 南二等兵が、控えめに近づいてくる。


 「夜警って、その……どこまで、何を見ればいいんですか?」


 「見えるもの、見えないもの、全部だ」


 「ぜ、全部……」


 「ただし――撃っていいのは、“見えたものだけ”だ」


  南の喉がつまる。


 「見えないものを撃つな。

 見えない怯えにトリガーを引くと、死ぬのは仲間だ」


 「……はい」

 

 南の表情は引き締まるが、その指先はわずかに震えていた。

 巳影は気づいている。

 南が恐怖に弱いわけではない。


 (……気配に敏感な兵ほど、最初に異常を察知する)

 

 だからこそ、守る必要がある。

 

 夜警の配置につく。

 柵沿いに一定間隔で歩哨、司令棟の屋上に監視兵二名。そして巳影の班は北・西側の巡回に割り当てられた。


 「少佐は北側を。俺と南で西を回ります」


 「南を一人にするな」


 「分かってます」


 「じ、自分、一人でも……!」


 「バカ言うな」


 北原が南の額を軽く指で弾く。

 

 「怖いもんは怖いって言え。無理して強がって死なれたら、困るのはこっちだ」

 

 南は唇を噛みしめ、震える声で言った。


 「……こわい、です」


 「よし、それでいい」

 

 北原は微笑むが、視線はすでに闇へ向けられていた。

 

 夜の気温は昼よりさらに低下していた。

 だが、寒さより“空気の重さ”が勝っている。

 人の気配も、風の音も、木材の軋む音すらもない。

 巳影は柵沿いを歩きながら、暗闇の輪郭を探った。

 足元の凍りかけた雪が、かすかに音を立てる。

 ――パキ……。

 ――パキン……。


 (……違う)

 

 音が、遠くに吸い込まれていく感覚。

 夜の静寂は、単なる“静けさ”ではなかった。

 “何かが音を奪っている”。

 

 胸が少しだけ締め付けられた。

 視界の端に、白い閃光がよぎる。

 銃声。

 濃霧のような血。

 倒れた兵士の身体。


 (……やめろ)

 

 巳影は呼吸を整えようとする。

 だが、右手が無意識に震えた。

 

 その瞬間――風もないのに、森の木々がわずかに揺れた。


 (……見ているのか)

 

 暗闇の奥で、何か巨大なものが息を潜め、

 柵越しの侵入者を監視している。

 そんな“視線”のような気配が、巳影の皮膚に触れる。

 

 「少佐」

 

 背後から声がし、巳影は我に返る。

 北原だった。

 すぐ後ろには南が控えている。


 「交代の時間です。……さっき、止まってましたよ」


 「風の音が気になっただけだ」


 「はいはい。そういうことにしときますよ。

 南、次はお前も西側を回るぞ」


 「りょ、了解です……!」

 

 3人は短く頷きあい、それぞれの持ち場へ散った。

 

 巳影は司令棟の屋上へ向かった。

 木造の階段はきしむことなく、やけに静かだ。

 建材が古いのに“生き物の体内のよう”に音を吸い込んでいる。

 

 (……嫌な沈黙だ)

 

 屋上に出ると、冷気が胸に刺さる。


 「巳影少佐、夜警ご苦労様です」

 

 監視兵が双眼鏡を構え、森と斜面を警戒している。


 「異常は?」


 「……特に。ですが――」

 

 兵の声にわずかなしわが寄る。


 「“見える範囲では”何もいません」


 (つまり、見えない場所には何かいる、か……)


 巳影は斜面を睨む。

 真っ黒な夜が広がってる。

 光を食う森。

 まるで深海の底のように、どこまでが地面でどこからが木なのか判別できない。

 その先に、何か得体のしれない化け物が住んでいて、今にもそれが襲ってくる──そんな居心地の悪さが漂っている。 


 そのときだった。


 ――サァ……

 

 耳鳴りのような静寂の“圧”が変わった。

 監視兵が双眼鏡を外す。


 「少佐……? 今、音が……」


 「しっ!」

 

 目を閉じ、耳を澄ます。


 風ではない。

 枝が揺れた音でもない。

 何かの動きに合わせて、周囲の音が消える。

 そして――

 

 ズ……ッ。

 

 地面が、重さに押し沈む音。

 


 「――少佐!!」

 

 下から怒号が響き、反射的に巳影は階段を駆け下りた。

 すでに広場の前に兵たちが集まっている。


 「何事だ」


 「日下部(くさかべ)二等兵が……!」

 

 報告兵が叫ぶ。


 「巡回交代の際、“少し様子を見てくる”と言って、柵の外へ……

 そのまま、まだ戻っていません!!」


 「外……だと……!」

 

 空気が凍りついた。


 (夜の北域で、柵の外……)

 

 それは、海の真ん中に飛び込むのと同じだ。


 「す、すみません!

 ほんの少しだけって……!

 すぐ戻るからって……!!」


 「北原!」


 「ここ!」

 

 北原が駆け寄る。


 「斜面の手前まで探す!

 追跡じゃねぇ、確認だけだ!」


 「了解!」


 「南! 絶対に北原から離れるな!」


 「は、はいっ!!」

 

 斜面が、再び胃の底を掴むような沈黙に染まった。

 巳影はその闇を睨みつける。


 (――狩りが始まった)

 

 まだ何も始まっていないように見えるのに、もうすでに“誰かが殺された後”のような気配だけが漂っていた。


 「……夜が本格的に来たな」

 

 巳影の呟きは、誰の耳にも届かないほど小さかった。

 ただただ吐いた白い息が立ち上ってゆく。


 その後一時間程度手分けをして周囲を捜索したが、日下部の姿は見当たらなかった。

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